ドリィからの贈り物
「さぁ、そろそろあゆむちゃんには目をつぶってもらわないとな。」
ドリィが足を止めた。
「え?なんでよ。」
怪訝そうなあゆむにドリィがはやし立てるものだから、あゆむは仕方なしに目をつぶった。
「いいかい?僕が連れて行くから、あゆむちゃんは絶対に目を開けちゃ駄目だよ。」
ドリィがゆっくりとあゆむの背中を押して行く。
「はいはい、わかりました。これでいいでしょう?」
あゆむは両手で目を覆った。薄目を開けちゃおうかとも思ったのだが、ドリィの言う通りきちんと目をつぶることにしたのである。
なんだろう?あゆむの胸はたちまちワクワクしていた。そして色々な想像をしたのだが、なんなのか全く思い浮かばなかったのだった。
ドリィはニコニコしながらあゆむを押していた。
「まだ?ドリィ。」
「もうちょっと、もうちょっと。」
そんな会話が何回繰り返されただろう。あゆむは数歩進むごとにドリィに聞いていた。
まだ森の中かなぁ。いや、ずっとかなぁ…あゆむが息を吸い込むと、すぐに森の匂いが入ってきた。
「ねぇ?ドリィったら。」
「もうちょっと、もうちょっとぉ。」
あゆむの背中からドリィの手のひらの温もりが伝わってくる。あゆむはドリィが側にいるということを、何秒かに一度確認をしていたかったのかもしれない。
「ちょっと、ドリィ?まだなの?」
「… … … …。」
「ねぇ、ドリィったら。」
「うん、あと… … 五歩だ。」
あと、五歩?あゆむはドリィの押す速度に合わせて歩いた。
瞼の上の光が徐々に強くなってくるのがわかった。一歩一歩進む度に木々の香り以外の、とても良い匂いがあゆむの鼻に入ってくる。
「ドリィ?五歩歩いたよ、いい?目を開けて。」
ドリィがそっと手を離した。
「いいよ…あゆむちゃん。」
あゆむはゆっくりと目を開いた。
フワァ… 風が優しくあゆむを迎えた。
“ようこそあゆむちゃん!百の草草原へ!“
風がそう囁いた気がした。
「あゆむちゃん、どうだい?見たことある景色だろう?」
ドリィが後ろから声をかける。あゆむは頷くことしか出来なかった。
「さぁ…あゆむちゃん。もっと真ん中に行こう!そこがベストポジションさ。」
ドリィがあゆむの手を引いて行く。
あゆむの足はガタガタ震えていた。1人じゃきっと歩けないだろう…すぐにでも転んでしまうだろう。
「この辺りかな?だろう?」
ドリィがまた声をかける。
ドリィの声と共に、サーっと風が流れて行った。それに合わせて草原も、いや花々もそよめいた。
「あゆむちゃん?」
ドリィの声があゆむの心に響いた。
あゆむは泣いていた。涙が止まらなかった。
きっと誰しも、望んでも叶わないと思っていたことが、目の前で起きたら…きっとその時はあゆむと同じ気持ちになるのだろう。
「ドリィ…。私なんと言ったらいいのか。だって、ここは!」
あゆむが瞬きをすると、この景色がもう一度はっきりと映し出された。
「うん、ここは物語の場所さ。そう…あゆむちゃんの本の表紙の場所だよ。」
ドリィが言った。
ドリィにあゆむが見せたモノ、それはあゆむがずっと大切に持っていて、ずっとその場に自分も行けたらと願っていた、本の表紙そっくりなモノだった。それは…現実では起こり得ない、物語の中での場所だったのだ。
「ピンク色の空、そして…水色の月。すごいよドリィ、私本当にあの場所にいるんだね。本の中の主人公と同じ所に。こんなの信じられないよ。」
あゆむの腰辺りまでくるたくさんの花々が、あゆむに香りと共にそれは本当だと教えてくれた。
「でも、どうして?ドリィ、ここは元々こういう所なの?」
あゆむが聞くと、ドリィが首を振った。
「ううん、もちろん違うよ。でもこの百の草草原はどんな花だって咲かせられるんだ。だからずっと前から僕、バングルさんにお願いしていたのさ。そしたらバングルさんも喜んで花を咲かせてくれたよ。」
ドリィがボイルを百の草草原へと飛ばしたのは、ちょうどその時バングルがいるだろうと予想していたからだった。そしてその後ここではあのイタズラ妖精達がバングルにこってり絞られたのだそうだ。スウェンキーが飛んだ方向は偶然なのらしい。ドリィはボイルさえバングルに見つかれば、きっとスウェンキーも絞られるだろうと、思っていたのだった。
「実はね、あの妖精さん達もお手伝いしたんだってさ。一緒に種巻きをしたんだよ。」
ドリィが含み笑いをした。あゆむも笑った。だってあの妖精達は、きっとぶつくさ文句を言ってただろう、そんな姿を思い浮かべるだけで自然と笑いがこみ上げてきたのだった。
「あゆむちゃん、ここ見てよ。」
ドリィが少し前を示した。
あゆむがつられて見ると、そこはあの雑草なずなが花を揺らしていた。
そう、あのぺんぺん草だった。それは他の花に負けない綺麗な姿で、花びらを揺らしていた。
「バングルさんがね、こいつも連れてってやんないとって言ってくれたんだよ。この百の草草原はどんな種類の花だって皆集まっているのさ。」
ドリィがなずなを見て微笑んだ。
あゆむも見つめた。2人で頑張って咲かせた花…そしてドリィは特別なポイントを貰い、それは2人の友情の証だとギルメルに言われた時のこと…あゆむは大切な思い出を前に、また声が出せなかった。
「あゆむちゃん?」
ドリィの優しい呼びかけにあゆむは鼻をすすった。
「ねぇドリィ?あれは?あの空と月。なんかとっても不思議だよ。だって、どう見たって本物だもの。まさか絵には見えないし…。」
まるで幻想の様な空と満月があゆむを眺めていた。あの水色の満月、見てたら吸い込まれそうだ…あゆむは思った。
「ううん、あれは絵なんかじゃないさ。えっとね…本当は照れるから内緒にしとけって、そう言われたんだけど…。僕いいや!怒られても。」
ドリィがキョロキョロ周りを確認している。
「え?何?」
あゆむも一緒に確認をした。
果てしなく広がる花畑が続いていた。
「うん、実はあれ、ギルメルさんからあゆむちゃんにって。ギルメルさんにもお願いしたんだ。ギルメルさん、それならばって、とっても張り切っていたんだよ。」
ドリィはあゆむに耳打ちをした。
「本当?わぁ!私ギルメルさんにも贈り物をいただいちゃったのね!」
あゆむは感激のあまり大声を出した。それをドリィが慌てて抑えようとしたが、遅かった。あゆむに気付かれないように、ドリィの頭にどこかからかコツンっと小石が投げられた。
あゆむは深く深く深呼吸を繰り返した。色とりどり花はあゆむが初めて見る花ばかりだった。
きっと物語の主人公も、この花の香りを嗅いだのだろう……。
あゆむはとっても大きな、そして見事な満月を見つめた。満月は何度も目にしたことはあるのだが、こんな色の満月を目の前にすることが出来るなんて…。あゆむは息を吐き出した。
きっと、物語の主人公もこの満月を見て、ため息を漏らしただろう。どんな気持ちでそこに立っていたのか、その主人公の背中があゆむには淋しそうに見えた。でも、こんな壮大な景色に包まれて、淋しいはずはない…あゆむはそう思い直した。
そして、ただ一つその物語の主人公と違うこと…あゆむはドリィを見つめた。
そう、主人公は1人だった。でも、あゆむの横にはドリィが立っている。あゆむは1人じゃなかった。
「ドリィ、本当にありがとう…本当に本当にありがとうね。」
あゆむは胸がいっぱいでそれしか言葉に出せなかった。
「僕はずっとあゆむちゃんの喜ぶ顔が見たかったのさ。だから僕もとっても嬉しいよ。」
ドリィもあゆむを見つめた。
少しの間、2人は何も言わずその場に立っていた。
サーー……風が2人の間を流れて行った。そしてそれは壮大な広野を駆け巡った。
サワサワと花々達の揺れる動きを、あゆむは目で追った。
そしてその風は時を止める合図の様に…2人の髪をなびかせた。
「ねぇあゆむちゃん。どうしてあゆむちゃんはここに来たんだい?」
ドリィが聞いた。
「え?どうしてって………。」
あゆむの胸がドキンと音を立てた。あゆむが決して口には出すまいとしていた、あの問いだったからだ。
どうして、ドリィが聞くの?どうして……。
ドキンドキン胸が鳴り響く。
「どうして…なの?」
あゆむの口が勝手に動いた。
「ねぇ、ドリィ?どうして私は…ここに来たの?」
あゆむはドリィの言葉を繰り返した。もはや、あゆむの胸の鼓動は抑えきれんばかりの音を上げている。
あゆむはドリィを見つめた。その瞬間、あゆむは苦しくて、胸がはち切れそうになった。
「ドリィ!ねぇ、ドリィったら。どうして、ドリィは泣いてるの?ねぇ!あんなに泣くまいと頑張っていたじゃないの!」
あまりの衝撃にあゆむの声がかすれた。
ドリィが後から後から涙を流していたのだった。そしてそれは、2人に別れが訪れようとしている瞬間だった。
「ドリィ、お願い…泣かないで、お願いだから!ピエロは泣いちゃいけないんでしょう?そうなんでしょう?」
あゆむは懸命にしゃべった。そうでもしないと、そうでもして止めないと………。
「いいんだい!…いいんだあゆむちゃん。こんな時はピエロでも泣くのさ。本当に悲しいんだ、僕は…嫌なんだ!」
ドリィが声を荒げた。こんなドリィの姿は初めてだった。
あゆむは自分の顔がしわくちゃになるのを感じた。目の奥が痛い。鼻が痛い。…何も話せない。
もう、今が本当に別れの時なんだ。ドリィとの別れというあまりにも悲しい出来事があゆむを襲っていた。ずっと前からわかっていたんだ。この時が来るのを、あゆむは恐れていた。
「嫌だ、ドリィ嫌だよ!ドリィと別れるなんて嫌だからね!」
あゆむも我を忘れ泣きじゃくった。そんなあゆむを見てドリィは思いっきり鼻をすすると、
「ごめんよあゆむちゃん。あゆむちゃんまで泣かないでおくれ。ほら、僕はもう笑っているよ。大丈夫さ、きっとまた会える、絶対に会えるんだ。だから、僕を見ておくれ。」
ドリィが必死に笑顔を作った。
「会えるの?本当に?絶対ドリィにまた会えるのね?ねぇ、それはいつ?教えてよドリィ!」
あゆむはドリィに詰め寄った。そんなあゆむの言葉にたちまちドリィの顔が曇る。
「…あゆむちゃん、僕にはそれがいつなのかはわからないんだ。ごめんよ…でも絶対に会える、それだけは言えるよ。だけど…、だけどまだその時が来ちゃ駄目なんだ。だって…あゆむちゃんにはまだ駄目なんだよ。ごめんよ、どうかそんな悲しい顔をしないでおくれ。……なんだい!どうしてさ。僕は…僕はあゆむちゃんのことが好きなんだ。ずっと一緒にいたいんだ。それなのになんでさ、僕はなんでこんな役目なのさ………。」
ドリィは消え入りそうな声で独り言の様に、何度も呟いた。でも今のあゆむの耳にはちゃんとはっきりと届いていた。
あゆむはもう何も言えなかった。ドリィを困らせてはいけないと思ったからか、あゆむもドリィのことが好きだからか…あゆむは必死に涙を堪えようとした。
「あゆむちゃん、もうすぐで電車が来るんだ。あゆむちゃんはそれに乗らないといけないよ。」
ドリィが儚く呟いた。
それに合わせるかの様に遠くから汽笛が聞こえた。
どうして…やだよ!あともう少し、あと少しだけいちゃ駄目なの?
汽笛の音はどんどん近づいて来る。
こんな時って、良い言葉が浮かばないものだ…あゆむはあまりのはがゆさに唇を噛み締めた。
汽笛の音と共に、あゆむはとっても大切な、今度はあゆむの気持ちがこもった物を急いで鞄から取り出した。そう、今ドリィに渡さなきゃ、一体いつ渡せるのだろう。
「ドリィ、これ。私からのプレゼント。どうか受け取って。」
あゆむはプルプル震える手でなんとかドリィに差し出した。
「本当かい?僕に?なんだろう…開けてみてもいいかい?」
ドリィもまた手を震わせながら、それを受け取った。
ドリィの言葉にあゆむは静かに頷いた。
「うっわぁ!すごいや!これ、僕の大好物!あゆむちゃん、僕嬉しい。」
ドリィの声も震えていた。ドリィにとっても思いがけないことだったろう。
ドリィが目にした物、そう、どんぐりだったのだ。あゆむはあめいろのお菓子も頼みたかったが、森の中ではどうしても見つけられなかった物、ドリィの大好物、どんぐりをプレゼントしたかったのだった。
「ありがとう、本当にありがとう…あゆむちゃん。」
ドリィはずっと小包から目を離さなかった。そして、ドリィのやり場のない瞳が宙を彷徨っていた。あゆむを見ることが出来ないのだ。きっと見てしまったら、また涙が出るからだろう。
「そんじょそこらには無い、とびっきりなどんぐりを集めてもらったんだよ。」
あゆむがおどけて言った。
そんなあゆむにドリィの瞳が揺れた。
「ありがとう…。」
そしてそっと呟いた。
後ろで電車が息を吐きながら、やがて停車した。
振り向くとあゆむが来た時と同じ、あの箱の様な木の電車がそこにいた。
ドリィが静かにあゆむを見つめ直した。
「あゆむちゃん…行くんだ。行かなくちゃ。」
ドリィのマリンブルーの瞳があゆむを促した。
「ドリィ!戻っても無駄だったら?私駄目になっちゃったら?」
あゆむはすがるような目でドリィを見つめ返した。そんなあゆむにドリィはゆっくりと首を振った。
「それはないよ、あゆむちゃん。ほら、しののめ河原であゆむちゃん言ってたろう?川の流れがとても速く感じたって。その時僕は思ったのさ、あゆむちゃんは大丈夫って。それが答えなんだよ。」
ドリィはニィっと笑った。もう必死に笑顔を作ってはいない。
「それは違うのドリィ。だって、あの時私はドリィとの日々を思ったからなんだよ。」
言いながらもあゆむの目にはまた涙が溢れた。
そうあゆむが速いと思ったのはドリィといて楽しいからだ。ドリィとの毎日が本当に早く感じていたからだった。
でもそんなあゆむにドリィがまた首を振った。
「ううん、あゆむちゃんにはもうわかっているはずだよ。」
私にはもうわかっている…?あゆむが口を開きかけた時、汽笛が催促の音を鳴らした。
ドリィがゆっくりと頷いた。あゆむもドリィに頷いた。
ーそろそろ乗ってください。もう間もなく当列車は走り出しますー
あゆむは電車のドアに手を掛けた。
振り返るとドリィが笑っている。
その時あゆむにはわかったのだった。河原で聞いたドリィの歌が悲しいと感じたのは、
ドリィが笑っていないと思ったのは。きっとドリィにはずっとわかっていたのだろう、こうしなきゃならないということが…。だから悲しく感じたんだ…あゆむの心が動いた。
「あの、すぐに戻りますから、もうちょっと待っててください!」
あゆむは荷物を置くと、急いでドリィに駆け寄った。
「?…どどうしたのさ!あゆむちゃん。」
戸惑っているドリィに、あゆむはニッコリ笑った。
「チュッ!」
「あゆむちゃん!」
ドリィがびっくりして、たちまち顔を赤く染める。
「妖精さんの真似ぇ!」
あゆむは真っ赤っ赤っ赤のドリィにもう一度笑いかけた。ドリィのおでこに親愛なる挨拶をしたのだった。
「ドリィ!ドリィの星私見たかった。きっとドリィは三日月じゃなくて、すぐに星を貰えると思うよ。」
「ありがとう…そうだったら良いな…。」
そんなあゆむの言葉にドリィが微笑む。
「でも…私は見れないんだね。」
あゆむの淋しげな表情にドリィが小さく頷いた。
ピィィィィィィィ!今度は笛の音があゆむをせかした。
あゆむはドリィに見守られて、電車に乗り込んだ。
ギギ…ガシャ……ン…ゆっくりと扉が閉まって行く。やがてドリィの姿が見えなくなった。
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
電車がゆっくりと動き出す。
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
窓の無いこの電車が2人の距離を遠ざける。
「ドリィ!ドリィ…やっぱり私別れたくないよ!ドリィの星見たかったよ……。」
あゆむは我を忘れ泣いた。体の震えを抑えることが出来なかった。
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
「あゆむちゃん…あゆむちゃんごめんよ!僕話したかったんだ。ずっと、あゆむちゃんに言いたかったんだ。僕がピエロになったら、あゆむちゃんの前でなっちゃったら、僕はあゆむちゃんを連れて行かなきゃならないんだ。ごめんよ、僕にはそんなこと決められなかった。どうか、許しておくれ!」
ドリィは無我夢中で電車を追いかけた。
この声はあゆむに届いているのだろうか、ドリィは必死に叫んだ。そして、声がかすれるまでずっと泣き続けた。
もう電車は遥か遠く、ドリィには届かぬ場所へと行ってしまった。
車内ではあゆむの泣き声がずっと響いていた。あゆむは居ても立っても居られず、扉の前へと進んだ。扉が開いたとしてももうバングルさんの森じゃないんだ…もうドリィはいないんだ。そう思うとやはりどうしても涙を止めることは出来なかった。
あゆむは力無くまた席へと座った。
「あ、これ…。私ドリィと一緒に見るつもりだったんだ。」
あゆむが手にした物。それはソフィアから貰った、皆からの贈り物だった。
リボンに挟まれたメッセージカードをめくると、そこにはソフィアの可愛らしい字が並んでいた。
あゆむちゃんへ
余計なことかと思ったけど…
どんぐりにちょっとした魔法をかけてもらったの。
ドリィが食べた時、
ドリィにあゆむちゃんの気持ち届け!ってね☆
ソフィア
「ソフィアったら!」
あゆむの顔が赤くなった。
私の気持ち…ドリィへの気持ち…。
「ありがとう、ソフィア。」
胸がいっぱいになりあゆむの手が震えた。そしてあゆむはピンクの小包を開いた。
あ!あゆむの目が新たに歪んだ。たちまち大粒の涙の膜に包まれて、目の前が見えなくなってしまった。それを慌てて拭い取る。小包の中身を涙で濡らさぬように…。
中身はクッキーだった。幾つものクッキーだ。
「これ、きっとバングルさんの顔だ。それにソフィア、ダンさんに、サンドラさんもいる。あ…これ誰だろう?わかった…これはフラウさんとロビンさんね。」
あゆむはクッキーを一枚一枚めくっていった。皆出会った者達の笑顔が象られた、それはとても温かな、気持ちのこもったクッキーだったのだ。
一枚一枚めくるごとに、新たな顔に出会った。スティンや、ダニー、それにランスイットまでも。…これはプルコック君だ。木のお友達、私初めは本当に驚いたんだっけ…あゆむは木の形の中で顔を歪ませている、プルコックの表情に微笑んだ。
妖精達もそこにいた。チロル、スウェンキー、ボイルも。ボイルの笑顔ってこんなに素敵なのかしら?なんかやけに爽やかね…あゆむはまた笑った。
もう、包みの底に近かった。出てきたのはギルメルの優しい笑顔だった。なんだか、頑張れって言われてるみたい…おまえは戻されたんだからね。ギルメルはそう伝えたかったのだろう。
そして……最後に顔を出したのは、大好きな大好きなドリィの笑顔だった。
「ドリィ!」
あゆむはそっとそのクッキーが割れないよう、大切に抱き寄せた。
こんなに素敵な笑顔、私はもっと見てたかったよドリィ。ありがとう、ドリィ。
電車は静かに音を立てていた。
それはまるであゆむの時間を壊さぬように…。
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
ガッタンゴットン ガッタンゴットン
皆からのクッキー、
皆は笑顔であゆむに生きろと声援を送っていた。