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燕の子  作者: 鏑木桃音
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秦王苻堅


阿房宮の威容は、広壮にして三百余里に及び、万丈にして陽の光を隠す。

五歩に一楼,十歩に一閣、堅固な閣楼が林立し、渡廊下が渦巻く水のように巡り、金殿玉楼の軒先は鳥の(くちばし)のように天を高く(ついば)む。宮中には小川が流れ、梅、牡丹、月月紅に玉蘭と一年を通して咲く花の絶えることがない。


「美しいね。」誰もが感嘆しました。

道中、これからどうなるのか不安でならなかった沖たちは、このような素晴らしい宮殿に入れてもらえたことで、少し安心したのでした。

 沖たちは阿房宮にしばらく留め置かれました。その間に評が送られてきました。評は暐に、命令に背いたうえに敗戦したことを謝りました。暐は、全ては私の不徳の致すところですと言ったきり責めることはしなかったのでした。

 年が新たまった春、沖たちは建章宮に連行されました。建章宮は長安城と壁のある渡り廊下でつながっている城郭外の宮殿です。漢の前殿があった未央宮は焼失したので、秦王は建章宮の前殿で政治を行っていました。阿房宮と同じく長安城の西側にありました。


捕虜たちは大勢の護衛兵に囲まれて、歩いて登城しました。沿道はまたしても野次馬でいっぱいでした。しかし、以前とは少し様子が違います。

「あの子が鳳雛ね。」

「桃のほっぺに飴玉のお目目、さくらんぼみたいな唇よ。」

「全部お菓子じゃない。食い意地張りすぎよ。」

「だってー。」

くすくすくす、くすくす。

女の子たちが小鳥のように(さえず)り合っています。

沖を真似て白地に藍色で刺繍を施した胡服を着ている子や長い垂耳の胡帽を被っている子までいます。当の沖は、しばらく風呂にも入らず、着た切り雀で袖口などは灰色に汚れていて小汚いのですが、いつのまにか燕の可愛い皇子様は長安中の噂になっていました。

「沖、みんながお前を褒めているよ。」暐が沖にそっと耳打ちすると、沖は、はにかみました。美しい皇太弟は燕人の自慢でした。

突然、沖は弾かれたように辺りを見回しました。

「沖ちゃん。」

懐かしい馨の声が聞こえたような気がしました。立ち止まることは許されません。沖は何度も何度も振り返ってその姿を探しました。しかし見つけることはできません。空耳だったのかもしれません。あれから色々変わってしまったのに何を期待しているのでしょう、沖は俯きました。


 建章宮の前殿の大広間には秦王を拝顔できる朝臣が勢ぞろいしていました。朝臣は玉座の左右に列をなし、捕虜たちはその真ん中に連れていかれました。()えた匂いが籠らないように扉は四方開け放たれ、早春の肌寒い風が吹き抜けていきます。

 秦王の出御があり式典が始まりました。賜爵授官の式典でした。宰相王猛が燕攻略に功績のあった者を表彰していきます。沖たちはこの上なく惨めな気持ちで聞いたのでした。

「冠軍将軍垂、泉州侯とし、京兆尹(けいちょうい)に任ずる。」

――― 聞きたくない。


王猛が言いました。

「高徳なる天王陛下は燕の罪人に甘露の恵を垂れ、これを大赦し、臣下に加わることを許します。」

捕虜たちは、どういう意味かわらず戸惑い騒めきました。

王猛は、燕の王族百官全員の名前とそれに与える官職を読み上げました。

暐は、5000戸の食邑を有する新興侯に封ぜられ、宮城近くに居所を与えられました。軟禁です。

泓は北地長史。北地郡の文官長です。評は給事中,皇甫眞は奉車都尉,その他にも駙馬都尉,尚書,張掖太守,宣威將軍,三署郎など、軽重差はありますが適材適所にすべての王族朝臣に官職が与えられました。秦王は捕虜を阿房宮に留め置いている間に詳細な経歴調査を行ったのでした。

「最後に、新興侯の弟沖、阿房宮に留め置く。」

「何故!」暐は思わず叫びました。

沖だけ官職が与えられないばかりか、完全に人質です。

秦王は、暐をぎろりと睨みます。「そなたのものはすべて朕のものだと言ったはずだが。」

王猛は言いました。「秦は、能力のない者に官職を与えるようなことは致しません。」

沖の大司馬のことでした。

王猛は続けます。「ただ、将来的には高位の将軍職に就き燕騎を率いていただきたいので、相応しい教育をお授けしようと考えています。」

暐は鮮卑族のための人質で、沖は暐のための人質でした。秦王と王猛は、沖に親秦教育を施して秦に忠実な駒に仕立て上げるつもりでした。これは暐と沖の親子にも似た兄弟関係を利用した有効な鮮卑族統制方法のはずでした。

沖は敵中に一人かと思うと、思わず暐の袖を掴みます。暐はまたしても秦王に言うのでした。

「恐れながら天王陛下、沖はまだ子供です。どうか私の傍に置いてください。」

秦王は、分を弁えない暐に苛立ちましたが、元来、複数の異民族をうまく統治するには寛容さが大切だという考えの持ち主です。本当に沖が親元から離れることもできない甘ったれかどうか確認しようと思いました。そんな子供では将軍に育て上げることなど無理な話です。

秦王は、背が低いために暐の後ろに隠れてしまっていた沖の所に降りていき、その顎をぐいっとつまみ上げました。一瞬驚いた顔をして、にんまりと笑います。

「婆さんの死体しか転がってない、しみったれた後宮だと思っていたら、道理で。こういうことか。」

燕は皇太后の葬儀を行うことができませんでした。

沖は、ものすごく嫌な感じがして「陛下、陛下!」と助を求めました。

「お許しください。」暐が秦王に取りすがります。

「無礼な!」秦王は暐を突き飛ばし、倒れた暐を何人もの衛兵が棍で押さえつけました。

「陛下、陛下!」沖はますます騒ぎます。

秦王は沖の胸倉を掴んで耳もとでねっとりと言いました。

「この男はもう陛下ではないぞ。」

沖は目を大きく見開きました。陛下は陛下です、他に何と呼べばいいのでしょうか。これ以外の呼び方を知りません。しかし陛下を陛下でなくしたのは沖自身でもありました。秦王の言った言葉が頭の中で何度も木霊します。黒曜石のような瞳が水底に沈み、涙が一筋流れ落ちました。

ハハハハハ。

「連れていけ。」秦王が命じ、沖は衛兵に引き立てられて行きました。

王族たちは暐や沖と血で繋がっています。ましてや部族長です。暐と沖への仕打ちは自分たちが受けた侮辱のように感じました。しかし戦に負けたにも拘わらず生かされ、官職まで貰ったのです。耐えるしかありませんでした。

 王族たちは阿房宮には戻らずそれぞれの場所に連れられて行きました。


 心覚え 北地長史 北地郡(中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の甘粛省東部と寧夏回族自治区および陝西省北西部にまたがる地域に設置された。そんなに広くない。)の上級役人。

百度より、「漢代,當時丞相和將軍幕府皆設有長史官,相當於現在的祕書長或幕僚長,將軍下的長史亦可領軍作戰,稱作將兵長史(班超即將兵長史),除此之外,邊地的郡亦設長史,為太守的佐官。南北朝時帶將軍號開府的刺史,屬官也有長史,且多兼任首郡(即刺史駐地)太守。王府也有長史,諸王幼年出就藩國,州府之事即由長史代行。」悩ましい。摂政してる。太守代理くらいの権限がありそう。しかし、丞は太守副官で存在するんだよね。権限の分配がどうなっているんだ。

 

前話で思いっきり地図の向きが逆で宮殿の配置換えをしました。ごめんなさい。間違えちゃいけないところで間違えるから嫌ですね。しばらく落ち込んでいました。

安房宮の描写は、描写ってほどでもない、杜牧之の漢詩安房宮賦を改悪してます。多分これは完成形を想像したものだと思うので沖がいた時はどんなだったでしょうか。

 飴玉ね。この頃じゃ超高級品で庶民は存在を知っていたかどうか怪しい。

 京兆尹は長安が属する郡の長官です。太守と同じです。ただ首都があるので他の太守より格上です。またこのタイミングで就任したのかは不明です。未央宮に前漢時代は前殿があったのだけど、消失してしまっているので多分建章宮を使ったんじゃないかと想像しました。長楽宮はまだ残っていて、この宮殿は秦(始皇帝の方)の宮殿を劉邦が修繕して使ったというから素晴らしく年季の入った宮殿です。苻堅は王莽が城郭外に作った辟雍(大学)を使っているので、長安は本当に大きい都市だと思います。

 苻堅さんは異民族を重用し、自分の一族を冷遇しました。自分が従兄からの簒奪者だったので一族を信頼できなかったのでしょうか。因果応報です。自分って聖天子とか恥ずかしげもなく言っちゃうタイプ。

 この数話先まで休んだ間に書いてみたのですが、どうしてもコメディみたいになってしまい頭を抱えています。もしかしたらまたお休みを貰うかもしれません。

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