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燕の子  作者: 鏑木桃音
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報復

沖は宮城に戻った。

部屋にはお母さまと陛下がいた。そっと部屋に入る。革のブーツは音がしにくいはずなのに母はすぐに気づいて、「沖や、どこへ行っておった?」優しい笑みを浮かべて聞いた。

沖は母の言葉をわざと無視して、天蓋付きの長椅子に腰かけている陛下の後ろに走って回りこんだ。沖のささやかな抵抗である。

 沖はあんなに熱心だった仕事(の見習い)もしなくなった。どうせ沖はただのお飾りなのだ。お爺様の好きにすればいい。というか、沖がお爺様の近くにいることは国益に反する。其れ即ち陛下のためにならないということだ。うんうん。

 陛下が部屋にいないときは泓の部屋に逃げ込んだ。おかげで泓の自己研鑽に毎日付き合う羽目になった。沖は長柄の棒を引きずりながらさすがにうんざりする。

「泓、そんなにやって面白い?」

「面白い面白くないの問題じゃない。俺は早く一人前になって燕に泓あり!とみんなに言わせなきゃならない。」

泓はすごいよ。でも、

「どうせお母さまとお爺様がすべてお決めになるんだよ。頑張ったって意味ないし。」ふてくされて言った。

「そうかな。どんな鄙びた家でも美味しい桃のなる木が1本あれば、甘い匂いに誘われて自然と人がやってくる。人が集まれば、家主は屋敷をきれいにしないわけにはいかないし、それに、人には寿命がある。」泓は笑った。暗に、早くくたばれ老害と言っただけでそれ以上の意味があるわけではない。

「泓は、桃ノ木になるんだね。泓ならきっとなれるよ。」沖は心からそう思う。

「馬鹿野郎。お前は最初から桃ノ木だ。だから腐るなよな。」泓はいつだって自分に厳しく他人にも厳しい。沖は苦笑いして棍を構えた。


沖は母へのレジスタンスをしつこく続けた。いつまで続けるつもりかというと、とりあえず麟が解放されるまでは続けなければならない。

しかし、そろそろ母もうんざりしてきた。陛下は二人の様子をハラハラしながら見守っていた。

「沖、胡餅を作らせたの。好きでしょう?」母は食べ物で釣ってみる。

大好きだけど、絶対食べない。沖は口を両手で押さえた。仕草はとても可愛らしかったが、あまりの強情さについに母がキレた。

「沖や、母に対するその態度はなんじゃ。」声を荒げると卓上の皿を払いのけた。大皿は盛大な音をたてて割れ、菓子が飛散した。

「言いたいことがあるなら言ってみよ!」

沖はあまりに恐ろしくて動けなくなった。

お母さまが怒ると怖いことは知っている。しかし、その怒りが直接沖に向いたことはなかった。お母さまは沖には怒ったりしないのだとどこかで高を括っていた。

母はパタパタと沖に詰め寄るとその胸倉をつかんだ。ぶたれると思って目を閉じた瞬間、

「母上、お許しください。」

陛下が沖を奪って抱きすくめた。しかし一度スイッチの入った母はすぐには収まらない。

「そなたらは揃いも揃って母に盾突くのですねぇ。誰のおかげで大きくなったと思っているのです、この恩知らず!」

「申し訳ありません。」陛下が謝った。

「沖や、そなたは最近泓と母の悪口を言っておるそうではないか。母の前では何も言えないくせに、陰ではこそこそと汚らわしい。まさか二人で母を排除しようなどと考えておるのではあるまいな。そなたの口が利けぬなら泓を締め上げて聞くしかないか。暐や、どう思う?」母はねちっこく言った。

「沖はただ、麟を自由にしてくださいとお願い申し上げたいだけなのです。二人はまだ子供です。決してそのような事は考えておりません。」陛下は必死に許しを請うた。沖は恐ろしくて、陛下に申し訳なくて、わんわんと泣いた。


―――母という人は。

 私は暗愚な皇帝である。これといった国家ビジョンを持たず、賢臣が意見を述べても自分では決めることができず、母の顔色ばかり窺い、自分の一日がつつがなく過ぎることだけを願っている。そりゃぁ賢臣も閉口するというものだ。しかしこの愚かさは母譲りであるだろう。常々愚かな女だとは思っていたが、まさか沖をそのように見ているとは思いもしなかった。ただ、母がこのようになったのは、やはり私のせいなのだ。

 王家には代々、同族の有力部の長の娘を皇后にする習わしがある。有力部と絆を強くしておくことは部を統率するために重要な事である。しかし母の出自はそうではなかった。母が他の夫人を差し置いて皇后になれたのは、一重に父が兄(よう)を皇太子にしようとしたためである。曄は、賢く、優しく、活発で、今思えば父によく似ていた。父は兄に期待をかけたし、母は兄を深く愛した。以前の母は優しかった。ただそれは、兄に非の打ちどころがなく、私のことなど眼中になかっただけのことだったのかもしれない。

 しかし兄は、ある日突然高熱に倒れ、あっという間に亡くなった。世間は、皇后には過ぎた子であったので妬まれて呪殺されたのだと噂した。

 母は残った私に失望した。母が皇后になれたのは優秀な子がいた為である。母は口にこそ出しはしなかったが、言われなくとも自分が一番わかっている。暐は曄には遠く及ばない。できることならば私は兄の代わりに死にたかった。

 母は私の皇位を守るために、人を疑い、母を見下す者を許さなくなった。

 母が猜疑心の虜になったのは私のせいなのだ。母を(なだ)めるのは私の役目である。


「私に恨みを持つ者を野放しにせよというのか。そなたまで私を亡き者にしたいというのじゃな。」母は暐に噛みついた。あぁ、どこまでも面倒臭い母である。

「滅相もございません。母上から頂戴した御恩は海よりも深く、身に染みてわかっております。母上のことは私が身を挺してお守りいたします。どうか、私をお信じください。」暐は平身低頭謝った。

母は暐の言葉に満足した。しかし沖はまだ謝らない。意地悪心がむくむくと湧いた。子供だからといって泣けばなんでも許されると思っているのなら、それは大きな間違いだ。母に逆らえばどうなるか、わからせねばならない。母は、暐にしがみ付く沖を冷ややかに見つめて、沖が一番嫌がる罰を探した。

母はにこやかな笑みを浮かべる。「暐や、そなたはそろそろ妻を娶りなさい。私の姪に年頃の娘がおります。不運続きの我が国の久々の慶事と致しましょう。沖の縁談は白紙になったが、本来そなたが先にすべきもの、かえって良かったではありませんか。」

暐も沖も、息が止まりそうになるほどびっくりした。


暐を支配すること甚だしい。

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