禁断の森〜そして森の使い人
この場所に漆黒の闇はなかった。あゆむはますます真っ暗で不気味な場所を想像していたのだ。意外と明るいこの森は冷たい空気に包まれていて、それが幾らか心地良くも感じた。
上から見上げると夜空が見える。明るいと感じたのは月光のおかげだ。森の木々もまばらに生えているので、ちゃんと光を通してくれる。
ただ、何故か地面だけがまるでそこに存在していないかの様に真っ暗だった。
「あゆむちゃん大丈夫かい?」
ドリィが心配そうに覗き込む。
「うんなんとか大丈夫みたい。ちょっと足が気持ち悪いけど…。」
あゆむは右足を振り回しながら答えた。さっきから蜘蛛の巣だろう、それが歩く度に絡まりつくのだ。どんなに暗闇に目を慣らそうと下をみるが、やっぱり見えない。ちょうど膝下辺りから視界がぷっつり途切れてしまうのだった。
右足が蜘蛛の巣から解放されたと思ったら、今度は大きな石にぶつかったりと本当に歩きにくい。
「ねぇドリィ?さっきの声聞こえなくなっちゃったね。方向が間違っていたのかな。」
石に当たったあゆむのすねがジンジン痛む。…今度は湿った草に足を奪われた。
「うーん、そんなはずは無いんだけどな…。そうだあゆむちゃんこれを持ってておくれよ。ほらここでは目立つだろう?」
ドリィはそう言うとあゆむに自分の手袋を差し出した。手袋はドリィの手の上で月の光を反射し、白く浮かび上がった。
「え?駄目だよこんな大切な物。ちゃんとドリィが持ってなきゃ。」
あゆむは急いでドリィの手を押し戻した。
そっか…とドリィはなんだか残念そうだ。
「じゃあこれを見てておくれよ。僕ちょっと行ってくるから、ほら万が一僕が見えなくなってもこの手袋が目印になるだろう?」
「え?…じゃあまた木にしがみついてた方がいいの?」
「ううん、この森は違う森だから平気だよ。そのままでいてね!」
ドリィはニィっと笑うと奥へ走って行った。
ドリィ…私のこと気遣ってくれたのかなぁ…。あゆむはドリィの背中を見つめた。時々振り返っては手袋をひらひら揺らす。ドリィは進みにくくないのだろうか?あゆむは軽快なドリィの足取りにふと思った。膝から下が見えないドリィの体が、今にも闇に溶けてしまいそうな程不安定に浮かび上がる。…あゆむの胸がトクンと音を立てた。なんだか少し心細い。
「あゆむちゃん!あったよ、こっち来て。僕が見えるかい?」
ふいにドリィが振り返った。懸命に手を振っている。
「うん、見えるよ!今そっちに行くから待ってて!」
良かった!あゆむは逸る気持ちをおさえ、転ばぬように足元を警戒しながらドリィの元へと進んだ。
「あゆむちゃんここからは下手に動いちゃ駄目だよ。」
そばに来たあゆむにドリィが注意した。
しきりに下を見ている。
「…ドリィ?下に何かあるの?」
あゆむが体を傾けると慌ててドリィが支えた。
「あゆむちゃん!前に崖があるんだ。どのくらいの高さかわからないから僕ちょっと先に降りてみるよ!」
あゆむを後ろに立たせ勢いよくドリィが飛び降りる。するとすぐに勢いに任せていたドリィの体が前につんのめった。
「なぁんだ!意外と低い!ちょっと驚いたけど。」
ドリィの言葉にあゆむも安心して後に続いた。
「本当だ!低い。」
なんだか拍子抜けしてしまい、ドリィとあゆむは同時に吹き出してしまった。
—着いたみたいだね…こっちにおいでな…—
突然!2人の笑いを遮る様に何処かから声が響いた。
それと同時に辺り一面が濃い霧へと包まれ、やがて目の前に一軒の丸太小屋が現れたのだった。ようやく魔女の元へと辿り着いたドリィとあゆむは、かたく手を握り合い小屋へと進んで行ったのである。
小屋は今にも倒れそうな程古く、草の蔦が茂っていた。その茂みの間から扉を見つけ恐る恐る中に入ると、すぐに軽快な笑い声が2人を迎えた。
「何をまごついているんだ。さぁさぁ早くお入りなさいな。」
その声の主はなおも入り口で硬直しているドリィとあゆむを見て、
「さぁ、何もとって食べやしないよ、ほらこっちへおいで!」顔をしかめながらも手招きし、2人を促した。
1人の老婆がそこにいた。背もたれの高い椅子に腰を掛け、その顔からは長い鼻が垂れ下がっている。異様に大きい目が2人を見つめていた。
「あたしに話があるんだろう?2人とも。さぁここにお座りな。」
老婆はそばにある椅子を指差した。長い指を空でトントンと鳴らす。
「はい魔女さん。あの…魔女さんはずぅっと昔にドーガの町の皆に力を貸した、魔女さんですよね?僕達ドーガの町のことでお話があって来たんです。」
座るとすぐにドリィが事情を話した。
「そうなんです。大佐と呼ばれている犬がとてもひどいことをしているんです。昔みんなにしたように、今度は今のみんなにもお力を貸していただきたいんです。あの…どうかお願いします。」
じっと見ていると心の奥まで覗かれそうだ。上手く言えただろうか、あゆむの喉が詰まる。
そんな2人の様子をしばらく見ていた老婆だったが、やがて口を横に吊り上げると人差し指を軽く曲げた。
するとそれに反応した2つのティーカップが空を漂いながらやって来て、ドリィとあゆむの膝へと着地した。良い匂い!あゆむは鼻をすすった。中に紅茶が注がれている。
「なんだいさっきから…昔、昔って!そんなに言うんじゃないよ。それじゃあまるであたしが年寄りみたいじゃないか!これでも魔女の中じゃあ若いんだよ。それにしても名前ぐらい名乗らないかい!」
今度は戸棚からビスケットを運んでくれた。
「すいません!僕ドリィです。」
「あの私あゆむといいます!」
2人は慌てて一斉に自己紹介をした。
魔女はまた軽快に笑うと、
「そんなに慌てなくともあたしゃ怒っちゃいないよ。あたしはギルメル…そう呼びな。」
ギルメルという魔女は自分の分の紅茶を美味しそうにひとすすりすると、
「確かにあたしが犬達に力を貸した魔女さ。あの時はあたしもずいぶん若くてねぇ…。今思えばいとも簡単に力を貸したもんだよ。まぁドーガのことは時々見ていたから大体は飲み込んでいるつもりだよ。さぁさぁ、お食べなさいな。心配せずとも毒なんて入っちゃいないから。」
ギルメルは紅茶とビスケットを前に戸惑っている2人を見て笑った。
「それで?一体おまえは何をどうしたいんだね?」
ギルメルがゆっくりとした口調でドリィに尋ねた。
「はい…。僕なんとかしてドーガの町を元の平和な町にしたいんです。」
ドリィがそんなギルメルの問いに、しっかりとした口調で答える。
ギルメルはドリィを見つめニヤリと口を曲げた。
「おまえの意志はわかった。だけどあたしは力は貸してやってもいいが、知恵までもおまえに貸すつもりはないんだ……ドリィ。」
「え?」
ギルメルの言葉にドリィが驚いて見つめ返す。
「何をどうしたいのか、おまえにはわかっているはずだよ。それを聞きたいんだ。だが、あたしに知恵まで借りたいと言うのなら話は早い。とっとと、この小屋から出て行っておくれ。」
ギルメルは扉を顎でしゃくった。
ドリィはしばらくギルメルの大きな目を交互に見つめた。
「はい…。ギルメルさん。僕どうしたいのかわかっています。」
ドリィはしっかりと目を閉じ小さく息を吸った。
「僕………。」やがて話し始めた。
あれからドリィの話がしばらく続いていた。
「…大体の話はわかったよ。助けてやれないことはない。だが、ただという訳にはいかないよ。そんな簡単に助けてはやれないんだ。わかるね?」
一通りの話を聞いたギルメルがドリィに言った。
「ということはどういうことなんでしょうか…。」
あゆむが聞いた。不安がよぎったからである。そんなあゆむに眉を片方持ち上げたギルメルがすぐに答えた。
「あゆむ…それにドリィ。あたしはおまえ達に力を貸すと言っているんだ。だがそれには条件がある。わかったかい?」
「はい、わかってます。じゃあギルメルさん、何をしたら良いのか言って下さい。」
そう言ったドリィには戸惑いの表情が一切浮かばない。こうギルメルに言われることを予想していたのだろうか…。
「ちょっと待ってください。ギルメルさん少しドリィと話をさせてもらっても良いでしょうか?」
ギルメルが頷いたので、あゆむは急いでドリィに耳打ちをした。
「ドリィわかってる?あまり時間はないんだよ。もしとんでもないことを言われたらどうするのよ。」
そんなあゆむにドリィはすぐに頷いた。
「大丈夫さあゆむちゃん。どんなことでも僕はやるよ。だって僕ギルメルさんに助けてもらいたいんだもん。時間がないのはわかっているけど…ギルメンさんじゃなきゃ駄目なんだ。」
「でもドリィ…!」
そこでギルメルがまた軽快に笑った。
「もうドリィは決めたようだね。あゆむ、安心しないか!何もそんなに時間は取りゃしないよ。これはあたしらの世界の掟でねぇ、何かをしてもらわなきゃただで力は貸せないんだよ。さぁ、どうするんだね。」
ギルメルはまた顎をしゃくった。
「じゃあギルメルさん。私達があなたの言うことをやり遂げたら、必ずお力を貸していただけるんですね。」
あゆむが今一度念を押す。
「もちろんだよあゆむ。おまえさん失礼なこと言うねぇ!あたしゃそこまで意地悪じゃあないよ。なんだい!文句があるんだったらとっとと帰んな!」
ギルメルが憤慨したようにギラリと目を光らせた。
その目にあゆむは首がもげそうな程横に振ったのである。
「それじゃあ2人とも早速始めようかね。ついておいで。」
ギルメルはのっしりと立ち上がると、2人を手招いた。
着いた先はいつの間にか小屋の横にそびえ立っている太い木の前だった。ギルメルは自分の身長よりもうんと長い杖を持ち出すと、その木を軽く小突いた。するとその木はゆらゆらと揺らめきだし、大きな口を開けたのだった。
「さぁ、2人とも。ここを通って行くんだ。そこに1人の森の使い人がいるよ。そいつは今猫の手も借りたいくらい大忙しなんだ。そいつの手伝いをするのが、あたしからの条件だよ。何も難しいことじゃあないだろう?さぁ、お行きな。」
そしてドリィとあゆむを、杖でさも軽々と持ち上げると、ひょい、木の口の中に投げやった。
木の中はまるで異空間とでもいおうか、中ではさまざまなな色がぐるぐるとうごめいていた。その時折に浮かび上がる物…茜色の空の固まり…夜空の星々達…。そしてあれはなんだろうか?小さな小さなそれも手のひらにすっぽりと隠れてしまうくらいの小さな人が、羽をパタつかせて楽しそうに飛び回っている姿が、ぷかぷかと2人の前をよぎった。
「ドリィ何これ!一体ここは?何処に出るの?」
「う〜ん、森のお使いさん。どういう人なんだろうね…。なんだかわくわくするなぁ、僕。」
ちょっと人の話聞いてないでしょう!あゆむは呑気なドリィに呆れながらも、実は同じ思いだった。今はなんだかやる気に満ち溢れているのだった。
2人が体をくねらせ、逆さまになりながら運ばれた先に突如白いモヤが現れた。そして目の前まで来ると、ペッとまるで異物を吐き出す様にドリィとあゆむを外に出すと、出口の木は口を閉じたのである。
2人はギルメルの所にあったのと同じ大きな太い木の前に取り残された。
さぁ!ここから森の使い人とやらを探さなくてはならない。目の前には今までと同じく森が広がっている……。だが一つ違う点があった。目の前に広がる森、それはまるでミニチュアなのだ。あゆむの膝まで来るか来ないか程の木々達を、ぎっしりと生やした森。それらが一つ一つ花壇の様に広がっていた。
ドリィがその森にそっと足を忍ばす。あゆむも続く……おっと!少し靴が木をかすめた…途端!!
「ほぉらそれを踏むんじゃないよぅ!気を付けて歩けよう!」
と空からとっても大きな、地響きでも起こしそうな大声が舞い降りて来たのだ。それと同時に2人の背後が真っ暗になった。ここはギルメルのいた森と違い暖かな日の光に満ちていたのだが、それが一瞬にして一つの影に遮られた。2人が驚いて上を見上げると、4〜5メートルはあるんじゃないかと思うくらいの大男が、心配そうに2人の足元を見つめていたのだった。
「そこから行ってはいかぁん!ほぅら、こっちにも道はあるだろうがぁ、こっちから行きなぁさい!」
大男は横を顎で示した。
見るとその先に崖がありあゆむ達の目線ではとうてい道など見えなかった。多分この大男には見える道があるのだろう。でもそれじゃあとんでもなく遠回りすることになる。
「ドリィこの人がもしかして森の使い人じゃない?」
あゆむが耳打ちをした。まぁ、耳打ちなどしなくてもずいぶん上の方にある大男までは聞こえなそうだが。
「すいませぇん!もしかして森のお使いさんじゃあないですかぁ?僕らギルメルさんに言われて来たんですぅ!」
ドリィも負けじと大声を張り上げる。
「なんとぅ!ギルメルがおまえさん達をぅよこしたとぅ?…はぁ〜ん!ギルメルも愉快なことをするなぁ!」
この大男、森の使い人は肩を震わせ笑った。そして、ぽおおおんっ!と弾けると白い煙に包まれ、
「このサイズの方が、おまえさん達とも話しやすいからな。」
2人の前へと現れた。