【18】言語化不可能な脆く儚きもの
あるお盆休みの日の夜に、俺、大町篤は、高校の入学式で出会ってからずっと憧れていた諏訪遥香先輩と2時間もチャットで会話をした。
楽しかった。
諏訪先輩と一緒に映画を観に行く約束までしてしまった。驚きだ!
その別れ際に(という表現で正しいのだろうか?)、諏訪先輩が俺に1つの問題を出した。
水平思考パズルというものだ。
<問題:「雨の日の少女」>
ある日、両手に荷物を持った1人の少女が学校から帰ろうとすると、雨が降ってきました。
そこで1人の少年の傘に入れてもらい、家まで送ってもらいました。
翌々日から少女は常に折り畳み傘を持ち歩くようになりました。
なぜでしょう?
10個の質問をして答えを得た。そこから推測されるストーリーを答えるのである。
俺はチャットスペースの使い方を十分に理解していないから、後から過去のログを参照することが出来ないかも知れないという不安があった。当然ながら全てを記憶する自信もなかったので退室する前に手書きで問題と質疑応答を書き留めた。
改めてそのメモを読み返す。
質疑応答は以下の通りであった。
【れぶりん】:
その雨の日に少女は傘を持っていましたか?
【日輪草】:
いいえ。
【れぶりん】:
その少年と少女は元々仲が良かったですか?
【日輪草】:
いいえ。
【れぶりん】:
少女が帰ろうとして雨で困った時、その少年以外の人はいませんでしたか?
【日輪草】:
いいえ。
【れぶりん】:
少女の家と少年の家は近所でしたか?
【日輪草】:
関係ありません。
【れぶりん】:
その少女には「その少年の傘」に入れてもらう理由がありましたか?
【日輪草】:
はい。とても重要です。
【れぶりん】:
その少女は背が高く、その少年だけが少女よりも背が高かったですか?
【日輪草】:
質問が2つになってるから、本当は駄目です。
でも大目に見てあげる。両方とも、はい、です。
【れぶりん】:
送ってもらった時、少女は不愉快な思いをしましたか?
【日輪草】:
いいえ。
【れぶりん】:
送ってもらった後、少年と少女は仲良くなりましたか?
【日輪草】:
はい。
【れぶりん】:
送ってもらった後、少年と少女は一緒にいたり、遊んだりするようになりましたか?
【日輪草】:
いいえ。
【れぶりん】:
少年と少女は一緒にいると不都合が生じますか?
【日輪草】:
はい。とても重要です。
れぶりん、というのは俺のハンドルネームだ。なぜその名前を選んだのかについては触れないでおく。
日輪草、というのは向日葵の別の呼び方で、諏訪先輩のハンドルネームだ。
俺はこのハンドルネームを選んでくれてとても嬉しかった。
俺と諏訪先輩を出会わせてくれた花は桜だが、親しくさせてくれたのは向日葵だからだ。
日輪草、という文字を見るだけで、俺は胸が高鳴るのがわかる。
その晩、ベッドで横になって夜中の1時過ぎまで考えていたが、なんとなく分かってきた。
チャットと水平思考のし過ぎのせいか、興奮している割には静かに寝入ってしまっていた。
朝早くに目覚めると、どうも眠りながら考えていたようで、考えがまとまっていた。
そのアイデアを忘れないようにすぐにdynabookのWordを開いて、思うがままに書き留めた。
そうしたアイデアの断片だったメモをひとつのストーリーにまとめ、文章を直したり論理が跳躍しているところを補ったりして思案を重ね、ようやく回答が完成した。
ちょうど良い時間になったので1階に降りて両親と一緒に朝食を取った。
我が家の朝食は和食だ。俺が一杯目のご飯を食べ終えて自分でおかわりをしていると、ちょうど姉貴が自室からやって来て、「はい」と自分の茶碗を差し出した。
ついでにお願い、ということらしい。
黙って装って姉貴に渡す。
こうして姉貴の分の給仕をするのはいつものことだから丁度いい量だったらしく、珍しく姉貴が笑顔で「ありがと」と答えた。
昨夜も俺が起きている間、姉貴はまだ起きて勉強しているようだった。
これでも勉強をしている時にはかなり集中しているらしく、姉貴の部屋からは物音はほとんど聞こえてこない。夜中に目覚めた時に喉が渇いていて水でも飲もうと1階に降りる際には、姉貴の部屋から明かりが漏れているのをよく目にする。
受験勉強を頑張っているのは良いのだが、くれぐれも体を壊さないでいて欲しい。
姉貴は玲成高校の3年生で理系クラスのようだが、学業成績や志望校は俺に教えてくれない。
両親は女の子だから自宅から通える地元の大学に行って欲しいと望んでいるようだが、本人はどう思っているのか俺には正直計りかねる。
気づいたらすごい大学に入学していても不思議じゃないし、何事もなかったかのように浪人していても不思議じゃない。
姉貴が必死に努力していること、そして、それでも俺のことを気にかけていることを知っているので、普段の気晴らしであろう俺の部屋への突入と無茶ぶりくらいは許してやろうと思っている。
朝食を取り終え、部屋に戻って、最新のNBL(北米バスケットボールリーグ)の試合の配信動画を観ながらリラックスしていると、ドアがノックされて姉貴が入って来た。
「あんた、昨日は遅くまで何やってたの?」
と一切の前置きもなしに早速、本題に入った。
「チャット。学校のホームページで無料で出来るんだよ」
と答えた。嘘はついていない。
「そうなの?面白そうなサービスをやってんのね、暁月は!うちの高校とは発想が違っていて面白いね」
と珍しく褒められた。
俺の通っている暁月高校は中府市内の新設校で、姉貴の通っている玲成高校は同じ中府市内では一番と評される伝統のある名門校である。
暁月高校は新しい学校ということもあって生徒の自主性を尊ぶ自由奔放な校風で、それに加えて公立高校の中ではバスケ部が強い。その独特な校風と強いバスケ部に惹かれたので俺は姉貴の通っている玲成高校ではなく暁月高校に進学した。
姉貴から玲成高校がどんな学校なのかを聞いたことがないのだが、伝統校だけあって何かと保守的なのだろうとは予想している。
姉貴がうちの高校を褒めてくれたのに釣られて
「ああ、昨日も学祭準備とか部活のミーティングとかで盛り上がっていたよ」
とうっかり答えてしまった。姉貴は間髪入れずに
「じゃあ、見せてよ。興味あるから」
とやっぱり突撃してきた。
「う、、。え~っと。今は朝だからあまりやっていないと思うけどな」
と過去のチャットの記録は映さないように工夫して、
「ほらね、どこもやってな、、、いや1つだけ、やってるぞ」
と唯一使われているそのチャットルーム確認した。
思わず二度見した。
ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!
時刻 :16時から
メンバー:自由 (32人)
備考 :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!
あいつら徹夜で続けてたのか!
32人も残ってる。
俺の肩越しにdynabookの画面を覗き込んで、そのチャットルームの表示を凝視した姉貴は
「何これ?『16時から』って、昨日の夕方から徹夜で議論してんの?
あんたの学校の生徒は、何?馬鹿なの?
はっはっは、お腹痛い」
と爆笑した。
呼吸が出来なくなるんじゃないかと思えるほど笑い続けた。
笑い過ぎである。
かくいう俺もお腹がよじれるほど痛い。
しばらく爆笑し続けた姉貴はなんとか呼吸を整えてから
「あっ、わかった!あんたもこれに参加してて、寝落ちしたんでしょ。あんたも一丁前に色気付いてきたのね。私も安心したわ。
で、どんな子が人気だったの?」
と勝手に誤解して、さらに問い詰めて来た。
ここで俺は岐路に立たされた。
選択肢は2つあった。
(1)「実は好きな女の子とふたりっきりでチャットしてました」と正直に報告する。
(2)「ルーム3で傍観してました」と嘘をつく。
後々のめんどくささを考えると、迷わず(2)を選ぶしかない。
だが、嘘をつくのはダメだ。
仕方なく何となくの答えを探ることにした。
「まだたくさん候補がいて、絞り込まれていなかったから分からん」
ギリギリ嘘じゃない、と思う。だが姉貴は
「あら。そう?じゃあ、覚えている限り誰が優勢とかあったの?」
と追及して来た。実際どうだったかなんて分からないから俺は
「あ~、どうだったかな?寝たら忘れた」
とすっとぼけることにした。
呆れ顔の姉貴から
「子供か!」
と突っ込まれた。これで逃げ切れるか?と安堵したのだが
「じゃあ、試しに今のルーム3の様子を見せてよ」
と姉貴はさらに厳しい要求をして来た。
まさかそこまで強いられるとは予想していなかったので
「え?それはちょっと」
と俺は拒否したが
「何、私に隠し立てしているのよ」
と姉貴には取り合ってもらえなかった。
いや、姉貴だって俺に今後の進路を教えてくれないじゃないか?そう言い返したかったのだが、よく考えたら俺が質問してないだけだったのでやめた。そもそも、今までの人生で俺が姉貴を言い負かすことなど出来ないと痛感させられているので抗っても無駄だろう。
これはもう避けられない。観念した。
ただ「れぶりん」というハンドルネームは絶対に笑われるから隠しておきたかったので、姉貴には他所を向いていてもらって
「れぶりんさんが入室しました」
の表示が消えるまで待ってもらった。
チャットの画面上で活発な議論が続いて書き込みが積み重なり、スクロールされて「れぶりんさんが入室しました」の表示が消えたのを確認すると、姉貴を呼び戻した。
あとは、傍観していればいい。
【Upstream】:
おう!れぶりんさん、おはよう。
【翼のある俺】:
れぶりんさん、おかえり。
予想通り、あいつらがいた。
「Upstream」というのは「上流の、川上の」という意味の英単語だから川上に間違いなかろう。素性を隠す気が全くないな。
「翼のある俺」は、セミナー合宿に参加した時に俺や川上を土台、否、翼として研修施設内の某所で天高く舞い上がったことのある上田であろう。チャットスペースでも「Upstream」の相棒なのだからこのハンドルネームの人物は上田に違いない。
上田は俺がチャットに戻って来たと誤解している。俺はこのチャットルームには初ログインなのだ。とは言え、そもそも最大で200人以上いた参加者のハンドルネームなんて全部覚えてられないから仕方ないか。それに加えて、徹夜してるからテンションがおかしなことになっているんだろう。
【れぶりん】:
おはよう!
で、今どんな感じですか?
【Upstream】:
れぶりんさん、挨拶もそこそこに、いきなり本題に入っちゃう?
飛ばすね~!
【翼のある俺】:
れぶりんさんのそういうアグレッシブなところ、好きだぜ!
俺がいつお前にアグレッシブさを見せたというんだ?
【Upstream】:
今はまず、1年生でベスト3を決めようとしているところだ。
お前ら一晩かけてそんな進捗具合なのか?大丈夫か?
横で姉貴が腹を抱えて爆笑している。
「あんたのハンドルネームの『れぶりん』って何よ。面白すぎる!」
川上と上田が俺のことを「れぶりんさん」って呼んでるし、自分が発言するとハンドルネームが表示されている仕様だから仕方ない。
やはり隠し通せなかった。
【翼のある俺】:
現在、1番人気はC組の豊岡さん。
どうもバスケ部っぽいみなさんが激推ししてた。
【Upstream】:
次点がE組の生坂さん。
性格も良い子らしい。
3位がF組の飯島さん。可愛いというよりも、美人って感じだ。
【翼のある俺】:
で、一部の熱いファンから求められて作った、ドジっ子枠。
これはB組の山形さん。
「守ってあげたい女子」ナンバーワン、らしい。
姉貴は笑いすぎて苦しそうだ。
【Upstream】:
ところで、れぶりんさんって誰推しだったっけ?
俺はしばし考える。
どう考えても俺は諏訪先輩推しである。
だが、この質問は「1年生の中では誰を推しているか?」である。
そもそも他のクラスの女子生徒のことを知らない。
かと言って、知っているD組の子の名前をテキトーに挙げるのは良くない。
とりあえず、多数派に乗ってごまかすか、、、
そう逡巡していると、今まで腹を抱えて苦しがっていた姉貴が
「ちょっと貸しなさい!」
と俺を押し除けてdynabookに向かった。
姉貴は鮮やかなブラインド・タッチで文字を入力し始めた。
おい、勝手にチャットに参加するんじゃない、、、。
あ、送信しやがった。
姉貴はdynabookを俺に返すと
「これでいいでしょ?」
と自慢げな笑みをたたえている。
その画面にはこう書き込まれていた。
【れぶりん】:
俺には美人のお姉さんがいるから、みんな霞んで見えるぜ!
やりやがったな!
【Upstream】:
美人のお姉さんだと!羨ましすぎる!
【翼の生えた俺】:
議長、弾劾裁判を始めてもよろしいでしょうか?
【Upstream】:
よろしい、諸兄も意義はなかろう。
【烏は飛ぶよ】:
意義なし!
【リバウンド王】:
意義なし!
【エースで四番】:
意義なし!
【ナンバー8】:
意義なし!
【先鋒こそ最強】:
意義なし!
【ピンポン飯】:
意義なし!
【ムーンサルト】:
意義なし!
【俺は45度】:
意義なし!
【恋人は打楽器】:
意義なし!
【かえる泳ぎ】:
意義なし!
【名人竜王棋聖】:
意義なし!
【ニューヨーク】:
意義なし!
こいつらどこから湧いてきた!?
気づくとバタン、とドアが閉まり、姉貴は逃亡していた。
治外法権の自室へ逃げ込まられては何も手が出せない。
【翼の生えた俺】:
被告・れぶりんさんは、美人のお姉さんとの満ち足りた生活を送りながら、我々モテない男子同志諸君の浅はかなやり取りを見てせせら嗤い、高みの見物をして楽しんでいた。
ダメだ、何とかして誤解を解かないといけない。
俺は慌てて書き込んだ。
【れぶりん】:
ちょっと待ってくれ。
あれは、姉貴が勝手に書き込んだ文章だ。
と送信してから気付いた。
あ、俺、やっちまった。
【Upstream】:
なんだと!貴様!
美人のお姉さまと自室でふたりっきりで一緒にネットだと?
裏山sh
けしからん!
はい、死刑!
これが本気のいじめになることがあるから、チャットは気をつけて使わないといけない、と諏訪先輩は言っていたのか。
【翼の生えた俺】:
で、れぶりんさん。
お姉さんは芸能人に例えると、誰に似てるの?
【れぶりん】:
切り替えが早すぎです。
【Upstream】:
だって、ガチでいじめるとか、つまんねえじゃん?
俺も興味あるぜ。
こいつらはチャットでもリアルでもやり取りが全く一緒だな。
匿名性のごくわずかに存在するチャットでもこいつらの人柄は変わらない。
本当に良い友達を持ったもんだ。
だから俺の方も嘘をつきたくないから、かつて何かの雑誌で見かけた、なんとなく姉貴に似てるかな?と思った女優さんの名前を挙げた。
しばらく沈黙が続いた。
脇役で映画にも出るくらいで本職が舞台女優さんだから、恐らく誰にも分からんだろう。
「よし!これなら逃げ切れる」と思ったのだが、
【ガラスの怪人】:
あ~、その女優さんなら知ってます。
なかなかの美人さんですよ。
この劇団のホームページに紹介されてますよ。(リンク先)
どこから出てきた、演劇部の奴!
おかげで、みんなのテンションが上がっちまったじゃねえか!
俺はその後も、川上と上田から執拗に「リアルばれ」を誘発させるような質問責めにあったがなんとか凌ぎ切った。
悪いが俺は「ディフェンスに定評のある大町」なのだ。
ハンドルネームが「あの偉大な名前」だったら確実にアウトだったな。
ありがとう、俺のハンドルネーム「れぶりん」。
一息ついて思い出した。
いつまでもこんなところで時間を浪費している場合じゃない。
【れぶりん】:
じゃあ、用事あるから、失礼します。
【Upstream】:
何だと!
さては、美人のお姉さんとデートするつもりだな?
【翼の生えた俺】:
頼むから今度紹介してくれ!
俺はあいつらを振り切って退出した。
「れぶりんさんが退室しました」と表示が出た。
改めて退室したルーム3の状況を確認すると、
ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!
時刻 :16時から
メンバー:自由 (67人)
備考 :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!
また増えてやがる。
姉貴のせいで、泥沼にはまって時間を浪費してしまった。
チャットルームで人気のあった女子というのは男子バスケ部の夏合宿でみんなが名前を挙げていた子たちばかりだった。
うちの1年生部員たちは厳しい練習に耐える根性のある奴らばかりなのは知っていたけれど、みんな学校内の可愛い女子生徒にまで気が回っていたので驚いた。
名前の挙がった女の子たちの中には男子バスケ部の練習を見に来ている人もいるって話だから、意外と脈がある奴だっているのかも知れない。
どのみち俺には関係ない話だが。
姉貴の襲来からのひと騒動が一段落したので、メールをチェックした。
おお!
諏訪先輩からメールが来てた!
しかも10分前に。
姉貴のせいで10分も無駄にしてしまった。
諏訪先輩からのメールの文面はこうだった。
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件名:映画の件
大町くんへ
おはようございます。
昨日はどうもありがとう。楽しかったです。
最後の問題、解けたかな?
よろしければ、回答をお願いします。
ところで、映画を一緒に観に行く話ですが、明日は予定が空いてますか?
古山駅近くにシネマ・インデという小さな映画館があります。
「低開発の記憶ーメモリアスー」という古いキューバ映画が明日から上演されます。
(リンク先)
この映画が観たいのだけど、いいかな?
諏訪遥香
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俺は、もちろんOKなので、すぐに返信を書いた。
先ほど作成した「雨の日の少女」という問題に対する回答もWordのファイルとして本文に添付した。
それから「アナロジー」についても理解した旨を伝えた。
この真意を伝える伝えるために、諏訪先輩は問題を考えてくれたのだろう。
俺には諏訪先輩が伝えたかったことがちゃんと分かった。
だから安心して欲しい。
回答の文末にそう添えた。
程なくして、諏訪先輩からメールの返事が来た。
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件名:Re:OKです。
大町くんへ
映画の件、承諾してくれてありがとう。
どうしても観てみたい映画なので嬉しい。
それから、大町くんの回答は正解です!
どう?面白いでしょ?
今度は大町くんが問題を考えてみてね。
私が「アナロジー」と表現したことを理解してくれてありがとう。
君は繊細な心を持っているのね。
そのことが私はとても嬉しい。
何も訊かないでいてくれてありがとう。
明日の14時からの上映なのですが、その映画館は自由席です。
整理券の番号順に入場になります。
出来たら良い席で観たいので、開演の30分前には着きたいと思うの。
大町くんはまだ地下鉄の古山駅って使い慣れてないでしょ?
中府駅まで私が行くから、どこかわかりやすい待ち合わせ場所を指定してください。
お返事待ってます。
諏訪遥香
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俺の回答は、正解だった。
「アナロジー」として俺に告げたかった内容も合っていた。
何より諏訪先輩が安心してくれてよかった。
待ち合わせは俺がまだ中府市に慣れていないことを考慮して、わざわざ諏訪先輩が中府駅に来てくれるという。
俺は遅刻しないつもりだが、お盆の時期に交通のターミナルである中府駅はどこも混み合う。
待ち合わせで困らないように駅前の正清堂書店の新刊コーナーを待ち合わせ場所にしましょう、と俺はメールを送った。
するとすぐに返信があった。
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件名:Re:正清堂書店・中府店
大町くんへ
了解しました。
13時00分に正清堂書店・中府店の新刊コーナーで待ち合わせね。
中府駅から古山駅までは15分くらいだからちょうどいいかな?
遅れないように行くね。
それと、真夏でも映画館の中は冷房がとても効いているので、上着を忘れずに。
風邪引いちゃうよ。
それじゃあ、明日ね。
何か急に連絡が必要だったら、遠慮なく電話してください。
楽しみにしてます。
諏訪遥香
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ということで、話が決まった。
今回は何か失態をやらかさなかったか?少し心配ではある。
諏訪先輩がメールに貼ってくれたリンク先を見る。
この映画館は今まで聞いたこともない劇場だ。
中府にはこういう映画館も多いのかな?さすがは都会だ。
映画についてはあまり詳しい情報を入れずに観たいので、
「低開発の記憶ーメモリアスー」(1968年・キューバ映画)
監督:トマス・グティエレス・アレア
という情報だけを確認した。
古い映画なことだけは分かった。
わざわざ映画好きの諏訪先輩が観たいと言っている映画なのだから、絶対に面白いに違いない。
あまりハードルを上げすぎず、さりとてテンションを徐々に上げつつ当日を迎えようと思う。
ちなみに、諏訪先輩の作ってくれた問題の答えだが、俺の回答はこうだった。
<回答(正解例)>
雨が降った日に傘を持っていなかった背の高い少女は、自分よりも背の高い少年の傘に入れてもらいました。
実は少女は背が高いのがコンプレックスだったので、なかなか男の子と仲良くすることができなかったのです。
少女は、その少年の傘に入れてもらって家まで送ってもらう間にたくさんおしゃべりをすることができたので、2人はすっかり仲良くなりました。
しかし、その翌日、2人が「相合傘」で帰ったことを周囲の子供達にからかわれました。
少女はその次の日から、その少年の傘に入らなくてもいいように備えることにしました。
突然の雨に見舞われても困らないようにする理由で、少女は常に折り畳み傘を持ち歩くようにしました。
諏訪先輩との明日の約束をするという大事な用件も済んだので、さっきの中座をお詫びするか?とチャットルームの様子を覗いてみる。
ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!
時刻 :16時から
メンバー:自由 (116人)
備考 :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!
さらに増えている!
これだけ人が居れば、みんな俺のことなど忘れているだろう。
やぶ蛇になるだけだろうから、ルーム3には入らずにログアウトした。
さて、その翌日。
ついに諏訪先輩と一緒に映画館へ行く日がやってきた。
女の子がひとりで観に行きにくい映画というのはホラーみたいな怖い作品なのだろう。
実は俺もホラーは苦手だが、諏訪先輩にカッコ悪いところは見せられないからしっかりしなくてはいけない。
だから朝から気合が入っていた。
「映画館は寒いくらいに冷房がかかているから上着持って来た方がいいよ」とアドバイスを受けていたので、グレーのポロシャツの上にネイビーのジャケットを着て、デニムにスニーカーという出で立ち出かけることにした。ボディーバッグにはiPhoneと財布とハンドタオルを入れた。
さすがに屋外は暑いので、家を出てからはジャケットを手に持って汗を拭きながら中府駅までやってきた。私鉄の府島線も混んでいた。
俺は、そのまま諏訪先輩との待ち合わせ場所である駅前の正清堂書店の新刊コーナーに直行した。
実は13時待ち合わせなのに30分早く着いてしまった。
まだ時間もあるので新刊コーナーを久しぶりに散策した。
おっ、俺の好きな作家の新刊があるぞ、文庫の新刊コーナーにも面白そうなのがいっぱいあるなあ、などと書籍を物色しつつ、高鳴る鼓動を抑えようとした。
それから。15分ほど経過した。
俺の真後ろから
「大町くん、お待たせ」
と声がして、振り向くと諏訪先輩の笑顔がそこにあった。
俺の心拍数が一気に上がった。
小さな白い花をあしらった水色のTシャツに丈の長いライトイエローのサマー・カーディガン。
それにベージュのパンツを合わせて、大人っぽいチョコレート色のハンドバッグを持っている。
「どう?」
と訊かれたので
「よく似合ってます」
と答えた。本心から出た言葉だ。
諏訪先輩は
「今日のTシャツは、かすみ草よ」
と補足説明してくれたが、俺にはかすみ草がどういう花なのかという知識が全くなかったので
「そうですか」
としか言いようがなかった。
胸元に描かれたかすみ草を凝視するわけにもいかず、目のやり場に困っていると、諏訪先輩は意地悪そうな笑みを称えながら
「かすみ草の花言葉って知ってる?」
と尋ねた。
当然ながら花言葉なんて俺は知らない。
「知らないんですが、ちょっと待ってください」
とiPhoneを取り出して調べようとすると、
「いやいや、今調べないで。
それに書店内でスマホ取り出すのはマナー違反だよ」
確かにごもっともである。
ちなみに、帰宅後に調べたところ、
<かすみ草の花言葉:「無垢の愛」「感謝」「幸福」>
とのことだった。
確かにこれを目の前で調べられたらさすがに諏訪先輩も照れてしまうに違いない。
だから止めたのだろう。
お店を待ち合わせ場所にだけ使うのは俺のお気に入りの書店に失礼なので、先ほど見つけた1冊の文庫の新刊を購入してボディーバッグに入れた。
書店を出てふたりで地下鉄の中府駅へ向かった。
地下街もたくさんの人で溢れかえっていた。
カフェやレストランのような飲食店の前には軒並み席が空くのを待っているお客さんたちが並んでいた。
「正清堂書店さんに来るまで、中府駅の有名な待ち合わせの場所はどこも人だらけだった。
あのお店はお客さんもそれなりにいるから安心だし、静かだし、涼しいし、駅から少し離れているから混雑もしないから良いね。
いい場所教えてもらっちゃった」
とお褒めの言葉をいただいた。
俺が住んでいる伊那川町には品揃えの良い本屋があまりないから、中学時代から中府駅に用事があったついでに立ち寄るようにしてから行きつけの書店になったのだ、といきさつを伝えた。
一緒に地下鉄に乗った。
やはり、電車の中はとても混んでいた。
俺が諏訪先輩をガードする形でなんとか途中の光駅まで持ちこたえ、そこでかなりの客が降りたので、ふたりでホッとしてつり革につかまり、古山駅まで乗って降りた。
駅の一番南側の出口を出て、何本か南に進んで西に入ると怪しい歓楽街に入った。
大衆向け居酒屋、外国語の描かれた謎のお店、すでに店なのかどうかもわからない小汚い店舗。
これは女の子が1人で通れる場所じゃない。明るい昼間ですら怖いだろう。
だから俺を一緒に誘ってくれたのか。
それにしても、本当にこんなところに映画館があるのか?
その怪しげな通りを抜けたところに、これまた謎の古い雑居ビルがあった。
壁や窓枠に、なんのお店なのかよくわからない看板がたくさんあるのが目に入った。
このビルの前を通り過ぎるのも女の子ひとりでは心細かろう。
道を急ごう、と諏訪先輩の方を見遣ると平然と
「目的地はここだよ」
とそのビルを指し示した。
嘘だろ?と心底驚いた。
確かに、このビルも女の子が気軽に足を踏み入れるような場所には思えない。
建物の正面玄関と思しき場所の横にある細いコンクリートの階段を登り2階部分から建物の中に入る。
壁中に知らない映画のポスターが貼られた薄暗い通路を通って抜けると灯りが漏れるガラスの扉があり、その上に「シネマ・インデ」という看板があった。
諏訪先輩からのメールのリンク先は確かにこのシネマ・インデという映画館の公式ホームページだった。
古山にある小さな映画館、シネマ・インデ。
いわゆる単館系映画館、「インデ」はインドとは関係なく、indipendentの略だろう。
「じゃあ、受付して来るね。
私は初めてじゃないから、任せて」
と諏訪先輩が受付をしている間に今後の上演予定の掲示板を見ると、俺が聞いたこともないタイトルの映画ばかりだった。
かなり前に映画館でやってたはずの映画もリバイバル上演しているから名画座っぽいこともやっている映画館なのだろう。
俺が掲示板を眺めている間に、諏訪先輩が会計まで済ませてくれていた。整理券番号は15と16だった。
30分以上前に来ているのにこの順番とは!
この映画やこのシネマ・インデに熱心なファンが多い証拠だ。
開場時間まで映画館のロビーで待つことにした。
こじんまりとしたロビーは昔懐かしい喫茶店のような雰囲気で、映画関連の雑誌や今後上映される映画のチラシが置かれていた。
お洒落な内装ではないけれど何故か心が落ち着くので気に入った。
映画のチケット代は俺が諏訪先輩の分も出すべきかどうか迷ったが、少なくとも自分の分だけは払うべきなので
「チケット代ですけど、俺が払いますよ」
と申し出ると、首を左右に振ってから
「私がお願いしてついて来てもらったんだから、私が払うべきでしょ?」
と譲らない。
困ったな、と悩んでいると
「外は暑かったから喉が渇いたわ。何か冷たいものが飲みたいな」
と独り言を言うように、しかし俺に聞こえるように呟いた。
その視線の先にジュースの自動販売機があった。紙コップに飲み物が注がれるタイプの自動販売機だった。
意図するところに気付いたので、俺は
「先輩は何が良いですか?」
と尋ねた。
よく出来ました、とでも言いたげな優しい笑顔で頷いてから
「私はアイスティーが良いな。もし選べるならば砂糖もミルクもなしでね」
とお願いされたので、早速購入して諏訪先輩にアイスティーを渡した。
その後、俺も自分用にコーラを買った。
諏訪先輩の言いたかったことは、映画のチケット代のお返しはお金を直接やり取りするんじゃなくてもっとスマートな方法でお願いします、ということだったのだろう。
俺なんかに上手く出来るかどうか分からないが、そう求められているのだからそう努力しよう。
ふたりで冷たい飲み物を飲みながら映画の話をした。
「この映画館は好きなんだけど、駅からここまでひとりで来るのが苦手でね」
「そりゃそうでしょう。分かります」
男の俺ですらちょっと引く景観だったからなあ。
諏訪先輩は続けて
「今回見る映画は随分古い映画で、だいぶ前に日本でリバイバル上映してたみたい。でも、その頃は私まだ小さな子供だったから当然知らなくて。最近、シネマ・インデの公式サイトでこの映画が上映されることを知って、作品について調べてみたら『古い映画だけど面白いよ』と色んな人が勧めていて、気になってたの」
とこの映画への思い入れを語った。
「それで、一緒に観に行ってくれる人を探していたのよ。ありがとう」
とお辞儀までされたので、俺も
「いえいえ、俺の方こそ、そういう時に頼ってくれて嬉しいです」
と答えた。
諏訪先輩はやや頬を赤らめながら可愛く「コホン」と咳払いして
「ところで、大町くんは古い映画とか大丈夫?」
と俺のことを気遣ってくれた。正直言って俺は映画に詳しくないので自分が古い映画を楽しめるかどうか自信はないはずだったが、迷わず
「もちろん大丈夫です」
とはっきり即答していた。
諏訪先輩には俺が姉貴から借りた1939年録音の「マタイ受難曲」を聴いて寝落ちした話は内緒にしておこう。
諏訪先輩はロビーを見渡してから
「私はこういう小さな映画館が好きなの」
と囁いた。
俺は諏訪先輩と趣味が合いそうだ。
騒がしい映画をやっている大きな劇場よりはこういう感じの小さな映画館の方が俺も好きだ。
やがて、開場時間近くになったので、劇場のスタッフさんからその旨が知らされた。
それを聞いて諏訪先輩が空になった2つの紙コップを持ってロビーの隅にあるゴミ箱まで捨てに行ってくれた。
俺の方が後輩なのに、よく気が効く人だ。
劇場の出入口付近に入場を待つお客さんの列が出来た。お客さん同士が自主的にお互いの整理券番号を確認しあいながら順番に並んでいた。
ふたり分のチケットを持っている諏訪先輩に番号の確認をしていた明らかに俺たちよりも年上のお客さんたちがいたが、皆さんが「何番ですか?」「私の方が先ですね。失礼します」と言った感じで、丁寧に接してくれた。
他のお客さんたちも静かに並んでいて礼儀正しく、とても好感が持てた。
開場時間になるとスタッフの方の案内が始まった。
1番から順番に整理番号を呼ばれてお客さんが入場して行く。
「15番の方」
と呼ばれたので、諏訪先輩が2枚の整理券をスタッフに渡して中に入る。
レディーファーストで諏訪先輩から先に入ってもらった。
場内でも自由席なのに皆さんは落ち着いて慌てず歩き、ゆったりと席を選んでいた。
こういう渋い映画ファン向けの劇場はお客さんたちのマナーがここまで良いんだなあ、と感心した。
場内は予想通り冷房が効いていてかなり涼しかった。
上着がなかったら確実に風邪を引いていただろう。諏訪先輩のアドバイスに感謝した。
ぱっと見て、学校の教室くらいの広さで縦に4列、横に10人で定員が40人とわかった。
前2列は概ね席が埋まって来ており、ふたり並んで座れない。
「あそこに座ろうか」
と諏訪先輩が3列目の真ん中を指差し、俺は黙って頷く。
その席にふたり並んで座った。
俺のすぐ隣に諏訪先輩が、、、と考え出すと途端に緊張が増して来た。
俺がなんとか緊張を紛らわせようと脳内で奮闘している間にも、次から次へとどんどんとお客さんが入って来て、どう考えても座席が足りない。
立ち見が出るのかな?と思ったら最前列の前に座椅子が置かれ、さらには左右の通路にパイプ椅子が置かれ座席からあぶれた観客がそこへ座る。
こういう手作り感のある映画館は初めてだけど良いなあ、と感じた。
それを見透かしたように
「ね?この映画館、良いでしょ?」
と諏訪先輩は誇らしげに言った。
「はい。先輩に連れて来てもらってなければ、ここに来ることはなかったと思います」
と俺は感謝の意を言葉に出した。
その答えを聞いて諏訪先輩は嬉しそうだ。
以前、俺は諏訪先輩から
「映画は先入観とか持たないで観た方が楽しいよ」
という教えを受けていたので、
1968年のキューバ映画「低開発の記憶ーメモリアスー」
監督はトマス・グティエレス・アレア
という情報しか得なかった。
監督は知らない方だったし、監督や作品についてインターネットで調べたりもしなかった。
よって、昔のキューバ映画であること以外は全く知識がない。
そもそも映画はちゃんと観ればわかるように作られているのだから、それで良いと思う。
諏訪先輩の教えには同感だ。
さて、場内が真っ暗になり上映が始まった。
何本かの近日公開の映画の予告が流れた後、ようやく本編が始まった。
あっ、モノクロ映画だ!
俺は一気に映画の中へと引き込まれていこうとした。
だが、俺の右手を触れられる感覚で現実世界に引き戻された。
隣を向くと諏訪先輩が笑みを浮かべていた。
そして、手が握られた。
そして、その2時間後、また俺たちは地下鉄で移動して、中府市内の中心街である光駅で降りた。
諏訪先輩から「ついて来て」と言われて、どこをどうやって行ったのかわからないが、ともかくビル街に連れて行かれた。
この時には残念ながら、もう手を繋いでいない。
映画が終わり場内に明かりが灯ると、諏訪先輩はそっと手を離した。
逆に言えば映画の上映されている間、ずっと手を繋いでいたわけである。
俺もそこまで鈍くはないから、手のひらを上に向けたので、上映中はいわゆる「恋人つなぎ」になっていた。
映画館を出るときに諏訪先輩は
「ありがとね」
とウィンクしてくれた。
礼を言うのは俺の方なのに。
そのビル街の片隅に小さなカフェがあった。
「Sparrows Cafe」
看板にはオレンジに黒い点々のエンブレムがあり、周りに雀のイラストが描かれていた。
「Sparrow」って雀のことなんだろうな。多分。
ちょうど二人掛けの席が空いていたので、その席に案内された。
俺はこういうお店に来るのは初めてだ。
諏訪先輩はメニューを自分でさっと眺めてから
「はい、メニューね」
と俺に渡した。
有名なチェーン店のカフェに行くと、ドリンクのサイズの表示もS・M・Lとかじゃなくて難しいらしく、自分なりのアレンジも可能で、慣れた客は謎の呪文のようなオーダーをすると噂には聞いていた。
だが、このカフェのメニューはそんな感じじゃなくて、もっと、、、なんと言うか、、、俺でも読んで理解出来るくらいには分かりやすかった。
「私は、グァテマラにするけど、大町くんは何にする?」
諏訪先輩は決めるのが早い!
俺も普段は注文を決めるのが早い。もしかしたら先を越されたのは、今回が初めてかも知れない。
俺も早く決めないと、と必死に考えていると諏訪先輩から
「初めてだったら、この店のご自慢のカフェラテがいいんじゃない?」
と勧められた。カフェラテはなんだか可愛らしい飲み物っぽいので、俺には不似合いだろうと思えた。
「それって、女の子向けの飲み物なのでは?」
と正直に疑念を口にした。
俺がカフェラテを頼んで、諏訪先輩がおそらくブルー・マウンテン的なそういうブランドの豆のコーヒーを頼む、というのはどう考えても逆だろう?
俺が懊悩しているのを察してか、諏訪先輩は
「じゃあ、私が頼んであげるね」
と抑え気味の声で言って、手を挙げると店員さんを呼んだ。
注文も諏訪先輩がしてくれた。
5分ほど後、案の定、俺の前にグァテマラというコーヒーが置かれ、諏訪先輩の前にカフェラテが置かれた。
「じゃあ交換ね」
とグァテマラの入ったコーヒーカップを持って行くと、俺の方にカフェラテを移動させる。
その光景を見て、ドリンクを持ってきてくれた店員さんも苦笑いしていた。
俺はカフェラテを一口飲んでみた。
今までは「俺には縁のないお洒落な飲み物」だと思って飲んだことなかったけれど、飲みやすくて美味しかった。
「美味しいですね」
と感想を伝えると
「でしょ?ここのカフェラテはお勧めだよ!」
と嬉しそうに答えた笑顔の諏訪先輩は自分のコーヒーに口をつけた。
砂糖もミルクも入れずにブラックのまま飲んでいた。
大人の女性って感じだな、と惚れ惚れする。
かっこいい。
俺があんまり見惚れていると、さすがに諏訪先輩も照れるみたいで
「今日の映画、どうだった?」
と話題を振った。
「面白かったです。まずそれが1番です。
主人公を巡る物語は静かに緩やかに進行するのに、一方では急速に進展するキューバの情勢が描かれていて、その対比や構成の妙が良かったです」
と俺は答えた。
正直言って、俺の集中力の半分以上は諏訪先輩が握ってくれた右手に持って行かれてしまい、時々惚けて意識も飛んだ。
だが、この言葉に偽りはないし、この作品の見方として大間違いではないと思う。
「楽しんでくれてよかった。
古い映画だったから、ちょっとだけ心配だったのよ」
と諏訪先輩もホッとしてくれた。
その後、お互いの好きな映画の話をした。
それから、文化祭の話へも話題が及んだ。
「2年生は体育館での舞台演劇だから大変ですね。
先輩も出るんですか?」
と軽く話題を振ると、諏訪先輩は首を横に振って答えた。
「私を推薦してくれる人も居たんだけど、うちのクラスの男性キャストはみんな背が低くてね。
私が出るとバランスとして良くない、ということで取りやめになったの。
まあ、私はあまり出たがりじゃないから、ちょうど良かったんだけどね」
瞬時に諏訪先輩の顔から笑みが消えたのを俺は見逃さなかった。
だからすかさず
「俺も小さい頃からでっかくて、それじゃおかしいな。幼稚園くらいの頃から体が大きかったから、『お前が出ると舞台の遠近感がおかしくなる』ってことで、今までずっと『木の役』でした。
それでつけられたあだ名が『木の役に定評のある大町』です」
と俺のとっておきのエピソードを披露した。
このタイミングで諏訪先輩を笑顔にするために俺はデカく生まれてきたんだろう。俺を大きく生んで育ててくれた両親に対して今更ながら心から感謝した。
やはりウケたらしい。諏訪先輩が珍しく大笑いしてくれた。
表情を陰らせていた憂いのようなものがどこかへ飛んで行って消えてくれて良かった。
「笑っちゃってごめん。何?その『木の役に定評のある大町くん』ってネーミングセンス!」
その後もしばらく笑い続けていた。
涙を拭いつつ呼吸を整えると
「ありがとう」
と囁いた。
話題を変えるべく今度は俺のクラスの演劇の話をしようと思い
「でも、今年はクラスの友達に巻き込まれて晴れて準主役です」
とちゃんとキャストとして出演することを伝えると
「じゃあ、ちゃんと観に行ってあげるね。頑張って」
と笑顔で励ましてくれた。
「はい、よろしくお願いします」
と俺は胸を張って答えた。
俺は諏訪先輩を前にすると惚けてしまうから、観に来てくれた公演では俺がミスりまくって散々な出来栄えになるだろう、と今から容易に予想がついた。せっかく観劇に来てくれるのに申し訳ない。でも、諏訪先輩はきっと笑って済ませてくれるだろう。
「で、私の方は、映画のサウンドトラックが好きで音源をたくさん持っているし、劇伴音楽の仕事って一度はやってみたかったから音響担当になったわ。
それと、ついでに言っておくね。
クラスのみんなから推薦された『ミスター暁月』コンテストの方にはちゃんと出るから、清き一票をよろしく」
と諏訪先輩が文化祭と体育祭で担う役割を教えてくれた。
諏訪先輩が演劇のBGMとしてどんな音楽を選ぶのかにも興味があるし、それよりも女子生徒による男装コンテストは今からとても楽しみだ。諏訪先輩ならばさぞやかっこいい男装の麗人になるに違いない。そう確信したので
「当然、一票を入れますよ、今すぐ入れます」
と答えたが
「ごめんね。期日前投票は出来ないのよ」
と笑顔のままやんわりと嗜められた。
そんな風にカフェで束の間のひと時を過ごした。それぞれ同じ飲み物をもう一杯ずつ追加で注文した。
ふたりの飲み物代はもちろん俺が支払った。細かく計算はしていないけれど映画館での飲み物の代金とカフェでのお会計を足すとふたり分の映画のチケット代くらいになる計算だと思う。
諏訪先輩の頼んだグァテマラのコーヒーはやはり高かったけど、もしかしたらコーヒー代で計算が合うようにと考えてわざわざ頼んでくれたのかも知れないな。
レジでお会計を済ませると、「よく出来ました」と褒めてくれるような優しい笑顔で諏訪先輩は迎えてくれた。
自然な流れで帰りは諏訪先輩の御自宅の最寄りの駅まで送ることとなった。
Sparrows Cafeから光駅までふたりで歩き、光駅から地下鉄での移動となった。電車を乗り継いで目的の駅に向かう間も諏訪先輩は笑顔を絶やさなかった。
目的の駅で一緒に電車を降り、改札口へ向かいながら俺はちゃんと諏訪先輩を御自宅まで送り届けるべきかどうか考えた。改札口が見えるところまで到達した時点で「流石に家までついて行くのは厚かましいだろう」という結論に達したのだが、そう悩んでいたことを見抜かれたのか、諏訪先輩は
「まだ明るいから大丈夫よ。ここまで送ってくれてありがとう」
と俺にお礼を伝えると改札口へ向かった。
しばらくその後ろ姿を見守っていたが、やがて立ち止まり、踵を返して俺の前に戻って来た。
諏訪先輩は素敵な笑顔のまま
「これからも、こうやってふたりで逢おうよ」
と俺に提案した。
俺はもちろん、大きく頷いてから
「はい」
とはっきり答えた。
俺の言葉を聞いて、諏訪先輩は笑顔のままでやや俯いてから小声で
「ありがとう」
と囁いた。
しばらく無言だった。
すると今度は一転して照れ臭そうに
「じゃあね」
とだけ俺に告げると、小さく手を振って、また改札口へ向かい、そして改札口を通って外へ出て行った。時々振り返っては俺に向けて手を振り、それに対して俺も手を振り返した。
俺はその場に立ち尽くしたまま、諏訪先輩の姿が見えなくなるまで見送り続けた。
お互いにはっきりとは告白せずに始まる微妙な関係だ。
でも、心は通じ合っている。
口にしたら壊れてしまいかねない脆くて儚いものだから、俺も諏訪先輩もこの関係が何なのかについては言及しない。
(続く)




