スードニア戦役 其の十一
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「隊長、船が、船が一艘もありません!」
「馬鹿な、無いとはどういうことか」
エームス川の岸に辿り着いたラーハルト二世と近衛騎士第一小隊は、渡し場に一艘の渡し船すらない現状に茫然自失の体の成していた。
先日、些細な理由で国王ラーハルト二世から仲間を打擲された船頭たちは、サボタージュを働き渡し船を対岸に全て引き上げていたのだ。
彼らの怒りは凄まじく、手漕ぎの小舟一艘すらも対岸に引き上げるという徹底ぶりであった。
こうしている間にも敵の追っ手は刻一刻と迫って来ている。
第二小隊を時間稼ぎのために送り出したが、たかが五十人程度では打ち破られるのも時間の問題であった。
時間的猶予は最早無く、指揮官は決断を迫られる。
「傾注! これより第一小隊は渡河を開始する。装備は剣一本までとしそれ以外は全て遺棄せよ」
小隊長は国王の前に跪くと、国王にも決断を迫った。
「陛下、事ここに至っては致し方がありませぬ。討死するか、川を泳いで渡るかの二つに一つ。御決断下さい」
国王とその取り巻きは狼狽するばかりで、決断などとてもではないが下せるような状態ではない。
小隊長は腹を決め、国王の服を脱がし始める。
「無礼な! 何をするか!」
服を脱がされ始めて現実逃避を中断された国王は、青い顔を赤くして怒鳴り散らす。
「なれば陛下はここで討死する腹積もりでありましょうか、だとすれば失礼いたしました。剣を持って参りますので今しばらくお待ちください」
討死と言う言葉を聞き、怒りに染まった赤い顔は瞬時に青くなる。
「ま、ま、待つがよい! 討死はいかん、いかんぞ、余が居なくなればルーアルト王国は成り立たぬ……そうじゃ、いっそのこと帝国に降伏するというのはどうであろうか?」
小隊長は溜息を吐きながら首を振る。
「陛下、陛下がもし帝国の皇帝だとしてルーアルト王国の国王を捕えたらどうなさいますか? 私なら帝国に内乱を起こさせそれに乗じて攻めて来た者を決して許しはしません」
「あれはハーベイの奴らがやったことだ! 余は知らぬ!」
「帝国の皇帝はそのような事は知りはしませんし、知っていたとしても最早どうでもよい事です。敵の首魁を捕えたならば見せしめに殺すのは当然の事、さぁ御決断を御急ぎ下さい。追っ手はすぐそこまで迫っておりますぞ!」
国王はこの期に及んでも顔色を目まぐるしく変えながらワナワナと震えるばかりで決を下すことが出来ない。
焦る小隊長は強引に国王の服を脱がそうと手を掛けようとしたその時、一人の騎士が凶報を携えて現れた。
「御注進、近衛騎士団長ジョージ・ブラハム様が戦死なさいました!」
「なに? それはまことか、まさか……団長が……あり得ぬ……」
「はっ、某がしかとその最後を見届けました。団長を一騎打ちで討ち取りし者の名はシン、帝国では有名な竜殺しのシンでございます」
「団長……」
小隊長をはじめその報に触れた近衛騎士たちはみな落涙し、その死を悼んだ。
国王ラーハルト二世はその比類なき戦闘力を買っていた義兄の死の報を受け、白目を剥いて気を失った。
これ幸いと小隊長たちは国王を裸に剥き、脇を支え川岸へと運ぶ。
「ブラハム団長の最後の命令を遂行する。第一小隊、エームス川を泳いで渡り国王陛下を無事本国へと送り届けるぞ!」
第一小隊全員が下着姿となり次々とエームス川に飛び込んでいく。
水練達者な者数名に国王を預け、体力に余裕のある者には武器と少数の金貨や宝石を持たせエームス川を渡らせることにした。
エームス川の川幅は約六十メートル、流れは遅く水泳が得意な者にとっては大した障害では無い。
だが小隊の内約半数は水泳を殆ど行ったことがなく、どれほどの者が無事対岸に辿り着けるかわかりかねる。
だがこの場に留まっても敵に蹂躙されるのが目に見えている。
泳ぎの不得意な者も決死の覚悟で次々と川へ飛び込んでいく。
「わ、儂らはどうすれば……」
国王の取り巻きと側女などは顔を見合わせてオロオロとするばかりで、誰も川に飛び込もうとはしなかった。
「どうぞご自由に、某が受けた命令は国王陛下を無事に逃がせとのこと。その他の事になど構ってはおれぬ。では、御免」
小隊長も部隊の全員が飛び込んだのを見届けると、手早く装備を脱ぎエームス川へと飛び込んで行った。
「我々はどうすれば、どうすれば……」
川にも飛び込まず、かと言って逃げ散るでもなくただ茫然と突っ立っていると、第二小隊を打ち破った傭兵団ヤタガラスの追撃隊が川岸へと姿を現した。
「国王を探せ、それ以外の者に用は無い。抵抗するなら斬り捨てて構わん」
追撃隊を乱戦の中で編成し、その指揮を執るのは道中で斥候の全ての運用を任されていたフェリス・ルートンであった。
この時率いていた追撃隊の数は凡そ六百騎、纏まった数を集めるのに時間を喰ってしまい、更には死兵と化した王国近衛騎士第二小隊の抵抗もあり、川岸へと到着した時には国王の姿は既にそこには無かった。
「隊長、あれを……」
配下の騎士が指差す方向には川を泳ぎ渡り切った第一小隊の姿があり、数人に支えられた肥満体型の男の姿も見える。
「おそらくあれが国王だな……クソ! 間に合わなかったか!」
「隊長、王国の高官と国王の妻妾らしき者達を捕えました。如何いたしましょうか?」
別の部下が息を切らせながら報告してくるのを聞いて、フェリスは険しげな表情を少しだけ緩める。
「ふん、手柄がまるで無いよりは幾らかマシか……よし、捕縛し連れて行く。ただし抵抗するなら始末しろ、急ぎこの場を離れて予定の合流地点へ行くぞ。うかうかしてると俺たちも川へと追い落とされかねんからな」
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ブラハムとの一騎打ちに決着が着いたシンは、馬上で荒い呼吸を整え顔に負った裂傷に布を当て、止血を試みていた。
王国にその人ありと武名を轟かせていた近衛騎士団長を失った王国軍は、その士気を砕かれ次々と戦場を後にしていく。
周囲の抵抗を続ける敵を一掃し、兵の再編を終えたヨハンとアロイスがシンに指示を乞いに来て血で染まった顔を見て息を飲んだ。
「団長……おい! 誰か治療魔法の使い手は居らぬか、それか薬を持っている者でもよい。誰か居らぬか」
アロイスが周囲に集まった兵達に大声で呼びかけるも、残念ながら治癒魔法の使い手も薬を所持する者も居なかった。
「大丈夫だ、少し喋りにくいがな……追撃隊は?」
「フェリスが五、六百騎を率いて追いかけました」
「そうか、後は彼らに任せよう。よし俺たちは合流地点へ向かうぞ、もう追いかけても間に合わないしな……ん? 何をしている?」
ヨハンと部下数騎が馬を降りてブラハムの首を布で包み、彼の剣を拾い上げる。
「団長、ジョージ・ブラハムと言えば名の知れた豪の者、更にこの者は国王の義兄ですので、流石に首を討ち捨てには出来ません」
「そうか……わかった。ヨハン、任せる」
喋りにくそうに短く答えたシンは、心配そうに唸り声をあげる龍馬のサクラの首筋をそっと撫でると、急ぎ兵を纏め合流地点へと駈け出した。
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中央大陸の軍の形態は各国似通っており、編成人数などは国が変わっても左程の違いは無い。
小隊は五十人前後、それ以下は分隊と呼ばれることが多い。
また小隊が四つないし五つで中隊、中隊が四つないし五つで大隊である。
シンの率いた傭兵団ヤタガラスを例にとって見ると、三千の騎兵で構成されており、三人の中級指揮官が与えられている。
中級指揮官は一人あたり千人を指揮するので大隊長であり、傭兵団ヤタガラスは三個大隊規模の兵力であるという計算になる。
小隊の数は現ドイツ軍小隊の編成人数を参考にさせていただきました。