中編・15歳
「凄いわよねぇ、レオルくん。まさかエルヴィエ学院に行くなんて。」
「…お母さん、その話今日で3回目だよ。」
「だって本当にすごいんですもの。」
「すごいわぁ、すごいわぁ」と言いながら母は洗濯物を干しに行く。もうすごいって言いたいだけじゃないのか。
レオルと出会ってあれから3年。私達は15歳になった。私は相変わらずな毎日だ。昔と特に変わらない。
それに対して、大きく変わったのはレオルだ。
まず、この3年の間にレオルと彼のお父さんはすこぶる仲が良くなった。あのレオルのマゾ疑惑…ゴホン、お父さんロス事件の後、私のアドバイス通り彼はすぐにお父さんに自分の今の気持ちを手紙で伝えたらしい。
そしたら本当に秒で来た。びっくりするくらいすぐに来た。愛する息子がそこまで思いつめていたことを知り、心を痛め、己の行動を悔い、仕事を異常なほどのスピードで片付け、ここに来る権利をもぎ取ったらしい。
あの時のレオルは本当に嬉しそうだったのでよく覚えている。
それから、レオルはお父さんの研究を手伝うようになり、その才覚をメキメキと表した。
これが先ほどの会話に出てきた「エルヴィエ学院」に繋がってくる。
エルヴィエ学院はこの国の最高学府だ。つまりめっちゃ頭がいい人しか入れない学校なわけである。
こういう学校は入学するには貴族が優遇されるなどというのがよくあるパターンだが、エルヴィエ学院は完全実力主義である。貴族でも平民でも、さらに言えば王族でも、落ちる人は落ちる。
超スーパーエリートしか入れない学校なわけだ。
そんな学校にレオルはこの春、入学する。
超スーパーエリートの仲間入りってやつだ。
美少年が頭が良いのは定石だが、まさかここまでとは。神は二物を与えすぎである。
世の中の理不尽さに想いを馳せながら朝食を食べていると、後ろから声がかかった。
「お前、いつまで食べてるんだよ。」
「……おはよう、レオル。」
振り返ると今まさに思い浮かべていた人がそこに居た。
誰もがダラけたくなる休みの朝だというのに、その佇まいは完璧である。
「…朝から美形はちょっと重いなぁ。」
「は?」
「いや、こっちの話。それよりどうしたの、何か用?」
なんで朝から人様の家に居るのかはもう聞くまでもない。この3年の間に、彼はもう顔パスの域に達している。おそらく朝食の席に混じっていても、父も母もまったく気にしないだろう。それくらい馴染んでいる。
毎度思うが、彼はどうやってウチに来ているのだろうか。確かお隣さんとは何十メートルも離れていたはずだ。
「今日出かける約束だったろ。忘れたのか?」
「忘れてないけど。でも約束は昼前じゃなかった?」
時計を見ると、まだ朝食の時間が終わったあたりだ。昼前までには十分時間がある。
「昨日の夜、寝過ごさないように早くに寝たら、いつもよりだいぶ早くに目が覚めたんだ。」
修学旅行の前日の学生か。
私も遠足とか旅行の前日の夜早くに寝すぎて、翌朝だいぶ早い時間に起きることあったな。その後二度寝しちゃって遅れたことはいい思い出だ。
「だから、どうせ会うんだし、早めに迎えに来てみた。」
「いや、そっちが早めに来ても、こっちが早くなるとかないから。」
起床時間が連動してるわけじゃないんですよ。
やれやれと首をすくめると、上から手が降って来た。
筋張ったその手は私の右後ろの髪を梳いていく。どうやら寝癖がついていたようだ。
「分かってる。ミシェレは朝苦手だしな。」
「分かってるならなんで来るの。結局うちの家で昼前まで待つことになるんだから同じじゃない。」
「いや、全然違う。」
やたら食い気味で返された。
何?ここまで来るのにいい運動になるからとか?
……いつからそんな健康志向になったのだろう?
◇
「で、買い物に付き合ってほしいって話だけど、何買うの?」
あれから準備を済ませた私は、約束通り昼前にレオルと家を出た。
そこからしばらく乗り合い馬車に乗って、チョルチュチョルの町から離れた大きな町に来た。ここは交易が盛んで、お店も賑わっている。
「買い物もいいけど、先に昼食を食べないか?」
「それもそうだね。もうお昼時も過ぎてるし、お腹空いた。」
いまにも腹の虫が叫びそうである。
「何が食べたい?」
「えっ、私が決めていいの?」
「ああ。」
「じゃあ、最近できた新しいお店に行きたい。美味しいってミュンヘンさんとこのカレンちゃんが言ってた。」
「わかった。」
2人並んで新しいお店に向かう。町の中央にあるので、すぐに分かるとカレンちゃんから聞いた。
人気があるのか、お店に近づくにつれて人の流れが多くなる。このままでは人に当たりそうだ。私はレオルの腕をひいた。
「ねえ。」
「何だ?」
「後ろ歩いていい?」
「後ろ?」
「人の流れがすごいから、バリケードがわりに。」
イメージは流れの速い川の中にポツンとある大きな岩だ。
水流がその岩を避けて流れるように、私もレオルを盾にすれば人に当たる心配もない。
15歳のレオルはすくすくと成長し、今ではすっかり大きくなった。一列になって、その広い背中に隠れながら進めばいい。
名案だと思ったのだが、やけに白けた目で返された。
「…バリケード?」
「あれっ、ダメだった?」
「……そんな事しなくても、こうすればいいだろう。」
「うわっ」
グイッと私の腕を掴むと、レオルはそれを自分の腕に絡ませた。カップルがよくやるあの腕組みの体制だ。
そりゃあこっちの方が助かるけど…。
「これだとレオルが歩きづらくない?」
「人混みの中で盾にされる方が歩きづらい。」
「まあ、レオルがいいなら良いけど…。」
絶対一列になる方が歩きやすいと思うんだけどなぁ…。
この時首をひねっていた私は、レオルの耳がほんのり赤く色づいていたことに気がつかなかった。
◇
「あー美味しかった!」
ご馳走に舌鼓を打った私達は、店を出ると周辺を散策した。
あのお店美味しかったなぁ…今度教えてくれたカレンちゃんにお礼言わなきゃ。
私の横を歩くレオルをチラリと見る。私ほどニコニコしてるわけじゃないけど、何だか機嫌が良さそうだ。
どうやらあのお店はレオルの口にも合ったらしい。
良かった良かったと上機嫌で町に視線を向けると、あるお店が目に入った。
「あっ」
「どうした?」
すかさずレオルが足を止めてこちらを見る。
「いや、かわいい雑貨屋さんだなーって。」
私が指を指した方向にはファンシーな雑貨屋さんがあった。お店の周りには女の子がたくさんいる。
「見たいのか?いいぞ。」
「いいの?」
「ああ。」
ではお言葉に甘えてちょっと見せてもらおう。
雑貨屋さんは大好きだ。これはもう前世の時からの筋金入りである。
てっきり店の外で待っているのかと思いきや、レオルも店の中までついて来た。
「店の外で待っててもいいよ。ザッと見たらすぐ出るし。」
「いや、別に気にするな。ゆっくり見ていい。」
「そう?ならそうさせてもらおうかな。」
今日のレオルはやたら親切だ。
…もしかしたら彼なりに気を遣ってくれているのだろうか。
彼が気を遣う理由はすぐに思い当たった。
…私達が会うのは、今日で最後だからだ。
春からエルヴィエ学院に通うレオルは、入学準備のため、明日の朝イチで王都に向かう。国の最高学府・エルヴィエ学院は当然の如く王都にあるからだ。
エルヴィエ学院で5年学んだ後、そこを卒業した超スーパーエリート達は学者になってその才を遺憾なく発揮する。最新の研究機関があるのはやっぱり王都で、大抵の学者はそこに住まうのだ。
だからチョルチュチョルの町というド田舎に住んでいたレオルのお父さんのケースは極めて稀だ。
なんでも都会の喧騒に疲れて田舎暮らしを始めたらしい。前世で言うと脱サラして農家になるみたいな感じなのだろうか。
お父さんはちょっと特殊だが、例に漏れず卒業後はレオルも王都に住むのだろう。まだ入学前なのに、王都のめっちゃくちゃ偉い学者さんに卒業後はウチに来ないかとスカウトされているらしい。母から聞いたのだ。
一方で、私はこの町を出て行くアテもつもりもない。
チョルチュチョルの町でのんびり過ごして、いつか、運と縁が良ければ誰かと結婚するのだろうし、もしくは一生独身かもしれない。そんなボンヤリとした未来を想像している。
もしかしたらレオルがこちらに帰省した時には会えるかもしれないが、それでも年単位だろう。王都からこの町まで相当かかるのだ。そんなホイホイと来れるものではない。
分かってはいるけど、少ししんみりする。なんだろう、この気持ち。弟の上京を寂しく思う姉みたいな感じだろうか。弟いたこと無いから分かんないけど。
「……い、おいミシェレ!」
「えっ、あっ、はい!」
「どうしたんだ?ボーッとして。」
「え?あ、いや、今日の晩ご飯は何だろうなって考えてた。」
「何だそれ。また食い物かよ。」
くしゃりとレオルが笑う。
その笑顔を見て、ハッとした。そうだ、私がしんみりしてどうするんだ。笑って送り出さないと、旅立つレオルも気まずいはずだ。
チョルチュチョルの町──ここでの思い出は、笑顔で終わらせてあげたい。
「あっ!!!」
「な、何だよ。」
突然上げた私の大声に、レオルが体をビクッとさせた。
「今回はレオルの買い物に付き合うって目的で来たのに、全然レオル買い物してないじゃない!」
本来の目的はレオルの買い物だ。
レストランに雑貨屋さんに、本屋さん…思い返すと私の要望しか通ってない。
「どこ!行きたいお店は!?何を!何を買いたいの!?」
「落ち着け落ち着け。もう買った。」
「えっ、いつの間に?」
買い物早すぎない?それとも私が行きたかった所と彼が行きたかった所が一緒だったのだろうか。
首を傾げる私にレオルはニヤリと笑うと、懐から何かを取り出した。…手のひらサイズの紙袋だ。ずいぶん小さいな。
「何それ?」
「見てな。」
ガサリ、ガサガサと音を立ててレオルが取り出したのは指輪だった。
「それ…!」
「雑貨屋で見てただろ。やるよ。」
それは確かに私が雑貨屋さんで見ていた指輪だった。
びっくりしたまま固まる私の手を取ると、レオルはその指輪をそっと私の指に嵌めようとした…のだが。
──ぎゅむ。ぎゅむ。ギュギュギュギュ…
「いたたたた!!!」
「わ、悪い。」
中々私の人差し指に入らない。
痛がる私に、人差し指は諦めたのか、今度は一回り細い薬指に挑戦する…が、入らない。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの、さ。言いにくいんだけど…この指輪買わなかったのは私の指にその、合わなかったからなんだ…。」
「……」
「…えっと、ほら!小指には合うから!見てほら!小指はピッタリ!」
「……」
「…なんか、ごめんね?」
「……」
レオルは指輪を見つめたまま動かない。
私は自分の指の太さを呪った。
しばらくの沈黙が流れたが、私はそれに耐えきれなかった。
「…ふっ、ふふ」
「……」
レオルはこちらをガン見している。
「ふっ、いやっ、ごめ、ふふふっ、でも、どうにもおかしくって、フフッ!」
「……」
「ごめっ、もう無理!ふっ、ふふっアハハハ!」
「……」
「なんで私よりレオルがショック受けてるのっ!アッハハハ!!」
「……ふっ、」
「あっ笑った!笑ったよね今!体震えてるよ!」
「…う、るさい。」
「いや堪えてるのバレバレだから!」
変なところで決まらないのがなんだかレオルらしい。
こうして、私の望み通り、私達の最後の日は笑顔で終えることができたのであった。