スードニア戦役 其の七
街道脇の草原を傭兵団ヤタガラスは歩いていた。
踏みつけられた雑草から青臭い苦みばしった匂いがわきあがり肺腑を満たしていく。
帝都を発ってから二日後の朝、シンは傭兵団の後方から近付く一団があるとの報告を受ける。
すぐに騎兵数騎を送り込み何者か誰何すると、創造神ハルを崇める創生教、月と星の神アルテラを崇める星導教、力と勝利の神ガルグを崇める力信教の三教団の僧兵と神官が、聖戦士であるシンに合力するために有志を募り追いかけて来たとのことであった。
シンは表向きは感謝の意を示しつつも、内心では辟易していた。
――――ここで教団に貸しを作ると後々面倒なことになりそうだ……第一着いてこられたら作戦の邪魔にしかならん、どうするか……
「三教団のお心遣いに感謝します。ですが私はこの度、皇帝陛下より臨時ではありますが軍務卿の地位を授かっております。ですから今までのように、自分の気ままに物事を決める訳には参りません。三教団の代表者の方は陛下にお会いになられて、お許しを得なければ戦に連れて行くことは出来かねます」
それぞれの教団の代表者はシンの言葉を聞いて、尤もであると頷く。
「わかりました、我々は聖戦士殿を困らせるために来たわけではありません。皇帝陛下に面会を求め、お許しを得てそれから聖戦士殿に合力することに致します。では」
あっさりと引き下がった教団代表者に肩すかしを喰らいつつも、シンは用心に用心を重ね皇帝ヴィルヘルム七世に警戒を促す手紙を書いて副団長に指名したヨハンに持たせ本陣へと向かわせた。
---
「成程、確かに作戦に神官どもがのこのこ着いて行っては邪魔であるな……よかろう、この件はこちらで何とかしておくゆえシン……サータケには作戦に専念せよと伝えよ。ご苦労だったな、また何か変事があれば知らせるように」
替え馬を乗り換えて、急ぎ駆けて来たヨハンより手紙を受け取り読み終えた皇帝は、労いの言葉を掛けると再び馬車を進ませた。
半日後に教団の代表者が面会を望んでいると近侍から報告を受けて、簡易天幕を張って各教団の代表者三名と面会を行った。
皇帝はシンの手紙に書いてあったことを思い出す。
自分の部隊に教団員が着いて来れば、この作戦は失敗する。
だから何とかして教団を傭兵団ヤタガラスに近づけさせないようにして欲しい。
それと教団から作戦の情報が漏れないよう注意して欲しい。
「まったく、厄介な……」
「は?」
「いや、此度の戦のことだ。それでシンに力添えしたいという話だったな、シンは今は余の臣下である。ということは、シンに力を貸すと言う事は即ち三教団は帝国に力添えをしてくれるという訳だな。それは総本山の意向かな?」
「あ、いえ、こ、これは帝都の三教団の有志による行動でして……」
教団の代表者たちは動揺し額から流れる汗を拭きつつ、歯切れの悪い返事を返す。
「ふむ、総本山の意向ではないのか。余はこの戦を聖戦と各教団が認めてくださったのだと思っていたのだがな」
「そ、そ、それは……未だ総本山では議論が続いておりまして、結論が出ぬまま此度の戦を迎えたものでその……」
皇帝は内心でこの者たちを教団に対する楔として、どう活かすべきか考える。
宗教が力を持つことに対して危機感を感じぬ為政者は愚物である。
ましてやこの世界では、宗教は固有の武力を有しておりその根は国を越えて張り巡らされているのだ。
――――ここは従軍を認め、この者たちに貸しを作る。恐らくこやつ等の目的は名誉、聖戦士と共に戦ったというな……くだらん、実にくだらない連中だ。だが、こやつ等がその名誉を授かることで総本山としては面白くなかろうな。
「そなたたちを困らせたいのではない、許せ。そなたたちにも事情はあろう、だがなシンの部隊に加える事は出来ぬ。いや、編成上の都合でな……シンは騎兵を率いて貰っている。そなたたちが加われば折角の騎兵の有利を捨てねばならなくなる。わかっていただけるかな?」
今回三教団が率いて来た者たちに騎兵は居ない。
教団の代表者たちは互いに顔を見合わせて二、三言葉を交わした後皇帝の言に納得の意を示した。
「だが、別の形でシンを助ける事は出来よう。後方に控えていただき、回復魔法の使い手にわが軍の負傷者を癒して貰いたい。どうであろうか?」
教団の代表者たちは再び短い言葉を幾度か交わした後、皇帝の意に従うことを約束した。
今回戦に参加した教団員の一番の目的は聖戦士と共に戦ったという名誉である。
ならば何も危険な前線で肩を並べて戦わずとも、同じ戦場に居ればその名誉を授かることは出来ると考えたのだ。
流石にただ観戦者として突っ立っている訳にはいかないので、皇帝の申し出は教団にとっては渡りに船であった。
教団を後方に下がらせ、軍勢は再び進軍を開始する。
――――シンよ、障害は取り除いたぞ…………後はお主に帝国の運命を託す。
---
穏やかな天候に恵まれた帝国軍は、最低限の休息のみを取りスードニアの丘へと急ぎ足を進める。
途中で自分の領地に戻った貴族たちが、手勢を率いて次々と合流する。
その中にはカールスハウゼン領主、シュトルベルム伯爵の姿もあった。
伯爵は手勢の中から百騎をシンに預ける。
傭兵団ヤタガラスの現在の人数は二千六百騎、スードニアの丘に着く頃には三千騎に達する見通しである。
帝国軍は明後日にはスードニアの丘に着く予定だが、敵はまだエームス川にすら姿を見せてはおらず、陣地構築の時間を稼ぐことが出来た。
---
一方その頃、ルーアルト王国軍本陣では国王ラーハルト二世が昼間から連れて来た側妻を相手に情事に耽っていた。
天幕の中から絶えず嬌声が聞こえ、良識ある者は皆眉を顰める。
総大将がこのざまであれば、その下の者たちも規律など有って無いが如しである。
近隣の村や街から徴収という名の元に強奪した酒や食料と女で連日お祭り騒ぎ、ただし元ルーアルト王国の領地であり再占領することもあって火をかける事は禁じていた。
「陛下、帝国軍が近付いて参りましたぞ」
近侍の一人が物見のもたらした報告を告げる。
天幕の中は酒精の匂いと情事の臭いが混ざり合い、耐え難い臭気が籠っていた。
「何? 臆病な皇帝は帝都に籠っておるとの話ではなかったか? 貴様、余を謀ったのか?」
側妻に打ち付けていた腰を止め、邪魔をした近侍を不快げに見下ろしたラーハルト二世は傍に置いてある酒杯を手に取り一息に呷る。
「滅相も御座いません。恐らく皇帝不在の帝国貴族の寄せ集めで御座いましょう、その数は物見の報告では五万程ではないかと……」
ラーハルト二世が顎に付いた脂肪を震わせながら笑うと、側妻や近侍も追従し笑いを浮かべる。
「こちらの三分の一ではないか、城に籠るならいざ知らず野戦でこの差は覆せまい。皆の者、勝ちは決まったわ」
再び全身の脂肪を震わせて大笑いする様は醜悪極まりなく、側妻や近侍も一瞬眉を顰めてしまうほどであった。
「そろそろこちらも動きませんと……取り敢えず敵の妨害が無い内にエームス川を渡った方がよろしいかと……」
「わかった、わかった。明日から進軍を再開せよ、邪魔だ去ね」
そう言って近侍を手を払って追い出すと、再び側妻に圧し掛かっていった。
近侍は言われた通りに天幕を出ると、肺の中にある天幕内の臭気を絞り出すかのように大きく呼吸をした後、深い溜息をついた。
――――兵数は三倍と言っても王国軍本隊は僅か一万五千ではないか、後は全て借りものでしかも傭兵……この戦、危ういかも知れんな。
脳裏をかすめる妻子の顔を頭を振って払うと、将軍や傭兵の指揮官に国王の意を伝えるべく嬌声の響く天幕を後にした。