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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
特別編:バレンタインデー
9/63

バレンタインにチョコを渡さない私

「羊飼いも山羊もいない」シリーズのバレンタインデー・エピソード(1)

井沢景、高校1年生の2月14日。

 2月の朝は寒い。

 こんな朝の登校は憂鬱だ。

 しかし、男子たちの足取りは心なしか軽やかに見える。

 

 そう、今日は2月14日、バレンタインデーだ。

 日本では何者かによって女性が意中の男性にチョコレートを渡すイベントにすり替えられてしまった日である。

 男子たるもの、「もしかしたら」を期待してそわそわしているのが容易に見て取れる。

 しかしながら、私は下校時に「夏草や 兵どもが 夢の跡」(季違い)のごとき心情で、夢破れたたくさんの男子生徒たちが帰って行く後ろ姿を見ることになるのであろう。

 いと哀し。


 かく言う私は残念ながら意中の男の子にチョコレートを贈る予定もないので、バレンタインデーの前日に大量の失敗作を出しながら必死こいて“奇跡の一品”を生み出すという努力をすることなどなかった。

 我が家は家族揃って甘いものが苦手なのだ。

 いつのことだったか忘れてしまったが、私が世の中にバレンタインデーなるものがあるということを知った時、父にバレンタインチョコをあげようかどうかを迷って母に相談した。


 母も知り合ってから父にチョコを送ったことはなく、バレンタインデーにはその時々でひらめいたものをプレゼントしているとのこと。

 そんな夫婦ならではの機転が子供の私にできるわけもない訳で、母からは別の提案があった。


 父は読書家で通勤電車の中で本を読んでいるのだそうだ。

 おかげで我が家は本がいっぱいある。

 私の本好きもそうした家庭環境から身に付いた習性なのだと思う。

 私が読んで面白いな、と思った本を贈れば父もきっと喜んでくれるだろう、というのが母の言い分だ。

 確かに父が欲しいものをプレゼントするのは理にかなっている。

 本ならば子供のお小遣いの範囲で買える。


 こうして、私が一年間に読んだ本の中で一番面白かった本をバレンタインデーに父へ贈ることになった。

 我が家のバレンタインデーはサン・ジョルディの日を兼ねた私の「本の目利き」が問われるイベントになったのである。


 今にして思えば、仕事が忙しくてあまり私と過ごす時間がない父に私の成長を伝える目的もあったのであろう。

 

 はじめのうちは小学生だったので、児童書を読んでいた。

 父に児童向けの本を読ませるわけにもいかないので、背伸びして世界文学全集みたいなのの児童向け版を読んで面白かった作品の元の“大人向け”を選んでいたが、当然のごとく既に父が読んでいることが多く、私は悔しかった。

 父はそれでも喜んで必ず読み返して感想を話してくれた。


 中学生にもなるともう大人用の本も読めるようになり、自分が読んだ本をラッピングして贈ったり、図書館で借りて読んで面白かった作品を書店で買ってラッピングしてもらって贈ったりした。

 私の好きなジャンルが父の嗜好と若干ずれるので未読の本のプレゼントも増え、「この本は面白かったぞ」と言われると私という存在が全肯定されたようでとても嬉しかった。


 さて、年が開けると“今年の本”を選び始める。

 この一年に読んだ本の中から私は図書館で借りて読んだ法月綸太郎の「ノックス・マシン」を選んだ。


 実は私は数日前に、通学途中の中府駅の駅前にある行きつけの書店でバレンタインデー用の本を購入しギフトラッピングしてもらってある。

 その書店では“バレンタインデーに本をプレゼントしましょう”というキャンペーンをしていて、期間限定の上品な赤とベージュのチェック柄の包装紙を用意していた。

 まるで私のためにあるようなサービスのようだ、などと考えたりする。

 自分の買った本のラッピングを待つ間にレジ近くのコーナーでオススメの新刊を立ち読みしつつ「どんな人たちがバレンタインデーに本をプレゼントしているのかな?」などと眺めていると、私と同じ高校の生徒だけじゃなく、他の高校の生徒、大学生っぽい人、社会人っぽい人、などなど色々な年代の女性が(時には男性まで!?)ギフトラッピングをしてもらっていた。

 決して、私だけのためのサービスではないのである。当たり前だ。


 受け取った本は文庫本であったが、まるで小さな箱に数個だけ入った高級チョコレートのような見た目であった。



 さて、話をバレンタインデー当日の朝に戻そう。

 校門では登校時にチョコを渡そうと待ち構えている女子生徒の姿も散見されるかと思いきや、さすがにそこまで目立つ行動は避けるのか、そのような光景は見受けられない。


 寒いので昇降口まで急いで行こうとすると、体育館の出入り口に人だかりができているのが見える。

 男子バスケ部が朝練しているから、それがお目当てかな?と思いきや、体育館のもう半面、女子バスケ部が使っている方にも女子生徒が集まっている。

 女子バスケ部のジャージ姿の生徒数名がおそらくチョコレートと思われる綺麗に包装された小箱を受け取っている。

 その中でひときわ目立つのが、ショートカットですらっと背が高く凛々しい女子生徒だった。

 ああ、女子バスケ部のキャプテン、2年生の諏訪先輩が目当てなのね。

 同じクラスの女子がキャーキャー言っていた覚えがある。

 ちなみに、諏訪先輩はもちろん男子にも人気があったりする、この高校の有名人である。


 まあ、私には関係ないので、早足で校舎へ向かい、教室へ到着。


 席に着くと、授業までしばらくあるので、先日プレゼントの本を購入する際に一緒に買った「シャーロック・ホームズの冒険」を読む。

 私は読書が好きで、純文学・ミステリー・SF・歴史小説・ノンフィクション・科学読み物など大抵は何でも読む。特にミステリーが好き。

 ただ、短編集が苦手だ。

 物語の登場人物に感情移入しながら読むのが好きなので、物語がすぐに終わってしまう短編集には何となく乗り切れないのだ。例外的に連作短編集はむしろ好きなんだけど。

 ミステリーも長編を主に読んできて、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの小説も長編4冊「緋色の研究」「四つの署名」「バスカヴィル家の犬」「恐怖の谷」だけ読んで、他の短編作品については何となく昔のBBCのテレビドラマで見たからいいかな?と読まずにいた。

 とはいえ、ミステリーファンたるもの、ネタバレしていても「シャーロック・ホームズ」シリーズは一回くらいちゃんと読んでおこうと、とりあえず短編集を一冊買ってみたのである。


 始業前の教室で静かに本を読んでいると、案の定、教室に入ってきた男子たちは他の人にバレないようにこっそり自分の机の中やロッカーにチョコが入っていないかチェックしている。バレてるよ。

 思わず「クスッ」と笑ってしまう。ごめん。


 そろそろ先生が来て朝のホームルームが始まるかなという時間になったので文庫本を鞄にしまい1限目の数学の教科書・ノート・参考書を準備していると、遅刻ギリギリで到着した生徒たちや部活の朝練を終えて大急ぎで教室にやって来た体育会系の生徒たちが教室に駆け込んで来た。

 その中の1人に、いくつかの綺麗な包装をされた箱、十中八九チョコだろうね、の入った手提げのビニール袋を下げた大町くんもいた。

 鞄から取り出した紙袋に一つ一つ丁寧に入れ替えている。準備のいいことで。


 早速、川上くんと上田くんが彼の机を取り囲む。


「幾つもらった?」

「数えてない」

と、平然と答える大町くん。自慢じゃなくて、事実を述べただけだろう。


 大町くんはバスケ部に入部して最初の大会から1年で唯一、控え選手とはいえベンチメンバーに入り、3年生が引退した新チームになってからはスタメンの主力選手として活躍しているらしい。

 タレントみたいな綺麗な顔をしているわけではないけれど、実直な彼の性格を示すかのような男らしい顔つきをしていて、身長も185cm以上はあると思う。


 「実直な」などとなぜ私がいうかというと、彼は私と同じ中学校の出身で中学2年の時に同じクラスになったことがあるからだ。

 とは言っても、そんなに会話をしたことがあるわけではない。

 当時もうちの中学の人気者で、推薦されて学級委員もやっていたりしたのだが、一度クラスで“とある問題”が生じた時には、「もういいだろ」「塾があるんだ」「部活に遅れる」といった、なあなあに済ませようというクラスの空気をわかっていながらそれに流されず担任を説得してホームルームを延長し、全員を議論に参加させ問題解決に導いた、というエピソードがあったのである。

 それ以来、彼は男子からも憧れられ教師からも一目置かれるようになった。故に、彼は女子からモテるけれど僻みを買うことなく男友達は多い。


 それともう一点。

 高校に入ってから大町くんは一度だけ私の隣の席になったことがあった。

 昼休みに恩田陸の「消滅」を読んでいると、大町くんは、

「あっ、井沢さん、『消滅』読んでいるんだ。じゃあ『ドミノ』は読んだ?面白いぞ」

とオススメの本を教えてくれた。ちなみに、井沢というのは私の苗字だ。


 私は「ドミノ」を未読だったので、続けて読んでみた。面白かった。

 大町くんは、体育会系の正義の味方なだけじゃなくて、本も読むのね。驚いた。


 大町くんとその愉快な仲間たちは、

「いいよなあ、お前は」

「俺ら今んとこゼロだわ」

などと相変わらずチョコ談義を闘わせているようだが、ガラガラ、と教室の前扉が開いて担任が入ってくると、蜘蛛の子を散らすように各自の席に着き、朝のホームルームが始まった。

 生徒たちが浮き足立っていても学校生活はいつも通りに始まるのだ。




 昼休みになった。

「ちょっといいかな?」

 昼食を終え、「シャーロック・ホームズの冒険」の続きを読んでいた私は声をかけられた。


 ちょうどいいところを読んでいる時に限って!

 いつも玄関番みたいな役割をさせられるからこんな席は嫌なのよ、と廊下側の最後尾の席を引いてしまったくじ運の悪さを恨みながら、声のした方を振り向くと、1人の女子生徒が教室の入り口に立っている。

 推理小説好きの悪い癖でついつい頭の先から足元まで失礼に当たらない程度にさっと観察して、上履きの色から2年生の先輩だとわかる。

 ショートカットですらっと背が高く凛々しいこの人は今朝、体育館で見かけた諏訪先輩という人ではなかろうか。

 ともかく先輩なので丁重に対応せねば。


 片手に紙袋を下げている。

「はい、何かご用ですか、先輩?」

 相手は恐らく女子バスケ部のキャプテンの諏訪先輩なのだ。用件は察しがつく。

「大町くん、いるかな」

 単刀直入に本題に入る。快活として潔い。女子からモテるのも納得できる。


 教室を見渡すと、大町くんは前の方で他の男子たちと話している。

 大きいから見つけやすい。

 概ね、朝のチョコ談義の続きだろう。

 授業中に早弁する生徒が出ないように、うちの高校は昼休みの部活動を禁じているため、部活で忙しい彼も昼休みは教室にいることが多い。

 練習がないからこの先輩も1年の教室に来られているわけだが。


「ちょっと、呼んで来ますね」

と、席を立ち、大町くんに声をかけて席に戻る。


 大町くんは先輩の方へ会釈してすたすたとやってきて、合流し廊下へ。


「ありがとね」

と、礼を述べる先輩に目礼で答えて、私は席に着く。


「大町くん宛のものを預かって来たのよ。女バスとそれ以外の2年生からも・・」

 2人は話しながら廊下の反対側へ遠ざかっていくので、その先ははっきりとは聞こえない。

 人の会話を盗み聞きするのも下品だし、聞きたくもない会話が耳に入ってくるのも不愉快なので、正直助かる。


 が、窓越しに2人の姿が目に入る。視野に入ってしまったものは仕方ない。

 先輩は、一つずつ誰からのプレゼントかを大町くんに説明しながら手渡していているような丁寧に渡していた。

 全部で5個か6個かな。最後に素っ気なくどこかで見覚えのある包装のプレゼントを渡し、先輩は去って行った。おそらく他のクラスの男子バスケ部員たちにもチョコを渡しに行かないといけないのだろう。


 大町くんが自分の席に戻ってくると、案の定、川上くんと上田くんに取り囲まれる。

 さっき廊下で話していた諏訪先輩との時とは違って、バレンタインデーというイベントで浮かれた一団の声はいつもより大きく同じ教室内にいる私の耳に嫌が応にも入って来る。うちの学校は校内でスマホを使えないから音楽を聴いてごまかすこともできない。

 今日くらいは耳栓を持ってくればよかった。


「なあ、お前、諏訪先輩からチョコをもらったのか?すげえな」

「いや、もらってない」

 やはり、あの人は諏訪先輩だったか。

 大町くんでも、さすがに諏訪先輩からはもらえなかったか。まあ相手は先輩だしな。


「じゃあ誰からチョコをもらったんだ?」

「そういうのを友達に言いふらすのはチョコをくれた女の子に失礼だろ。だから言わない」

 偉い、偉いぞ、大町くん。


「本命チョコもあったのか?」

「あったよ。『本命チョコです』と渡す時に念を押してった子もいた」

 わかっちゃいたけれど、やっぱりモテるね。にしてもそこも友達に話しちゃダメよ、君のお友達はみんなチョコレートをもらえなくて心にダメージを受けてるんだから。正直すぎるのは時に罪だな。


「もしかして好きな子からチョコをもらえたりした?」

「いや、もらってない」

 なんだ、片思いだったのか大町くん。ってことは、バレンタインデーに大町くんにチョコレートをあげた女子全員が即日フラれたことがこの瞬間に確定したんだね。これは黙っておこう。


「じゃあ、お前、こんなにチョコレートをもらったけど、肝心の好きな子からもらえてないんじゃあんまり嬉しくないわな。でもなんでお前そんなに嬉しそうなんだよ」

「そりゃ嬉しいさ」

 もしかして、大町くんはチョコレート大好き人間なのか?まあヤケ食いでもしておくれ。



 大町くんって、もっと硬派なイメージがあったけれど、やっぱりたくさんの女子からチョコレートをもらって浮かれちゃうんだ。意外だな。

 なんだろう、この違和感。


「わかった!大町ってチョコレート系のお菓子が大好きなんだ。しばらく食べ放題だもんな」

「いや、むしろチョコは苦手だよ。和菓子の方が好きだ」

 見た目のまんまだな、よっ、日本男児!でも、チョコレートが苦手だけどなんで嬉しそうなの?


「マジで、初めて聞いた」

「だって、お前らにそんな話してないもん」

 そりゃ男子同士でスウィーツ談義とかしないもんね。


「じゃあ、もらったチョコレートどうすんの?」

「せっかくもらったんだから、ありがたくいただくよ」

 君はすごいな、優しいな。大町くんの好きな子(うちの学校の子なのかな?)に聞かせてあげたい。


 どうも集中力を欠いてしまい、大町くんと愉快な仲間たちの会話にそば耳を立てて心の中でツッコミを入れてしまう。

 大町くんは即答しているから、嘘はついていないんだと思う。

 でも、不思議なのは、好きな子からチョコをもらえなかった彼が終始ニコニコしていること。

 不特定多数の女子からモテて浮かれるような人じゃないと思うんだけど。


 それにしても、うちの家族以外にもチョコレート苦手な人が居たんだ。

 今日、チョコレートをあげた女子たちも、ちゃんとそれを知っていれば、、、。あれ?


 それで、合点がいった。



 よかったね、大町くん、大好きな女の子からちゃんともらえて。

 もしかすると、もう付き合っちゃってたりするのかな?


 このことは、私の胸のうちにだけしまっておこう。

 こういうことを他人に話したら、せっかく友達に嘘をつかないでいる大町くんに失礼だ。



 私は、鞄の中にあるプレゼント用の本のことを考えた。

 結局、渡しそびれそうだ。

 「ドミノ」を教えてもらったお礼に、とロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」を買ってきたんだけどなあ。

 仕方ない。面白い本だから、こちらも父にあげることにしよう。




(続く)

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