トロッコ列車
ここはさっきまでの青々とした森とはまるで違う所だな。辺りを見回しながらあゆむは思った。ペティカルロを後にして、再び次の場所へと歩いている最中だった。
ドリィとあゆむの片手には、ソフィアにもらった『あめいろ』の定番、星のスコーンが握られていた。それは星形に型どられていて、蛍光イエローの光を放っている。暗い場所でも明かり代わりになる便利なスコーンだ。そのスコーンを一口食べるなりたちまち体は軽くなり、元気が湧いてくるのだ。
どちらの方向へと歩いて来たのかはわからないが、徐々に枯れ木が増えてきて、今ではほとんどの木が凛々しさを失っていた。
あゆむとドリィの足元で、枯葉がシャリシャリとわびしい音を立てた。
「ねぇドリィ?次行く場所はもう決まっているの?なんだか見事に景色が変わってきたんだけど。本当にこっちで大丈夫なの?」
あゆむは眉を寄せた。だが、そう言ったあゆむの心からは全くと言っていい程、不安が消えていた。何故ならドリィという少年との旅を、すっかり楽しんでいたからだ。今ではワクワクして、早く次の目的地に着かないかとうずうずしていた。
そんなあゆむにドリィはお馴染みのニタニタ笑いを返しながら、
「うん、確かここからは段々木が無くなって、一本道が現れるよ。それを進んで行くとドーガの町に着くはずなんだ。」と答えた。
2人が歩き続けていると、ドリィの言う通りバラバラだった枯れ木達が、段々バランス良く並び始めて、やがて一本道が現れた。
「本当だ、ドリィ。この道を行くのね。ドーガの町って、どんな所なんだろう。」
ドリィとあゆむはドーガへと続いているらしいこの道を進み始めた。
途中途中に、生暖かい風が通り抜けて行くのを感じた。それを肌で受け止めながら、2人は歩き続けた。
「ドリィ見て!あれなんだろう……?」
かなり遠くの方に見える、森の出口だろうか…何やらモヤモヤとしたものが、道を遮っているのだ。見ているとどうやらそのモヤモヤはこちらへと移動しているようだ。
移動する速さがどんどん増している。周りの木の葉を撒き散らし、それと同時にやって来る。
「痛い!」
あゆむの体目掛けて一気にモヤモヤがぶつかった。
砂埃だ!その砂埃が風と共に後から後から押し寄せて来るのだ。
それはまるで2人の進入を拒むかの様に、止む間もなく続いた。とてもじゃないが目を開けることが出来ない。あゆむは息をするのさえ大変になったこの状況で、どうすることも出来ないまま、なんとか飛ばされないよう足を踏ん張るしかなかった。
「あゆむちゃん、僕連れてってあげるよ。そのまま目を瞑っていて!」
ドリィが力強く言った。そしてあゆむの手を取り引っ張り始めた。ドリィは平気なの?あゆむはそう言いたかったのだが、口なんか開けようものならここぞとばかりに砂が入って来るだろう。とにかく今はドリィに体を預けることにしよう。あゆむは固く目を瞑り、なんとか足を運んだ。
ドーン! ドーン! と太鼓を叩く様な音があゆむの耳に飛び込んで来た。その音が段々大きく聞こえて来る。砂嵐と一緒でこっちに向かっているみたいだ。一体なんの音だろう。ドリィに聞きたいが聞けない……なんだか怖い!
あゆむの心臓がバクバク鳴り始めた。あまりの風の強さと音で、あゆむは倒れそうになるのを必死に堪えた。足に力を入れて歩いて行く。油断したら終わりだ。
ー ピタ ー風が止んだ。
それと同時にあゆむの瞼を通して明るい光が差し込んできた。砂の匂いと太鼓の様な音の余韻を残し、風は去って行った。
「あゆむちゃん、目大丈夫?ドーガの町に着いたよ。」
ドリィが心配そうな顔であゆむを覗き込んでいる。
「う、うん。なんとか大丈夫。それよりもすごい風だったね。」
あゆむは目に入った砂を擦り取りながら、ゆっくりと目を開けた。
目の前には、何処までも続く長い塀が立ちはだかっていた。
「本当にここから入るの?」
あゆむが不安げに言った。
「だって入り口ここしか知らないもの。」
ドリィはそう言うと、周りを注意深く探り始めた。この町を取り囲んでいるブロック塀はとても高く、中の様子を全く見ることが出来ない。ようやく見つけた小さな木の扉の前に2人は来たのだった。
まさか、この扉を開けた途端、ドッカーン!なんてことにはならないでしょうね!あゆむはカラカラに乾いてしまった喉に、溜まった生唾を通した。
ギギ…ギィ〜ギギ……ガガガ…
ドリィが木の扉を押すと、その扉は重々しく木と木を擦り合わせながら開いた。
ドリィを先に後に続いて入ったあゆむは、あまりの驚きに言葉を失ってしまった。
目の前に広がるのは、崩れたブロック塀、崩れた建物。そしてあの大きなドーンという凄まじい音が鳴る度に、うめき声や叫び声がこだますのだった。
戦場だ。テレビや映画で見たことのある、あの光景だった。あゆむは想像することもなかったこの光景を見て、胸の奥がズーンと重くなるのを感じた。
「この町は、とっても悲しいんだ…。僕も来るのは初めてだけど、なんだか悲しくなってくる。」
ドリィが珍しく浮かない顔で言った。
ドーガの町。ここではどんな出来事が待っているのだろう…。あゆむには全く見当がつかなかった。
「急ごう、あゆむちゃん!見つかるとまずい。」
それからはなんとか必死でドリィについて行くしかなかった。
身をかがめ、辺りを注意深く見ながら塀づたいに走った。足音もまずい!なるべく静かにすり足でドリィについて行った。
時折、あゆむが通り去ったすぐ後ろのブロックが、激しい音とともに弾け飛んだ。その度に声を上げそうになったが、なんとか堪え走った。ドリィがジェスチャーで大丈夫?と聞く。あゆむもジェスチャーで無事を知らせるが、いつまたブロックが弾け飛ぶかわからないので、もう気が気ではない。
ドリィがまたもやジェスチャーで多分、もうすぐだと言っているのだろう、しきりに前を指差している。そしてあゆむの手を取り、行く先にあった2人が入れるくらいの穴目がけて飛び込んだ。いよいよ声を上げそうになったあゆむの口を、ドリィの手がふさぎ、2人の体は底に落ちて行った。
「あゆむちゃん、ごめんね。驚いた?」
穴の高さは2メートルくらいだろう。それでも小さいあゆむ達が怪我もなくいれたのは、底が柔らかいクッションの様な草木で引き詰められていたおかげだった。
穴が狭いせいかとても暗く感じる。
「もう、驚くのには慣れたよ。」
鞄からソフィアにもらった『あめいろ』の星のスコーンを1個取り出し、辺りを照らしながらあゆむは言った。ドリィは嬉しそうに頷くと、同じ様に星のスコーンを取り出し、狭い穴の壁を丹念に調べ始めた。
あゆむが何をしているのかと聞くと、ドリィはウィンクをし、壁に手を当てた。
すると!手を当てた壁がかすかに揺れたかと思ったら、ドリィとあゆむの体は壁の中に入り、そのまま土の中を通り抜けたのだった!あゆむはこれにはやはり驚きを隠せなかった。
地面の動きが止まり現れたそこには、土の中というよりもしっかりと作られた洞窟があり、その奥へと続く道があった。そして一台のトロッコがひっそりとたたずんでいた。
「これに乗って町まで行くんだ。」
そう言うとドリィはトロッコに身軽に飛び乗り、おいでっとあゆむに手を差し伸べた。あゆむはもちろん、トロッコなど乗るのも、見たことさえなかったので、ちょっとためらってしまった。ドリィがそんなあゆむの手を取り、自分の元へと引き寄せて一緒に乗せてくれた。
トロッコの両サイドには木で作られたレバーが付いている。ドリィはそれを小慣れた手つきで前へ倒すと、
「しゅっぱぁっつしんこぉーう!」
と元気よく言った。少し音程の外れた鼻歌まで歌い始め、まるで車掌にでもなったみたい。あゆむは苦笑し、ゴット ゴットと不器用に揺れるトロッコでの乗車を楽しんだ。
トロッコの中は意外と広い。大人が4〜5人は乗れるくらいのスペースだ。軽く腰掛けられる椅子がついており、乗り心地はさほど悪くはなかった。
「ねぇドリィ。そういえばなんでトロッコの動かし方なんて知ってるの?それどころかどうしてこの抜け道みたいのがわかったの?」
あゆむはこの場所に着いてからずっと聞きたかったのだ。
「うん、それはね。僕のお父さんのお友達がこの町に住んでるからだよ。フラウさんっていってね、前にお父さんがこの町の…というか、これから行く場所までの行き方を話してくれたんだよ。フラウさんは僕に会うの初めてだけど、きっと快く迎えてくれるよ。とても優しい人らしいから。」
ドリィは相変わらず車掌気分で、右へ曲がれ左へ曲がれとあのキラキラする手袋を揺らしている。
私そういえば、まだドリィのこと全然知らないんだなぁ。ふとあゆむはそんなことを思った。何歳なのかとかそういうんじゃなくて、何者なのか…。お父さんとか話に出てくると、改めてこの不思議な世界の住人なんだって実感しちゃう。
というより、この世界は一体、なんなのだろう。私は果たしていつになったら、元の場所に戻れるのかなぁ…。
あゆむは慌ててかぶりを振った。元の場所⁉︎あゆむの頭の中で、ぐるぐると黒い煙が立ち込めた。
嫌だ!あんなとこ絶対に戻るもんか!私はこのままこの世界で、ドリィと一緒に旅して行くんだから!あゆむはなんとかして不安を抑えようと、ドリィを見つめた。だがドリィの真新しい手袋が目に入ると、不安がたちまちあゆむを襲った。
でも…じゃあ私は、ドリィの旅が終わったら…、その後どうするんだろう。何処に行けばいいのだろう…。
ここ何日か思い出すことのなかった様々な思いが、あゆむの心を渦巻き始めた。
いつも心が重くなったり、胸が締め付けられる様な思いが頭をよぎると、それを遮る様に自分を励まし、他のことに気を取られることをするのが、あゆむの癖だ。今は星のスコーンの余りを無我夢中で口の中に押し込んだ。ほんのり甘いその味は、あゆむの目に溜まった涙を優しく乾かしてくれた。
トロッコは相変わらずマイペースに進んでいる。ドリィはいつの間にか車掌の真似をやめ、マリンブルーの色のまん丸とした瞳で、じっと前を見つめていた。
まるでその瞳の奥には、あゆむの心の中が見えているかの様だった。
段々、スピードが速くなってきた。目の前に傾斜面が現れ、トロッコがガタゴト音を出し揺らしながら、颯爽と坂道を下り始めた。ドリィとあゆむの体は必然的に前のめりになり、あゆむは振り落とされない様トロッコにしがみついた。
今ではもうもの凄い速さでトロッコは進んでいる。時々車体がレールの上から離れ宙に浮かぶ。
「ひゃあぁぁ!」
トロッコが宙に浮かぶ度、あゆむは悲鳴に近い声を発した。
「大丈夫あゆむちゃん!絶対にこのトロッコは僕らを落としたりしないから!」
ドリィがその都度、大声で励ました。
確かにドリィの言う通りだ。上がったり下ったりしていて、トロッコはまるでジェットコースターさながらだが、決して2人の体はトロッコから浮くことは無かったのである。
「あゆむちゃん!もうすぐで終わりだよ、頑張って!」
ドリィが声を張り上げた。それと同時に道が平らになり、トロッコが勢いよく前のめりになった。あゆむはいよいよ投げ出されるんじゃないかと踏ん張ったが、やはり平気だった。不思議なくらい体は重く、お尻がトロッコからは離れないでいてくれた。
徐々にスピードを落とし始めたトロッコに、まずは一安心だ。あゆむは体の力を抜き、いつの間にか掴んでいたドリィの体からそっと手を離した。
トロッコが行く先には大きな入り口が待っていた。そこをのんびりくぐり抜けると、町が目の前に現れた。
町の周辺はやはり砂埃が煙っており、家屋としているらしき三角の形をしたテントが多数建てられてあった。
「しゅうてぇーん!」
ドリィはまた車掌の様に笛を吹く真似をした。
「あゆむちゃん、ここが今回の目的地だよ。ようやく着いたねぇ。」
ドリィがピョンッとトロッコから飛び降り、嬉しそうに言った。
トロッコ乗り場は洞窟の少し突き出した所にあり、他にも幾つがのルートがあるのだろう、何台ものトロッコが同じく洞窟の少し突き出た所に停まっていた。
妙に静かだった。人の気配がない。テントの前には洗濯物やら、何かの道具やらがあり、生活をしていることだけはわかったが…。
2人はまずドリィの父親の友人だというフラウを探すこととした。
「ドリィ、フラウさんの顔しってるの?なんか誰もいないし…。本当にここって誰か住んでるの?」
現れぬ人影にあゆむは少し気味の悪さを感じた。
「うん、皆家の中にいるはずだよ。フラウさんも何処かにいるはずなんだ。探さないと…。でも僕フラウさんの顔までは知らないから、誰かに聞かなきゃならないんだ。」
ドリィは肩をすくめた。
2人は仕方なくテントが並ぶ間に足を踏み入れた。ドリィとあゆむの砂利を踏む音がやけに響く。よく見ると、テントの入り口にはみな黒い布がぶら下がっており、中の様子を見ることが出来なかった。
ジャーン! ジャーン!
突然大きなドラの音が響いた。
あゆむはびっくりしてしまい、ドリィにしがみついた。
「あゆむちゃん、見てごらん!皆出て来たよ。」
ドリィがあゆむを支え、顎をしゃくった。
本当だ!今のドラの合図に反応し、あちらこちらから話し声が飛び込んで来た。皆笑顔で安心した様にテントから顔を出す。その姿はあゆむと同じ……、
いや、人ではなく、犬だった。
皆二足歩行で歩いていた。
「ここはドーガの町。犬さん達の町さ。前では大勢が縄張りを争って戦っている。ちょうど今の音が安心して過ごせる時間だという合図なんだね。」
ドリィが教えた。あゆむは急いでドリィから離れ、
「ドリィ!ここの町のこと知ってたの?初めにもっと教えてくれても良かったのに。さっきの音だって、誰も姿を見せなかった理由だって、知ってたら私、あんなにも驚いたりしなかったのに…。」
あゆむは自分を驚かせたことが腹立たしい訳ではない。ドリィにしがみついてしまったことが、恥ずかしかったのだった。
「そうじゃないんだ、あゆむちゃん。ごめんよ、僕も言いたかったんだけど、言ってしまったらトロッコは動いてくれないんだ。それどころか、道も空けてくれない。お父さんにこの町のことを聞いた時、そういう掟だって教わったんだ。」
ドリィが申し訳なさそうに小さくなった。
「あら珍しい。こんなへんぴな所にお客さんだなんて。どのくらいぶりですこと。」
ドリィとあゆむの声を聞きつけたのか、近くを通った婦人が声を掛けた。婦人は出掛け用のワンピース姿に帽子を小粋に被っていた。
「しゃべってる⁉︎…あわわ!」
思わず言ってしまった!慌ててあゆむは口を押さえた。
「この男の子がさっきまでしゃべってなかったのに、しゃべったって……言いたかったんで…す。」
あゆむの苦しい言い訳を聞いた婦人がフッと優しく微笑んだ。気を悪くしていない様子に胸を撫で下ろしたあゆむを、ドリィがふくれっ面でこづいた。
「2人とも、ひょっとして誰かのことを探しているの?ここは外からじゃ誰が何処に住んでいるのかわからないものね。」婦人が言った。
「はい、そうなんです。あの、フラウさんを探していて。知りませんか?」
ドリィがすかさず聞く。
「あぁ、フラウさんね。あそこのテントのちょうど後ろ側に住んでいるのよ。青いテントで多分今頃は坊や達が遊びまわっている頃だから、きっとすぐにでもわかるでしょうよ。」
ドリィとあゆむはそう教えてくれた婦人に丁寧に礼を言い、フラウが住んでいるという青いテントを目指し進んで行った。
よほどお客が珍しいのだろう。途中途中にあるテントの前で犬達が振り返る。ドリィとあゆむが会釈をすると、皆顔をほころばせて挨拶を返したのだった。