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アパート周りを改善した翌日、僕は一輝と玲大学の食堂にいた。食堂と言っても、お昼以外にも解放されており、休講になった学生達等のたまり場になっている。
かなり余談ではあるが、ここのランチは美味しい。一番の人気はラーメンセット、続いてカレーライスセットだ。その他にも日替わりランチ等がある。早く食堂に来て食券を買わないとすぐに売り切れてしまう程だ。
お昼前の講義が終わると、全力ダッシュで食堂に向かう学生が多いそうだ。学生である間に、一度は食べてみたいメニューである。
「なあ、わたっち。心霊部ってどんな講義してんの?」
一輝とは同じ大学でも専攻しているものが違うので、中々一緒の講義を受ける事はない。それに、同じ学部の先輩方に聞いてもあまり心霊部について語りたがらないらしく、全然情報が入ってこないのでとても気になっていたらしい。
「まだ講義始まってないから何するのか分からないけど、今日の5限と6限に講義が入ってるよ」
「ふーん、じゃあどんなのか見に行くか……俺、丁度4限までで終わりだし!」
一輝にそう言われた時、何が何でも止めれば良かった……と後悔するとはこの時はまだ気が付きもしなかった。
「……というかさ?5限まで講義ないのに、わたっちなんでこんな朝早くから大学来てんの?」
「ちょっと小鳥遊さんに呼ばれてて……」
そこまで言うと一輝にバシン、と背中を叩かれた。地味に痛い……。
「それ早く言えよ、わたっち!女子待たせるの良くないぞ!」
俺の事はいいから行け、と……、何処かの小説に出て来る主人公みたいな言葉を言われて、僕は小鳥遊さんの元に向かった。
「失礼します。小鳥遊さん、いらっしゃいますか?」
そう言いながら研究室に入ると、見慣れない綺麗な女性がいた。
学生、にしては少しだけ歳上な気がするような……?でも大学だし、年齢は関係ないか……なんて考えていると、その女性と目が合う。女性はニコリと微笑むと、その場で、すぅっと消えた。
「消えた……」
僕が呆気に取られていると、奥の方から足音が聞こえて小鳥遊さんがやって来る。
「ああ、やっぱり綿貫くんの事だったのね」
まるで、誰かから聞いたかの様に話す小鳥遊さん。
「じゃあ、ついさっき目の前で消えた優しそうな女性は……」
「鶺鴒って言うの 貴女にお客様がいらっしゃったわよ、って教えに来てくれたわ」
さて、ここで三度目の補足となる。
鶺鴒は、冴子に憑いている3人目の幽霊。生前はとても幸せな人生を送り、大往生した。とても博識で、様々な事を親切丁寧に教えてくれる人物。
亡くなった時の年齢は90代だったが、実体化する時はその姿ではなく、三十代半ばといった姿で現れる。もしかしたら、幸せな人生を歩んだ彼女の中で、その年齢の頃が、最も幸せな時間であったのかもしれない。
「黒鵐さんより、なんか接しやすそうな……。なんだか全然怖い印象が無かったです」
あ、勿論 密教ちゃんも怖くなかったですが、と僕は付け足す。その言葉に反応する様に、ゆっくり黒鵐が綿貫の前に現れる。
「もう黒鵐さんは、もう大丈夫ですよ!怖くないです」
そう言うと嬉しいのか、ペタペタと触ってきた。黒鵐さんとのファーストコンタクトは、あんな感じだったので、最初のうちは結構抵抗があった。
会う度に、小さな悲鳴をあげていた位だ。最近では慣れてきたのもあり、普通に接する事が出来ている。ただ……背後に現れて肩に手を置かれるのだけは……まだ、慣れない。
『貴方、やっぱり視える方なのね』
そう声を掛けてきたのは、先程僕の目の前から消えた女性だった。
「えっと、鶺鴒さん……ですか?」
そう問えば、彼女はニッコリと先程と同じ様に微笑んで頷く。
「綿貫 了と言います 宜しくお願いします」
『ふふ、密教が言ってた通りね』
「え?」
『とても優しい人って言っていたわ、綿貫さんの事』
鶺鴒の言葉に、思わず僕は少し照れくなって顔を掻く。
『綿貫さん、冴子ちゃんの事宜しくお願い致しますね』
そう言って鶺鴒は綿貫に向か直すと、深く辞儀をした。そうして再び、すぅ……っと静かに消えていった。鶺鴒さんに小鳥遊さんを頼むと言われたが、むしろ、お世話になってるのは僕の方なのだが……。
「……本題に入るわね」
小鳥遊さんが咳払いをして、ようやく本題に入る事となった。本題というのは、僕に憑いている浮遊霊の件だ。
「一応僕なりに調べたんですが、どうやらここ最近の事件じゃないみたいです」
そう言いながら、ネットで調べた事件を印刷した紙を小鳥遊さんに渡す。
そこには、29年前の轢き逃げ事件が書かれていた。
音切町轢き逃げ事件
1992年7月14日 日曜日 未明。帰宅途中と思われる女性が、何者かに轢き逃げされた。
破裂音の様な騒音によって目を覚ました近隣住民が外に様子を見に行った際、被害者である女性を発見した。
直ぐに救急車を呼んだが、被害者女性は助からなかった。
また、被害者女性は身元が分かる物を所持していなかった為、被害者の知り合いの犯行ではないかと調査は進められていた。
しかし事件は深夜に行われた為、目撃情報も無く事件は未解決となった。
ーー……30年近く経った今でも犯人は捕まっていない。
2010年に時効は撤廃されたものの、当時の轢き逃げ事件の時効は最長でも7年であり、未解決のまま時効を迎えてしまった。
未だに被害者女性が何処の誰なのか、犯人が誰なのかも分かっていない……。
「29年前、ね……確かに彼女の格好を見てもそれぐらいの服装だったものね」
「そうでしたっけ……?変貌した時の姿が衝撃的過ぎて全然覚えてないです」
ハハハ、と苦笑いしながら綿貫は頭を掻く。
「生前の姿をしていたのは、確かに一瞬だったものね」
そんな話をしていると、宮部教授が研究室にやって来た。
「2人でなんの話をしているんだい?」
宮部教授は、音切町轢き逃げ事件の記事を手に取ってまじまじと見ている。
そんな教授を見た小鳥遊さんは、あ……。と小さな声を上げる。どうしたのだろうと、小鳥遊さんを見ると小さく溜息を吐いた。何故だろう、なんだか僕も嫌な予感がしてきた……。
暫くの間、記事を見て唸っていた教授が突然、そうだ!と大きな声を出した。
「今日は初回の講義だし、フィールドワークにしようか!」
心なしか凄く嬉しそうにしているのは気のせいだと思いたい。
「……宮部教授、これフィールドワークにして良いんですか……?」
「勿論!だって小鳥遊くんが関わっているんだから〝怪異〟が関わっているんだろう!?」
そう言った宮部教授の目はランランと輝いていた。
「それに、怪異を研究している人間としてはまたとないチャンスだからね!」
そうだった……。宮部教授って、心霊現象専攻の専門教授で、こういう話は大好物というか、得意分野だ。すっかり忘れていた。
「そうと決まれば、早速準備に取り掛からなければ……!」
「あ、あの……宮部教授 ちょっと……」
ここから先は、教授は聞こえていないようで、何度声を掛けても無駄だった。
「こうなったら教授は何がなんでも行くわ……」
小鳥遊さんは、再び溜息を吐いた。今度はさっきよりも大きくて、深く、そして長い溜息だった。