エピローグ
「今回は、あまり口調がブレなかったな」
コーヒーを手渡しながら、潮ヶ波留が言う。
それを受け取りながら、私は首を捻った。
「口調がブレる自覚は無いがな」
「だから余計にブレるんだろ」
彼ら曰く、私は口調がかなり不安定らしい。
自分では全くそんな自覚は無いのだが。
「今回ブレてないのは、余力がないからってのも大きいだろうけどな」
「お前と喋るのが一番力使う。だるい」
「なめくじ」
「うるさいぞ蜃気楼」
彼誰時が指をさして笑ってくる。
中指を立ててやりたいが、それすらだるい。
蜃気楼が煽りになっているかは、まあこの際置いておく。
……蜃気楼ってかっこいいから、もう少しマシなのを考えよう。
コイツにはもったいない。
「昨日の仕事が結構な大物だったからしょうがない」
「ん」
唯一、私を肯定してくれる潮ヶ波留。
とても優しい。
このまま食事の用意までしてくれたら完璧。
「とはいえ、もう少し体力をつけるべきでは?」
「あまりにもなさすぎるでしょ」
「なめくじだからな」
「まぁ、それには俺も同意」
訂正。
味方はいなかった。
そして彼誰時はもっと語彙力をつけるべき。
「ほっとけ」
「本当にほっといたら部屋で干からびる癖に」
「貴様らがちゃんと回収しに来ないからでしょうが」
春夏秋冬の言葉に、すかさず異議を申し立てる。
周りの目線が冷たいことは気にしない。
「本当に、潮ヶ波留がいないときはどうやって生きてるの……?」
「潮ヶ波留は執事じゃないんだよ……?」
これは本気でドン引きされている。
私が潮ヶ波留に頼りっきりなのは自覚している。
だが、今日だけは引く気はない。
「自分で報告書を書き上げてから言え」
「用事思い出した」
徐に、斜運が立ち上がる。
クモの子を散らす、とはまさにこのこと。
都合が悪くなると逃げる癖は矯正させなくては。
「斜運と春夏秋冬は洗濯、彼誰時は道具の手入れ」
「やっておきます」
部屋を去ろうとする3人に、すかさず指示を出す。
1人だけ返事をし、3人は扉の向こうへ消えた。
再び部屋が静寂に包まれる。
勝った。
静かにドヤ顔をする私に、潮ヶ波留は報告書を差し出してきた。
「今朝の報告書、目通しといた」
「ん、どうだった?」
「完璧。全員の書き癖も網羅してる」
「なら大丈夫だな」
「本当に変態が書いた文章って感じだった」
「大丈夫なの?」
潮ヶ波留から、紙の束を受け取る。
肯定するように、潮ヶ波留は首を縦に振る。
あまり変態と言われるのは好きではないのだが。
振り分けた案件を解決するまでは、それぞれが完璧にこなしてくる。
だが、報告書まで作成するのは、大抵私と潮ヶ波留だ。
故に、互いの作成した報告書を、互いにチェックし合う形にならざるを得ない。
「潮のも完璧だ。流石だな」
「いや、一晩で4人分書き上げる変態と比べたらそれほどでも」
「私の事変態って言うの気に入ってんだろ」
クツクツ、と肩を揺らしこの男は笑う。
何を隠そう、私も締切ギリギリまで報告書を放っておいたのだ。
締切近くにならないと筆が乗らない。
「前もってやればいいのに」
「計画的に行動できる潮とは違うんですよ」
「お疲れ」
「ん」
優等生タイプの潮ヶ波留が、この時ばかりは羨ましく感じる。
計画的に事を終わらせられるようになるのは、私の人生の目標だ。
「さっきの」
「ん?」
私のデスクに腰を掛け、彼はようやくカップを傾ける。
パソコンの画面に眼を向け、潮ヶ波留が問いかけてきた。
「お前が見つけた死骸、あの依頼人の猫だろう」
ピタリ。
わかりやすく、動きを止めて見せる。
私の反応に、潮ヶ波留は続ける。
「猫がそんなに賢いわけがない」
「いるかもしれないぞ」
「無理でしょ。それこそ、猫又でもなければ」
完全否定してきやがった。
結構ロマンチックだと思うのだが。
私は背凭れに寄り掛かりながら、潮ヶ波留を肯定した。
「そうだな。私が出会ったのは、喉元をかっ裂かれて死んだ三毛の、メスだ」
昨日見たものを、もう一度思い浮かべる。
赤黒くそまった毛並みを。
猫の周りには、酷く派手に血が飛び散っていた。
喉元以外に、目立った傷は無かった。
窒息か、血液による溺死か。
どちらにせよ、楽な死に方ではなかったのだろう。
「猫を探してほしい、ねぇ」
「ハピエン厨って怖いよな」
「あぁ、だって、そうと信じたら止まれないのだから」
自然と、私は口角を上げる。
面白くて仕方が無い。
デスクに放置していた封筒と、ペーパーナイフを手に取る。
封を開け、1通の手紙を取り出す。
そこには。
「猫を殺した犯人を、殺してほしい」
達筆で、はっきりと。
本物の招待状だ。
この悪趣味な、真っ赤な封筒を止める気はないのだろうか。
「私が居場所を伝えた猫は、勿論彼女の猫ではない。彼女の猫は、とっくに死んでいる。ただ、取り返したUSBを持たせただけの野良の三毛猫だ」
そのことは、依頼人も理解していたのだろう。
終始緊張していたのは、私たちが何者か知っていたから。
「今回は、標的を殺した後に、USBの引き渡し場所を教えて欲しい、との依頼だったからな。演劇に携わっているだけはある。見事な演技だった」
私は肩を震わせ、クツクツと笑う。
本当に、傑作だった。
そう、そもそも彼女は猫になんて関心がなかった。
その証拠に、私が聞くまで、猫の容姿すら語らなかったのだから。
自身の肯定の為か、お涙頂戴の感動話を演じたかったらしい。
だからこそ、私もそれにのってやったのだ。
呆れた、とでも言うように、潮ヶ波留は肩を竦めた。
客がいる時は飲まないだけで、潮ヶ波留もコーヒー派だ。
茶葉の好みがはっきりしている為に、コーヒーの方がいいらしい。
とてもよく分かる。
「今日のより、昨日の豆の方が好きだ」
「今日はガテマラ」
「エチオピアみたいなのがいい」
「私が眠いから苦いの淹れさせた」
豆に注文を付けながらも、潮ヶ波留はお代わりを注ぐ。
ついでに私のカップにも。
本当に気が利く男だ。
彼も飲むペースが速いのは、やはり寝不足のせいだろう。
「今日の夕飯、何がいい」
「生クリーム使ったクリームパスタ。エビ入れて」
「生クリームあったかな」
シャツのボタンを2個外しながら、潮ヶ波留は冷蔵庫の中身を思い出す。
身内の前だと多少着崩すのは、彼のギャップの1つだろう。
万が一材料が足りなかったら、買い出しリストに追加するので問題ない。
再び、潮ヶ波留はポットを手に取った。
本当にペースが速い。
だが、潮ヶ波留はポットを傾けることなく蓋を開けた。
重さで気が付いたのだろう。
「コーヒーまだいる?」
「いる」
「じゃあ次はエチオピアね」
「あれカフェイン薄い」
「廃人め」
蓋を閉めながら、彼は問う。
潮ヶ波留はコーヒーを淹れるのが上手いので、少し楽しみだ。
あと、まだ廃人ではない。
「血、滲んでる」
デスクから離れた潮ヶ波留が私の腕を指さした。
羽織を拾った時から、やけに腕を見ていたのはこの為か。
両腕を覆い隠すように巻かれた包帯には、確かに赤い滲みがあった。
「ついでに代えの包帯持ってくる」
「よろしく」
包帯を解きながら、私は潮ヶ波留の好意に甘える。
ポットを持ち、扉を開けた潮ヶ波留は、去り際、振り返りこう言い残した。
「口調ブレてるぞ」
「え」