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【16】雨後に傘を備える

 その夜は20時30分から俺、大町篤は机の上にdynabookを置き、ブラウザを立ち上げ、じっとその時が来るのを待っていた。


 8月の中旬のお盆休みに入ると学校全体が閉鎖されるので部活も休みに入る。

 だから俺は諏訪先輩に会うことができない。

 また、学校自体が閉鎖されるのでさすがに文化祭の演劇の練習もない。


 俺の家族は先祖代々、伊那川町に住んでいて、親戚も近くに住んでいるから里帰りもない。

 姉貴が受験生だから、というか、高校生の子供ふたりなので、もう家族旅行に行ったりもしない。

 お盆休みの間は、家で本を読んだり、NBL(北米バスケットボールリーグ)の試合を観たり、諏訪先輩に借りた映画のBlu-rayを観たりしてだらだらと束の間の休息を過ごすつもりだった。


 ところが、俺は姉貴がバッハの宗教音楽を聴くようになって興味を持って買った「はじめてでもわかりやすいキリスト教入門」というムックを無理やり読まされた。

 うちはクリスチャンではない。

 姉貴曰く「あんたも大学生になったら海外旅行くらいするでしょ?一般常識として知っておきなさい」とのこと。

 ごもっともである。

 俺は大学生になったらNBLの試合を観るためにアメリカに行きたいと思っている。

 だから、素直に読んだ。

 高校の現代社会の宗教史でキリスト教について簡単に習ったことはあるが、改めて入門書を読んでみるといかに自分が無知であったかを知る。

 まず、旧約聖書と新約聖書の違いをすでに忘れていた。

 そして、旧約聖書が創世記、出エジプト記、ヨシュア記、ヨブ記、詩篇、イザヤ書、などの複数の書物からなることを初めて知った。

 一方の新約聖書もマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書やたくさんの書簡群、ヨハネの黙示録など複数の書物からなることも知った。

 姉貴は「マタイ受難曲」が好きなのか、マタイの福音書の説明ページに付箋が貼ってあった。

 内容については細かく覚えていないが、キリスト教の成立した時代背景は理解できた気がする。

 キリスト教信者の多い欧米人の文化の基盤を理解するために、また世界情勢を理解するために、これくらいの内容は知っておいてよかった、と確信できる。

 姉貴もたまには俺の役に立つことをしてくれるなあ、と感心していると、ドアをノックして姉貴が入って来て

「もう、この前の本は読んだ?」

と尋ねるので、

「ああ、読んだよ」

と答えると、

「ならコレを理解できるね。

 聴いてみて。泣けるよ」

と分厚いCDケースを渡して来た。


 見てみると


 ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンツェルトヘボー管弦楽団

 「バッハ:マタイ受難曲」(1939年ライブ録音)


 え?1939年?


 俺の驚きを見て取って、

「驚くでしょ?古い録音なの。

 でもね、演奏は素晴らしいから。

 だって客席で観客が泣いている音まで記録されているの。

 こういうものは、ちゃんとバックボーンを理解して正しく聴かないと駄目よ」

 驚いた、姉貴が珍しくまともなことを言っている。


「じゃあね」

と姉貴はさっさと部屋から出て言った。


 俺は早速、メンゲルベルクの「マタイ受難曲」を聴いてみた。

 不覚ながら、5分ほどで寝てしまった。

 

 俺がこのCDの素晴らしさを理解し、姉貴に報告するのは秋になってからである。

 姉貴は

「もう諦めちゃったかと思ってたよ」

と言っていたが、返却を求めていなかったので、いつか俺にも理解できるだろうと信じてくれていたんだろう。



 寝落ちしてしまったのに気づいた俺は、「マタイ受難曲」の再生を止め、メールチェックをしてみた。

 諏訪先輩と連絡先交換してから、ほぼ毎日メールのやり取りをするようになった。

 俺が一所懸命にメールを送るから、諏訪先輩は付き合ってくれているのかも知れない。でも嬉しい。


 だが、メールよりも諏訪先輩と直接会って話せる方がずっと嬉しい。

 お盆休み中は部活の練習がないから会えないので寂しい。

 それでメールを待ち焦がれているわけである。


 一方で、いざ諏訪先輩とメールのやり取りができるようになると、もう少しリアルタイムでの会話がしたいと欲している自分もいる。

 欲張りなのはわかる。でももっと話したい。


 ならば電話はどうだ?

 諏訪先輩には妹がいるそうなので自宅で電話をしにくい、とのこと。

 俺も受験生の姉貴がいるので自室で電話をしにくい。

 諏訪先輩はウェブ通話は恥ずかしいと言う。

 お互いの映像を送信することになるし、音声のみにしたところで電話と変わりないから支障が出る。

 確かに家族や恋人ででもない限り画像付きなのは抵抗があるだろう。ましてや相手は女子である。

 お互いにDINEはやっていないし、SNSで会話というのも如何なものか、と思う。



 そんなことを考えながらベッドに転がって上田誠(劇団:ヨーロッパ企画)の戯曲集「曲がれ!スプーン」に収められた「サマータイムマシン・ブルース」を読んでいるとiPhoneにメールが入った。

 ちょうど、タイムマシンが登場したシーンを読んでいる時だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

件名:チャットしませんか?



大町くんへ


 もしお時間があれば、今夜、学校のホームページのチャットスペースを使って、ふたりでお喋りしませんか?

 

 チャットの仕方とかは教えますから、まずは大町くんのお返事をください。


 21時に予約だけ入れておきます。


 よろしくね。


諏訪遥香

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 俺は、パソコンから返事を書いた。


 了解です、使い方はわからないので教えてください、と。


 確か入学時のオリエンテーションでマニュアルをもらった気がするが、、、と探していると、すぐに返事が来た。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

件名:ありがとう!



大町くんへ


 急なお誘いに応じてくれてありがとう。


 使い方を説明します。


 暁月高校のホームページの在校生専用サイトのところからログインしてください。

 ログインIDは入学時に発行されていると思います。

 パスワードは初期設定ではログインIDと同じはずなので、ログインしてパスワード変更を行ってください。

 ログインしたら、21時から私が承認制で予約してありますので、チャットルーム13番に入ってください。

 ID認証必要、としてありますので、申し訳ないですが、最初の設定のために、まず私にログインIDだけ教えてください。


 とりあえずは、ここまで。


 わからないことがあったら訊いてね。


諏訪遥香

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 学校のフリーチャットスペースなんて使ったことないから、パスワードを変更したことなんて、なかったはずだ。

 俺は、入学時の資料をまとめたクリアファイルフォルダを取り出して、書類を整理し、ようやくログインIDを見つけた。


 一度、ログインしてみて、ちゃんとログインできることを確認し、パスワードを変更した後で、諏訪先輩にログインIDを伝えた。


 しばらくすると返事が来た。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

件名:Re:ログインID



大町くんへ


 ありがとう。

 チャットルーム13番(不吉な番号だけどここしか空いてなかったの、ごめんね)に予約を取りました。

 21時からだけど、5分前からチャットルームに入室できるから遅れないでね。

 今回は承認制のチャットだから、ルーム13番に入室する時にもう一度ログインIDの入力が要ります。


 それからチャットルームでは、ハンドルネーム(HN)で呼び合うルールになっているから、それも前もって登録しておいてね。

 過去に使われている名前は使えないし、単語によっては禁止されている言葉もあります(わかるでしょ?)。

 ハンドルネームの登録は1回しかできないから気をつけてね。

 何とな~く、私にだけわかるハンドルネームを選んでくれると嬉しいかな。

 私もそうしています。

 

 うちの高校ではないと思うけれど、学校のチャットルームが生徒の悪事やいじめの温床になっているケースもあるから過去ログ、会話の記録は残るのでお互いに本名を名乗ったり相手の名前を言ったりしないことにしましょう。

 私のことも〇〇先輩、なんて書かずに〇〇さん、と呼んでくれればいいわ。


 それでは、21時にルーム13で。(ホラー映画のタイトルみたいね)


諏訪遥香

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 俺は、早速「ハンドルネーム登録」の表示をクリックして登録ページに入り、「何か1つの単語を」と訊かれれば迷わずコレだ!と答えられる人の名前を入力して登録を完了した。

 有名な名前なので、もうすでに他の生徒に使われているかも知れないと危惧していたが意外と使われていなかった。良かった。




 という経緯で、俺は憧れの諏訪先輩とのチャットを前にして、自分でもわかるほど浮かれていた。

 現時点で20時30分。


 万が一、部屋から出て姉貴にでも捕まったら時間に間に合わない可能性がある。

 そこで、俺は入室できるまでの25分弱をそのままチャットルームの見学に使うことにした。


 入ると「〇〇さんが入室しました」と表示されるので、そこで絡まれるとめんどくさい。

 チャットルームの外から眺めているだけにした。



ルーム1:2年C組演劇準備会議

時刻  :19時から

メンバー:自由 (20人)

備考  :2年C組の生徒のみです。


ルーム2:3年A組の文化祭準備

時刻  :20時から

メンバー:自由 (8人)

備考  :3年A組の文化祭・シナリオ班のみでお願いします


ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!

時刻  :16時から

メンバー:自由 (102人)

備考  :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!


ルーム4:文化祭を盛り上げよう全体会議(第26回)

時刻  :18時から

メンバー:自由 (25人)

備考  :文化祭を盛り上げたいと思う生徒は誰でもご参加ください!



 みんな学祭の話題で盛り上がっているな。

 特にルーム4は第26回って、会議自体が目的になっているようにしか思えない。


 それから、ルーム3。

 ”あいつら”が主催しているとしか思えない。

 16時から開始って一体何時間ぶっ続けで議論しているんだ?

 しかも、あそこだけ参加人数が102人と参加者が飛び抜けて多い。うちの学校の男子はみんな馬鹿なのか?


 他のチャットルームも軒並み文化祭関係。

 そういえば、うちのクラスの文化祭関係のチャットルームはなかったなあ。

 おそらく、文化祭の主力メンバーがルーム3に集まっているからだろう。



ルーム12:アニメ好き集まれ!

時刻  :19時から

メンバー:自由 (30人)

備考  :どなたでもお気軽にどうぞ!


ルーム13:おしゃべり

時刻  :21時から

メンバー:承認制 (0人)

備考  :未記入


ルーム14:日常会話

時刻  :20時から

メンバー:承認制 (3人)

備考  :未記入


ルーム15:吹奏楽部、来週の合同合宿に向けてのミーティング

時刻  :20時から

メンバー:自由 (45人)

備考  :吹奏楽部の部員は全員参加



 2年生のクラスの演劇のミーティングよりもアニメの話題の方が盛り上がっているのか!

 まあ、全校生徒対象だからな。


 俺は、ルーム14をルーム13と一瞬見間違えて、もう始まってる、しかもすでに3人いる、と焦ったが、俺の誤認識でよかった。


 それにしても「おしゃべり」ってそのまんまなのが諏訪先輩っぽくていい。

 

 吹奏楽部も頑張っているなあ。

 チャットルームの前に「全員参加」なんて書かれても、そこまで来てないやつには伝わらないだろう?とちょっとだけ思う。



 こんなことをしていると、


ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!

時刻  :16時から

メンバー:自由 (121人)

備考  :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!


 一番アホらしいチャットルームの参加者がさらに増えている。

 これがバンドワゴン効果という奴なのだろうか?


 覗いていきたい気もするが、間も無く約束の時間だ。




 20時55分になるや否や、俺はルーム13に入室した。


 ログインIDの認証に少し時間がかかったが、これだけ多数の生徒が利用しているのだから仕方あるまい。

 頑張れ、落ちるな俺たちのサーバー!


 そして、電子音と共に画面に以下の文面が表示された。


「20:56 れぶりんさんが入室しました」


 何だって~!


 痛恨のタイプミス。しかも平仮名。


 道理で、あっさりあの「偉大な人物」の名前が使用できたわけだ。



 忘れていた。俺は諏訪先輩の前では惚けてしまうのだ。

 メールだけで俺は見惚れてしまっていたらしい。

 情けない。

 

 その事実を忘れないためにも、このハンドルネーム「れぶりん」と共にチャットルームで強く生きていこう。


 

 そんなことを考えていると、再び同じ電子音が聞こえて、


 「20:58 日輪草さんが入室しました」


という文字が画面に出た。


 日輪草(にちりんそう)、、、、向日葵(ひまわり)だ!

 諏訪先輩のハンドルネームは、俺にわかるように日輪草にしてくれたんだ。ありがとう。



 21時になると、チャットルーム13が開く。



【日輪草】:

 こんばんは。お待たせしました!

【れぶりん】:

 こんばんは。色々と準備してくれてありがとうございます。

【日輪草】:

 敬語は禁止!

 それから、、、

 ごめん大笑いしちゃった「れぶりん」ってなんだか可愛いね。

【れぶりん】:

 すみません。タイプミスして未変換のまま送信しちゃったみたいで。

【日輪草】:

 いいわよ。

 どうせ元の名前なんて誰かがとっくに使っちゃっているでしょ。

【れぶりん】:

 そうでしょうね。って、日輪草さん、まだ笑ってます?

【日輪草】:

 ええ。バレた?



 俺の笑えるハンドルネームのおかげで、俺はスムーズに会話ができた。


 それからしばらく世間話をした。

 諏訪先輩の家族は転勤族で、ご実家は中府市内じゃないらしいけれど、帰省ラッシュは疲れるだけだからどこにも出かけていない、とのこと。

 俺もお盆に予定はない。



【れぶりん】:

 じゃあ、どこか行きます?

【日輪草】:

 れぶりんさん、やるね~。初チャットでいきなり押して来るとは!

【れぶりん】:

 あっ、いや、すみません。そんなつもりじゃ。

 不愉快だったら、今のなしで。

【日輪草】:

 いいえ、取り消しなんてしません。

 責任とって何処かに連れて行ってもらいます。

【れぶりん】:

 え?

【日輪草】:

 だからOKよ。

【れぶりん】:

 OKですか?

【日輪草】:

 ええ、もちろん。

【れぶりん】:

 ありがとうございます。

【日輪草】:

 お礼を言うのはまだ早いわよ。

 実はちょっと連れて行って欲しいところがあるの。

【れぶりん】:

 はい。

【日輪草】:

 観たい映画があるのだけれど、ひとりで行きにくくて。

【れぶりん】:

 映画ですね。いいですよ。

【日輪草】:

 本当~、嬉しい。

 じゃあ、後で上演スケジュールを確認して連絡します。

【れぶりん】:

 わかりました。



 あれ?俺、何気に諏訪先輩と映画に行く約束をしているぞ!

 これってデートなのか?


 諏訪先輩は映画が好きなのを最近教えてもらった。

 よほど面白い映画に行こうと考えてくれているに違いない。


 きっと、ホラー映画みたいに女性ひとりで観るのは難しい映画に誰かついてきて欲しいんだろう。


 俺は正直、ホラーは苦手だが、どんな映画であろうと、諏訪先輩と一緒に映画を観に行くというイベントが楽しくないわけがない。



【日輪草】:

 れぶりんさんに借りたNBLファイナルを最後まで見終わったよ。

 遅くなってごめん。

 私も第7戦を観て泣いちゃった。

 レブラムが相手のレイアップシュートをブロックしたでしょ?。

 どこから飛んできたのって、鳥肌立った。

 スーパースターが全身全霊でプレーしてる!って自然に涙が溢れた。

【れぶりん】:

 俺、日輪草さんの話を聞いてるだけで泣けますよ。

【日輪草】:

 本当にすごいわよね。

 解説で言っていたけれど、レブラムがクリーブランドに戻った理由。

 年俸が良かったからじゃなくて故郷だからなの?

【れぶりん】:

 プロだから年俸も重要だけど、故郷に錦を飾りたいって気持ちだと思います。

 ドラフトで最初にあそこに入団した時はどうしても優勝できなくて。

 チャンピオンになれなかったから、悔しかったんじゃないかな?




 その後もしばらくNBL話をした。

 俺がオススメした他の選手たちのプレーもちゃんと観ていてくれた。


 諏訪先輩は俺が読書好きなのを知っているので話題をそちらに向けた。



【日輪草】:

 れぶりんさんが最近読んだ本の中で、面白かったのはどんな本?

【れぶりん】:

 ジェフリー・ディーヴァーの「限界点」って本です。

 この作者だと「ボーン・コレクター」のシリーズが有名です。

 「限界点」はそのシリーズの作品じゃないです。

【日輪草】:

 「ボーン・コレクター」なら私も知ってる。

 デンゼル・ワシントンが主演の映画だよね。

【れぶりん】:

 はい。でも今回はミステリーじゃなくて、サスペンスです。

 容赦ない凄腕の「調べ屋」が出て来ます。

 調査して拷問して殺す仕事の人が出て来ます。

 調べ屋に狙われた家族を守る警護官の主人公が対決する話です。

【日輪草】:

 れぶりんさんって、意外に、なんか殺伐とした作品も読んでるのね。

【れぶりん】:

 確かに俺の好きな傾向の作品ではないですね。

 読んでみたら俺の予想と違ってました、というのが正直な感想です。

 でも、面白かったですよ。今度貸しましょうか?

【日輪草】:

 ありがとう。れぶりんさんのオススメなら読んでみるわ。


【れぶりん】:

 今は、上田誠の戯曲「サマータイムマシン・ブルース」を読んでます。

 「劇団:ヨーロッパ企画」の劇作家です。

【日輪草】:

 それも私、知ってるよ。だいぶ前に映画化されたもの。

 映画も面白いのよ。

【れぶりん】:

 そうですか、今度、レンタルで借りて見ます。


 

 ちょうど話題が映画に向かいかけたので、諏訪先輩の好きな映画の話に切り替える。


【れぶりん】:

 最近、何か面白い映画を見ましたか?

【日輪草】:

 クリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」。

 レンタルで借りて観たんだけど、映画館で観たかったわ。

【れぶりん】:

 タイトルだけ聞いたことあるんですけど、どんな映画ですか?

【日輪草】:

 基本的に宇宙SFよ。

 でも、父と娘の絆を描いていて家族を描いた映画でもある。

 相対性理論とか量子力学とか宇宙物理学の用語が出てきて難しいの。

 でも、それを綺麗に映像で説明してくれるから面白かった。

 オチも綺麗よ。

【れぶりん】:

 俺もレンタルして観てみます。

【日輪草】:

 是非!これはオススメよ。




 会話が弾んだ。


 ふとdynabookの画面の時刻表示を見ると、だいぶ時間が経ってる。

 この体感時間の短さと実際の時間の長さの間の不一致は、相対性理論で証明できるのであろうか?

 まだ高校で本格的に物理を習っていないから俺にはわからない。



 そう、このdynabookは俺の高校入学のお祝いに買ってもらったものだ。

 ちなみに諏訪先輩も型式こそ違え、同じdynabookを使っている。

 俺は勝手に運命を感じる。

 



【日輪草】:

 ところでね、夏休み前に友達から教わった面白いゲームがあるの。

 一緒にやらない?

【れぶりん】:

 ゲームって、ネットゲームですか?

【日輪草】:

 そういうのじゃなくて。クイズみたいなものよ。

 水平思考パズル、っていうの。

【れぶりん】:

 水平思考パズル、って何ですか?

【日輪草】:

 英語だとLateral Thinking Puzzles。

 物事を側面からも考えることを主眼としたパズルだよ。

【れぶりん】:

 そう言われてもピンと来ませんが。

【日輪草】:

 習うより慣れろ、ってことで。

 有名な「ウミガメのスープ」からやってみようか?

【れぶりん】:

 はい。とりあえず、お願いします。


【日輪草】:

 まず、私が問題を出す。

 れぶりんさんが、私に質問をする。

 私が、それに、「はい」「いいえ」「関係ありません」で答える。

 必要がある場合にはコメントを添えるわ。

 質問の回数は、初めてだから無制限でもいいけど、、、  

 とりあえず10回以内でやってみようか?

【れぶりん】:

 わかりました。

【日輪草】:

 じゃあ、問題「ウミガメのスープ」


 ある男がレストランで「ウミガメのスープ」を頼んだ。

 男は一口食べて店員に「確かに『ウミガメのスープ』か?」と尋ねる。

 店員は「はい」と答える。

 その男はその直後に店を出て所持していた拳銃で自殺をしてしまった。

 さて、なぜでしょうか?


【れぶりん】:

 ?????

【日輪草】:

 きょとんとしていないで質問してよ。

 最初だからサービスするね。


 頼んだスープには特殊な薬、

 例えば、男を自殺させるような薬が入っていましたか?

 答えは「いいえ」。

 そんな感じで考えてみて。


【れぶりん】:

 はい。

 そのウミガメのスープを食べたことが男が自殺した直接の原因ですか?

【日輪草】:

 はい。

 そんな感じよ。

【れぶりん】:

 ウミガメのスープは高くて代金を男の所持金が足りなかったですか?

【日輪草】:

 関係ありません。お金の問題ではありません。

【れぶりん】:

 ウミガメのスープを食べたことで、男は不愉快な思いをしましたか?

【日輪草】:

 え~っと、一応、いいえ。

【れぶりん】:

 ウミガメのスープを食べて、男のトラウマが蘇りましましたか?

【日輪草】:

 いいえ。推理の方向性は合っています。


 その後も論点が定まらず、10回以内の質問で、男が自殺した理由を答えられなかった。


 俺がギブアップして諏訪先輩が教えてくれた答えを聞いて、俺は愕然とした。

 


【れぶりん】:

 そんなのわかるはずないですよ!

【日輪草】:

 だって、これが最高に難しいレベルなんだもん。



 意地悪である。

 でも優しい諏訪先輩は、次から易しい問題を出してくれた。

 

 おそらく俺のレベルに合わせて諏訪先輩が問題を選んでくれているおかげだろう。

 だんだん要領を得ていった。



【日輪草】:

 これなんか結構難しいけど面白いよ、

 行くね。「F1グランプリ」。

 あるレースで・・・



 質疑応答を7回ほど繰り返して、答えが見えた。


 よし、解けた!

 俺は、諏訪先輩に回答を伝えた。



【日輪草】:

 正解!お見事!

【れぶりん】:

 よかった。ついに正解しました。

 テレビで見たレース中継の光景を思い出しました。

 ドライバーの駆るF1マシン、チームクルー、レース場のスタッフ。

 そして、つめかけた大観衆がいますね。

 その光景を思い浮かべた瞬間、答えがわかりました。

【日輪草】:

 そういう考え方もあるのね。俯瞰して物を見ているのかな。

 れぶりんさんには意外とポイントガードの素質があるのかもね。



 俺がポイントガード?

 確かに足も遅くないし、ボールハンドリングも苦手じゃない。

 俺は背が高いから今まで自動的にポジションがセンターだった。

 ポイントガードとしてプレーするなんて考えたことはなかったな。




【日輪草】:

 じゃあ続けるね、マジック・れぶりんさん。

 もう時間も遅いから、これで、最後にするわ。

 次はね、私が作った問題よ。



 もうこれでおしまいか、時間が経つのは早すぎるよ、と(いささ)かの寂寥感を感じたが、わざわざ俺のために自分で問題を作ってくれた、というのは嬉しかった。



【日輪草】:

 問題「雨の日の少女」


 ある日、両手に荷物を持った1人の少女が学校から帰ろうとします。

 すると、雨が降ってきました。

 そこで1人の少年の傘に入れてもらい、家まで送ってもらいました。

 翌々日から少女は常に折り畳み傘を持ち歩くようになりました。

 なぜでしょう?

 質問は10回までね。

 今回は簡単に答えを教えてあげないからしっかり考えてね。


【れぶりん】:

 わかりました。頑張ります。

 その雨の日に少女は傘を持っていましたか?

【日輪草】:

 いいえ。


【れぶりん】:

 その少年と少女は元々仲が良かったですか?

【日輪草】:

 いいえ。


【れぶりん】:

 少女が帰ろうとした時、その少年以外には誰もいませんでしたか?

【日輪草】:

 いいえ。


【れぶりん】:

 少女の家と少年の家は近所でしたか?

【日輪草】:

 関係ありません。


【れぶりん】:

 その少女には「その少年の傘」に入れてもらう理由がありましたか?

【日輪草】:

 はい。とても重要です。


【れぶりん】:

 その少女は背が高く、その少年だけが少女よりも背が高かったですか?

【日輪草】:

 質問が2つになってるから、本当は駄目です。

 でも大目に見てあげる。両方とも、はい、です。


【れぶりん】:

 送ってもらった時、少女は不愉快な思いをしましたか?

【日輪草】:

 いいえ。


【れぶりん】:

 送ってもらった後、少年と少女は仲良くなりましたか?

【日輪草】:

 はい。


【れぶりん】:

 送ってもらった後、少年と少女は一緒にいたり、遊んだりするようになりましたか?

【日輪草】:

 いいえ。


【れぶりん】:

 少年と少女は一緒にいると不都合が生じますか?

【日輪草】:

 はい。とても重要です。


【れぶりん】:

 これで質問が10個ですね。

【日輪草】:

 じゃあ、答えられるわね。

【れぶりん】:

 難しいかも、です。

【日輪草】:

 じゃあ、明日までに考えておいて。

 いい質問がいっぱいあったから、きっとわかるわよ。

 私はさっき言ってた映画の上演スケジュールを調べておくね。

 一緒に映画に行く件については、待ち合わせの日時と場所を明日メールで相談するわ。

 メールへの返信に、れぶりんさんの「このパズルに対する回答」も添えて返信してね。


【れぶりん】:

 わかりました。考えておきます。

 考えておくというのはパズルの方で、映画の方は絶対行きます。

【日輪草】:

 ありがとう。

 映画の件、助かるわ。

 ちなみに、この問題はアナロジーになっているからね。

 そこについてもよ~く考えておいてね。

【れぶりん】:

 アナロジー?

【日輪草】:

 アナロジー(Analogy)というのは類推とか類比のことね。

 英語でも覚えておくといいよ。



 俺は手元にあった電子辞書で、「アナロジー」を調べる。


 アナロジー:類推、類比


 とある。


 別窓で検索エンジンを使って調べると。


 語意:「特定の事物」に基づく情報を「他の特定の事物」へ何らかの類似に基づいて適用する認知過程


という小難しそうな定義もされているが、この定義はむしろわかりやすい。



 例え話とか寓話性みたいなものか。



【れぶりん】:

 つまり例え話ということですか?

【日輪草】:

 ええ、そういうこと。

 後は自分で考えてね?

 明日メールするから。

 じゃあ、お休みなさい。



 「日輪草さんが退室しました」



 諏訪先輩は、颯爽と立ち去って行った。


 まさに、君去りし後。

 楽しかった分、独りになった時の寂しさが辛い。


 けれど、俺は諏訪先輩とふたりで一緒に映画館に行くというとんでもなく嬉しい約束をすることに成功した。

 今日は俺が高校に入学してから一番嬉しい日になった。自己ベスト更新である。



 

 時刻は23時。

 俺は諏訪先輩と2時間もチャットしていたことになる。

 自分の成し遂げた偉業が凄すぎて実感がわかない。

 よく頑張ったな、俺!



 とりあえず、ルーム13を退出し、チャットルームの表示画面を見渡す。

 吹奏楽部も日常会話もアニメファンも、すでにチャットを終えている。


 上まで画面をスクロールして行くが、どのチャットルームも終わっている。

 そもそも学校の公式チャットルームが24時間利用可能なのがすごいと思うが、生徒たちも節度を持って利用しているようだ。


 ああ、みんなもう寝たんだな、と思ったら、ひとつだけまだ継続中のチャットルームがある。



ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!

時刻  :16時から

メンバー:自由 (231人)

備考  :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!



 あいつら、まだやってんのか!!




(続く)

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