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Sick syndrome. ⑪  作者: AKIRU
1/1

混線

サトルの妹には婚約者、みたいなのがいるようです



 特急スーパーあずさを降りた三浦芙華(みうらふうか)は、駅のホームで「やっぱり空気が違う!」と小躍りした。

「そこまで違うか?」

 タケルは姪の荷物を持ち、先に階段を上った。確かに、東京より海抜が高く湿度も低いのだから、彼女にとっては快適なのだろう。住み慣れると忘れてしまうことも多い。というより、身体が楽な環境に慣れるのだ。

 駅を出て、タクシー乗り場へ向かう。

「タケにぃ、歩かないの?」

「俺は歩きたくない」

 駅前の夜は、半端な賑わいを醸していた。

「せっかくだもん、ぶらぶらしよ」

「自分の荷物持つを、自分で持つなら歩いてやる」

タケルが言うそばから、芙華はタクシー乗り場に並んだ。

「おまえって、そういう奴だよなぁ」

タクシー乗り場には一組しかいなかった。ふたりはすんなりタクシーに乗り込んだ。

「マジで、サトルに連絡しないのか?」

 新宿からの電車内で、タケルは同じことを何度訪ねたことか。芙華は「来るなって言われるもん」の一点張りだ。

「そういえば、明日はフライトだったな」

 タケルは、今になってサトルがアルバイトに出ることを思い出した。ヘリコプターで、上高地から山小屋へ食料などを運搬する補助だ。

「別に。私はあの家でのんびりしたいだけだから」

「友だちや彼氏と、別荘に行けばいいだろ」

「ご飯作りたくないもん」

「作れないだけだろっ…ぅ」 芙華の容赦ない肘打ちを、脇腹に食らった。と、タクシーは家より手前の通りで停車した。道が細いので、タケルは気遣いを兼ね、いつもそうしている。

「客人に、失礼な発言だけはするなよ」

降りるなり、タケルは芙華に釘を刺す。彼女は好奇心の塊なのだ。

「何回言うの!?」

 芙華は唇を尖らせる。

「おまえ次第」

 結局、タケルは姪の荷物を最後まで持たされた。




        *



「今夜も月がきれいね」

 雅子はスイカをかじる手を休め、何度目かのため息をこぼした。

「明るいですよね」

 ユヅは四切れめのスイカを口にしながら、月を見やった。

見浦家の井戸にスイカを放ったのは、雅子だった。今朝、職場へ向かう途中に立ち寄ったら、仔猫に出迎えられた、と驚いていた。

「きれいって罪だわ」

「満月って、きれい過ぎて少し怖いです」

 二十時近いというのに、サトルはまだ戻らない。ユヅは雅子といながらも、思考が不安定で心細かった。

「シロ?」

 先程まで足元にいた仔猫の姿が消えていた。ユヅは立ち上がり、井戸水で手を洗って家の中へ入った。自分の部屋に行ったのなら、問題はないのだが。

「ただいま」

 玄関からの声に、ユヅは縁側から慌てて廊下を抜けた。

「あ、タケルさん、お帰りなさい」

 今朝とは違う、スーツ姿の家主が帰宅した。

「スイカ食べてたのか?」

「はい、雅子さんからの差し入れです。冷えててシャリっシャリで、甘くて美味しいですよ」

 笑顔でタケルに話す唇を、彼は親指の腹でぬぐう。

「スイカ、ついてる」

 タケルは微笑み、そのまま親指をペロッと舐めた。

「タケにぃ、変態!!」

タケルの背後から現れた女性に、ユヅは思わず背筋をただした。

「お客様って、こんなに若い女子だったの!?」

 彼女はタケルの背中をバシバシ叩き、左手で乱れた黒髪をかきあげた。

唖然とするユヅに、タケルは、「サトルの妹だ」と苦笑してみせ、「彼女はサトルの客人だ」と芙華に紹介した。

「うそぉ~!!」

 ユヅは、脳天を揺るがすような甲高い声に驚き、瞬間、目をつむった。

「芙華、玄関で失礼だろ」

言いながら、タケルは靴を脱ぎユヅの頭をなでる。

「タケにぃ、セクハラ!」

芙華は靴のまま上がり込み、ユヅを抱き寄せてタケルから遠ざけた。

「セクハラじゃないし、土足で人んちに踏み込むなよ」

「少女が襲われてるのに、ほっとけないでしょ!」

「あのなぁ、ユヅはおまえと同い年だ」

「ええぇぇ~!?未成年じゃないのぉ~!?」

「一旦荷物置いてこい」

 タケルは、廊下で騒ぐ姪のボストンバックを置き、右手でネクタイを緩めながら階段を上って行った。

「あ、あの…」

 ユヅは押し付けられた胸に、圧迫されていた。ヒールの高さも相まって、ユヅよりかなり背がある。

「やだぁ~、顔ちっちゃぃ!色白ぉ~!目がおっきぃ~!睫毛ながっ!サトちゃんと同期なの?出身は?」

 豊乳から解放されるや否や、ガシッと両肩を掴まれ、興奮気味に捲し立てられた。逃げ場のないユヅの素足を、長い尻尾がなぜた。

「何してんだ!」

 突然の声に、仔猫が階段を駆け上がった。

「サトちゃん!」

「ぅぐっ!」

 芙華はサトルの首に抱きついた。

「またおっきくなった?筋トレしてるんでしょ!?」

「離せ変態!」

 帰宅したサトルは、妹の強硬なハグを振り払い、立ち尽くすユヅを見やった。

ユヅは、サトルの切な気な眼差しに見つめられ、鼻の奥から目頭が熱くなった。

「遅いよ…」

「悪かった」

 サトルはリュックを置き、そっとユヅを抱きしめる。

ふたりの抱擁を前に、芙華の思考は停止した。

「遅かったんだな」

 浴衣に着替えたタケルが、ゆったりと階段を降りてくる。そして芙華のバックを持ち、「部屋は二階の右奥だ」と告げて、彼女をふたりから引き離した。

「サトル君、どうしたの?」

 ユヅはサトルの胸で涙をぬぐった。彼は何も言わず、ユヅの温もりを確かめるように、抱きしめた腕に力を込めた。

「ごめん…」

 サトルは深く息を吐き、やおら腕を解いた。

「何が、あったの?」

ユヅはサトルの瞳を見据え、唾を飲んだ。と、目を逸らされた。

「俺の部屋で話そう」



         *



 サトルは部屋の電気を点けようとしなかった。カーテンが開いたままの窓からは、月の光が射し込んでいる。簡易なソファーとテーブル、フラットなデスク、本棚、ベッド、クローゼットがあるだけの、シンプルな部屋だ。

サトルは何も言わずベッドに腰掛け、背中を丸めてうつむいた。

ユヅはソファーに座り、苦し気な彼を見据え、大きく息を吸って吐いてを繰り返す。

「あのね」思いきって口を開いた。「私、七海を少しだけ思い出したの」心臓が喉元でバクバクしている。

サトルは、予想もしていなかったセリフに顔をあげた。

「事故の直前、だったと思う」

 ユヅは笑みを浮かべ、泣きそうな声で続ける。

「七海が、怒鳴ったんだ…。オマエには関係ないだろ、って」

 サトルは膝の上に両肘を預けて、顎の下で指を組み彼女を見つめた。月明かりを浴びた姿は、青い輪郭が白く浮かんで、手を伸ばせば消えてしまいそうな色を纏っていた。

「家族になったのに、七海は僕を『兄だと思えるわけがないって』言うんだ…」

 白磁のような頬を、大粒の涙がつたう。

「でも…、だからって、知らない男と援交してるなんて、ありえないよ…」

「っ!?」

 哀しそうに唇を引き結ぶユヅに、サトルは目を見開いた。

「あいつが…?」

「ん、あの日もシティーホテルから出てきた」

「あの日って、オマエが交通事故にあった…三日前、か」

 サトルは、まだユヅに七海と会ったことを話していなかった。

「同性と、そういうことできる?信じられないよ!」

 ユヅは苛立たしげに、昨日抱きしめて眠ったクッションを拳で叩く。

サトルはそんなユヅを眺めながら、数時間前の光景に意識を移行(シフト)していた。

七海に連れられ、枚方弦の病室を訪ねた。規則正しい電子音。眠っているのか死んでいるのかわからない、体温の気配がとぼしい寝顔。「独りにしてごめん」と七海は呟き、兄である弦の輪郭を両手でじっくり確かめた。やおら椅子に座ると、当たり前のように彼の手を握った。

サトルは知った。七海の想いを。だからといって、他人の自分が安易なことを言うわけにもいかない。

「性別とか年とか、そこらの常識で測るな」

 ようやく、サトルは低い声音で呟いた。ユヅは大きな瞳を揺らめかせ、裏切られたと言わんばかりに彼を見やる。彼は下唇を噛んだリ、小さく息を吐いたりして、ためらいがちに口を開いた。

「雅子さ、姓同一性障害なんだ」

「…え?」

「叔父きから聞いたんだ。本人は何十年も悩み苦しんで、女になった、って」

 手術は海外でしか出来なかったという。ホルモン系の注射やメンテナンスのため、都内の病院と美容外科へ毎月通っている。女性として、看護師の仕事をさせてくれる今の職場や、受け入れてくれた親に感謝しているーと泣いたらしい。

「本気なら、いいんじゃないか?」

「………………」

「だいたい、普通ってなんだよ?そんなもんに、自分の基準を置くことないだろ」

 少なくとも、七海は本気だ。

両親同士が再婚し、戸籍上、兄弟となった二人だった。弦にとっては新しい弟でも、七海にとっては家族以外の存在なのだ。

ユヅは目頭を押さえ、涙をこらえた。自分だけが不幸の渦中にいるーと思い込み、周囲を見ていなかったー見えていなかったことを、今、恥ずかしいと思った。母親を失ったとき、大切な感情も欠落してしまったのかもしれない。

「戻れる…かな」

「自分次第、じゃね?」

 サトルは立ち上がり、ユヅの頭を無雑作に撫でた。

窓の下へ目をやると、タケルと雅子が、芙華の話を聞きながらスイカを食べていた。





 サトルに「明日(あした)早いから、掃除とか頼むな」と言われたユヅは、後ろ髪を引かれながらも彼の部屋を後にした。

 ユヅは、自分の部屋で丸くなっていた仔猫を抱き抱え、中庭へ戻った。いつの間にかスイカは片付けられ、変わりに多様なアルコールと山賊焼きが並んでいた。

「ユヅちゃん、ナイアガラのスパークリングと紅玉のシードル、どっちがいい?」

 出迎えた雅子に座らされ、答えるより早くシードルを注がれた。

「さっきはゴメンね。ってことでカンパーイ!」

「あ、いえ、か、乾杯」

 芙華とユヅの乾杯を見ながら、タケルは雅子と新しく開けたクラフトビールの小瓶をカチンと合わせた。

「ねぇねぇ、明日ヒマ?」

「…!?」

 芙華の質問に、ユヅは言葉が出なかった。

 

 明日(あした)

 自分は、明日(あす)を迎えられるのだろうか?


 タケルはグラスを持ったまま動かないユヅに気づき、芙華の半開きの口へ山賊揚げを押し込んだ。

「ねぇユヅちゃん、天気がよかったら、上高地まで行ってみない?サトルも荷あげに何度か戻るだろうし」

「サトル君のバイトって、北アルプスなんですか!?」

 ユヅは身を乗りだし、タケルの視線を支配した。彼は瞬間怯んだ。でも気づかれないよう、左の口端をにやりと上げ、ユヅの唇を掠め取った。

雅子の

性同一性障害については、ここでは深堀致しません

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