第3話 文章構成
皆、一癖も二癖もあるような名前だった。
斜運さんが一番マシなのではないだろうか?
春夏秋冬、って幽霊名字だって聞いたことがある。
まぁ、そこはいいのだけれど。
「皆さん、名前……」
そう、全員、苗字? しか言っていない。
こんなにも聞きなれない苗字なのだから、ぜひとも名も聞いてみたい。
けれど、春霞さんは、私の疑問に更に眼を細める。
「私たちは名まで名乗る習慣がない。フルネームが知りたいのなら、新密度でも上げることだな。特に、潮ヶ波留は固いぞ?」
「え!? あ、いえ……」
そこまで、お見通しなのかな。
いや、別に、狙ってるとかそういうのじゃないし。
会って数分でロックオンは、流石に、ね。
チラリ、と潮ヶ波留さんを見ても、彼は全く動じていない。
というか、座らないのかな。
彼誰時さんも、離れたところに置いてある椅子に座り直しているし。
ここは、女性の方が強いのかな?
「好きでやっているだけなので。気にしなくていいですよ」
そういって、春夏秋冬さんは愛想笑いをした。
くそぅ、美人だなぁ。
愛想笑いって分かるのに可愛いのだもの、理不尽。
「それで」
ハッ、と潮ヶ波留さんへ視線を向ける。
咳払いを1つした潮ヶ波留さんは、此方を見てはいないけれど。
「本題に、入っても?」
「あ、はい」
自然と、背筋が伸びる。
他の皆さんは、そうでもないみたいだけれども。
カチ、とキーボードを叩く音がした。
「内容次第ではあるけれど、ストーカー関連は、良い返事はしないぞ」
扇子から手を離した春霞さんが、ノートパソコンを開いていた。
気怠げで、憂いを帯びているように、見えた。
あぁ、冷たく見えたのはきっと、そのせいなんだ。
春霞さんの言葉に、潮ヶ波留さんと春夏秋冬さんがピクリ、と動いた。
それを見て、春霞さんは纏っていた空気を一変させる。
「本当に、君たちは仲がいいな」
「「よくない」」
「そういうところだぞ」
肩を揺らして、春霞さんはクツクツと笑う。
前後でも、斜運さんと彼誰時さんが震えていた。
隣で、潮ヶ波留さんが再度咳払いをする。
恐らく、これが潮ヶ波留さんの話の切り替え方なのだろうな。
「いえ、そっち方面ではないです」
私は、首を振って口を開いた。
その言葉に、春霞さんは続きを促すように瞳を動かした。
「猫を、探してほしいのです」
カチ、と音が止まった。
春霞さんが、キーボードを叩くのを止めたのだ。
今度は顔をこちらに向ける彼女は、手の前で腕を組み、深刻そうな顔をした。
「その、ねこ、とは、猫か?」
「え? えっと?」
何を聞かれているんだろう……。
猫は、猫のはずだし。
何か、間違ったのかな?
「ほら、『ねこ』にもいろいろな意味があるから」
ソファーに寄り掛かるように、覗き込んできた彼誰時さん。
徐に潮ヶ波留さんに近寄った彼誰時さんは、彼と自分を指さした。
「俺とコイツがくっついたら、どっちかはネコになるわけだし?」
爆弾発言。
もとい、彼誰時さんは(潮ヶ波留さんを巻き込んで)体を張って私に説明をしてくれた。
なるほど、つまり、私が同性の恋人を探している、と思われたのかな?
「気持ち悪い離れろ」
「は? 襲うぞ」
「お前の相手はマジで疲れるから嫌だ。マジで」
潮ヶ波留は思いっきり顔を顰めた。
彼誰時さんを引きはがそうと、彼の顔に手を当てた。
マジとか、使うんだ……。
いや、そうではなく。
まさか、既に2人は?
「男2人、バスケなら外でやってくれよ」
「埃が舞う」
「うるさい」
女性陣からの辛辣な言葉の数々。
って、バスケ?
あぁ、『襲う』は強引に遊びに誘うって意味なんだ。
ちょっと、びっくりした。
「生き物の、ネコ科動物の猫です」
「そう、だよな。いや失礼」
カタ、とまた春霞さんはキーボードを叩く。
契約書でも作っているのかな。
「そういう職業病なんですよ。常にこれに潜っていると、1つの言葉の行き違いで大変なことになる」
本をめくるついで、とでも言いたげに斜運さんが口を開いた。
活字から視線を離さぬまま、斜運さんは机の一角に積まれたものを指さした。
それは、簡単に言えば紙の山。
クリップで留められたそれらは、枚数に統一感が無い。
薄いものも、厚いものもある。
さらにその上から本が置かれていたりと、ただ見れば紙の山にしか見えないだろう。
私は、一番上に重ねられていた本を手に取った。
凝った造りの文庫本は、金の文字で作者の名前が刻まれている。
……ちょっと待って、春霞って書いてる気がする。
いや書いてある。
慌てて、私は重ねてある紙束を手に取った。
どの紙束を見ても、『春霞』の文字がある。
唯一の共通点。
すぐに、私はデスクの方へ視線を投げた。
デスクの上には、春霞さんを囲うように紙束が連なっている。
更に部屋の中を再度見渡すと、壁一面に配置された本棚は、隙間なく埋められていた。
これ全部……?
ううん、よく見ると有名探偵小説とかあるし、多分違う。
でも、棚に入りきらないくらい、書いてるってこと?
シェイクスピアも真っ青だよ。
同人誌出せるよ、これ。
いや、もう出しているのか。
ちゃんとした出版社から。
「春霞さんって、凄い人、だったんですね……?」
「凄い? 私が?」
「変人なだけだよ」
「変人」
「変態」
「変質者」
「後半2人は覚えてろよ」
4人は、頷きながら言葉を発した。
カップを口に運びながら、春霞さんは眼光を鋭くする。
僅かに視線を逸らした2人も、いた。
うん、私は知らない!
大きく息を吐いた春霞さんは、カチ、とまたキーボードを叩いた。
「ただ、好きなんだよ。演劇が」
「そう、なんですね」
「ほんと、好き過ぎで変態超えてる」
「演劇取り上げたら鬱になったからね、変態」
「お前たちは随分と罪を重ねるのがお好きなようだな?」
ここで、初めて斜運さんが本から視線を外した。
春夏秋冬さんと斜運さんが、楽しそうに笑う。
視線を注がれる春霞さんは、2人を睨みつつ、口元を緩めた。
「それで?」
「え、あ、はい」
本当に、動きが少ないな。
無駄な動きが無い、って言えば褒めていることになるかな?
演劇にのめり込むと、自然とそうなるのかな。
姿勢を正した私に、春霞さんは斜め上の発言をした。
「探してほしいのは猫? それとも、猫が鍵になる何か?」
「え?」
「つまり、だ。猫ではなく、猫が持ち去った何かを探したいんじゃないのか?」
カタリ。
春霞さんの声は、鋭くよく響く。
私の眼は、自然と揺れた。
――絶句。
「ど、して……」
「ただ猫探しをしてほしいのなら、こんな所にはこないのでは?」
「本を手に取ったのに、中身は見なかった。それよりも紙束の方に夢中にだった。なら、依頼主は、本物の台本を知っているのでは?」
「本当の依頼内容を教えたくないのは、猫が持ち去ったそれが、自分の活動生命を左右しかねない重要なものだからでは?」
「まぁ、ただの」
「「「こじ付けだけどね」」」
視線は動かない。
打ち合わせをしているようでもない。
なのに、この人たちは次々に言葉を繋ぎ続ける。
私は、喉が渇くのを、感じた。
「何もやましいものは入っていない。冷める前に飲んでやってくれ」
「は、はい……」
そんな私の変化を、春霞さんは過敏に感じ取る。
勧められるまま、私はティーカップへと手を伸ばした。
震える両手で、ティーカップを包み込む。
ほんのりと温かさを残す液体からは、安心を促すような落ち着く香りがした。
「そう、例えば。……未発表の脚本、とかな」
危うく、ティーカップを落としそうになった。
動揺を隠せない私に、畳み掛ける様に言葉が紡がれる。
カタカタ、と、段々と音が大きくなる。
「先程、私のことを凄い人、と言ってくれたが、それは違う」
「え……?」
「ここにいる劇団員は全員が、全ての事柄を網羅している。だがそれに胡坐をかかず、1つ以上の特技を身に着けている。それだけのことだ」
カタン。
異質に、見えた。
この部屋にいる5人の瞳に、急速に恐怖を覚える。
背中を伝う冷や汗を感じながら、私はただ黒猫のような彼女たちを見つめるしかなかった。
いや違う。
私が、理解していなかっただけなのだから。
これが、探偵。