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人生六週目

作者: 世利人

人生六週目



「こんな感じの人生なんじゃが、誰か生きてみたいものはいるかの?」


長い白ひげを生やした腰の曲がった老人が問いかけてきた。


僕たちは先ほどまで、ある人生を見せられていた。


その人が生まれてから死ぬまでの80年ちょっとの映像だった。


「誰かいないのか?早い者勝ちじゃぞ。」


老人は全員にしっかり聞こえるように少し声を張り上げた。


しかし、立候補する人はいない。


老人はあたりをしばらくきょろきょろしていたが、


全員が全く立候補する気がないのを感じたのか、


ため息をつきながら目をつむり、頭を振った。


「どうしていつもこうなのじゃ、悪くない人生だと思うのだがのう」


少し間が開いた後、老人は独り言のように言葉を続ける。


それでも反応する者はいない。静かな時間が流れる。


老人が嘘を言っているからみんな無視をしてるわけではない。


先ほど見せられた人生は確かに悪くはない。


死にたいと思うほど追い詰められることもないし、


勉強やスポーツ、外見も平均以上。


多くの人が想像する「親友と呼べる者を持ち、大学を出て就職し、


好きな人と結婚。子宝にも恵まれ、


死ぬときには家族に囲まれて息を引き取る」


という"普通"の人生を難なく歩んだ。


ただ、なぜかみんな立候補しようとしない。


理由は簡単だ。惹かれないのだ。


もちろん誰かの人生なんて、


世界一のスポーツ選手などでない限り、


第三者から見れば全部とりとめもないものに見えてしまうだろう。


それに、世界一のスポーツ選手の人生だったとしても、


誰からみても惹かれる絵が存在しないように、


全員がその人生に惹かれるとは限らない。


だからもし、今回の人生がそのスポーツ選手の


人生だったとしても、僕は立候補していなかっただろう。


なぜそれほどまでに人生に惹かれないのか。


結局のところ面倒なのだ。


人を生きるのは言ってしまえば暇つぶしだ。


それにできることも限られている。


みんなそれを痛いくらい感じてきたのだろう。


だから誰も立候補しないのだ。


部屋の中は静かで、


これから何かが動き始めるという予感も全く感じさせなかった。


まるで人気のない夜の公園の池のようだった。


しかし、これを誰かが担当しなければならないのだ。


それに、この担当を逃れたところで、


また別の人生の担当を決める必要があるので、


ここを逃れることができれば


人生から逃れられるというわけではない。


いつかやるのだから早めにやった方が良いという見方もあるが、


ほとんどの人は先送りにすることが多い。


人生を終えた後しばらくしたら


また別の人生を始めることになるので、


できることならずっと見送っていたいのだ。


しかし、それはできない。


というか周りがそうはさせてくれない。


別に明確な規則があるわけではないのだが、


暗黙の了解でやはり前の人生から期間が空くと


受けざるを得なくなってくる。


なので、ある程度前の人生から期間が空いたら、


変な人生を半強制的に担当させられる前に


普通の人生で手を打っておくのは賢明な立ち回りに思える。


この部屋にもそろそろこの人生で


手を打っておいた方がいい人はいるのではないだろうか。


と他人に余計な心配をしている僕も


実は例に漏れずその一人だったりする。


今回の人生は確かに悪い人生ではない。


しかし、良い人生と悪い人生に大きな違いはない。


正確に言えば違いはもちろんあるのだが、


人生の面倒さに比べればそんなものどうでも良いのだ。


よい人生だからという理由で人生を歩むことを決めた人を


僕は見たことがない。


誰もがそんな風に考えているのだろう。


立候補者は現れる気がしない。


とりあえず悩むふりだけして、


老人と目を合わせないようにしている者が多い。


僕もそれに習って窓の外を見る。


冷静に考えてみればこの人生を自分が主人公として歩んでみても、


つまらないなんてことはないと思う。


多くの人生を経験してきたからわかるが、


これは確かに悪くない人生なのだ。


しかし、それでも惹かれない。


「面倒であるという大前提を払拭できる人生は存在しない。」


僕はいくつかの人生を経験していつしか


そう考えるようになっていた。


沈黙があたりを支配してずいぶん長い間が経過した。


「そうだな、おまえさんはどうじゃ?


前の人生からずいぶんと期間が空いているじゃろ?」


しびれを切らせた老人は僕の右前に座っている人に


白羽の矢を当てた。


「いや、気分が乗らないから遠慮しておくよ。


それに、期間がというなら俺じゃなくても。」


発音した言葉の数と反比例するように、


彼の声は小さくなっていった。


最後の言葉はもうほとんど発音していなかった。


彼の頭の中にはある特定の何人かが思い浮かんでいたに違いない。


その中に僕もいたのだろう。


彼は一瞬こっちを気にしたようだった。


「そうかのぉ。とはいっても、


誰かがこの人生を歩んでくれぬことにはなぁ」


老人が困ったような声を出した。


また、しばらく静かな時間が流れた。


何人かがこちらに視線を流す。


老人もそれにつられて僕の方に目を向けた。


僕は老人と目を合わせないように、横を向いていたが、


老人はかまわず僕に聞いてきた。


「右後ろのおまえさんはどうじゃ?」


そうなるだろうなとは予想していた。


次に僕が当てられることは覚悟していた。


自分目線で見れば、


さっき当てられた人の右後ろに僕はいないのだが、


老人から見れば僕が右後ろにいることになる。


もし当てられた人の右後ろ、


つまり僕の右側に誰かいればその人のことを老人が指名したと


無理矢理思い込んで無視することも考えた。


しかし僕の右側には誰もいない。明らかに僕を指名していた。


あまり気乗りはしなかった。


でもこのまま何でもない時間が流れるのも嫌だった。


それに僕が一番、前の人生から期間があいているので、


順番的には僕なのだ。


「わかりました。やらせていただきます。」


僕は仕方なく受けることにした。


「おぉよかった。それではこっちに来てくれ。」


老人も表には出さないが、この時間が嫌いだったのだろう。


少し嬉しそうに僕を招いた。


ため息を静かにつき、席を立ち老人の方へ向かう。


老人の隣の机には書類が何枚か置いてある。


「毎度のことじゃが、これらの同意書にサインをしてくれ、


サインが終わったら書類を持って転送室に向かうように。」


そう言って、老人はさっさと次の映像を流す準備を始めた。


同意書にはたいしたことは書いていない。


ほとんど目も通さずにサインだけ書いて、僕は部屋を後にした。






転送室はさっきいた部屋からあるいて5分もしないところにある。


転送室へ向かう途中、


手すりの上をゆっくりと移動するカタツムリを見つけた。


このときばかりはカタツムリがうらやましかった。


僕も彼に習って転送室まで思う存分時間をかけてやろうとも思った。


しかし、こうなった以上どうせやらなければいけないことなのだ、


ここで時間をかけたところでたかがしれている。


いつまでも引きづっていてもしょうがないと思い、


足早に転送室へ向かった。






転送室は広い、


しかし置いてあるのは人が一人入れるくらいの透明のカプセル、


それとその近くに一脚の椅子。とその椅子の上に男の子が一人。


窓もなければ壁などに装飾もされていない。


床と窓が同じ色で無駄にこの空間が広いため


どこまでが床でどこからが壁なのか見分けをつけるのも難しい。


扉を締めてまっすぐに男の子の方へ歩き出す。


もうこうなったら、後戻りはできない。


なぜなら、さっき入ってきた扉は


閉めたときに完全に消えてなくなるからだ。


ここで気が変わってカプセルと逆方向に、


つまり扉があった方に走り出しても壁にぶつかることなく


そのまま進み、気がつくと男の子の前にいる。


どういう理論なのかよくわからないが


そういう仕組みになっているらしい。


僕は男の子の前に立つと会釈をして黙って書類を渡す。


男の子は椅子に立っているが、それでも僕より目線は低い。


両手を目一杯伸ばして書類を大事そうに受け取り、


無邪気な顔でお礼を言った。


男の子といっても見た目が子供っぽいだけで、


僕の倍以上生きているらしい。


その子は早速だけどと言って、


僕にカプセルの中で横になるよう指示した。


僕は仰向けになり、自分でカプセルを閉める。


アーチ型のガラスで少しゆがんだ外の空間をただぼーっと見つめる。


しばらくして男の子が僕の顔をのぞき込み、ニコッと笑う。


「じゃあいくよー」と男の子が発した明るい声は


カプセルのせいで少しこもる。


その音が僕の耳に届く。


音が意味を持ち始める前に僕の視界は真っ暗になった。


こうして僕は世界に生まれ落ちた。






赤ちゃんの頃の記憶はほとんどない。


体は用意されているものを使えば良いので、


すぐにその世界に存在することはできるのだが、


やはりその人の思想や今までの記憶などを


転送するにはものすごく時間がかかる。


しかも、記憶などは今までのものをすべて取り込んだ瞬間に


初めてしっかりと機能し始める性質を持っている。


つまり、一部が欠けていては駄目で、


一応データとしては頭の中に少しずつ送られてきているらしいが、


最後の1ピースが送られてくるまでうまく機能しない。


そのため小さい頃の記憶はあまりないのだ。


また、記憶がすべて送られてきても、


それをすぐに使いこなすことはできなくて、


徐々に体を慣れさせていく必要がある。


そんなこんなで、記憶もすべて送られてきて、体が記憶、思想などに


しっかりと適応するのがだいたい10歳あたり。


その頃には、生まれる前自分がどんなことを考えていたかとか、


前の人生はどんな感じだったかなどを十分理解していて、


その気になれば世界で一番頭の良い10歳になることも可能だ。


ただそんなことはしない。


生まれる前の世界で見せられた映像通りの人生を歩まないと


そのレールから外れることになり、


その後が収集つかなくなってしまうのだ。


レールから外れた先の見えない人生の方が、


退屈な人生を歩むより良いのではないかという見方もある。


確かにその方が楽しいかもしれない。


しかし、それをすることによってすべてが良い方向へ向くわけでもない。


流れに身を任せていたらしなかった苦労をする可能性が大いにあるし、


今まで築きあげてきた生活の流れをがらっと変えることになる。


そんな賭けをするくらいなら変に行動を起こす必要もないと感じている。


また、レールから外れたところで、


人生の面倒な部分から逃げられる保証はない。


結局行き着いた先で面倒ごとに巻き込まれるのがオチだ。


だから僕は示されたレールの上を外れないようにしっかりと歩む。


かといってそんなに慎重になることもなく、


その場の身に任せていればよほどのことがない限り


レールから外れることはない。


それに、何回もいうが世界一の10歳になったところで


人生は面倒なことには変わらないのだ。


やる意味が全くない。


だから僕は無駄に逆らうことはせず、流れに身を任せる。






いずれは、それなりの大学を卒業する僕だ。


小中学校の成績は悪くなく、運動もできたので


なかなかに楽しいひとときを過ごすことができた。


小さい頃というのは不思議で、こんな僕でも


この時間が一生続くのだろうなと思い込んでしまう。


こんな感じの僕だから、


人生を達観していて喜怒哀楽を失った冷徹人間


だと思う人もいると思うが、そんなことはない。


もちろん周りに比べれば、その傾向は強い方であると思うが、


僕も人生の細かい部分まですべて把握している訳ではない。


予想外のことが起きれば驚く。


それに、人生を何回生きてみても子供のすることは


やはり予想ができなくて僕をいつも楽しませてくれる。


人生の中で一番まともなのはこの時期ではないだろうかとも思う。


僕はこの時間が嫌いではない。


しかし、そんな時間は長く続かない。


ここら辺の地域では高校から受験が始まる。


人生を何回も生きているのだから、


もう高校の内容も頭に入っていても良いと思うのだが、


前の人生は今から何千年も前のことだし時代も国も違う。


そもそも、50歳くらいでもう高校の内容なんて覚えていないのだ。


前回の人生の高校の内容なんて覚えているわけがなかった。


小中学校では成績はよかったが、そういった奴らが集まる高校だ。


僕の相対的な成績はもちろんそのまま現状維持とはいかず、


下から数えた方が早かった。


今回の人生で下の位置にいることなんてほとんどなかったから、


最初は少し戸惑ったがそれもすぐに慣れた。


人は自分がいる位置にそのうち慣れていき、いずれそこが心地よくなる。


この人生も例外ではない。


期末試験でなにかの拍子にいい順位をとってしまうと、そわそわし始め、


次もいい順位をとろうとして空回り、


うまくいかず結局元の位置に戻ってくる。


まるで、おまえはそこが定位置なんだよと言わんばかりに。


そんなこんなで高校を卒業し、予定通り大学に入学する。


高校では下の方にいたが、大学だけを見れば、


また小さい頃のように僕は悪くない部分に入るのだろう。


しかし、大学あたりからみんなが同じ方向を


向いていないことがわかり始める。


五教科の勉強という物差しで全国の同年代と比べれば


僕は悪くない位置にいるのだが、


これからは五教科の勉強が物差しになることはほとんどない。


それぞれの方向に向かって歩き始める。


中には五教科で言えば、僕よりも全然頭がよくないのに、


同世代の人間がテレビに出て


自分の親よりも稼いでることも見かけるようになる。


ここら辺はいつも疑問に思う。


結局、それまで僕らを導いてくれた先生という人たちは、


社会に出ると少数派の人間なのだ。


社会に出たことのない人間が多い。


その割には、生徒のほとんどが社会に出て行くのだ。


しかも、社会に出て役立つスキルは結局のところ五教科ではなくて、


コミュニケーションの取り方だったり、


意思の持ち方、引き際だったりする。


学校で教わったことが無駄だとは思わない。


さっきあげたものは勉強する過程で得られるものでもあると思う。


しかし、その部分に焦点を当てて教育をしているか


というとそうではない。


「ちゃんと勉強をして良い成績をとれば良い大学に行けて、


大きな会社に勤めることができ、良い人生を送れる。」


先生たち自身がそう思い込んでいる節がある。


社会に出たこともないのにだ。


そして生徒たちがそのような人生を歩む手伝いをすることが、


仕事だと思っている。


それを進めるのなら、


そういった経験をした人が教師になるべきなのでは?


などと思ったりもする。


まぁ、そうなったところで人生は面倒なものに変わりがないのだけれど。


だから僕は流れに身を任せる。






僕もとりあえず自分が向いていそうなものを見つける。


そして、それを活かせるような会社に就職する。


本当にその仕事が向いているのかなんてわからない、


ただ一時的にでも現時点での正解を持っていないといけないのだ。


ここまで生まれてから20年ちょっとかかった。


人生の終了まで後60年ある。面倒だ。


しかもさらにここから人生は本領を発揮し始める。


この先50年、大学の時によくわからないまま、


一時的に出したこの答えに沿って働いていく。


そしてその場所が段々と心地よくなっていく。


というよりも、


ほかの場所に移るのが居心地が悪くてしょうがないという方が正しい。


一年の3分の2を仕事に使う。


朝起きて仕事に行くために身支度をし、帰ってきたら明日に備えて眠る。


週末は少し遠くへ出かけたり、家から一歩もでないで過ごしてみたり。


それで稼いだお金で生活費を払い、


残ったお金でたまに僕が欲しいものに使う。


あと50年、この生活が繰り返される。


そして残りの10年はこの繰り返しから逃れられるが、


体力も大して余っていない。


できることもすごく限られる。


もう人生のだいたいの流れがつかめてきた。ゴールも見えてきた。


もちろん僕はこの人生を一回生まれる前に見ているから


だいたいの流れはわかっていた。


ただ、そのときはこの人生を僕が歩むことなんて


頭になかったから真剣にこの人生を見ていたわけじゃない。


それに見ているのと実際に生きてみるのでは勝手が違う。


でももうここからはお決まりのパターンだ。


何回も人生を歩んでいるからわかる。


ここから人生は本領を発揮し始める。


この50年という長い時間をただの繰り返しに使うのだ。


これは何回人生を歩んでも慣れない。


だから人生は面倒なのだ。


仕事というよくわからないものに人生の半分以上を使う。


しかもやっていることは誰にでもできることの繰り返し。


これはわかっていたことなのだが。


いくら心を構えていて待っていてもそれを超えてくる。


かといって何かをするわけでもなく、


とりあえず流れに身を任せる。






そんな僕に転機が訪れた。


映像で見ていた人生ではこんなことはなかったはずだった。


きっかけは、電車で老人に席を譲ったことに始まる。


その老人は僕に大げさなくらい感謝を述べ、


僕に困ったことがあったら電話をしなさいと、


電話番号を紙に書いて渡してきた。


そのいかにも怪しい電話番号に電話する気など全くなかったのだが、


なぜか捨てることができずにいた。


そして1年あまりが過ぎた。


久しぶりに小学校の頃からの親友と会うことになり、


僕たちはお互いの最寄り駅の中間地点の駅で


待ち合わせをすることにした。


一つしかない改札の前で待つこと3分、


彼は僕を見つけるなり小走りでやってきて、相変わらずだなと言った。


僕も何か返事をしようと思ったが、


彼は時間ももったいないから早く店に行こうと歩き出した。


マイペースな彼を懐かしく思い、


お前も変わってないなと心の中でつぶやく。


彼が予約していた居酒屋は落ち着いた雰囲気で


久しぶりに友達と話すにはちょうどいい場所だった。


僕らはそこで、小さい頃の思い出や近況などを思い思いに話した。


2時間くらい経過して一通り話し終わった頃に、


友人が財布からはみ出していた紙を見つけ「これは?」と聞いてきた。


友人が指摘した紙は老人が渡してきた紙だった。


僕は友人にそのときの老人の話を原型がなくなるくらい


脚色を加えて面白おかしくそのときの状況を説明した。


僕も友人もだいぶ酔いが回っていたから、


そのときはすごく盛り上がってたが、今聞いたら全然面白くないだろう。


一通り説明が終わるとせっかくなら掛けてみようという流れになった。


困ったときに電話をしろといっていたような気もしたが、


もうそんなのはどうでもよかった。


それにそもそもこの電話が繋がるかどうかも怪しいのだ。


そう思うと、変にこの紙を持ち歩くぐらいなら、


早く電話を掛けてみてすぐに捨ててしまえばよかったのだ


ということに気づく。


そうだ、さっさと片付けてしまおうと思う反面、


知らない番号に電話を掛けるのはなんだか新鮮で


何かが始まるという期待があった。






結果から話すと電話には誰も出なかった。


何回目かの呼び出し音が鳴り終わって繋がらないみたいだ


と電話を切ろうとしたとき、老人の声が聞こえた。


「電話ありがとうございます。」ゆっくりとした口調だった。


どうやら留守番電話で伝言を残す際のガイダンス音声を


自分の声にしていたようだ。


「この間はご親切にありがとうございます。


直接会ってお話ができないためこのような形になってしまい


申し訳ございません。」


何がなんだかわからなかった。


なぜ始めにお礼を述べたのか、直接会う気だったのか、


そもそも老人を助けた前提のメッセージになっていることがおかしい。


考えれば考えるほど謎は深まるばかりであったが、


とりあえず続きを聞くことにした。


「11月20日の午後11時、丸駅から北に500メートル離れた位置に


公園があります。街灯が中心に一つだけある小さな公園です。


そこに来てください。」


そこでメッセージは終わった。


頭に大きなクエスチョンマークを残したまま、


とりあえず今日の日付を確認するためあたりを見渡す。


店の入り口付近の壁に、


休業日が手で書き込まれているカレンダーが引っかけてあった。


今日が11月20日だった。


そして何の偶然か、僕たちが待ち合わせた駅が丸駅だった。


時刻は午後10時50分。






その10分後、僕はその公園にいた。


公園に向かって歩いている途中に酔いは覚めつつあった。


親友はどうしても帰らないといけないからといい帰ってしまった。


無責任なやつだと思いながらも、一人の方が都合がいい気もしていた。


紙を受け取ってから1年以上経過しているのだ、


去年の11月20日の可能性もある。


これで公園に行って何もなかったら、


なんか申し訳ない気がするのでこれはこれでよかった。


公園にはひとつだけベンチがあり、


そこに腰掛けてしばらく待つことにした。


ベンチの表面を手で払い、腰を下ろそうとしたとき、


背後から咳払いが聞こえた。


驚いて振り返るとついさっきまで誰もいなかったはずの場所に


老人が立っていた。


黒いハットを目深にかぶり、深緑の杖をついている。


あのときの老人かどうかは判断できなかった。


心臓がうるさく跳ねている。


「お前さんに良いものをやろう」


老人は挨拶も確認もなしにそういうと


手の平を上に向けて僕の前に差し出してきた。


僕は聞きたいことがいろいろとあったが、恐怖からか口が開かない。


それだけでなく金縛りに遭ったように、体がなぜか動かない。


老人が「ほら」というと、


自分の意識の外側で何ものかに操られているかのように


僕も老人の方へ手を伸ばす。


老人の手と自分の手を重ねるようにして置いた瞬間、


あたりは一瞬にして真っ白な空間に包まれた。


眩しかった訳ではないが反射的に瞬きをした。


すると次の瞬間にはもうさっきの公園にいた。


老人は消えていた。


何が何だかわからなかった。


しばらくの間その場で立ち尽くしていた。


頭の処理が追いついていないようだった。


考えたところで何が起きたかなんてわかるわけでもないのだが、


次第に漠然とした不安がじわじわとこみ上げてきた。


とりあえずこの場を去ろうと、足を踏み出した。


一歩目を踏み出したところで、


ガサッと音がしたので足下を見ると何か白いものを踏んでいた。


不思議に思い、落ちているものを拾う。


紙だった、そしてそこには


「誰もが欲しがるが、誰も手に入れることのできないものを君に授けよう」


と書いてあった。


僕は服のポケットや鞄の中を探してみたが


それらしきものは何も入っていなかった。


それに僕自身にも変化は感じられなかった。


大きな疑問と不安を抱えながら僕は家路を辿った。






次の日、僕は目を覚ますと


体に変化が起きていることが見なくともわかった。


すごく気分が良いのだ。


僕はベッドから体を起こすと何年ぶりかの朝食を作った。


今までかかっていた靄が晴れたように、


自分の周りのものがすべて輝いて見えた。


もう少しこの世界を思うままに生きてみても良いのかもと感じた。


これが、僕が初めて人生というものに真っ正面から向き合った瞬間だった。


そしてそれと同時に生前の記憶も消えた。


今まで人生を俯瞰的に見て、とりあえずで生きてきた。


人生はあらかじめ決まっていてそれに沿って生きていれば


何の問題もなく生きることができる。


そう思っていた。


人生を面倒だ思うことで、しっかりと向き合うことから逃げていたのだ。


人生というものにいまいち乗り切れない人が、


今しっかりとハンドルを握り、自分が進む方向へ人生を向ける。


角度にしたら1度も変わっていないかもしれない。


それでも、その微々たる変化が進めば進むほど


そのまま進んでいた時の道と離れてゆき、


最後には全然違う場所にたどり着く。


最初はどこにたどり着くのか不安で仕方がなかったが、


それが生きている証ともいえた。


気づいたら僕は人生を誰よりも楽しんでいた。


なんてことはまるでない。






老人と会った次の日もいつも通り目覚めた。


昨日のできごとは何だったのか、いくら考えても答えは出てきそうにない。


体をベッドから無理矢理引きはがしてとりあえず洗面所へ向かう。


顔を洗い終わったときにはもう昨日のことなどどうでもよくなっていた。






人生の流れに逆らうことなく、僕は定年を迎えた。


大学のときにとりあえずで出した答えを僕はずっと持っていた。


本当にこれが正解だったのかはわからないが、


ここまでやってきたことが正解の証明であるのではないか。


そう自分に言い聞かせることしかできなかった。


70歳の時に定年退職した。


生前みた映像ではあと10年で人生の幕が閉じる。


残りの10年でやり残したことをやろうとも思ったが、そんな体力はない。


それにやり残したことも見つけられない。


終わりに近づいていることを感じながら日々何をするでもなく過ごした。






そして終わりの日はやってきた。


結局、レールを外れることなく人生を渡りきった。


面倒な人生がやっと終わる。そういった喜びも感じない。


自分の人生は何の意味があったのか、


これは人生を何回も生きているが未だにわからないことの一つだ。


映像の最後のシーンと全く同じ景色が目の前に広がる。


ゆっくりと目を閉じた。


人生を生きるのは簡単だ、でも人生を歩むのは難しいと最後に思った。

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