スードニア戦役 其の十三
医師と治療師はシンの傷を観ると、近侍の者に水を要求し、持ってきた鞄の中から薄緑色のポーションを取り出した。
「で、傷の具合はどうか?」
皇帝は詰め寄るようにして医師に聞く。
「はっ、傷に汚れが入りそれが毒となっておるのでしょう。このままですと顔が腐るかもしれませんので、水とこの薬液で傷口を洗い流し、その後に治癒魔法を掛けて頬骨を再生させ傷を塞ぎます。ただし傷の方は受けてから時間が経っており、更には応急手当の仕方も拙く痕が残るやもしれません」
「助かるのだな? まだ戦は終わっていない、軍務卿の知恵と力が必要なのだ」
「このまま放置なされば命の危険もありますが、私にお任せいただけるのであれば必ずや治して御覧に入れましょう」
「頼む、傷は良いとして熱の方はどうなのか」
医師は持参の鞄に一瞬だけ視線を移してから答える。
「鞄の中に解熱の丸薬がございますれば、心配には及びません。そもそもこの発熱は傷によるものですので、傷を治してしまえば一両日中に治まります。御安心下さい」
それを聞いた皇帝の顔には安堵の色が現れ、固く握りしめられた両手の力が次第に抜けていく。
近侍の者が水を持ってくると、医師と治療師は打ち合わせをしながら傷口を丁寧に洗い始めた。
シンは激痛に飛び上がりそうになるが、後ろから屈強な身体つきの治療師に抑え込まれ身動きが取れない。
医師が舌を噛まぬように丸めた布を口に入れようとするが、シンは鋭く一言要らぬとだけ答えて目を瞑り、激痛を身じろぎもせずにただひたすらに耐えた。
傷口を水とポーションで洗い終えると、シンの身体を押さえつけていた治療師が傷口に手を当て、治癒魔法を唱え始めた。
再生していく傷口からくすぐったくも温かい感じがして、強張っていた全身の力がゆっくりと抜けて行く。
魔法を唱え終えると、医師の言っていたように右頬に傷跡が残った。
最後に医師の差し出す丸薬を口に入れ、水で胃に流し込む。
「出来れば二、三日の間は御安静を、では」
医師と治療師は皇帝とシンの礼を受けると、負傷者は他にも沢山いますのでと褒美も受け取らずに天幕を出て行った。
「傷が残ってしまったな……済まぬな、シン。あの医師たちにも後で褒美を取らせよう、いい腕をしておった」
シンは恐る恐ると言った感じで右頬の傷を指でなぞる。
「ちぇ、色男が台無しになっちまった。まぁ箔が付いたと思えばいいか」
その言葉を聞いて、天幕の中に居る近侍や諸将は腹を抱えて笑い出した。
シンが不思議な顔をしていると、皇帝が肩を叩きながら最初っから色男など何処にも居らぬわと笑い転げた。
不服そうな表情を浮かべながらもシンは皇帝に礼を述べ、今後の方針を聞いて見た。
「ふむ、お主の熱が治まってからにしようと思う。どのみち敵の残した遺棄物の回収や戦場掃除をせねばならないからな。相当数の死人が出ているのでこれを疎かにすると、アンデッドの巣窟と化す恐れが出て来る。故に直ぐに軍を動かすことは無理であろう、今日はもう休むが良い」
「はっ、お言葉に甘えさせて頂きます。では……」
シンが踵を返し天幕を出ると、それを追うようにして副官のヨハンが付き従う。
「団長、もうお体の方は?」
ヨハンは心配そうに後ろから覗き込むようにして問い掛ける。
「大丈夫だ、薬も効いてきたから熱も下がってきた。それよりもアロイス達が気になる、一人でも多く戻ってくれば良いが……それと無傷の者は明日から戦場掃除に加わるように」
「はっ、そうですな……今日の所はゆっくり休ませて貰いましょう。ですが、アンデッド対策に夜間の歩哨を通常の倍にすることを進言致します」
「ああ、そうだな……もうルーアルト王国軍は襲ってこないだろうが、アンデッドだけではなく念のためにそちらにも注意を払うように皆に伝えてくれ。折角生き延びたのにここで油断をして命を落としては洒落にもならんからな」
「はっ、そうですな」
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翌日、シンが皇帝の天幕を訪れて熱が下がった事を伝えると、早速諸将を呼び出して軍議が開かれた。
「敵の戦死者の数が途方も無くて、身動きが取れませぬ。特に川に沈みたる死者の数は膨大でどうしようもなく……」
「川に沈んだ死体は兎も角、陸の死体は放置するわけにはいかぬ。アンデッド化もそうだが、疫病の元にもなる。ここは時間をかけてでもしっかりとやるべきだ」
「そうは言うが反乱軍はどうする? フュルステン城に籠られるのも厄介だが、逃げ散ればそれはそれで厄介だぞ」
「フュルステンは堅城、攻め急いでも簡単には落ちぬ。それに一度帝都に戻り、攻城兵器の用意もせねばならぬだろう」
諸将の議論は続くがすぐさま取って返し反乱軍を討つか、それとも時間を掛けて万全の準備をしたのちに攻めるかであるが、中々結論を出すことが出来ない。
そんな中、シンは議論に耳を傾けるものの積極的に発言をしようとはしなかった。
「シン、いや軍務卿、そなたならどうするのか?」
そう問い掛けて来たのは、旧知のカールスハウゼン領主であるシュトルベルム伯爵である。
伯爵は開戦以来シンをずっと支持しており、決死隊である傭兵団ヤタガラスにも多数の配下を送ってくれた。
シンは腕組を解き、瞑っていた目を開けるとゆっくりと皇帝の方を向いて話し始める。
「ここはあえて兵を二分しましょう。戦場掃除はしっかりとせねばばりません、しかしこのままだと反乱軍は方々へ逃げ散り、撃滅するのは容易いですが要らぬ苦労が掛かります。ここは本隊はフュルステン城に向かい、王都から攻城兵器を携えて一軍を出させ途中で合流し城をさっさと囲んでしまいましょう。戦場掃除にひと段落ついたら直ちに掃除組も本隊に合流して城を囲んでもらいます。後は囲んでいるだけで城は勝手に落ちるでしょう」
「何? 囲むだけとな? 攻めぬのか?」
「ええ、聞いた話ではフュルステンは堅城なのでしょう? 反乱軍の数は二万と考えると、攻め落とすには五倍の十万から十倍の二十万は必要になります。こちらもそんなには急に兵を集められないですし、無理に攻めても損害が馬鹿にならない。反乱軍は頼みの綱のルーアルト王国軍が破れ、どこからも援軍はもう望めず士気は下がって行くばかり……城を囲んで時期を見て、お前だけを助けてやると言葉で釣って内通者を作り門を開けさせればそれで済みます」
「流石であるな、シン。もうその役をする内通者はおるのだ、名前はまだ言えぬがな……余はこの案で行きたいと思うが、皆はどうか?」
「果たして上手く行きますかな? その内通者は信用出来るのでしょうか?」
シュタウデッガー男爵が恐る恐ると言った風に疑問をぶつけるが、皇帝の顔には余裕の色が見て取れかつ自信に満ち溢れていることが態度で示されると、安心したように以降は口を噤んだ。
「安心せい、必ずや上手く行くことを余が保証しよう。余は戦では役に立たぬが、こういった工作は得意でな……いや得意にならねば生き延びることが出来なんだ」
天幕内に沈黙が訪れる。
かつて血縁者である叔父に命を狙われ、廷臣たちの裏切りや寝返りをされたりさせたりと皇帝は剣を交えぬ戦いにおいては、若年ではありながらも百戦錬磨と言ってよい。
「陛下がそうおっしゃるのであれば、我々に異議は御座いません」
諸将が一斉に頭を下げるのを見て、皇帝は満足気に頷く。
「皆に感謝を、では早速だが部隊分けについて話し合おうか」
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戦場掃除の残留組は経理に明るいシュトルベルム伯爵が遺棄物の回収と管理を担当し、この地方の領主であるキャラハン伯爵が戦場掃除を指揮することになった。
この二人の下に大小幾つかの貴族が加わり、その数は一万人。
残りの者達はスードニアの丘の陣を引き払い一路フュルステン城へと向かい、同時に帝都に戦勝報告と反乱軍討伐作戦の指示をするために早馬が出される。
後世においてスードニアの戦い、反乱軍討伐までを含めてスードニア戦役と呼ばれる戦いは急ぎ足で終結へと向かって行った。