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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
32/63

【28】屈辱の騎士と笑顔の女王

 朝、6時半に目覚ましが鳴る。

 私、井沢景はいつものように目覚める。

 今日はいつも以上にベッドから出たくない。

 何と言っても、今日は高校の体育祭、つまり暁月祭の1日目なのだ。


 私は昔から運動が苦手で、運動会やスポーツ大会のような行事は嫌で堪らない。

 昨夜も早めに就寝したにも関わらずなかなか寝付けなかったので、今朝はまだ眠い。

 今日は一日中、グラウンドに出て体育祭があるかと思うと、熱でも出ていないかと自分で額を触ってみるが熱くはない。

 仕方がない、起きるか。


 今年はまだマシなのは、暁月高校の体育祭には私のように運動の苦手な生徒のための競技もあり、クラスのみんなも私が運動を苦手なのを知っていて、その手の競技にエントリーすることを許してくれたことだ。

 「借り物競走」には私と違って持病のため医師から激しい運動を止められている高岡泉さんも一緒に参加する。

 大病を患った子と一緒に扱っていただくのは申し訳ないのだが、普段の体育の授業や春の球技大会での私のダメっぷりを見れば、皆さん納得してくれていると思う。


 問題なのは、直前になって当たり前のように付け加えられた種目。

 これも断れない立場だから出るしかないのだが、そのせいで今からお腹が痛い。

 着替えて食卓に着くと既に私の朝食は出来ている。

 両親も私の運動神経の鈍さは知っているから、体育祭だからと言って、気合いの入る朝食を用意しているわけではない。

 いつもと同じだ。

 お弁当だってそうであろう。

 

 暁月際の体育祭は平日の木曜日に行われるので父兄の観戦は出来ない、完全な学内行事だ。

 幼稚園・小学校・中学校と私が運動会で無様な姿を見せ続けてきた両親は、今年からはその苦行から解放されるので良かったと思う。

 父も既に朝食を取っているが、体育祭は話題にのぼらない。

 ありがとう、お父さん、お母さん。


 たわいも無い雑談をしながら朝食を取ると、そそくさと出かける準備をして、家を出る。


 徒歩でしばらく歩くと、私鉄の府島線の伊那川(いながわ)駅に到着する。

 中府(なかくら)駅方面のホームに行くとそこには同じクラスの大町篤くんがいた。

 大町くんは同じ伊那川中学出身なので通学路が同じなのだが、バスケ部に所属しているため毎日のように朝練と夕練があり、普段は行きも帰りも通学中に会う事はない。

 学祭前から体育会系の部活は活動休止というお達しが、生徒会・自治会・部長連から出ていたから体育会系の中でも一番練習が厳しい部活であるバスケ部も練習が休みなようだ。


 大町くんは恐らくiPhoneからイヤホンで音楽を聴きながら文庫本を読んでいる。

 彼はバスケ部のレギュラーであり、うちのD組ブロックのアームレスリングの代表選手でありながら、読書家であったりもするのだ。


 読書の時間は何人たりとも邪魔をするべからず、というのが私のモットーなので私はホームの大町くんから少し離れたところで電車を待つことにした。

 私は集中すると電車の乗越をしてしまったりするので、要注意なのだ。

 電車を待っているホームでの読書でも乗り損ないにつながる恐れがあるから、鞄に入っている伊坂幸太郎の「ホワイトラビット」は電車に乗ってから読もう。


 そう思って、ホームに立っていると、

「井沢さん、早いね」

と私を見つけた大町くんが鞄に文庫本をしまい、イヤホンを外しながら私の方へ近づいてくる。

 忘れてた、大町くんは視力がいいんだった。


 私の元に到達した大町くんに

「大町くんこそ、朝練がないのに早いね」

と伝えると、

「ああ、今朝、朝のホームルームの前にリレーの練習をする予定でな」


 そうそう、大町くんは背が180cm以上あってガッチリしているのだけれど、足も速くて、クラス対抗の400mリレーに参加する。

 うちの中学では学業成績でも足の速さでも一番だったのに、大町くんよりも勉強ができたり、足が速かったりする生徒がいるところに中府市内の進学校の凄さを感じずには居られなかった。


「リレーの選手は大変だね」

 他人事だとはいえ、人より余分に多い種目に出てくれる選手に感謝してやまない。

「まあ、今回は陸上部の国師が鬼になっててな、球技大会の時の上田みたいに。バトンリレーさえ上手くいけば4人の合計タイム的には優勝できるメンバーが揃っているらしいぞ」

 大町くんは冷めているようで熱血なんだな。


 そんなことを話していると、ホームに急行電車が走ってくる。

 これに乗ってさえしまえば中府駅までノンストップで10分余り。

 中府市内の端っこに住んでいる生徒より実は便利だったりするのだ。


 ただ問題は、この急行列車の混雑。

 私はいつもラッシュアワーを避けて敢えて早めのこの電車に乗っているのだが、それでも日によって満員電車になる。

 主に隣の県から中府市内に出勤する会社員風の人たちが多い。

 今日の電車は、、、ハズレだ。混んでる。


 これに乗れないと次の電車まで随分待たないといけないし、後の電車の方が確実に混むだろうから、私は覚悟を決めて乗り込む。


 「よし行くぞ」

と大町くんが先陣を切る。


 満員電車の中で私一人が入るくらいのスペースを作ってくれて、

「井沢さん、ここ入れるよ」

と招いてくれた。


 この人は、いつもこうやって小柄な女性やお年寄りのために体を張っているんだろうな。

 やっぱりカッコいいよ、大町くん。


 あと、顔が近い。

 マジマジと見るとお互いに照れるから、体を反転させて大町くんに背中を向けて、雑談した。


 最近、読んだ本の話。

 私が今読んでいる「ホワイトラビット」が面白い展開になってきた、という話。

 私が出場する「借り物競走」では「〇〇な人」を借り走らされることもあるようで、困ったらクラスのところへ来て一緒に考えればいい、というアドバイスも貰った。

 上田くんは「〇〇な人」で「かわいい女子」というお題が当たる可能性にかけて借り物競走に出場するのだ、という実に上田くんらしい話も聞いた。


 そんな話をしながら、中府駅まで到達、そのまま流れで地下鉄にも乗る。

 地下鉄は府島線よりも混雑していたが、数本やり過ごして、大町くんのエスコートにより、なんとか楽に乗ることができた。


 地下鉄は20分ほど乗るので、もう少し落ち着いた話をした。

 やっぱり気になっているのは、クラスの演劇「Round Bound Wound」の仕上がり具合。

 途中の光駅で客の数が減り余裕がでると、大町くんが台本を取り出して、何ヶ所かチェックしてあった部位の戯曲の解釈、演出について質問を受けた。

 当然、舞台監督である川上くんには照会済みなんだろうけど、私の意見も聞いてみたいそうな。

 ホント、真面目だね。

 私は私の中にある解釈や裏設定やギャグの元ネタらしきものをそのまま伝える。

 どれも真面目に聞いてくれた。


 大町くんの質問がおおかた終わると、目的の駅に到着したので、下車して高校へ向かう。


 地下鉄の駅から高校までの道のりは、大きく分けて二つの道順がある。


 一つは私がいつも使っている、入学式でも案内された広い道路の歩道を歩いて行くルート。

 今日もたくさんの生徒が歩いている。


 もう一つは駅で一旦高校とは反対側へ進んで、少し回り道をしながらやや細い散歩道を歩くルート。 

 こちらは暗黙の了解で、学内カップルのみが通ることになっている。

 今日も数組のカップルがそちらのルートへ向かっていた。


 私たちは勿論、前者のルートを歩く。

 だから、多分、誰にも誤解を受けない。

 たまたま一緒に暁月高校を受験しただけで、伊那川中学の大町篤ファンクラブから恨まれたトラウマがまだ残っているので、大町くんがらみで女子から変な誤解を受けてしまうことだけは避けたい。


 すると、自転車に乗った川上くんが現れて、

「よっ、おふたりさん」

と冷やかす。

 救いの神ありである。


 その後は、自転車を引いた川上くんも含めて三人で先ほど話題になった「Round Bound Wound」の演出ポイントについて話し合った。

 川上くんの解釈はもう一段階深く、大町くんも、私も唸らされた。

 この人、いつもこんなに真面目なことを考えていたんだね。


 にしても、川上くんはサッカー部の練習着で登校している。

「え?学祭中は必要ないでしょ?制服なんて。

 体育祭もこのまま出場するよ」

とのこと。

 体操服すら持ってきていないらしい。


 とことんカオスだな、うちの高校は。


 


 教室に着くと、国師くんと古賀くんはすでに体操服に着替えていて、スタンバイOK。

 大町くんも部室に寄って着替えてきたら、鞄を置いてすぐに川上くん共々、リレーの練習に向かった。


 朝のホームルームまでに着替えないといけないので、すでに混雑している更衣室で体操服とジャージに着替えて席に着く。

 すると、ひかりちゃんや高岡さんも教室に現れて、更衣室に向かう。


 

 

 時間になると、息咳切らせた、男子リレーメンバーが戻ってくる。

 当日の朝に練習しすぎではないだろうか?

 それとほぼ同時に担任の沢野先生が教室に現れる。


「皆さん、おはようございます。

 欠席者はないようですね。

 今朝はいい天気です。

 先日の大雨でグランドが水浸しになり、今日の体育祭を延期するかどうかを随分議論しましたが、体育の先生方と体育祭実行委員の皆さんの熱心なグラウンド整備により、安全に体育祭を開催できる、との判断が下りました。

 皆さんもクラスの体育祭実行委員のおふたりにお礼を言いましょう」

と体育祭中止をこっそり願っていた私にとっては残念なお知らせが入った。

 とはいえ、みんなで実行委員のお二人に労いの言葉と拍手が送られた。


「皆さんの中で、今日の出場に支障のある方はいませんか?

 無理しないで申し出て下さい。

 まだ暑い中、一日中屋外での観戦ですので、気分が悪くなった方は適宜、保健委員に申し出るように」

との連絡もあった。

 優しいな、沢野先生。


 すると、次には黒板にグラウンドの略図を書き、1年D組の座席を指し示した。

 1周が400mのトラックの周囲に座席を設けているのだ。

 無論、椅子は教室から各自持っていかないといけない。

「うちのクラスはこの一区画です。

 隣に3年D組、反対側の隣に2年D組、とブロック毎に固まって応援してもらうことになります」


 そういえば、ブロック対抗の種目もあるからその方がいいよね。

 1年生を2、3年生が挟んでいるという護送船団方式にはきっと意味があるのだろう。

 激しい応援合戦で隣とトラブルを起こさないように1年生を守っているとか、そんな配慮だろう。


 そういえば、みっちり準備を行う文化祭と違って、体育祭ってぶっつけ本番だな。

 何度も何度も入場行進の練習をさせられた小中学校の時に比べたらここは楽園だ。


 みんな適宜、荷物や椅子を持って移動する。

 女子の数が少ないのもあって、全員の女子の椅子は男子が運んでくれた。

 私の椅子は丁度席が近かった剣道部の横手くんが運んでくれた。ありがとう。


 さて、クラスの席に来てみると、レディーファーストとばかりに女子の椅子が前の方に整然と並べられて後ろに男子の椅子が無造作に並べられた。

 やっぱりうちの高校はカオスだ。


 他のクラスが大体応援席に陣取った時に、案内の放送が流れた。


「体育祭、開演まであと5分です。

 体育祭実行委員の皆様は所定の持ち場について下さい」

 うちの高校には放送部はないため、放送委員の有志による実況が行われる。

 体育祭実行委員は進行役・雑用に追われるとのことだ。

 放送委員だって体育祭実行委員だって自分たちも心底体育祭を楽しみたいだろう。

 それでも、あえて、縁の下の力持ちになるべく立候補してくれる生徒がいることを私はこの高校の誇りだと思いたい。


 開演を待っていると、右隣の3年生の席からひとりの生徒が前に出てきてサポーターをつけた右手を天に掲げて静聴を促す。

 皆が雑談をやめる。

 汐路団長だ。

「みんな、気合い入っているか?

 今日は一日、D組ブロックが一つになって頑張ろう!

 頑張っている仲間はみんなで応援しよう。

 全力を出して勝った奴はみんなで讃えよう。負けた奴はみんなで労おう。

 とにかく、全員、怪我のないように、、、って俺が言っても説得力ねえな」


 笑いが起きる。


「せっかくこうして一緒に椅子を並べてるんだ、1年だとか2年だとか関係なく、みんな仲良くなって互いの健闘を称え合おう。

 じゃあ、始まる前に気合い入れるぞ、えい、えい、おーーーーー!」


 皆も叫ぶ。

「えい、えい、おーーーー!」


 汐路団長は右手で親指を立てると下がって行った。


 汐路団長は本当に出場に間に合わせたんだね。

 心なしか大町くんもホッとしているように思える。



 5分経った。

「それでは、時間になりました。

 開会式を始めます。

 選手入場です。

 選手の皆さんは入場して下さい」

というアナウンスが入る。

 

 入場と言ったって、入場の練習なんてしてないけどどうするの?


 私たち1年生が戸惑っていると、2、3年生は次々と三々五々、ブロックごとに決められた場所にならぶ。

 トラックの真ん中のフィールドにブロック毎にまとまっていれば良いようだ。

 うん、好き、こういうカオスなの。

 私は後ろの方で2年生や3年生の先輩たちに囲まれた。


 私の体操着の名札を見た3年生の女子の先輩が話しかけて来た。

「井沢さんは何に出るの?」

「借り物レースです」

「へえ〜。あれ楽しいから良いよ。良いお題に当たると良いね」

 そうなんだ、上田くんの読みは正しいんだね。


 他のブロックも戸惑いながらきちんと、入場できた。


「それでは、開会式を始めます。

 まずは、開会の辞です。

 体育祭実行委員長から一言挨拶させていただきます」


 よかった、校長先生じゃない。


「皆さん、おはようございます。

 本日は晴天に恵まれました。

 今から暁月高校の体育祭を始めます。

 現時点をもちまして、今年の暁月祭を開幕します。

 文化祭の準備の疲れもあるだろうと思いますが、皆さんくれぐれも怪我には気をつけてください。

 そして、正々堂々と戦いましょう。

 以上をもちまして、開会の辞とさせて頂きます」


 うん、挨拶は短いに限る。


 その後、準備運動として、ラジオ体操を行い、散開となった。

 帰りは入場時以上にバラバラで各ブロックの席についた。


 後ろの方では、汐路団長が大町くんと歓談している。

 あの2人、本当に仲良さそうだな。



「じゃあ行ってくるよ!」

「じゃあ、応援よろしくっ!私、勝ってくるから」

とクラスの先陣を切った川上くんと女子サッカー部の小海さんが100m走に向かう。

 川上くんも小海さんもジャージを脱いで短パンになっている。

 2人とも真剣な証拠だ。


 100m走って体育祭の花形競技をいきなり最初の種目にするところが凄い。

 駆けっこなんて私には縁のない競技、、、じゃないんだった。お腹痛い。


 上田くんが

「よし、川上と小海さんの応援に行こうぜ」

と大町くんたちを誘っている。

 

 ひかりちゃんも

「川上くんと小海さんの勇姿を観に行かないと」

とクラスの女子を引き連れている。

 私も誘われる。


 なら、高岡さんも、と彼女を探すと後ろの方で見知らぬ女子生徒、体操着の色から2年生とわかる、と話をしている。


「高岡さん、100m走の応援に行かない?」

と私は一応声をかける。

「はい、行きますが、私は新聞部員として写真を撮りに行くので、大滝先輩と一緒に行きます」

と意外な返事。

 横にいた女子の先輩は大滝先輩というのか。

 よく見ると、高岡さんも大滝先輩も「新聞部」という腕章をつけている。


 すると、

「初めまして、私は新聞部2年で部長の大滝晴美と申します。

 泉ちゃんは先輩って言ったけど、私、中学の同級生なの。

 新聞部は暁月祭の記録が大きな仕事だから、期間中は泉ちゃんを借りることが多いと思うけど、許してね」

と事情が説明された。


 高岡さんは病気のため、1年遅れて高校に入学しているため、2年生に元・同級生がいてもおかしくないんだな。

 今更ながら気づいた。


「じゃあ、気をつけてね」

と高岡さんを送り出した。


 

 私は上田くんや大町くん、安住さんと一緒に100m走のゴール地点で応援しようと向かった。


 ところが、時すでに遅く、もうゴール前は人でごった返していた。

 新聞部の部員はちゃんと部員特権で一等席を与えられており、高岡さんがカメラを構えていた。

 

「これじゃあ、見えねえなあ」

と上田くんが半ば諦めつついると、


「どうした、こんなの毎年だぞ」

と汐路団長が現れ、大町くんと肩を組んでいた。


「おーい、ちょっと道を開けてくれ。

 俺たちD組にも応援する権利がある」

と前の集団に声をかける。


 振り返ったみんなは、

「うわ、汐路先輩だ」

「横にいる奴が大町だぜ」

と口々にこぼし、自然と道が開けた。

 まるで「モーゼの十戒」のようだ。


 汐路団長、学内全土に影響力が届いているのね。


 小声で

「どうもすみません」

と口々に言いながら、私とひかりちゃんは割れた人海を進み、最前列に出た。

 私たちの後ろには上田くんと汐路団長、その後ろに一番背が高い大町くんというメンバーが陣取った。

 クラスの他の子達はコースの横から応援することにして移動していた。


 まずは、1年生男子。


 汐路団長は

「D組の川上ってのは速いのか?」

と尋ねる。

「クラスでは陸上部の国師の次のタイムです」

と上田くんが答える。

「そうか、ならば、悪いが、ビー部の南木(みなぎ)翔大(しょうた)の方が速いぞ。

 あいつは白川中学時代は陸上で短距離やってたのを俺がスカウトして今や快速ウィングとしてうちのエースになってる」

と汐路団長はさらにライバルの情報を加えた。

 南木くんという人はきっと大町くんのように強烈なスカウトを受けたんだろう。

 すると

「白川中出身のB組の南木くんなら確か小中一緒ですが、運動会の徒競走で負けなしです。

 川上くんはいつも負けていたイメージがあります」

とひかりちゃんが答える。ひかりちゃんも白川中学出身なのだ。

「へえ〜、クイズ戦士の安住さんも白川中学出身なんだ!

 俺も白川中学だぞ」

とまさかの同じ中学宣言。


 凄い中学には凄い人が集まっているんだね。



 そんなことを喋っていると、選手がスタートの体制に入る。


 遠くから聞こえる。

「位置について」

 全員がクラウチングスタートの体勢に入る。

「よーい」

 パーン!とスターターピストルが鳴る。


 スタートでいきなり飛び出したのは第2コースの南木くん。

 第4コースの川上くんもなかなかのいいスタートだと思う。


 その後ぐんぐん2人は加速して近づいてくる。


「川上〜行け〜」

と上田くん、大町くん、そして人一倍大きな汐路団長の声が響く。

 コースの横からもクラスの女子から

「川上くん、頑張って!」

と声援が飛ぶ。


 いつもだったらデレちゃうんだろうけどな。

 真剣になった時の川上くんを初めて見た。

 全身を鞭のようにしならせて、一心不乱に腕と脚を動かし前へ前へと推進する。


 それでも南木くんにはどうしても体半分追いつかない。


 と思ったら、第6コースから別の生徒がゴールに飛び込んでくる。

 三者混戦でフィニッシュ。



 結果:川上くんは3位だった。スタートからずっと2位だったが最後に躱された。

 優勝は、B組の南木くん。

 ガッツポーツをしてウィニングランをしている。

 この人もラグビージャージ姿だ。


 走り終わった後の川上くんの姿を見た上田くんが

「今はそっとしておいてやろう」

とぼそっと呟いたので、川上くんは静かにそのままフィールド内の、レース後の選手が控える場所で着順の通り並んだ。


「お前、いいこと言うな」

 汐路団長が、上田くんの肩を軽く叩いた。



 さて、お次は1年生女子。


 優勝宣言をした小海さんの出番だ。


「女子の代表は速いのか?」

と汐路団長が訊いてきたので、

「はい。体力測定の100m走のタイムなら陸上部員を入れても学年でトップです」

と情報通のひかりちゃんが答える。


「よし、じゃあ、全力で応援してやろう」

と声を出そうとすると、ゴール前の集団の中から

「きゃー!小海さ〜ん!頑張って〜!」

と言う黄色い声援が飛ぶ。


 小海さんって女子のファンが多いのね。

 これには汐路団長も驚いたと見えて、

「よし、俺らも負けるな。

 フレー、フレー、こ・う・み!

 フレ、フレ、こ・う・み!

 フレ、フレ、こ・う・み! わーーーーー!」

と上田くんと大町くんと即席応援団を結成していた。


 それには気づいたようで、スタートラインに立つ小梅さんは、私たちに向かって笑顔でVサインを作ると、セットに入った。


「位置について

 よーい」

 パーン!スターターピストルが鳴る!


 小海さんの身体が弾丸のように飛び出す。

 南木くんのような力任せの加速ではないが、まるで風に乗るように滑らかに加速して、最後は若干流し気味にゴールした。


 圧勝だった。


 レース中は女子生徒たちの

「きゃー」

という黄色い声援だか悲鳴だかが鳴り響いていたが、そんなものは耳に入らなかったかのような静かな佇まい。

 それはまさに「女王」の風格、というものだった。

 

「確かに凄かったなあ。

 よし、じゃあ、安住さん、この団旗を小海さんに渡してやってくれ。

 今からウィニングランだから」

と汐路団長は丸めたD組ブロックの団旗を手渡した。


 小海さんは満面の笑みで団旗を受け取ると、オリンピックで金メダルを取った陸上選手が国旗をはためかせてウィニングランするように、トラック一周をゆっくり走って回った。


 小海さんの行く先々で黄色い悲鳴が上がった。

 

 私の同級生はこんなにも凄かったのか。

 驚いた。


 1年生のレースが終わったので、自分たちの場所を2年D組の先輩たちに譲り、残りのレースはコース横から観戦した。

 ひかりちゃんの話では、小海さんは小学校の頃からクラブチームでサッカーをしていて、高校進学時にサッカーや陸上でのスカウトもあったようなのだけど、幸いにも学業成績が良かったので、普通に入学試験を受けて進学することにし、女子サッカー部のあるうちの高校を志望したのだそうだ。

 実際、ひかりちゃんほどではないけど、小海さんは学業成績も優秀だ。

 中府市内には私立高校を含めて考えても学業とスポーツの両方で彼女にとっての十分なサポートのできる高校がないのが残念なのよ、とひかりちゃんは言っていた。

 サッカー部では一年生ながら入学時からフォワードのレギュラーで、チームの点取り屋なのだそうだ。

 時々男子サッカー部の練習に混ぜてもらっていて、ディフェンダーの川上くんはよく練習相手をしているそうな。



 2年生、3年生もD組に優勝者はなく、100m走は終わった。




 川上くんと小海さんは部活対抗リレーにもクラス対抗リレーにも出場するので次も頑張って欲しい。


 中学時代からのライバルにまたもや負けて悔し涙を流していた川上くん。

 圧倒的な勝利で全校生徒に「女王」が君臨する姿を見せつけた小海さん。

 

 2人の姿に私は感動した。

 正直、スポーツを見ていて、涙が出てきたのは生まれて初めてのことだと思う。

 

 気づいたら、緊張してお腹が痛いのが消えていた。

 その代わり、今まで私が味わったことのない高揚感に包まれているのを感じた。




(続く)

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