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深夜のショータイム

 森が薄暗くなり始めた。何処からかカラスの鳴き声が響いてくる。鳥のさえずりも暖かな日の光も緩やかな風も、今は何処にもなかった。空は茜色に染まり、うっすらと黄みがかった雲が漂っていた。もうすぐ夜がやってくるのだ。

 あゆむは夕暮れ時が一日の中で最も好きだった。世界が橙色の神秘な色に包まれ始め、人の影が遠くまで伸びていく。太陽が姿を消していき、薄青く変わった空にはポツポツと幾つもの星が浮き出てくる。そうして夜がやってきて一日が幕を閉じていくのだ。

 だが、そんな神秘な世界を遮断したこの森は、日の光を失い始めて不気味に微笑んでいる様に見えた。

 何処まで歩いても出口なんて見当たらないじゃないのよ。あゆむはため息をついた。ドリィについて来て良かった。こんな所1人だなんて決していられないだろうから。

 ドリィに目を向けると相変わらずニタニタしている。ピョンピョン跳ね回り、木の枝を拾っては長さ比べをしていた。そして自分の腰の辺りまでくる長さの枝を見つけると、嬉しそうにぶんぶん振り回した。

「ドリィったら、何をしてるのかなぁ…。出口まだかな…。」

 あゆむはドリィに聞こえないように小さくぼやいた。

「あった!あゆむちゃん、ちょっとこっちに来てごらんよ!」

 突然駆け出したドリィについて行くと、今までとなんら変わらない気がうっそうと茂っており、出口など何処にもありはしなかった。

 目を凝らして辺りを見るがやっぱりわからない。

「ドリィ、ここには一体何があるというの?」

 あゆむは首を振った。そんなあゆむを見てドリィはニィっと笑うと、

「ようやく出口を見つけたんだ。たくさん待たせちゃってごめんよ。」

 そう言い指を真っ直ぐに差した。

 ドリィの言う場所には、周りの木とは少し色の違う赤茶色の2本の木があるだけだ。でも別に大して気にすることもない。その奥にも今までと同じ様に永遠と森が続いているのだし。それに何度もそんな色の木を見かけた気がする。第一、道とはとてもかけ離れたものだった。

 困惑の表情を浮かべているあゆむの目の前にドリィは立つと、その2本の木に向かって歩き出した。

 その瞬間!2本の木の枝がニョキニョキ、すごい速さで伸び出した。ドリィの体をしっかりと捕まえると、そのまま木の上に連れて行ってしまったではないか!

 やがて枝はドリィを上に降ろしたのか、スルスルと一瞬の内に元の位置へと戻ってきたのである。

 あゆむはあまりの出来事に呆気に取られてしまい、その場に立ち尽くした。

「あゆむちゃんも、早くおいでよ!」

 遥か上の方に感じるドリィの声が元気良く響き渡った。

 行くしかなかった。1人になってしまったこの森は、すでにかなりの暗さで、寒気がする程気味が悪かった。

「よし!」

 あゆむは握り拳を作り自分に気合いを入れ、その2本の木の下に歩み寄った。

 すると、木の枝は待っていたかの様にあゆむの体をしっかりと包むと、ぐんぐんぐんぐん上に昇り出した。

 みるみる内に地面が遠ざかって行く。あまりの速さにあゆむは鞄を落としてしまいそうだった。あゆむの足がブラブラ揺れる。かなりの高さに体がこわばった。

 上ではドリィがあゆむがやって来るのを身をかがめて待っていたが、あゆむが木の上に辿り着くと、グルリっと宙返りをし、

「どうだい?気持ち良いだろう?」

 誇らしげに迎えた。

 到着した場所は、まるで木の葉で出来た草原の様だった。空気がとても澄んだおり、先程顔を出したばかりの月がこうこうと照っている。その姿は細くて綺麗な形をした三日月だった。そして月の光を浴びながら、薄いブルーの雲がフワフワと気持ち良さそうに泳ぎ、そんな夜空を幾つもの星がキラキラと装飾をほどこしていた。

 あぁ…!なんという綺麗な眺めなんだろう……。

 あゆむは思った。何事にもあまり感動を示さないあゆむだったが、この眺めは見事にあゆむの心を捉えていた。

「行こう。今夜泊まる所を探さないと。」

 あゆむの様子をとても嬉しそうに見ていたドリィは、もっとすごい所があるんだから、とでも言うようにあゆむの手を引っ張った。

「ちょっ!ちょっと待って、ドリィ。」

 落ちてしまうんじゃないかと、あゆむは慌てて足を踏ん張った。それもそうだろう、だってここはあの幾本もの木の上なのだから。

 だがそんな心配は無用だった。枝や葉が細かい網の目の様に入り組んでいて、今では少しの隙間も無い程安全な足場へと変わっていた。いつの間にこんな風になったのだろうか。下はもはや森とはとうてい思えなかった。

 2人が歩く度に頑丈な網目が擦れ合う音がする。サクサクとしたその音はあゆむの心をドキドキさせた。これから何が待ち受けているのだろう。またあゆむは周りを見渡した。深呼吸をし、夜の空気をいっぺんにお腹にしまい込むと、とても嬉しくて、なんだか幸せな気分に包まれた。


 ドリィは楽しそうにスキップをし、そんなドリィに連れられてしばらく歩いていると、何処からともなく明るいにぎやかな音楽が聞こえてきた。その音楽に混じってたくさんの笑い声や話し声も聞こえてくる。

 どうやら街があるらしい。だが、辺りには見渡す限り同じような景色が続いているだけで、何処にも街なんて見当たらない。あゆむはまた枝でも伸びて来るのではないかと思い、下を見たが、枝が伸びて来る気配はない。

 ドリィはあゆむの手を両手で握ると、

「こっちだよ、あゆむちゃん。」と促した。

「こっちって言ったって、なんにもないよドリィ⁉︎」

 あゆむはまたもや面食らった。目の前のドリィの体が浮いているではないか!いや、何かに乗っている様だ。言葉を失ったあゆむも、ドリィの促す目に合わせて片足をそっと動かす。

 コッ……コトン。足の動きが止められた。

 そこには見えない階段があったのだった。ドリィが早くと言うので、あゆむがおそるおそるもう片方の足を降ろすと、やはりまたコトンっと音を立て止まった。

 空気の様に透明で、いや…ようく見るとほんのり曇って見えるその階段は、遥か上の雲を目指して建てられていた。

 あゆむはドリィに引かれるままその階段を登って行った。階段を通して下を見ると、空に浮いている様な錯覚におちいった。

 上から見ると先程まで木の葉の草原だった森は、とても黒々としており、異様な空気に満ちている。あゆむは少し身震いをすると、今度は上に視線を移した。

 こんなにも月が近くに感じるなんて……。あゆむはその眩いばかりの輝きを増した月に目を見張った。

 音楽や笑い声が徐々に大きく聞こえてくる。

 ドリィとあゆむは浮いていた雲の上へとようやく辿り着いた。

「ドリィ……。ここは一体…⁉︎」

 その雲の上に立った瞬間もあゆむはまるで狐につままれた気分になった。まさかと思ってはいたが目の前に街があり、沢山の人が行き交っているではないか。それもあゆむと同じ人間ばかりだ。

 本当に不思議な世界に足を踏み入れてしまったんだな、と、改めてあゆむはそう実感したのだった。

 入口にはずっしりと重たそうな黒い鉄格子の門があり、街全体は2mくらいの高さのレンガの塀で守られていた。

 あゆむ達が雲の上に降りたと同時に、門はガラガラと音を立てながらゆっくりと開いた。こうしていつもこの街は訪問客など向かい入れているのだろう。

「この街はペティカルロっていうんだ。僕も来たのは初めてなんだけどね。」

 ドリィがそう教えた。

 街のアスファルトにはタイルが一面に引き詰められていた。白色を基調とした彩り豊かなタイル達は、街灯と月の光に照らされ浮き上がって見てた。朱色にクリーム色、黄土色に鶯色。あゆむの好きな色ばかりだった。原色の様にはっきりとしていない、どこか暖かいそのなんとも懐かしく、そして優しく見える色合いにいつでも惹かれるのだ。

 街の玄関にはちょっとした踊り場があり、その中央には少し小さめの噴水があった。勢いよく湧き出る水の中央には、この街のシンボルなのだろうか、銅像が立っている。その姿はあゆむより少し幼い、まだあどけない顔をした少女がハープを奏でていた。

 噴水と少女はこれまた月の光に照らされ、見事にライトアップしており美しかった。

「この街の人達の服装って、なんか豪華だねぇ。」

 ドリィがキョロキョロしながら言った。

 確かに行き交う人達は皆、社交界にでも行く様な鮮やかなドレスに身をまとっている。その姿もライトアップされ浮かび上がって見えた。

 あれ?ドリィがいない!あゆむが慌てて探すと、踊り場を抜け奥へと走って行くドリィの姿が見えた。

「ちょっと待ってよ!」

 あゆむも後を追った。何度も街の人にぶつかりそうになる。その度に上品な香りがフワリとあゆむの鼻をついた。

 私の格好はここにいる人達に比べるとなんてみすぼらしいんだろう。あゆむは自分の姿をしげしげと見つめた。見比べてみるととても恥ずかしい気分になる。自分の存在をなるべく消すかの様に、あゆむは極力静かに人の波をくぐり抜けた。

 あゆむはTシャツに膝下までのジーンズというラフな格好をしていた。そしてさんざん森の中を歩いてすっかり汚れてしまったスニーカーが、ここではやけに目立って見えた。

 きっとこの豪華な人達も私の姿をじろじろ見るに違いない…。あゆむは自分では人の目などちっとも気にしていないつもりだったが、心の奥底ではいつもビクビクしていたのだった。

 だがここは違った。街の人達はあゆむの格好を特に気にする様子もなく、それぞれの時間を過ごし、それぞれのおしゃべりに酔いしれていた。あゆむはそんな街の人達を見て心が軽くなったのを感じた。嬉しくなり、人の目を気にし過ぎたあまり猫背になった背中をシャンと伸ばし、今度は胸を張ってドリィの所へと走って行った。

 ドリィが柵の前でピョンピョン飛び跳ねながらあゆむを迎えた。

「ねぇ、ここからの眺めはもっとすごいよ。」

 下には広場があった。円形状の広場を、店なのだろう瓦屋根の建物がグルっと囲っている。そしてそれに沿う様に幾つもの花壇が並んでおり、純白色の花がたくさん咲いていた。

「あの花は月見草だ。」とドリィが言った。

「月見草?月見草って私も知ってる。見るのは初めてだけど確か夕方頃に花が開いて、朝にはしぼんじゃうんじゃなかったっけ。」

 昔読んだ植物図鑑にそんな事が載ってた様な…。

「そうなの?でもここの月見草はしぼんだりなんかしないよ。だってずっとここは夜だからさ。お日様が昇り出すと街は雲の中にすっぽりと隠れてしまうんだ。あ、でも隠れている間はしぼんでるのかもしれないね。」

 雲に隠れる…?この街が⁉︎あゆむはもう何事にも驚かないつもりでいたが、やっぱり驚いてしまった。

 雲の中に姿を消した後街はようやく静かになり、そして日が出ている間皆眠りにつくのだそうだ。

 あちらこちらに立っている幾本もの街灯が、広場をまるで昼間の様に明るく照らしていた。

 中央では子供達が元気に縄跳びをしたり、ボール遊びをしたりと、忙しく動いている。それを避けながら上品そうな女性達が店の中に入って行き、外にあるテラスでは男性達がジョッキを片手に上機嫌な笑い声を飛ばしていた。

「なんて賑やかなんだろう。」

 あゆむは思わず呟いた。

「ねぇ、あゆむちゃん。あそこに大きなおうちがあるだろう?ダン•カルロさん家族が住んでいるんだよ。」

 ドリィの指差す方を見ると、広場から一本道が続いていてその向こうに大きな屋敷があった。

「ダンさんのずっと昔のおばあちゃんがこの街を創ったんだって。」

 そう言ったドリィの目は広場で遊ぶ子供達を追っている。

「ドリィ、この街の事にずいぶん詳しいんだ。」

 あゆむが聞くと、

「でも、僕が知ってるのはここまでなんだ。それよりもあゆむちゃん、下に降りてみようよ。」

 ドリィがうずうずしながら答えた。

 左右にはレンガで造られた階段が広がっていた。下に着くと広場はより一層賑やかに感じた。

「色んな店があるねぇ。ドリィちょっとまわろうよ。」

 あゆむの言葉にドリィは頷いたが、その目は広場に釘付けだ。

 洋服屋に、雑貨屋、靴屋、なんだかみんな高そうな物ばかりだな。あとはレストランに…ここはなんだろう。中が暗くてよく見えない。階段が下へと続いているようだが…。

 あゆむがドア越しに店内を覗いてると、

「ここは子供は入っちゃ駄目なんだって。」

 転がってきたボールを拾いながら男の子が教えてくれた。上を見ると看板が掛かっており、『Bar』の文字が書かれてある。ふいにガチャリと扉が開き、出てきた男性が抱えていた幾つものジョッキを挨拶代わりに鳴らして、テラスへと去って行った。音楽にのっているのか陽気に声を張り上げている。

「なんか楽しそうな後ろ姿だねぇ。」

 あゆむはちょっと吹き出しながらドリィに声をかけた。

「… … …。」

 あれ?ドリィは?さっきまでここにいたはずなのに!またもやドリィは何処かへと行ってしまったようである。

 あの顔だからすぐにわかるだろうと思っていたのだが、なかなか見つからない。

「もう!どこにいるのよドリィったら!」

 もう一度、今度はゆっくりと広場を見回していく。

「見つけた!あんな所にいる!全くいつの間に行ったんだろう。」

 あゆむは小さく地団駄を踏んだ。

 あゆむのしかめっ面をよそに、ドリィはカフェテラスに座っている女性と楽しそうに話をしていたのである。

 何を話しているんだろう。あの人知り合いなのかなぁ。仕方なくあゆむもドリィのいる場所へと歩いて行った。

 カフェテラスへ向かう途中の宝石屋とお菓子屋の間にダン•カルロ邸へと続く道があった。この道は踊り場と同じ様に色とりどりのタイルが引き詰められていた。両サイドには芝生が茂っており、ブランコや滑り台、それにジャングルジムまでもが所々に設置されてある。ちょっとした公園だ。そしてここでも子供達が楽しそうに遊んでいた。

 ダン•カルロ邸の門は生垣に囲まれていて、葉と枝で作られたアーチが掛けられていた。そして門を少し進んだ所に邸内へと続く扉が見えた。カルロ邸はこの街の雰囲気にとても合った西洋風の屋敷だった。

「素敵な家だなぁ。どんな人が住んでいるんだろう。」

 あゆむはしばらくカルロ邸を眺めていた。

「ねぇあゆむちゃん、このおうち気に入ったの?」

 いつの間に来たのか、ドリィが声を掛けてきた。あゆむを見てニタニタしている。そして同じようにカルロ邸を眺めながら鼻歌を歌い出した。

「うん、私こういう家好きなの。私は私で見物してるから、ドリィあっち行けば?」

「うん……。あのね僕、あそこの広場で歌おうと思ってるんだ。だから今ダンさんの奥さんに歌ってもいいか、お願いをしてきたところさ。」

 あゆむのそっけない返事に戸惑って、ドリィが遠慮がちに言った。

「そうなんだ。でもほんと!隣にいたかと思ったら急にいなくなっちゃうんだもん。一言言ってくれたっていいのに、全く。」

「ごめんよ!あゆむちゃんがお店を覗いている間に済ませちゃおうと思ったんだけど、長くなっちゃった。だから、急にいなくなっちゃってごめん…。」

 あゆむがひと睨みしたものだから、ドリィは慌てている。

「わかった、もういいよ、ドリィ。」

 あゆむがそう言うと、ドリィは弾ける様にニィっと笑った。この笑顔についあゆむの怒る気持ちは何処かへと消えるのだった。

 ダン•カルロの奥さんはサンドラ•カルロといい、時々広場に来ては街の人とおしゃべりするのが好きらしい。日々の街の様子を聞いたり、何か困ったことが起きてないかなど、皆に聞いているのだそうだ。

 偶然にもドリィはその場に居合わせたのだという。そのサンドラ夫人はあゆむの方を見ると、にこやかに手を振った。

「ね!だから、あっちに行こうよ!」

 ドリィがまたあゆむの手を引いた。

 テラスに近づくにつれ何やら良い匂いが漂ってきた。その匂いがあゆむのお腹を鳴らした。

 テラスへと着いた2人をサンドラ夫人が朗らかに迎えた。

「一緒にいかが?どうぞお掛けになって。」

 あゆむは遠慮がちにサンドラ夫人の向いの席へと座った。サンドラ夫人はそんなあゆむを見てニッコリ微笑むと、

「なんでも頼んでちょうだい。」

 そう言い、メニューを差し出した。

「ありがとうございます。私朝から何も食べてなかったんです。あ、私あゆむといいます。」

「あゆむちゃんね。私はサンドラよ、よろしくね。」

「はい。」

 サンドラ夫人はとても優しそうな人だ。新たな出会いにあゆむの胸はドキドキしていた。

 メニューを開くとそこにはあゆむが見たことのある料理名が並んでいる。良かった…食事はいたって普通だ。あゆむはそっと胸を撫で下ろした。こんなところにある街なので、何か得体の知れない卵だったり、肉だったりしたらどうしようかと少し不安だったのである。

 注文を済ませてあゆむはサンドラ夫人にもう一度礼を言った。

「ねぇ、あゆむちゃん。僕ちょっと行ってくるから、先に食べててね。」

 少しの間嬉しそうに2人の様子を見ていたドリィだったが、そう言うが早く、広場の中央へと走って行ってしまった。その手には森で拾った枝がしっかりと握られている。

「ちょっと、ドリィったら!ご飯を食べてからだとばかり思ってたのに。」

 ドリィは歌うと言っていたが、ひょっとしてポイントを稼ぐ為にだろうか?そうだとしたらもうターゲットを見つけたということになる。

 もしかして、サンドラさんが?あゆむが横目でサンドラ夫人を見ると、夫人は朗らかに笑っていた。ドリィが中央へと着いたのを見届けると、立ち上がりパンパンっと手を叩いた。

「さぁ、みなさん、広場を空けてちょうだい!ショーが始まるわよ!」

 するとサンドラ夫人の声に反応し、大人も子供も一斉に場所を空け始めたのである。

 そこにいる皆の視線がドリィに集まった。

 ドリィは大丈夫かな?なんだか私の方がドキドキしてきたよ。あゆむはゴクリと唾を飲み込んだ。

 広場の中央ではドリィが恥ずかしそうにもじもじしながら立っていた。

 しばしの沈黙があった。

 ドリィは大きく息を吸い込んだ。そしてピョーン!大きく横に飛び着地すると、歌を歌い始めた。

 歌に合わせ、枝をステッキ代わりにクルクル回し、お尻を振り振り、そして足でステップを踏み小粋なタップダンスを交えながら。

 元気なドリィの歌声が広場に響き渡っている。時々バレエの様に何回もターンしたり、バク転を何度も見せたりと、ドリィの踊りはとてもユニークで素晴らしく、街の人達をわかせていた。

 バク転をすると必ずドリィは変な顔をする。ニィっと笑ったり、しかめっ面を見せたり、膨れっ面をしたり。それに反応し口笛を、ピューピュー吹く者もいた。茶目っ気たっぷりのドリィの顔に皆笑っていた。


  ほらもっと良く見てよ

  段々 段々おかしくなってきただろう?

  僕はそんな君の笑顔が見たいんだ

  さぁ笑っておくれ もっと笑っておくれ


  暗い顔なんて 君にはいらないよ

  ほら見て 笑った顔が一番さ

  その顔を見れて 僕は幸せなんだ

  さぁさぁ笑っておくれ もっと笑っておくれ


 ドリィの歌と踊りはいよいよフィナーレに近づいたのか、軽やかに空高く舞い上がると、月の光をいっぱいに受け……輝いた。

 時が一瞬止まった気がした。

 くるくるくるくるくる、落ちながらドリィは何度も回転すると、ストン!着地した。そしてゆっくりと姿勢を正し、丁寧にお辞儀をし、ドリィのショーは幕を閉じたのである。

 その瞬間、広場が一斉にどよめいた。皆手を叩き褒めの言葉を口々に言っている。また恥ずかしそうにもじもじしているドリィは、たくさんの拍手とたくさんの笑顔で包まれたのだった。

 こんな事が出来るなんて…!ドリィったら凄いよ!あゆむも手が痛くなる程の拍手を続けた。あゆむの横にいるサンドラ夫人も、皆と同じ様に満面の笑みを浮かべ手を叩いていた。

 そういえばドリィの姿は変わったのだろうか。ターゲットがサンドラ夫人だとしたら変わっているはずなのだが。

 ドリィは今ではたくさんの人に囲まれていて、その姿を良く見ることが出来なかった。

 はやる気持ちを抑えられずあゆむはドリィの元へ走った。

「あゆむちゃん!見ていてくれた?」

 あゆむの姿を見つけるなりドリィも駆け寄る。

「うん!すごかったよドリィ!それにあんな高く跳べるなんてびっくりした!」

 あゆむの言葉にドリィはとても嬉しそうだ。そんなドリィだが肝心の姿は何処も変わってなどいなかった。尻尾でも生えたんじゃないかと後ろを見たが、何も付いていない。

「ねぇドリィ?どこも変わってないよ。私てっきり…。」

「あゆむちゃん、ちょっと耳貸して。」

「え?」

「見つけたんだ。笑わない子。」

 ドリィはそう言うとニィっと笑った。

「サンドラさんにお礼言ってくるね。」

 そしてサンドラ夫人の元へと走って行った。

 笑わない子……?ここにいる誰もが笑顔なのに?

 急いで広場中を見回す。カルロ邸に続く道のブランコや滑り台を見ても誰もいなく、ここに集まっては皆陽気に騒いでいる。

 店の中だろうか?でも店の中の人達も外に出て来てドリィのショーを見ていたはず。その奥にいたとしてもドリィに見えるはずないし…。

 「どこにいるんだろう、そんな子…。」

 もう一度周りを見回す……。

「いたぁ!」

 あゆむは自分の大声に慌てて口をふさいだ。

 確かに笑わない子がいたのだ。階段の上で子供達が横に列を作り身を乗り出している。その中央にいる少女だけが周りの子供達とは対照的に、全く笑っていなかったのだった。

 ドリィを見ているのだろうか。テラスの方に顔を向けたまま、ビクとも動かない。

 その少女はとても険しい表情で見つめていた。


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