スードニア戦役 其の八
早春のまだ冬の厳しさが残る早朝、日の出と共に将兵一丸となってスードニアの丘に陣を構築する。
空堀を掘り、土嚢を積み重ね、柵を立て、逆茂木を配す。
将兵たちの身体から湯気が立ち上り、汗の匂いと掘り返された土の匂いが混ざり合う。
「では陛下、我々は出撃致します」
「うむ、頼んだぞ。武運を祈る」
皇帝もシンも覚悟はとうに決まっている。
傭兵団ヤタガラスは夜明けと共に静かにスードニアの丘を離れ、大きく迂回すべく南東へと進路を取った。
「さて、後は仕掛けるタイミング、これが一番難しいな」
「我々が敵陣に肉薄するまで本陣は耐えられるでしょうか?」
副官のヨハンがシンに並走しながら聞いてくる。
「簡易的な城塞と言ってもいいであろうスードニアの丘を、三倍の兵力とはいえ一日で落とせはしない。相手はまさか丘に城塞を築いて立て籠もるなどとは思っていないだろう、攻めあぐねるはずだ」
「確かに……しかしこの戦、長引かせるわけには行きませぬ。背後で蠢動する反乱軍のこともあります」
「その通りだ。さっさと勝って返す刀で反乱軍を血祭りに上げねばならない、さてそろそろ予定の地点だな、休息を取るとしよう」
全軍に停止を命じ、四方に斥候を放つ。
敵に発見されるのを防ぐため、火を使わずに味気ない朝食を取りながらシンことサータケは、部隊長やその下の小隊長を集め広げた地図を指し示しながら、進軍ルートの再確認を行う。
南東にこのまま進み、エームス川にぶつかったら川沿いを北上し敵の左斜め後背から忍び寄る。
出来る限り味方の援軍を装って敵陣に浸透し、一気に敵本陣を落とす。
皆を見れば、無精髭に油の浮いた顔、兜からはみ出たボサボサの髪、目は血走り戦意に満ちている。
「よし、朝食を取った後は馬を休ませるため徒歩で進軍する。途中一度この地点で小休止、以降は昼まで騎乗で移動、徒歩と騎乗を繰り返しながら進むぞ」
朝食を取り終えた傭兵団ヤタガラスは、全員馬から降りて轡を取り徒歩で再び進軍を開始した。
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「報告致します、敵軍がエームス川を渡り始めました」
帝国軍本陣に張られた天幕に斥候が駆け込み、敵が動き出したことを告げる。
「動きが鈍いな、まぁその方が助かる。陣地の構築の進捗はどうなっておるか?」
皇帝は机の上に広げられた地図に視線を落としたまま諸将に問う。
「はっ、想定より空堀と土嚢の壁は進んでおりますが、柵と逆茂木のほうが木が足りず遅れております」
「ならば柵と逆茂木は前線に優先して、本陣周りは荷車を並べて柵の代わりとせよ。この際見栄えなどどうでもよい、時間が惜しいゆえすぐに行動せよ」
平素穏やかな皇帝に珍しい強い口調の命を受け、諸将が慌てて席を立ち天幕から駈け出して行く。
皇帝ヴィルヘルム七世が戦場に身を置くのは今回で二度目である。
初陣は帝国西部の地方反乱で、その時は本陣に座り敵の姿を見る事も無く、何の命令も下す事無く終わった。
あの時は拍子抜けしたが今回は違う。
地図を通して敵の息遣いが聞こえて来るような、言葉では到底言い表せない奇妙な感覚に包まれていた。
――――これが戦い……これが戦争か……この感覚は好きにはなれそうもないな……
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ルーアルト王国軍は帝国軍の妨害を受けることなく渡河を成功させた。
「飛沫が余の顔にかかったではないか!」
国王ラーハルト二世は両腕で頭を庇い背を丸め蹲る船頭に、手に持った杖で容赦のない打擲を何度も加える。
見かねた近侍が、国王を用意した天幕へと促すと打擲を止め荒い息を吐きながらその場を後にする。
残された哀れな船頭は頭から血を流し、背の痛みのせいで立ち上がることは出来ない。
船頭の仲間が肩に担いで渡し船に乗せ、対岸へと漕ぎ出していく。
血を流し呻き声を上げる船頭とその仲間たちのその眼には、暗い憎しみの炎が宿っていた。
ルーアルト王国軍の全軍と輜重などの物資が川を渡り終えるのに二日を要した。
王国軍は渡河中の帝国軍の攻撃を警戒したが攻撃どころか妨害すら受けず、肩すかしを喰らい反動で気のゆるみが生じていた。
「ふん、帝国軍の奴らめ臆したか」
「いや、何でもこの平原の先にある丘に陣を構えているらしい。高低差を利用して一気に駆け下りてくるつもりだろう」
「ふっ、何とも幼稚な、こちらは前面に兵を厚く配し敵の突撃を防げばよい。敵の突撃を止めた後、本陣から左右に軍を出して包み込めば勝ちは決まったも同然」
「然り、皇帝は帝都に籠っているとの情報がある。敵の戦意も低いのであろう、だから渡河中に攻撃をして来なかったのだ」
諸将の楽観的な言を聞き、ラーハルト二世は満足気に頷く。
「最早勝ちは決まったも同然、この帝国軍主力を打ち破ぶりし後はハーベイ連合に更なる増援を求め、帝国を完全に征服する。そうなれば諸将、恩賞は思いのままぞ励めよ」
突き出た腹の脂肪を揺らしながらラーハルト二世が笑うと、諸将も追従して高笑いをする。
ここまで然したる抵抗も無しに進み、街や村は王国軍を歓迎し命令にも素直に従っていた。
最初はその事を不思議に思っていたが、慣れとは恐ろしいものでそれが当たり前のように続くと、もう誰も疑問を抱くことはなかった。
更に渡河がすんなりと成功すると、もう王国軍は完全に油断しきり周辺の索敵すら怠るようになっていた。
ここまでは全てシンの計画通りである。
「では明日、先程述べたように前面の兵を密集形態に陣形を変えた後、帝国軍に攻撃を開始する!」
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翌日の朝、ルーアルト王国は朝食をゆっくりと摂った後、緩慢な動きで陣形を変えスードニアの丘へと攻撃を開始した。
そこでルーアルト王国軍は衝撃の光景を目の当たりにすることとなった。
「なに! 城塞だと? 馬鹿な、帝国軍は丘から突撃してくるはずであろうが」
「いえ、それが丘に柵が張り巡らされており……前線がどうすればよいか指示を乞うております」
連絡のため遣わされた傭兵を忌々しげに見ながら、ラーハルト二世はそのまま攻撃するように命を下す。
「何を戯けたことを申しておる。こちらの方が数は多いのだ、そのまま揉みつぶせばよかろうが」
「しかし、敵の出方がわからぬ以上、兵を動かすのは危険では……」
そう言いかけた近侍は、ラーハルト二世の険を含む鋭い視線に耐えかねて口を閉ざした。
「ふん、臆病者め、再び命令する。敵を正面から打ち破れ!」
こうしてスードニアの丘に籠る帝国軍に対し、ルーアルト王国軍は正面から攻撃を開始する事となった。
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かくして両軍は激突した。
まずは両軍とも弓兵が前線に出て来て、矢を撃ちあう矢合わせが行われる。
帝国軍は柵や土塁に身を隠しながら弓を放つのに対し、丘の下から隠れる遮蔽物も無しに弓を放たざるを得ない王国軍は数度の矢合わせで甚大な被害を出してしまう。
更に王国軍はその大半がハーベイ連合がかき集めた傭兵部隊、装備の質も統一されてなければ部隊間の連携も取れていない。
逆に帝国軍は地の利を得ており、装備も統一され部隊間の連携も取れている。
こちらの損害は少ない上に面白いように敵を撃ち倒し、士気は益々盛んになる。
距離が詰まってくると魔法使いたちが魔法で柵や土塁を吹き飛ばそうと前線に姿を現し始める。
帝国軍もそれに抗するため魔法使いを前線に出し、魔法を撃ち合せると共に弓兵に魔法使いに矢を集中させるよう命令を出す。
柵や土塁に身を隠しながら戦う帝国軍の魔法使いに対し、身をさらしながら戦わざるを得ない王国軍の魔法使いたちは、集中力に欠き効果的に魔法を唱える事は出来ずに被害を拡大させるのみであった。
王国軍の指揮官たちは魔法使いを下げ、歩兵によって肉薄することを決意する。
逆茂木と堀、そして前面に密集させた歩兵のために王国軍の騎兵はただの飾りと化す。
歩兵が前進を開始するも、頭上から矢と魔法が襲い掛かりそれらを掻い潜っても空堀が前進を阻む。
慌てて先頭が空堀の前で停止するも、後から後から部隊が前進してくるため押されて空堀の中に次々と悲鳴をあげながら落ちて行く。
自分達に圧倒的に有利に事が進んでいく光景を見ながら、帝国軍の諸将はこの作戦の発案者であるシンの鬼謀に感服せざるを得なかった。