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数日間綿貫は、どうやって冴子を説得しようか悩んでいた。どう説得しても、絶対に彼女は付いて来てくれないだろうという現状にしか辿り着かない。その事に悩み過ぎて、講義中にも関わらず盛大に溜息を吐く。無論、その溜息は静まり返っていた教室に響き渡ってしまった。
「わたっち 溜息が盛大に漏れてる、溜息が!」
「え……、なに……?」
キョトン、としたまま綿貫は教授とバッチリ目が合う。
『……えー、では話を聴くだけの講義では皆さん飽きてしまうでしょうから此処で問題を出させて頂きます』
遠くの席に座っている生徒にも分かる様に、ピンマイクで声を大きくしている教授の一言で教室内は一気にどよめく。そこまでの事態になってから綿貫はようやく状況を把握した。
「……あ、やべ……」
その口の動きは、教授もはっきりと読み取れたのだろう。解答者として講義中にガッツリと問題を出されてしまった。
「どーしたんだよ わたっち、今日はなんか全然らしくないぞ」
「あー、少し悩みがあってね それでずっと悩んでたんだ」
彼は中学からの同級生、武藤一輝。見た目こそ、金髪に無数のピアスという 見た目が遊び人の様な感じだ。
しかし、その見た目とは裏腹に中身は意外と誠実である。
そもそも僕とは正反対そうに見える彼と、どうして友人になったのか。そこは、後々話す機会があれば話すとしよう。
「もしかして、わたっちに遂に春が!!?え、どんな子どんな子!?」
「いや そんなんじゃなくて、あの、えーっと……」
盛大に勘違いしている友人を横目に、小鳥遊さんが歩いているのが見えた。小鳥遊さんの後ろには、これまた小鳥遊さんとは正反対そうに見える女性が何やら慌てた様子で歩いている。
あ……小鳥遊さん、とボソリと言葉にしていたらしく、一輝が素早く反応して、何故かニヤニヤしていた。……嫌な予感がする。
一輝が小鳥遊さん達と同じ方向へと歩き出したのを見て、僕も慌ててその後を着いて行く。
少しずつ人気が無くなって来たのと、距離が近くなって来て彼女達の話し声が聞こえる様になって来た。
「冴子、お願い~!本当これで最後だから!!」
「その台詞、もう24回目よ」
24という数字がすぐに出てくるんだ、と驚くと同時に彼女に誰かが話しているのも初めて見たので驚いた。
なんというか、偏見かもしれないけれど、小鳥遊さんってあんまり人と関わるのが好きじゃないと思う。出会って数日も経っていないのに、彼女の何を知っているのかと言われれば何も知らないんだけれど。
小鳥遊さんは、人と関わるのに一線は引いてるというのだけはなんとなく僕でも分かる。
「ゔ……っ、でも!本当に本当の最後なの!」
お願いだから助けて!!と何やら必死に頼み込んでいるが、小鳥遊さんは深く、深く溜息を吐いてから口を開いた。
「……私、ちゃんと忠告したわよね?絶対にそういう場所には行くなって それなのに、お持ち帰りしたからって、私に頼むのは違うんじゃない?」
「今回は大丈夫だと思ったんだよぉ……でも、音凄いし、家の物荒らされるし、自分で出来る除霊対策もしたんだけど全然効果無いし……もうどうしていいのか分かんないんだよぉ……」
半泣き状態で彼女は小鳥遊さんに助けを求めている。内容的には、明らかにその手の類の様だった。
「貴方の今回はとか、出来るとか、思えるその自信は一体どこから来るのか不思議だわ。それに、次に同じ事したら絶対に何もしないって言った事も忘れる位楽しかったのかしら?」
「そんな……、楽しい訳ないじゃない!!」
声を荒らげたのは、小鳥遊さんに助けを求めた女性だった。大きな声に、思わず僕と一輝は肩をビクリと振るわせる。
「だったら、どうして断らないの?断っておけば、そんな事にはならなかったはずでしょう?……どうして貴方が断らなかったのか、当ててあげましょうか?」
そう言いながら、小鳥遊さんはあの時と同じ様に冷ややかな目で彼女を見ていた。
「どうせまた冴子が助けてくれるから大丈夫。危なくても今まで助けてくれたから、今回もまた助けてくれるに決まってる だから、私は大丈夫」
心の何処かで、僕が思っていた言葉と似ていてドキリ、とした。
「祓える人間が近くにいるから危険な場所なんてない、そう思ってるから貴方は断らなかったのよ。どうせ断るのは口だけで、また助けてくれるから、だって一応幼馴染だから今回もーーー、」
そう言った所で小鳥遊さんの言葉は途絶えた。途絶えた、というより中断させられたと言った方がいいだろう。
助けないで正論を言う小鳥遊さんが頭にきたのか、助けを求めた女性は、小鳥遊さんを思いっきり引っ叩いたのだ。
叩かれた小鳥遊さんの右頬は、あっという間に赤みを帯びていく。
「……もういい、アンタになんか二度と頼まない!!」
「そう、それは良かったわ。学習能力もない人の為に、自分の体力使いたくないもの」
今まで助けを求めていた彼女が数歩歩き始めてから小鳥遊さんは再び口を開く。
「嗚呼。余計なお世話かも知れないけど、ソレも辞めた方がいいわよ いつか背負いきれなくなる」
小鳥遊さんの言う、ソレが何なのかは分からなかったが、きっと悪い事なのだろう。何故だか分からないが、そう思ったのだ。
「五月蝿い!黙れ!!忌み子のくせに!!!」
「忌み子、ねぇ……」
彼女の言葉に、小鳥遊さんは何故だか笑っていた。
実は、というかかなり気まずい現場を見てしまったんじゃないだろうか。そう思って一輝の方を見ると、どうやら彼も同じ事を考えていたらしく、二人で黙って頷いた。
そうして、静かに音を立てない様にそっと踵を返したのだが、残念ながらそう簡単に事は上手くいかないのが現実だ。
「貴方達いつまでそこにいるつもりなのかしら?いい加減出て来たら?」
小鳥遊さんには、ガッツリ僕らの存在がバレていた。
彼女に存在がバレているにも関わらず、そのまま逃げるにはいかない。僕達は申し訳なさそうに小鳥遊さんの前に姿を現す
「その、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……」
「終始聞いておいて、そんなつもりはなかった、っていうのはかなり無理があるんじゃないのかしら 綿貫くん」
小鳥遊さんは、怒っているというよりか、呆れている様な感じだったが、そんな事よりも気になっていた事があって僕は鞄の中を漁っていた。
「これ……良かったら使って下さい さっきので、少し口切ってる様に見えたので」
そう言いながら、僕が取り出したのはハンカチだ。小鳥遊さんは、ありがとう、そうお礼を言って僕からハンカチを受け取った。
「……所で、隣の人は綿貫くんのご友人?」
「俺、武藤 一輝って言います!宜しくッス 小鳥遊先輩」
ニカッ、と効果音でも付きそうな感じで一輝は笑う。小鳥遊さんは、宜しくと言って微笑んだ。
……彼女は、この手のタイプが好きなのだろうか?なんて言葉が脳内を過ぎり、僕は思わず首を横に振った。
「あ、俺この後予定あるからまたな!わたっち!」
僕にそう言ってから、一輝は小鳥遊さんに頭を下げて去って行った。わたっち……、とボソッと小鳥遊さんは呟いてほんの少しだけ肩を震わせている。
もしかしてさっきの出来事が怖かったのか、それとも悔しかったのだろうかと慌てていると小鳥遊さんが口を開いた。
「それにしても、武藤くんだったかしら。彼は凄いわね」
小鳥遊さんの言葉に、僕はきょとんとしてしまった。
「どういう意味ですか?」
「正確には、彼を護ってる人達ね」
「そうなんですか?」
「ええ、仮に曰く付きの場所に行ったとしても、絶対に持ち帰らないわ」
なんて羨ましい、と僕は思ってしまった。
「それから、多分彼も視えるタイプね」
「え、でもそんな事一言も……」
「無自覚か、視え過ぎて違和感がないのかもしれないわね」
小鳥遊さんの言葉で、一輝が自分と同じ景色を見ているという事に衝撃を受けた。
「だから、一輝は……」
「今まで何も言わなかったのかもしれないわね」
同じ景色が視えていれば、僕の挙動に違和感を感じないのかもしれない。でも、その事を聞いてみるという勇気は僕にはない。今の関係が壊れてしまいそうな気がするからだ。
腐れ縁、なんて言ってしまえば少し嫌な言い方ではあるかもしれないが、僕と一輝、正反対の性格の二人が出会ったのは、視え方が同じだったからなのかもしれない。
〝同じ景色を共有できる〟のだと、子供ながらに思っていたのかもしれない。
それに、自分と同じ反応をする人を見つけた嬉しさもあったのかもしれないが……。
僕はようやく一輝との共通点を見付けられた様な気がして、少し嬉しかった。そういえば、気になっていたのがもう1つある。小鳥遊さんは、いつから僕達がついて来ているのが分かっていたんだろう……?
あの、と僕は口を開いた。
「つかぬ事お伺いしますが……一体何処からわかってたんですか?」
「貴方が私を見付けた時からよ」
エスパーじゃないんだから、それは無理だろなんて思いながら、小鳥遊さんが笑っていたので、僕もつられてはにかんだ。
「ところで、私を納得させる様な言葉は見付かったのかしら?」
私の後をつけて来ていたのだから当然見付かったんだものね、と小鳥遊さんに言われて、最初の問題点を思い出した。
忘れてました、なんて口が裂けても言えない。というか、どういう口実で納得させようか考えていたら小鳥遊さんを見付けてついて行きましたなんて、子供の様な言い訳しか言えない。
そう考えていると、小鳥遊さんが声を出して笑っていた。
「冗談よ。まだ考えていた所に私を見かけたんでしょう?」
やっぱり、小鳥遊さんはエスパーなのかもしれない。
「エスパーはないわよ さっきから全部口に出してるのよ、綿貫くん」
それと顔にも出てるわ、と付け足す小鳥遊さん。
「……今回だけ、私を動かす言葉はいらないわ」
その言葉に、鳩が豆鉄砲をくらったかの様に僕は目を瞬かせた。まさか、納得させる前に許可が出るなんて思ってもいなかったのだ。
「……いいんですか?」
「ええ、これのお礼って事でいいわ」
そう言って小鳥遊さんは、さっき僕が渡したハンカチをヒラッとさせた。
「綿貫くん この後まだ講義はあるかしら?」
「いえ、今日はもうないです」
「それなら今日済ませてしまいましょうか」