エリザベス
体が落ちる感覚にハッとする。
悪い夢を見た気がするがそれよりも――
……体が熱い、息苦しい、体が重い。
寝返りを打とうとしたら、顔にモフモフとした何かが当たる。
そこで私は気付いた。
「どいて、えりばべふ」
そう言っても動かない気配に、そのまま私は力づくで飛び起きた。
ドンッと床に何かが落ちる音がする。
「きゃいーん!」
「ぶはっー! アンタねぇ、毎度毎度私の顔に体乗っけて寝るんじゃないわよ!」
床下にはごめんなさいとでも言うように、尻尾を丸めて顔に手を当て伏せている大型犬。
西園寺家で飼っているアメリカン・ブルドッグ、エリザベスだ。
なけなしの可愛さを出す為なのか、頭にはどでかいリボンを着けている。
両親が家に居なくて寂しかった私が強請って飼うことになった犬なのだが、両親の謎の心配性で大型犬なら瑠璃子の身も守れるだろうとこの犬種になった経緯がある。
小さい頃は子犬らしく可愛かったのだが、時が経つにつれ大きくなったエリザベスに恐怖を抱き、瑠璃子は見向きもしなくなってしまった。
昔は闘犬らしく立派なゴツイ身体とイカつい顔付きなのだが、これでもメスだ。
普段は使用人に世話を任せているが、近頃は私が散歩させたり、世話を焼くようになったりした影響なのか酷く懐いている。
「今日も散歩に行きましょうか、エリザベス?」
私のその声にエリザベスはメスとは思えない程、低い声で元気良く吠えた。
「エリザベス取ってこおおおおおい!」
「わおーんっ!」
流石だ!
惚れ惚れする程の動きで投げたフリスビーを空中でエリザベスはキャッチしている。
そして筋肉が浮く程の素晴らしい脚力で地面を駆けるその姿は勇ましい。
私達は近くのドッグランに足を運んでフリスビーの練習をしていた。
「ふふ、良いわよ……これで次のフリスビードッグ大会は私達が準優勝で決まりね!」
私がフリスビードッグ大会の出場と準優勝にこだわるにはとある理由があった。
「なんですって! 犬井 一太郎のイラストサイン入りフリスビーと賞金100万!?」
「誰ですかそれ……」
犬の日常ギャグ漫画『犬も歩けば〇〇にあたる』で有名な漫画家である。
クスッと笑ってしまうような、飼い犬達の日常を描いた作品なのだが凄く面白い。
そんな人物のイラストサイン入りフリスビーが準優勝の賞品になっていた。
賞金100万は西園寺家にとって端金かも知れないが、前世しっかりお給料を貰って一人暮らしをしてた身からするとお金のありがたみが良く分かる。
それに親のお金を使うのは気が引けた。
何と言っても、カード払いは購入経歴が残るから厄介なのだ。
あの無駄に黒光りするカードを出すのが恥ずかしいのもある。
本などは図書カードで充分なのだが、これからは自由に使える資産を作らねば!
小嶋さんは私の読んでいる雑誌を覗き込む。
「フリスビードッグ大会ですかーって、優勝賞品は犬と最高級クルーズで世界一周旅行ってどう考えても頭おかしいですね!?」
「どうしよう、欲しい」
「あ、そういえば家に1匹居るじゃないですか、名前は確かエリザベスでしたっけ?」
私は「それだ!」と思い、こうして出場に向けて練習している訳である。
「目指すは準優勝よ!」
「わん!」
しかし毎回毎回投げる度に、フリスビーをヨダレだらけにするのはやめて欲しい。
その後、使用人にエリザベスを預け私は学校へと登校の支度をする。
人生2度目のランドセルの色はショッキングピンクでした。
小嶋さんに車で送ってもらう途中にあった建物に目を奪われる。
「あれは!」
立派な黒い門に入って行くお洒落な制服を着た生徒達の向かう先、その学校の外観に圧倒された。
綺麗に整備された石畳の道脇には芝生と綺麗に刈られた植込みがしてあり、見上げる程巨大な校舎には気品のある汚れ一つ無い白い外壁にはガラス張りがしてある。
それに空の青が映り込んで反射していて綺麗だ。
イメージは『自由な空』だと有名な建築家が言っていた。
流石、日本一学費の高い私立学校である。
入学には厳しい査定があり、まず将来大学に進学できるレベルの頭脳を持っていること。
そして語学スキルでは、16~18歳であれば英語力は必須、13~15歳でも話せることを強く勧めている。
だから留学生も多いので、学校の奥には寮もあると聞いた。
そして現在活躍している、政治家や芸能人にスポーツ選手など、名だたる人材を排出している実績がある。
そんな訳で、この『皇華学園』は名前の通り、あの天下の皇グループが経営する中高一貫教育のエスカレーター式の学校であり、この学園を卒業することは将来が約束されたも同然だと言われている。
そして何より、『花に嵐~恋せよ乙女~』の6年後には舞台となる学校だ。
「将来、私もあの学校に通うのよね……」
「皇華生って憧れじゃないですか?」
将来自分が断罪される舞台だと思うと、気が滅入った。
私は車窓越しにため息を吐いて、その学校を見送る。
「お嬢様、お気を付けて行ってらっしゃませ」
「ええ」
私の通う『櫻ヶ丘小学校』も所謂、私立の金持ち学校である。
その大半はそのまま『皇華学園』と入学するのだが無理にでも通わせようとする一般家庭の親が少数ながら居る為、その子供達は親からのプレッシャーで死に物狂いで勉強している。
前世、何も考えずボケッと授業を受けては鬼ごっこしたりしては走り回っていた私からすると考えられない光景だ。
「あ! 瑠璃子様ですわ」
クラスに入ると、私はすぐに女子に囲まれた。
どの子も会社や病院を経営しているだとか、元華族の娘だとかだ。
ひょえー!
私はそのまま皆に軽く挨拶と話をしてあしらい、チャイムが鳴ると傷一つ無い新品の机に座った。