孤城落日(シグルズ 最後の一日)
『シグルズに返したい』のスピンオフです。
本編のプロローグを厚く書いたものです。
≪西暦2835年12月9日10:14≫
ケンタウルス座アルファ星まであと0.8光年という距離にいる。
あと一回、空間転移航法を行って戦闘空域に無理やり入り込む。
レーダーでも、ついでにペルーヌから預かった“霊気追跡”でも、周りにはセンサーやレーダーの類はなさそうだ。
ここでの調整が艦隊としては最後になる。
もうすでに別動隊は作戦を開始したはずだ。彼らの動きがこの作戦のカギを握っている。
別動隊の動きは完全に秘匿している。ノーデンス司令にさえ伝えていない。
話せば…作戦の成功を阻止するのが狙いのナイアテップによって妨害が入るだろう。
もちろん秘匿によることで私は後日処分を受けるだろう。
地球連合軍所属の兵員として。
それはやむを得ない。甘受しよう。
虚空に浮かぶ巨大な宇宙要塞ウプサラ…。
その大口径の要塞砲を沈黙させなければ惑星への降下など自殺行為だ。上空からその要塞砲で地上をも狙い撃ちされるだけだ。
なんとしてもこれを落とさなければ惑星イシュタルの制圧などできないことなのだ。
参謀部では、伝統的なウプサラへの攻略方法で通してある。
何度も失敗しているが、練りに練った過去からの参謀部の作戦でこれ以上の方法もなく、根競べによる要塞戦しかないと伝えて。
別動隊とは私が在籍していた惑星イシュタルのレジスタンス。
秘密裏にレジスタンスもこの作戦に参加する。
あそこにミーミルがいればという不安はあるが、なじみの顔とも連絡ができている。
おそらく大丈夫だろう…。
とはいえ、レジスタンスはそんなに大きな組織ではない。
稼働艦艇も数える程度だ。
彼らにはできることをお願いした…。
≪西暦2835年12月10日 1:20≫
惑星イシュタルの座標を指定し、ワープに入った地球連合軍艦隊は要塞ウプサラに設置されていたワープジャマ―に捉えられ強制的にワープアウトした。
直ちに戦闘配置が命じられ、艦隊は紡錘陣形に変更される。
戦闘ドローンやファイターが各艦から射出され、空域にある機雷の除去に全力を挙げる。
少しでも前進を速め、ウプサラに取りつくため。
要塞ウプサラは、太陽に比べたらぼんやりとした明るさの赤色矮星プロキシマケンタウリの光を反射してぼんやりと虚空に浮かぶ。
長距離砲がある戦艦5隻と特務巡洋艦エレクトラからは電磁加速砲の長距離弾が連続で発射される。
この砲弾は光の速度に比べたら比べ物にならないほど遅いのだが、艦艇よりは速い。
忘れたころにウプサラに到着することになる。
もちろんウプサラがこの接近を知ることになれば、位置をずらして簡単に回避されるのだが。
かの要塞でもまもなくワープジャマ―が反応したことを受信し、戦闘配置に入るだろう。
そして、その大口径砲が艦隊の方向を向くことになる。
射程距離という概念で行けばまだ射程外のはずだが、ある程度の減衰を考慮しても当たれば甚大な被害となるだろうから、構わず撃ってくるかもしれない。
戦艦ヘルメスの戦闘指揮所にいるシグルズは、前方のスクリーンを睨みつける。
艦隊は紡錘陣形。敵方は要塞前面にセクター型の陣形。
別動隊…予定では、レジスタンス部隊がウプサラの背後に静かに迫り、牽引してきた小惑星を解き放つ。電磁加速砲並みの速度をもった大きな岩が迫ることになる。
大口径砲は艦隊を向いているはずだ。その反対側…巨岩が迫る側は全面ガラス張りの戦闘指揮所だ。
横にはナイアテップがコンソールにしがみついて状況を見つめている。
“直進を続けます。変更あればご指示を。”
若き士官の声が戦闘指揮所に響く。
戦闘は次第に激化していく。
あちこちで光点が輝く。
光点が輝くたびに何かが爆発四散している。
それは機雷除去の光の場合もあれば、無人機の爆発の場合もある。
当然、有人機の撃墜による四散の光というものも多い。
(あともう少し、あともう少しで仕掛けが効果を発する。)
長射程の電磁加速砲を続けざまに撃っていた戦艦5隻と特務巡洋艦エレクトラは長距離射程のフォトンレーザー斉射を開始した。
光のスピードはとてもゆっくりだ。
太陽から地球という1天文単位程度でも8分以上かかる。
それくらいゆっくりとした速度でウプサラ前面に展開するイシュタル艦隊に向けて飛んでいく。
片やウプサラの大口径砲の砲門はすでに地球連合軍の艦隊を射線上に捉えていた。
あそこが光ったとき、すべてが飲み込まれる。
今のところまだ要塞の前面に敵艦隊が展開しているので、おそらく準備中。
準備が完了すれば味方が射線から退避するはずであり、味方を巻き込んでの射撃ということはないだろう。
「各艦は予定通りこのまま最大戦速。要塞砲は?」
ノーデンス司令の低めの声が戦闘指揮所に響く。
彼はこの戦闘指揮所での自分の声にちょっと聞き惚れているようだ。
迷惑だとシグルズの頭をよぎる。
戦艦ヘルメスの周りでも光点は徐々に増えていった。
大きな光と衝撃も伝わってくる。
至近弾がはじけたようだ。
戦闘指揮所も大きく揺れ、何人かが弾き飛ばされた。
シグルズもたまらず自席から飛ばされて、したたかに天井に叩きつけられた。
強制的なワープアウトから始まった戦闘開始からすでに1時間。
敵方に動きが見え始めた。
セクター型に展開していた敵艦隊が徐々に散開していく。
これはおそらく…準備ができたということだろう。
「敵砲の斉射まであと10分。計算上は問…」
(何を言っている!)
直進すれば大口径砲の餌食となる。大口径レーザーは光の速度でやってくる。
光を感じた時が着弾した時だ。
発射のタイミングはこちらからはわからないのだ。
もうすでに撃たれている可能性さえある。
「大尉…。君の意見だとこのまま行けと言うのか?でも、それはあまりに危険じゃないか?」
こちらは突撃を目指した紡錘陣形。真ん中の密集部分を狙われるとあまりにも被害が大きくなる。
「中佐。我らが強制ワープアウト後に紡錘陣形となって最大戦速で突入しているのはなぜですか?最大の速度をもって近づき、乾坤一擲の一撃を繰り出すためではありませんか?」
意気込みはそうだが、だからといって敵の砲門に向かって突撃するのはちょっと違うだろう。
とにかくこのままでは敵の射線に裸で身をさらしているのも同然だ。
別動隊の到着はあともう少し。
それまで戦線を維持しなければならない。
巨岩が到達すれば敵は岩を破壊するか回避しなければならないが、大口径砲と反対側のウプサラの戦闘指揮所側は無防備だ。
破壊するにも、回避するにも、要塞を動かさねばならない。移動を強いることができれば射線も逸れる。
移動せざるを得ない状況に追い込むだけで、我らは要塞ウプサラを挟み撃ちにできる。
それに…単なる突撃で敵砲の前に身を晒すのは蛮勇を超えて自殺行為だ。
(そうか!やつの狙いは晒すことか!)
天王星衛星チタニアを出発以降、参謀部では何度となく作戦検討を重ねてきた。
そのたびにナイアテップの強硬論とシグルズの慎重論がぶつかり合った。
斉射間隔を調べ上げ、敵に無駄弾を撃たせることを念頭に何度も激論をしてきたナイアテップだったが、狙いはこれだったのか。
「司令、敵艦隊は射線上から離れていきます。艦隊に散開を!」
突如、戦闘指揮所にさらに大きな揺れが伝わる。
ヘルメスの真横で忠実に命令を遂行していた僚艦がウプサラの砲撃の直撃を受けて火を噴き始めた。
“プロメテウス被弾。戦線を離脱します。”
戦艦プロメテウスは左舷に敵方のフォトンレーザーの直撃を受けたようだ。
パッと光る発火ののち断続的に光が発する。その都度振動が伝わってきた。
(まだか…別動隊は…)
レーダーを凝視するが、反応は出ない。
起死回生の物理弾が敵の背後に現れるはずなのだ。
私とミーミルが育てたレジスタンスは、この程度のものなのか!
“敵要塞まであと7万キロ…“
“巡洋艦ケイローン被弾。沈みます!”
ウプサラからの援護射撃が巡洋艦に直撃する。たちまち眩しいほどの輝きを放ってケイローンは爆発四散した。
“要塞砲 仰角コンマ02修正を確認”
あれほど激しかった要塞からの砲撃が…静かになった。
「司令!計算上はあと5分あります。5分あれば電磁加速砲初弾があの砲口に着弾し要塞砲は沈黙します。このまま進路の維持を!」
ナイアテップは哀願という動作に代わっていく。
“砲口内温度上昇!!440℃、500℃、670℃…”
“巡洋艦アキレウス、エレクトラから入電。『特攻により時間を稼ぐ、ヘルメスは退避を』”
「司令!そのまま直進を!」
ナイアテップにとっては惑星イシュタルを守る最後の作戦なのだろう。
艦隊の撤退に追い込むため、自分とこの艦そして仲間たちを犠牲にする道を目指した。
「司令!散開し陣形を立て直しましょう!要塞正面に固まりすぎています。」
何隻かの僚艦が食われ、今、ヘルメスを退避させるため特攻をかけるという。
別動隊到着までは間もなくのはずなのだが、その前に戦線が崩壊してはどうしようもない。
敵部隊が近づくのだから撃たれるのはしょうがないが、ここはどう考えても散開して被害を小さくすることが最善だろう。
司令と呼ばれた男はやっと重い腰を上げる。
若き主戦派の士官の意見は封じられ、艦隊は退避行動に移る。
その動きにナイアテップは口角を少し上げたように見えた。
もう…遅いという意味なのだろう…。
船は大きく、ゆっくりと、回避行動を取る。
大きい船の舵が効きにくいのはどんなに技術が発展しても古今東西変わりようのないものだ。
要塞砲のフォトンレーザーの収束幅の断面から逃げきれさえすればいい。
相手もデカブツだ、急激に動けば砲口の調整に時間がかかる。
最大戦速を続けるヘルメスは僚艦に守られながら大きく舵を切る。
こんなときにまで、随伴艦は旗艦を守り続ける。
要塞砲正面側に随伴する巡洋艦ヒュドラはもうすでに大破の状況だ。
総員退艦命令が出てもおかしくないほどの被害状況なのは隣にいるヘルメスからも見て取れる。
そんな状況なのに、ヘルメスを守ろうと自らを盾に随伴していく。
ナイアテップは要塞砲で一撃を食らわせ、艦隊を撤退させるのが狙いだ。
それはいい。
彼には彼の目的があった。
それを見抜けず、ここまでやらせてしまった私の責任はあまりにも大きい。
“砲口内温度 振り切りました!!”
砲口内温度の観測情報がヘルメスに届いたとき、それはヘルメスに最後の瞬間が到来したことを知らせるものだった。
「ッ!!」
男が前方のコンソールを叩く!
その刹那!
――――――――――――――――――――――――――――――
シグルズは時間の進行を一時的にとてもゆっくりとしたものに変えた。
時間をいじることは高位の神格者しかできず、その構築と維持に膨大な魔力を要する。
それゆえ、時間をいじることができるのはほんの一部の神格者だけである。
シグルズが最後の最後までとっておいた最終手段だった。
「ナイアテップ。動けるのだろう?この空間でもお前なら」
「中佐は甘いですね。この状況下でも部下を考えるんですか。でもちょうどいいです。あなたは…生きて返すわけには行きません。」
「奇遇だな。同感だ。お前を返さないことが天帝陛下のお望みへの近道となる。」
空間は時間が止まっている。
風景はヘルメスの戦闘指揮所だが、時間軸に大きな迂回路を作ったことで、今は無理矢理作られた異次元空間にいる。
この異次元空間ではどのような衝撃であっても外界には伝わらない。
つまり…全力で行ける。
二人は神格者、それもかなりの上位にいる。
この二人が全力で戦うようなことがあれば、さながら小さな超新星爆発のようなことになり、艦隊は一瞬にして殲滅状態となるだろう。
これはこれでナイアテップの目的に沿うのだが、彼はそれを選ばず要塞砲正面に艦隊を晒すことに成功した。
そして、今後のことを考えると、お互いに相手が生き残るのは望ましくない。
体力も魔力も十分な状態ならシグルズもナイアテップも脱出はそれほど困難ではないだろう。
決着が必要だった。
そして、二人が戦うには、手を抜くか、このような別空間でやるしかない。
すでに目標をあらかた達成しているナイアテップから動く必要はなかった。
シグルズは後手を踏んでいる。それゆえ、この空間の創造にシグルズはかなりの魔力を消耗した。
維持にも魔力を消費する。
それは承知の上で、異次元空間を作りいざなった。
シグルズには、別動隊は到着せず、艦隊への甚大な被害回避が不可能となった以上、こうするしかなかった。
ナイアテップとしては、せっかくここまで追い込んでいる。
シグルズをこのまま放置すればおそらく精神生命体となってでも脱出し、また惑星イシュタルに手を伸ばしてくるだろう。
対戦の舞台を作ってもらい決着をつけるのは望むところであり、魔力を温存して作ってもらった空間で戦闘を開始するナイアテップの方が俄然有利であった。
異空間での二人の孤独な戦いが始まった。
援軍はお互いにない。
勝ったからと言って何かがえられるわけではない。
いや、正確にはナイアテップの方が恵まれているかもしれない。
勝つことで故郷を守り、想い人を守ることができるのだ。
その時、彼の心は満足で満たされるだろう。
仮に帰ることができなくなったとしても。
自分はどうだろうかとシグルズは自問する。
勝つことで得られるものは?
負けることで悲しむ者は?
ここで散ることになっても後悔はないか?
シグルズは無手だ。
そこにナイアテップはつぎつぎに剣を打ち込み防御を強いる。
さらに、シグルズはこの空間を維持し続けている。
圧倒的にシグルズの不利な状況が続く。
この空間の維持はとても魔力を消費する。
シグルズは魔力の消費というリスクを冒してでも時間を停止することで、ナイアテップの無力化に動いた。
物質界における現実の空間での戦闘は否が応でも関係なき者を巻き込んでしまう。
それくらい破壊力のある戦闘が行われる。
それゆえ、全く別次元の空間を創造して戦闘することで、神格者同士の戦いとは何ら関係のない人間たちを守ることにした。
これを…ナイアテップは惜しいと思う。
ここまで人間のことを思いやれるのに、なぜ天帝の都合に付き合うのか。
それは唯一無二の支配者の臣下だからなのだろうが、イナンナ様は別の道を示している。
今まで一択でしかなかった道が二つに分かれている。
陛下のご意思はわかるが、同じ人間であるエルフ族とドワーフ族を守る方向に向いてくれてもいいものなのに。
「まだまだですよ!」
ナイアテップの曲刀ゾモロドネガルがシグルズの頭頂部を掠めて空を斬る。
死力を尽くしてシグルズを葬る…それがイナンナ様への忠誠なのだろう。
シグルズの体術の前に、ナイアテップも満身創痍となっている。
左腕は肘を粉砕され全く機能していないし、足も右足はまったく別方向に向いたままぶらりと下がっている。
関節や骨はあちこちで粉々になっているだろう。だが、右手にもつゾモロドネガルと機能する左足で器用に空間を舞い、何度もシグルズに防御を強いた。
激痛に顔をゆがめながら。
「地球を追い出しておきながら、今度はその星を寄こせとはあまりに都合がよすぎませんか?」
それについては、シグルズは反論できない。
申し開く言葉はない。
掌底、裏拳、肘打ちと体術を繰り出してナイアテップに防御を強いていく。
やはりナイアテップは強い。
さすがイナンナ様が送り出した切り札だ。
こんな強いやつを差し向けるほど私を評価してくれていたことに不思議だがうれしさを感じる。
それに、あの剣。
あちこちを掠っただけなのに、かなり深手の傷となっている。
あの剣には魔力を纏わせているのだろう、刃だけを追いかけていては危険だ。
刃の周りに一回り大きなエネルギー刃がある。
シグルズの魔力も底をつき始める。
まもなくこの空間を保持することはできなくなるだろう。
うすうす理解していたが、劣勢は続く。
(これだけはやっておかないと…)
ナイアテップの剣を躱しながら、シグルズは全分身を分離した。
肉体が昇華され精神生命体となると、分身は強制解除されてシグルズの下に戻ることになる。
時代を超えて無理やり戻された四神たちがまったく意識外から巨大なエネルギー波の直撃を受けることになる。
神といえども意識外からの攻撃にはそれほど強くない。
防御できない場合は…消滅となる。
四神は天帝のお許しを得て分身に乗せただけのもの。
現状の配下にすぎない。
彼ら、彼女らにはそれぞれの人生がある。
四神も道連れに逝くのかということを選べるはずもない。
そんな一瞬の思考に、シグルズにもスキができたのだろう。
少なくともナイアテップには一瞬の間を感じた。
たくさんいる文武百官の中で、天帝の信頼を一身に受ける序列第一位。
そのような強者との戦いで圧倒的に有利だったはずのナイアテップも満身創痍となっていた。
この空間の構築と維持に膨大な魔力を消費しているはずなのに、この強さ。
ナイアテップは、曲刀ゾモロドネガルに魔力を帯びさせ刀身よりさらに一回り大きく魔法刀を構築している。
切れ味と射程を増加させ攻撃力を増させているが、この鋭利な刀身の維持にナイアテップ自身も魔力を消費する。
そして、シグルズの体術。
無手なのにずば抜けた身体能力を有しており、その回避と防御に同様に魔力を振って防いでいた。
とてもじゃないが、魔力での補助なしで戦えるような相手ではないと今さらながらに驚く。
そのシグルズに一瞬のスキを感じた。
ナイアテップはこの瞬間にかけた。
曲刀への魔力のブーストを増加させた。
ほぼすべての魔力をつぎ込んだ渾身の一撃は音の壁を超え、ついにシグルズの頭部と胴体の分離に成功する。
(勝った!)
シグルズへの最後のひと薙ぎは、みごとに宿敵をとらえた。
「イナンナ様…これでよろしいのですね…」
シグルズの魔力によって構築されていた空間が揺らぎ始める中、そうつぶやくナイアテップの霞む目に、注意の外から信じられない速度で迫る殺意が捉えられた。
シグルズの動体に残った残留思念によるものではない。
頭部と分離されるその刹那、シグルズはナイアテップの曲刀が迫るのを感じ取る。
あれほどの渾身の一撃だ。乗せた殺意も相当なもの。
その殺意の接近に、魔力が底を尽きつつあったシグルズは二択を強いられる。
回避か反撃か。
シグルズは迷わず後者を選んだ。
すでに魔力はほとんどない。
回避したところでその後が続かない。
空間の維持もまもなく終わり、その後にはウプサラの要塞砲の直撃を受ける。
おそらくそれくらいでは肉体が昇華され精神生命体となるだけだろうと思うが、精神生命体の維持さえできかねるエネルギー波なら…消滅もありえる。
そこまでは止むをえない。
自分のことだから。
だが、これほど強い者を残して去ることは天帝陛下に望ましいことではない。
のちのことを考えると、ここでなんとしても無力化が必要なのだ。
次にこの物質界に派遣される者が動きやすくするためには。
そのためにこの空間を構築し一騎打ちに持ち込んでいる。
それに、分身の分離はすでに行った。
この後、エネルギー波の直撃を受けても四神への被害は及ばない。
ナイアテップが渾身の一撃を放つとき、防御はまったく考慮されていない。
ナイアテップに生じたスキ。
シグルズの反撃はまだ動く右の拳に、残りの魔力を帯びさせナイアテップの左胸を貫く。
そして、文字通り心臓を鷲掴みにして、破裂させた。
いちいち邪魔だった胴体の足枷がなくなって自由となったシグルズは、薄れゆく意識の中ぼんやりと思い出す。
あれは…“白虎”ペルーヌの相棒として5万年前に向かってもらうことを告げた日のこと。
ウルク島のバドティビラにあるレジスタンスの本部。
そこにあるシグルズの執務室に彼女を呼んだ。
きれいな碧眼…まっすぐな瞳の純粋な子だ。
この1年徹底的に訓練した。まだ…粗削りだ。
戦士として、伸びしろはメンバーの中でピカイチかもしれない。
この才能はとても素晴らしく愛おしい。
とんでもない過去に行かせることになる。
それはディアドラもそうだし、レア様もそうだろうが、とても不安なことだろう。
レア様はまだいい。信じる剣がある。
おそらく誰にも負けることはないだろうし。
ディアドラには伸び盛りの剣の腕と炎帝にも認められた火の魔力がある。
それに保護者のようにアーサソールがついている。
だが、この子は…。
ペルーヌの保護下にアリアンロッドが入るとして…守れるだろうか。
彼女は伸びる。それは間違いない。
だが、まだまだだ。
今はまだ、多数に囲まれたら苦戦するだろう。…この子は育てたい。
ペルーヌは守り切れるか?
レア様は一瞬で突破できる。
ディアドラも火で一網打尽にできるだろう。
アーサソールも腕前は文句ない。
ネプトゥヌスは文官からの転身だが武の腕前もかなりだし、ミーミルも付いて行くのでなんら不安はない。
問題だと感じるのはアリアンロッドだ。
彼女は…。
シグルズのいる執務室にアリアンロッドが現れた。
ノックを2回。
腰にレーザーシミター2本を差したダークエルフの子が現れる。
今日も訓練をしていたのだろう。
こめかみに汗が光る。
「大規模なスパイの作戦がある。ペルーヌの相棒として参加してもらえないか。」
「あの…素朴な疑問なのですが、私は…必要でしょうか?」
(どういう意味だ?)
「私は、他の訓練中の方と違って作戦にはほとんど参加させてもらってません。弱いからだと思っていますが…それくらい強いみなさんにとって私は行く必要があるのでしょうか。」
(それは…)
「シグルズ様もそうですが、おひとりで役目を果たせるのではと思います。私はこの組織に必要でしょうか?」
「君がいないと…困る。」
「どういう意味でしょうか?」
どういう意味?
どういう意味だろう…改めて考えたことはなかった。
手元に起きたい…それは目の届く範囲にいてほしいという意味だ。
無事でいてほしい。何かあっては困る…。
困る…。
だが、そんな感情は…
「君は、貴重な戦力だ。今はそうかもしれないが、あと数年もしたら組織を代表する戦力になるだろう。君はその途中の原石だ。磨いている最中だ。かなり輝きが見えてきたところなんだぞ。ちょっと長期の実戦訓練だ、ぜひがんばってほしい…。」
ペルーヌは強い。レア様は強さを隠しているので、ペルーヌを評して四神で群を抜くと言われているが、レア様に次ぐ強さだとシグルズは思う。
あのダークエルフの子、アリアンロッド
訓練の最初のころは二刀流ではなく、1本の棒きれから始まったという。
ある雨の日一人の少女がずぶ濡れでバドティビラのはずれにある教会の前で倒れていたそうだ。
神父が彼女を見つけ介抱した。
高熱でうなされていたが、神父をはじめ修道女たちの献身的な看護により助かった。
それ以来、彼女は教会の隣にある孤児院で過ごすようになる。
過去のことは語らず、ただ黙々と働いた。
そのうち孤児院の手伝いとして修道女となる道を選ぶのかと思ったら、このレジスタンスの門を叩いたという。
「強くなりたい」と。
その門を叩いた日からおよそ2年がたった頃だという。
長い黒髪を後ろに束ね、必死になって棒を振る。
ミーミルの言う通り、筋はいいものがある。
だが、まだまだ実戦には使えない。
そこからシグルズによる訓練が始まった。
雨だろうと風だろうと訓練は朝から晩まで続いた。
私もいつも見ていられないので、訓練メニューを渡して1人でやらせることもあったが、日に日に訓練の成果は見えていった。
半年を超えたころ、私と模擬戦を行った。
もちろん私には触れることさえできない。
だが、目はついてきていた。
武門ファーストの動きを見ることができていた。
身体がついてくるようになれば、私も危ういほどの強さになるかもしれない。
やがて冬が来て、二刀流を教えた。
攻撃は最大の防御。
相手陣地で戦うことが、味方にとって被害がなく最大の防御となる。
彼女はそれを望んだ。
彼女の剣は守りの剣。
守るために攻勢に出る剣。
たった1年の訓練だったが、驚くほどの上達ぶりだ。
ペルーヌの強さにさらに鍛えられて帰ってきてくれるだろう。
地球連合軍にシグルズが潜入する直前に、気になってつい見に行ってしまった日のこと。
5万年前のナカツクニの訓練場であの子を見つけた。
(!!!)
直ちに身体が動く。
船は緊急発進し、首都ナカツクニに強行着陸した。
極力混乱が生じないようにステルスモードで河原の開けた場所に降り立つ。
シグルズはハッチが開くと同時に飛び出した。
あの子は一人。
そして、レーダーではその周りに取り囲むように10名以上の輝点があった。
じわりじわりとその包囲は狭まっていくのが見えた。
5万年前のレムリアでは突如現れた英雄“白虎”が連戦連勝を重ねタカアマハラ帝国は有利な戦いに持ち込んでいた。
反対に連戦連敗の諸国は連合を組んで対抗しているが劣勢をまだ覆すことができていない。
連合はこの“白虎”の周辺を丹念に調査し弱点を探し、あの子が目をつけられたのだろう。
拉致されるのか。
それとも単なる暴漢か。
相変わらず包囲されているが、暴漢と思われる者たちはまだあの子をとらえられていない。
レーダーでは、赤と緑の輝点が急速に接近しては離れ、また接近しては離れる。
戦闘中と思われた。
プロ相手でも1対1ならなんとかなるところまでは来たのだろう。
進歩が凄まじい。
シグルズは腰のポーチから煙幕弾を取り出す。
これでアリアンロッドの視界も奪うことになるが、やつらの目も奪うことになるだろう。
少なくとも狙撃や見張りは役に立たなくなる。
煙幕の中にシグルズは入り込む。
もうもうとした煙幕の中…気配は丸見えだ。
白虎のスキル“霊気追跡”のコピーを使うという手もあるが、そこまではいらないだろう。
所詮相手は人間だ。
あの子は無事だろうか…。
その確認が先だ。
入り口付近にある二人の人影は、煙の中しゃがんでいる。
足音も発せず風のように通り去ると、二人の人影は壁沿いに寝転がった。
シグルズは何もたいそうなことはしていない。
武器も持っていない。
使ったのは気迫。
気迫だけで、気圧されて二人は気絶してしまった。
奥の方には伏せている者、2,3名で固まっている者、守りを固めじっとしている者、壁に向かって手を伸ばしながら歩いている者などがいる。
そんな中、姿勢を低く保ち、何やら荷物を探っているような…あの子だな。
無事なようだ。
安心して声をかけそうになるが、そこは耐えた。
彼女には自信を付けさせよう。
失敗だけが、指導ではない。
成功体験も重要だ。
入り口付近に陣取って、全体を注意深く眺めた。
目的は、アリアンロッドの独力による事態の打開。
その手助けをする。
危ない状況は助けるさ。
だが、メインはアリアンロッドに任せる。
煙幕の中、猛然とダッシュで敵を補足する。
すごいな…
まるで見えているかのようだ。
いや、見えているわけではないだろう。
見えていないが、見える距離に入った瞬間に攻撃を開始する。
見えないうちに準備を終えているんだろう。
すでに3人が伸された。
あと…5人。
2人は背中合わせに防御姿勢だ。
のこりは油断なく入り口側に向かうのが1人。
1人はアリアンロッドに向かってゆっくりと歩いている。
もう1人は…狙撃だろう。あれは危ない。
狙撃と思しき者をシグルズは排除した。
おそらく赤外線センサーでも持っていたのだろう。
準備のいいやつだ。
1人がゆっくりと彼女の方向に向かっているが、あれをどうするだろう。
この10人の中ではおそらく一番強いやつと思われる。
どうなるか…
アリアンロッドは煙幕の中を駆けた。
前が見えない中これは無謀とも取れる。
だが、見えないのは相手も同様。
彼女は煙の中で、おそらく背中合わせの2人組を捉えた。
突如目の前に現れただろう。
レーザーシミターの青い光は手前の男を横に一閃しようと振りぬかれた。
正面の男が瞬間的にしゃがむと、右手を伸ばし向こう側の男をとらえる。
と、同時に、しゃがんだ男のウェイナーを左手のレーザーシミターが叩き落していた。
胸の前でクロスしていた両手が開かれるような動作で瞬時に二人を静かにさせた。
その鮮やかさにシグルズも危うく感嘆の声を発しそうになるがぐっとこらえた。
入り口にいるシグルズの方にゆっくりと向かってくる影があるが、これはしょうがない。
シグルズが足元の小石を拾い…ぶつけて静かにさせた。
残るは一人。
あのやり手っぽい影。
次の敵を探そうと動き出す前、まだ準備できていないうちに相手に接近されたのだろうか。
焦りが先行してしまった動きになっている。
あれはまずいな。
焦りは禁物という言葉がある。
冷静な判断に戻れるだろうか。
あ!
アリアンロッドの左手上腕部にダガーが掠る。
幸い深くないようだが、毒が塗られている危険性がある。
早々に決着が必要だ。
シグルズは、足元の小石を構え…タイミングを計った。
予想通り、アリアンロッドの足元はふらつき始める。
(よくがんばった。ここらへんで終わりとしよう。)
シグルズの放つ小石は…緩いスライダーの軌跡を描き、ダガーを持つ男を撃ちぬいた。
手加減を忘れて、弾丸並みのスピードになってしまったが…急所ははずしてある。
その小石には卑怯な毒など塗ってはいない。
ダガーをもっていた男が倒れるのを確認してから、シグルズはアリアンロッドに駆け寄る。
毒が回ってきたのだろう、顔からは玉のような汗がしたたり落ちる。
腰のポーチから塗布薬を取り出すと、左腕の傷口に急いで塗布した。
経口解毒薬も受け付けないほどのけが人にも対応できる、緊急解毒作用のある塗布薬だ。
「よく頑張った。」
その言葉が届くかどうかはわからないが、シグルズはアリアンロッドをねぎらった。
緊急的な処置を終え、アリアンロッドの腕時計に付属している緊急信号を発信させた。
気丈なこの子は戦闘中もSOSを発信していなかった。
強くなるだろう…。いつの日か私も追い越されるほどに…。
もしかしたら彼女はその強さだけでも覚醒するかもしれない。
だがそれまでは大事な原石だ。
守らなければ…。
四神を分離してよかった…
道連れにしたら…あの子は5万年前のあの時代に一人で放置だ。
あの子…
今度こそ絶対にオレが守る…。
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眩い光が砲口に溢れる。
光の奔流が!!!!!
その最期の瞬間に…シグルズの身体では奇妙な現象が起こった。
フォトンレーザーの奔流の中、シグルズの身体は原子レベルまで分解を開始する。
それは時間にすればとてもはかない時間。
その短い時間に、本来はないもの、自分の意思では発しえないものを発した。
いや、自ら出ていった。
もう分身のスキルは使えないはずなのに、とっさに生まれた最後の一体がさっきシグルズが作り出した異次元空間を無理やりこじ開けて逃げていく。
“最後の分身”…か?
そしてその分身はこともあろうに、崩壊中の私の身体から魂を無理矢理引っ張り出して大事に抱え込む。
(お前は…?)
ちらりと見える視界の端には光子の乱舞の中ゾモロドネガルが空中を漂っていた。
意識は深淵へと沈んでいく。
(すまない…眠い…少し眠ろう…)
≪西暦2835年12月11日≫
第38次イシュタル派遣艦隊は撤退を開始。
実に4割の艦艇が要塞のたった1撃の砲撃で…虚空に消え失せた。
≪西暦2835年12月18日≫
レジスタンス部隊によるイシュタル政府軍艦艇襲撃
駆け出しのレジスタンス女性隊員が政府軍に捕らえられていた捕虜を連れて脱出に成功。