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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
62/63

【58】暁の黄金(12)

「文芸部の井沢さん、ちょっとこっちに来てくれないかな」

 汐路さんが声をかけた。


 親切心が災いしてあらぬ嫌疑をかけられた俺、大町篤は、窮地を脱するために同じクラスの井沢景さんに助けを求めた。それで井沢さんが呼ばれたのだ。


 さほど親しいわけではない汐路さんからいきなり声をかけられて、井沢さんはびっくりしていた。


 チーム文芸部の筑間さんはもう帰宅したようで見当たらなかったが、リーダーの須坂はまだその場に残っていた。


「井沢さん」

と俺が声をかけて手を振ると井沢さんは俺の存在に気づき、首を傾げてから小走りで俺たちのいる体育館中央の出入り口付近までやって来た。その場にクイズ研究部の吉田先輩と松川先輩までいるので状況を掴みかねているようだった。

「何か御用ですか、汐路先輩」

と井沢さんは尋ねる。

「実は大町が困ったことになっている。それで大町が井沢さんに助けを求めたんだ」

と汐路さんが早速に要件を切り出す。

「何があったのですか」

と井沢さんが状況把握を試みる。


 汐路さんが井沢さんに事のあらましを説明した。しかし、手紙の内容については伏せられていた。

 井沢さんは汐路さんの話を聞き終えると怪訝そうな表情で

「それで大町くんが私を呼んだのですね。なるほど」

と呟いた。


 汐路さんは

「何のことだ?」

と尋ねたが、井沢さんは

「何でもありません」

と誤魔化した。



 俺は伊那川中学で2年生の時に井沢さんと同じクラスだった。その年に起きた事件でひとりの生徒がクラスの多くの生徒たちから犯人だと疑われた。井沢さんはその疑われた生徒が無実であると反論した。俺は学級委員だったので井沢さんの主張に基づいて学級会議を開いて、その疑われた生徒の無罪をクラス全体に認めさせることが出来た。

 今回は俺が犯人ではないかと疑われている。俺は井沢さんの慧眼に一縷の望みを賭けた。



「ちょっと考えてみます」

と言ってから、井沢さんはしばらく考え込んだ。汐路さんから聞いた内容を頭の中で整理しているのだろう。

 数分後、井沢さんが口を開く。

「まずは大町くんが見つけた物を見せて下さい」


 吉田先輩が文庫本と封筒を手渡して

「これです。でも封筒の中身は見ないで欲しい。勝手なお願いですみません」

と言った。井沢さんは小さく頷いて、文庫本と封筒を受け取るとそれらをじっくりと観察した。文庫本が「リア王」であることを確認し、ブックカバーの背の部分に開けられた穴を覗いて

「カタカナのリですね」

と言った。約束通り封筒に入った手紙は見なかった。


「本や封筒の角は曲がってないし、水に濡れてもいないですね」

と呟き、続けて

「大町くんが見つけた時と比べて今でも状態は変わってないですか?」

と尋ねた。俺は

「封筒は裏表紙の見返しに挟んであった。もちろん本や封筒は綺麗な状態だったよ」

と答えた。

 井沢さんは伝えられた通りに封筒を文庫本に挟んでさらに観察する。

「こんな風に本に挟まれていても封筒のはみ出た部分に折り目はない。本も封筒も角が折れたり水に濡れたりもしていない。大切に扱われていたのですね」

と所見を述べた。続けて

「これはどこの椅子に置かれてあったの?」

と尋ねたので

「最後列の上手から、確か、5番目の椅子の座面の上にあった。ちなみにその椅子だけ位置がずれていて、直した時に音がして見つけたんだ」

と俺が答えると、井沢さんは頷いてこう言った。

「わざわざ直しに行くのが大町くんらしいね」

「おかげでこんなことに巻き込まれたんだけどな」

と俺は答えた。


 井沢さんは文庫本と封筒を吉田先輩に返すと

「ところで、大町くんは汗をかいていますか?」

と尋ねた。

「ああ、汗だくだ。クイズ大会の応援の途中でジュースを買いに行ったり、通路に出て電話したりしたから暑かったんだ」

と俺は答えた。

 すると、井沢さんは俺の全身を頭の天辺から足の爪先までまじまじと観察して小さく頷く。何か緒を見つけたのかも知れない。


「大町くんを調べるのも大切ですが、まずは目撃者について考えましょう。急いだ方がいいかも知れないから」

と井沢さんは話題を変えた。

「誰かがそれら、文庫本と封筒のことね、を置くところを大町くんは見ていないんだよね」

「ああ、そうだ」

「怪しい人物は見かけていない?カバンとかリュックを持って並べられた椅子の周りをうろついていた人とか見ていない?」

「リュックとかポシェットとか小さなカバンなんかを持っていた人は多かった。その状態で椅子を運んだり並べたりしていた人もいたよ」

「うーん。そうかあ。多すぎて容疑者が絞り込めないね」

「それじゃあ、視点を変えましょう。大町くんがそれらを見つけて手に取ったところを見ていた人はいなかった?」

「その可能性ならある。3年の女子が近くにいた。声をかけたら急にいなくなったけど」

「その人の特徴を覚えている?」

「The Garnished Fridgeというバンドの黒いTシャツを着ていた。井沢さんくらいの髪の長さで若干茶髪っぽかったな。それと、黄色いヘアピンをつけていたよ」

「その外見ならば、多分、その人はチームガーニッシュのリーダーの先輩じゃないかな。そのチームのもうひとりの女子の先輩はショートヘアで白いTシャツを着ていたから違うだろうから」

 すると吉田先輩が

「山部さんですね」

とその人の名前を教えてくれた。クイズ大会の運営者が言うのなら間違い無いだろう。

「まずはその山部先輩に証言してもらいましょう。帰っちゃうといけないから急がないと」

と井沢さんが提案すると、汐路さんが

「誰か呼びに行ってくれないか?」

と呼びかける。すぐに

「私が行きます」

と松川先輩が志願した。すると吉田先輩が

「ただ、山部さんのクラスが3年何組だったか分からないんだよね。大会出場者の名簿はもう部室に運んじゃったし。困ったなあ」

とこぼした。続けて汐路さんも

「俺も山部さんが何組かは知らねえ。少なくともD組ではないぞ」

とお手上げのようで吉田先輩も汐路先輩も腕組みして思案する。

 その様子を見て松川先輩は

「大丈夫ですよ。3年の全てのクラスを回って来るだけです」

と力強く言った。この言葉を聞いて俺は涙が出るほど嬉しかった。


 その時、俺たちから少し離れたところから

「山部元子さんのクラスは3年G組ですね」

という声がした。

 声のする方向を見ると、「新聞部」と書かれた白い腕章をした生坂さんがいた。

 プリントの束を手にしている。グレーのメッセンジャーバッグを肩から斜めがけしている。紙の束はそこに入れて持ち運んでいたのだろう。

 隣には黒いリュックを背負った新聞部の大滝先輩もいた。


「新聞部か」

と汐路さんが苦虫を噛みつぶしような表情で言う。

 するとそれに答えて大滝先輩が

「すみません。さきほどから会話が耳に入ったのでつい横で話を伺っていました。でも、決して勝手に記事にするようなことはしませんので安心して下さい」

と弁解した。


 しばらく沈黙が続いた。


「情報提供をしてくれたので今は新聞部に感謝すべきだね。ありがとう。松川さん、3年G組の教室に行って山部さんを呼んで来て」

と吉田先輩が言い

「分かりました」

と答えて松川先輩が、校舎へ向かった。


 井沢さんはまるで雷にでも打たれたようにしばらく固まっていたが

「その紙の束はなんですか?」

と尋ねると、生坂さんは

「新聞部で作成したクラス名簿ですよ」

と答えた。

 井沢さんは、目を丸くして驚いていた。



 しばらくすると、井沢さんは冷静さを取り戻した。

「目撃者がここに来てくれるのを待っている間に大町くんを調べましょう。大町くん、ごめんね。無実を証明するのに必要だからどうか我慢してね。まず持ち物を全部出してもらえますか」


 俺は大人しく従った。

 まず手に持っていた空のペットボトルの入った白いビニール袋を井沢さんに渡した。井沢さんは袋を覗き込みながら

「中にあるのは空のペットボトルが1本だけですね。袋の中は水滴がいっぱい付いています」

と言った。


 俺は制服を着用していた。暁月高校の男子生徒の夏服は半袖の白いカッターシャツと黒いスラックスである。

 汐路さんが1脚の椅子を運んで来てくれたので、その座面にポケットの中身を出した。

 カッターシャツの胸ポケットには何も入っていない。

 スラックスの前ポケットの右には財布、左にはiPhoneが入っており、後ろのポケットの右にはハンカチ、左にはポケットティッシュが入っていた。

 それらを全て椅子の座面に置いた。


「怪しいものは何も無いですね」

と井沢さんは言い、続けて

「汐路先輩、身体検査をお願いできますか?汗で濡れていたら教えて下さい」

と指示を出した。汐路さんは

「分かった。大町、悪いな」

と言ってから、ボディーチェックを行った。

「シャツのポケットは空だ。シャツと髪は汗で濡れている。パンツのポケットも全部、空だよ。汗で濡れてはいない」

 汐路さんがそう伝えると、

「靴下と上履きもチェックして下さい」

と井沢さんが指示したので俺は上履きを脱いで、靴下を脱いだ。

 靴下と上履きを確認して、汐路さんは

「何も出て来ないぞ」

と伝えた。 


「大町くん、ありがとう。もう良いですよ」

と井沢さんに言われたので、俺は靴下と上履きを履き、ポケットの中に持ち物を収めた。



「本も封筒も角が折れたり水で濡れたりしていません。もしもポケットに入れたら折れ曲がるだろうし、ビニール袋やシャツの中に隠せば汗で濡れます。別の袋やケースみたいなものも隠し持っていません。この状況で大町くんは文庫本や手紙を折れ曲げず、水に濡らさずに持ち運ぶことは不可能だと思います」

 井沢さんはそう断言した。

「なるほど」

と吉田先輩が唸る。井沢さんは続けて

「硬いケースや箱なんかを使って用が済んだらそれらを捨てたのかも知れない。もしくはビニール袋やラップで防水してコンビニの袋やシャツの中に隠してそれらを後で捨てたのかも知れない。あくまで可能性があるという程度のことですが」

と指摘した。

 それを聞いて汐路さんが

「実行委員に訊いてくる」

と走って行った。


「大町くん、ごめんね」

と井沢さんが顔の前で手を合わせて俺に謝っていた。

「自分の無実を証明出来るならこれくらいのことは大丈夫だ」

と俺は答えた。


 まもなく汐路さんが戻って来た。

「文庫本を保護できるような容れ物はなかったし、ビニール袋やラップの類いみたいな防水に利用できそうなものもゴミの中にはなかった。せいぜい文化祭のパンフレットの落とし物があるだけだったぞ」

 それを聞いて、吉田先輩は

「そうか。どうやら大町くんに謝らないといけないようだね」

と申し訳なさそうに言ったが、汐路さんは

「確かにそうだが、目撃者の証言を聞いてからにしよう。そろそろ松川さんが戻ってきても良い頃合だ」

と答えて、俺の扱いをいったん保留にした。




 しばらくすると松川先輩が、制服姿の女子生徒を伴って戻って来た。

 制服に着替えていたが、俺が文庫本と封筒を見つけた時に話しかけたのは確かにこの人で間違いなかった。


「3年G組の山部さんですね」

と汐路さんが尋ねると、その女子生徒は

「はい」

と答えた。すると吉田先輩が

「わざわざ体育館まで来てくれてありがとう」

とお礼を伝えてから頭を下げた。山部先輩は

「これくらい別に構わないけど。要件は、この人が何かを見つけた時の状況を話して欲しい、ってことですよね」

と早速、本題を切り出した。吉田先輩は

「そうです。お願いします」

と再び頭を下げた。


 山部先輩は大きく頷いてから話し出した。

「さっきみんなが椅子を並べ終わった頃に私はまだ壁に貼り紙をしたんだけど、次の場所に移動する時に、この人、えーっと」

 すかさず汐路さんが

「大町だ」

と教えると、山部先輩は続けて

「その、大町くんが早足で歩いて来て位置のずれた椅子の背に手をかけて位置を直しているのを見た。偉いなあ、って思っていたら、すぐに座面の方へ身を屈めて、何か黒いものを手に取ってじっと見つめていた。しばらくしたら私に『先輩のものですか』と訊いてきた。そんな感じです」

と状況を述べた。汐路さんが

「椅子に近づいて来た大町がそれを椅子の上に置いたのではないのか?」

と尋ねると

「白いビニール袋みたいな物を手に持っていたけど、そこから何かを取り出したところは見ていません。もちろん、ポケットとかから何かを取り出したりもしていませんよ」

と山部先輩は断言した。俺はとても嬉しかった。


 井沢さんはそれを聞いて

「そうでしたか、やっぱり。今の証言で大町くんの疑いは晴れましたね」

と嬉しそうに言った。吉田先輩も

「そのようだね」

と同意した。


 しかし、汐路さんはしばらく腕組みをして考え込んでからこう尋ねた。

「山部さんはどうして大町の行動のそんな細かいところまで観察してちゃんと覚えていたんだ?それなのにその後、大町に声をかけられて急に立ち去ったのはなぜなんだ?」


 山部先輩は言葉に詰まった。

「あ。うん。えーっと」


 井沢さんは何かを察したようだった。

「椅子並べが終わったというのに近くに大町くんが現れたから『何をしているんだろうな』って気になったのですよね、先輩。そんな人がいきなり声をかけてきたら驚いてついつい逃げちゃいますよね」

「うん、まあ、そんなところかな」

 山部先輩は前髪を直しながらやや照れくさそうに答える。


 俺にはその辺りの女子の心理が分かっていなかった。今後は見ず知らずの女性にいきなり声をかけたりしないようにくれぐれも気を付けたい。


 井沢さんはさらに尋ねる。

「ところで、先輩は他の誰がその黒い物を椅子の上に置くのを見ていませんか?」

「ごめんね。壁に案内用の紙を貼るのに忙しくてずっと壁の方を向いていたんだ。だから誰かが置いたところは見てないんだ」

「そうですか」

 井沢さんは残念そうに言った。


「山部さん、ありがとう。これで僕は大町くんを疑わなくて済むよ」

と吉田先輩がお礼を述べたので、俺も

「ありがとうございます。助かりました」

と感謝を伝えた。



 山部先輩は

「そんなそんな、大したことはしてないですよ。何はともあれ、お役に立てて良かったです」

と嬉しそうな表情で言い、続けて

「目撃者を探すほどって、一体どんな事件があったんですか?」

と尋ねた。

 この人も巻き込まれたのだ。事件について知る権利はあるだろう。


 汐路さんは渋面を作って

「悪質な悪戯だよ。今はそれしか言えない。ただ、このことはくれぐれも他言無用で頼む」

と答えた。山部先輩も状況を察して

「分かりました。友達に話したりしないから安心して下さい」

「ありがとう。遅くまで悪かったな」

「もう帰って良いかな」

「もちろん良いよ。俺からも礼を言わせてくれ。ありがとな」

「じゃあもう帰るね」

 そう言って山部先輩は帰って行った。




 汐路さんは

「これで大町の容疑は晴れた。井沢さんは本物の探偵みたいだったな」

と嬉しそうに言った。井沢さんは

「運が良かっただけですよ」

と答えた。いつも謙虚な井沢さんらしい。


 俺はどう感謝を伝えたらいいか言葉を探した。


 すると井沢さんは

「これは純粋に私の好奇心からお願いしたいのですが、もし差し支えなければ、手紙を見せてもらってもいいですか。これだけ疑われたんから、出来れば事件に巻き込まれた大町くんにもお願いします」

と頼んだ。すると吉田先輩は

「ふたりはもう関係者だから良いですよ」

とあっさり封筒を井沢さんに渡した。


 黒い封筒から2枚の紙を取り出して、井沢さんは手紙を読んだ。

 1枚目を読むのには数分かかっていたが、2枚目は1分くらいで読み終えた。


 井沢さんは手紙を元の順番に重ね直すと、俺に手紙を渡した。


 手紙はやはり2枚のA4のコピー用紙だった。そこには以下のような文章が印刷されていた。



<1枚目>


--------------------------------------------------------------------------------------------------


To whom it may concern,


“Here is neither shepherd nor goat.”


Against your public stance, you made her a scapegoat for such a failure last September.

The smile was gone from her face.

We will never forgive you for what you did.


Kneel down at her feet and make an apology to her until this Sunday.

Otherwise it is your turn to be punished.


               Kaffir Lily

               Kamchatka Lily

               Knight’s Star Lily


--------------------------------------------------------------------------------------------------



<2枚目>


--------------------------------------------------------------------------------------------------


心あたりのある者へ


「このクラスにはリーダーがいないが、だからこそ誰かに負担をかけずに全員で頑張ろう」


そのような建て前に反して、昨年の9月にあなたはあれほどの失敗の責任を彼女に負わせた。

彼女から笑顔が消えた。

私たちはあなたのしたことを決して許さない。


今週の日曜日までに彼女の足元にひざまずいて謝罪しなさい。

さもなければ、今度はあなたが罰せられる番だ。


                   君子蘭

                   黒百合

                   ナイトスターリリー


--------------------------------------------------------------------------------------------------



 俺が見つけた手紙はクイズ研究部の誰かに対する脅迫文だったのだ。


 俺に対する取り調べが厳しかった理由が分かった。


 おそらくパソコンやタブレット端末で作成されて印刷された文章なので筆跡を調べることはできない。

 内容に関しても、具体的にどういう事象に関して誰を脅迫しているのかは文面から分からない。

 それに、わざわざ英語と日本語でメッセージを送ってきた理由も不明だ。


 俺と井沢さんが手紙を読み終えると

「井沢さんはこの文面をどう考えますか?」

と吉田先輩が尋ねた。こんなものをクイズ研究部宛てに送られたのだからさぞかし不安だろう。それで、井沢さんの意見を求めたのだ。

 井沢さんは頭を振ってからこう言った。

「よく分からないですね。わざわざ英文があるのが不思議です。英語と日本語で文章のニュアンスが若干違うのも気になります。もし良ければ写真を撮っても良いですか?ゆっくり考えてみたいので」



 吉田先輩が頷いたので、汐路さん

「良いよ」

と答えた。


 井沢さんは椅子の座面に手紙を広げて、iPhoneで写真を撮った。

「文庫本と封筒も写真に撮って良いですか?」

と尋ねると、吉田先輩が

「どうぞ」

と手渡した。井沢さんは椅子の座面に自分の白いハンカチを敷いて、その上に文庫本と封筒を置いてそれぞれの写真を撮った。椅子の座面が黒いから黒い文庫本と封筒は判別しづらい。それで白いハンカチを敷いて撮影したのだ。


 写真を撮り終えて文庫本と封筒を返すと、吉田先輩は

「誰がこんな手紙と文庫本を残したと思いますか?」

と尋ねた。井沢さんは

「分かりません。ただ、確実に言えるのは椅子並べを手伝った生徒全員が容疑者になる、ということですね」

と答えた。すると汐路さんの顔色は青ざめた。さらに

「小さいカバンみたいなものを身に付けたまま椅子を運んだり、並べたりしている人がいた、と大町くんが言ってました。その中に犯人がいるかも知れないです」

と井沢さんが指摘すると、汐路さんは

「確かにそうだな。リュックとかサコッシュとか持ってる生徒はいた。でも、もうほとんどの生徒が帰っちゃったよ。今からじゃ犯人を探せねえな」

と悔しそうな表情で言った。

「仕方ないですよ。どのみち全員を取り調べる訳にもいかないですし」

 井沢さんは諦め顔でそう言った。




 汐路さんはしばらく落ち込んで思案していたが、やがていつもの表情に戻ると力強くこう宣言した。

「この手紙は部長連として放っておけない。部長連が警備を担当したクイズ研のイベント後に起きた事件だから、部長連が対処すべきだ。代表の桑村さんは演劇部の公演があって忙しいから、代わりに俺が責任者としてこの事件に対処する。井沢さん、大町、手伝ってくれないか」


 ラグビー部の元部長らしい頼もしいリーダーシップは流石だ。

 俺も事件解決のために手伝いたいところだが、実際のところ明日と明後日は自由が効かないので

「別に良いですが、クラスの演劇があるから土日に俺はあまり動けませんよ」

と伝えると

「それでも良い。知恵を貸してくれ」

と汐路さんは答えた。俺の知恵で良ければ、と考えて

「分かりました」

と俺は引き受けた。次に汐路さんは井沢さんに向き合い

「で、井沢さんはどうかな」

と尋ねた。井沢さんは気まずそうに答える。

「あまり気が進みません。それに私はクラスの演劇と文芸部の販売ブースの店番もありますので大町くんと同様に自由に動けません」

「井沢さんに頼みたいのは捜査のために走り回ってもらうことじゃない。集まった情報をさっきみたいに吟味して考えをまとめてくれれば良い。お願いします」

 そう言うと汐路さんは、深々と頭を下げた。その態度に井沢さんも驚いて

「わ、分かりました。出来る範囲で努力してみます」

と答えた。

「ありがとう」

と汐路さんは再び頭を下げた。


「それで、吉田はクイズ研の部員で何か心あたりがある奴がいないか大至急調べてくれ」

と早速、指示を出すと吉田先輩も

「分かった。昨年起きた何事かが原因だから2年と3年だけで良いよね。この手紙と本を持っていって部室で緊急ミーティングをするよ」

と請け負った。

「ああ、頼む。ただし、その本と手紙は証拠品として俺が預かる。明日、持って来てくれ」

と汐路さんが提案すると

「分かった。明日ちゃんと渡す。それじゃあもう部室に行くよ」

と言い、汐路さんは

「何か分かったら教えてくれ」

と言って送り出した。


 こうして吉田先輩と松川先輩は、クイズ研の部室へ向かった。




 汐路さんがおずおずと

「井沢さん、連絡先を教えてもらえるかな」

と申し出ると井沢さんは

「DINEのIDで良ければ」

と応じた。


 それが済むと汐路さんは

「大町はDINEを使ってないんだよな。何か気付いたら井沢さん経由で教えてくれ」

と言うので

「分かりました」

と俺は了解した。



 すると、少し離れたところから

「あの、すみません」

と声がする。生坂さんだった。

「もし良ければ、私がDINEのフォーラムを作りますのでそこで情報共有しませんか。もちろん新聞部で集めた情報も提供します」

という提案があったので

「そういえばDINEにはそんな機能もあったなあ。ビー部の連絡に使ってたのに忘れていた。部活を引退したからだな。フォーラムね。良いんじゃないかな」

と汐路さんがその話に乗った。


 生坂さんは俺と汐路さんに自分の名刺を渡した。名刺には生坂さんのメールアドレスとDINEのIDが書かれてあった。

 井沢さんには名刺が渡されなかった。おそらく生坂さんは井沢さんと連絡先の交換を済ませているのだろう。


 生坂さんが

「今日のうちにフォーラムを作って招待メッセージを贈りますね」

と言うと、汐路さんは

「フォーラムの名前はどうする?〇〇事件捜査本部みたいな名前をつけるのは大袈裟すぎるし不謹慎だよな」

と真面目に答える。俺が

「普通に『文庫本と手紙について』っていう名前はどうかな」

と提案すると、汐路さんは

「人に見せるためじゃないけど、今ひとつピンと来ねえな」

と却下した。確かにごもっともな意見である。



 生坂さんが

「名前をつけるのにさしあたって、私にも手紙の内容を教えてくれませんか。秘密は厳守します」

と尋ねる。流石は新聞部の記者らしい、なかなかしたたかな質問だ。だが汐路さんは

「吉田に無断で人様に教える訳にはいかん。でも協力してもらっておいて何も言わないのはフェアじゃないよな。クイズ研の誰かに対する強いメッセージがあった、とだけは言っておこう」

と上手にぼかして答えた。

「差出人は誰からなのですか?」

「誰なのかさっぱり分からん。なんとかリリーって3つの花の署名があった。そうだったよな、井沢さん」

 急に話を振られた井沢さんは

「はい。その通りです。3種類の花の名前が署名として書かれてました」

と即座に答える。

 生坂さんが

「3種類のリリーですか。それでしたら、3本の百合事件、なんていうのはどうでしょう」

と提案すると、汐路さんは

「なるほど。まあ、それで良いだろう。3本の百合事件、っていう名前ならあまり強い言葉じゃないしふざけた名前でもない。それで決まりだな」

とあっさり採用した。そうして、生坂さんが

「それでは今夜のうちに『3本の百合事件対策チーム』という名前のフォーラムに招待しますのでお願いしますね」

とフォーラム名を決めた。


 すると

「すみません。僕もそのフォーラムに入れて下さい。井沢さんの助手です。それに自治委員なんで情報も集めます。お役に立てると思いますが」

と闖入者が現れた。


 文芸部の須坂だった。


 そういえばさっきから近くで様子を伺っていたのだった。

 自分の嫌疑を晴らすのに精一杯で気にも留めなかったのだが。


 汐路さんは

「文芸部の須坂か。切れ者なのはクイズ大会で十分に分かった。井沢さんのサポートをしてくれるなら加わってもらうとありがたい」

と意外にもあっさり仲間に引き入れた。


 俺はクイズ大会での須坂の活躍をほとんど見ていないが、大会をずっと観戦していた汐路さんがそう言うのならば頭の切れる男なのだろう。それに普段から井沢さんの助手をしている人ならば信頼して良いだろう。そう考えた。


 他の者からも異論は出なかった。


 こうして、汐路さん、井沢さん、生坂さん、須坂、俺、というメンバーからなる「3本の百合事件対策チーム」が発足した。


 これで話が終わりかと思っていたが、そうではなかった。


「新聞部からもひとつ提案があります。号外を出して目撃者を募るのはどうでしょうか」

と生坂さんが切り出した。汐路さんは頭を振って

「いいや、それは良くない。事件をあんまり表沙汰にしたくないんだ」

と反対し、井沢さんも

「それに犯人にしか知り得ない情報も隠さないといけませんよね」

と汐路さんに同調した。

 生坂さんは

「そうですか」

とややしょんぼりした表情で答えた。


 すると今度は大滝先輩が

「それだったら『落とし物』として扱ってはどうでしょう。落とし主や誰かが置いたところを見た人がいないか募ることも出来ますよね」

と別の提案をした。汐路さんはしばらく思案してから

「まあ、それなら大丈夫かな」

と答えた。

「それでは、その方向で号外の準備をします」

 生坂さんは明るい表情でそう言った。




「せっかくなら、こちらにも『切り札』がいることを書いたらどうでしょうか」

 須坂がよく分からないことを言い出した。生坂さんが

「どういう意味ですか?」

と尋ねる。もっともな質問である。俺も同じ質問をしたかった。

「さっきまでの大町くんの一件をほのめかして、こちらには『無実の人を救った知恵の持ち主』がいる、ということを伝えて犯人にプレッシャーをかける、ということです」

 須坂はあっけらかんとそう答えた。


 須坂の提案は事態を大ごとにしてしまうのでは無いだろうか。

 案の定、井沢さんが

「それはやめて。今回は運良く上手くいっただけだから」

と止めに入った。だが、生坂さんは

「それは面白そうですね。大町くんも井沢さんも名前を出しませんが、起こったことを記事にしても良さそうです。緊迫した状況をうまく解決したのだから書かないのはもったいない」

と乗る気だった。さらに汐路さんまでも

「そうだな、確かにあの手腕の持ち主がこちらにいることを隠すのはもったいない。怖気付いて犯人が名乗り出てくれるかも知れないし、良いんじゃないかな。ただし、第一発見者の大町のことを疑った俺と吉田のことも絶対に匿名にしてくれよ」

と須坂のアイデアに賛成してしまった。

「分かりました」

と生坂さんが嬉しそうに答えると、井沢さんは

「えっ、記事にするのは決定なんですか。うーん。だったらせめて、絶対に私だと分からないように書いてね。さっきのはまぐれ当たりしただけだから」

と最後の懇願をした。生坂さんは

「約束します。架空の名前として探偵さんっぽいネーミングを考えておきます」

と請け負った。

 井沢さんはがっくりと肩を落とした。


 元はと言えば俺が井沢さんを巻き込んだのだ。何かトラブルがあった時には俺が井沢さんを守る盾になろうと心に決めた。




 こうして諸々の段取りが決まると、解散となった。



「井沢さん、今日はもう遅いから家まで送って行くよ」

「ありがとう。うちと大町くんの家は離れているけど良いの?」

「ああ、大丈夫だ」

「分かった。お願いします。私は着替えてくるから教室で待っていて」

 そんな風に段取りを決めてから井沢さんと別れ、更衣室で制服に着替えた井沢さんと教室で落ち合った。


 井沢さんはiPhoneの画面を見せて

「もうフォーラムの招待が来たよ。生坂さんは仕事が早いね」

と言った。

 一緒に教室を出る。


 昇降口で靴を履き替えて校舎脇の通路を通って前庭に出た。

 正門の周りにはたくさんの立て看板が設置されていた。明日と明後日に体育館で行われる2年生のクラス演劇の宣伝用のものだった。

 ベニヤ板の上に文字や絵を書いた紙を貼った物が多い。

 雨が降ったら濡れてしまうから大変だ。しかし、先ほど天気予報アプリで確認したら週末は晴れそうなのでその心配はなさそうだ。

 

 立て看板の向こうに桜の木々が見える。9月だから花は咲いていない。

 俺の暁月高校での学校生活は入学式の日に見つけた桜の幼木とそこでの遥香さんとの出会いから始まったことを思い出す。


 あの幼木が植樹されたのは確か昨年だったはずだ。


「井沢さん、ちょっとここで待っていて」

 街路灯で明るく照らされた正門の近くで井沢さんに待っていてもらって俺は桜の幼木を探すために前庭を走った。


 真っ暗な前庭の中をiPhoneのライトで照らしながら桜の幼木を探す。

 記憶だけを頼りにした捜索であったが、しばらくして目当ての幼木が見つかった。

 その脇にはこう書かれた札が立っていた。


「友愛の桜 20XX年 2年生有志一同」


 俺はその札の写真を撮ると正門に戻って、井沢さんに

「ごめん。待たせたな」

と声をかけた。

「事件についてもう何か気付いたの?」

と井沢さんが尋ねる。

「いや、おそらく関係ない。でも、ちょっと奇妙なんだよ。入学式の時に見つけたんだけどね。歩きながら話そう」

 俺はそう答えて、井沢さんと一緒に駅へ向かう長い下り坂をゆっくりと歩き出した。




(続く)

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