スードニア戦役 其の三
シンは宰相が持っている指揮棒を借りると、ある一点を指した後で諸将を見回す。
「このスードニアの丘という場所を知っている方はいませんか?」
「そこは私の領地だ。小高い丘、そうだな……標高にすると三、四百メートルといった所だろう。平原の真ん中にある小さな丘だ」
答えたのは元ルーアルト王国西方辺境伯が嫡子、マックス・キャラハンであった。
父親の名はピーター・キャラハン、帝国に降った際に元のまま伯爵号を授かっている。
嫡子であるマックスは帝国に降ったキャラハン家が帝都に送った人質である。
マックスは主戦場が帝国東部地方、旧ルーアルト王国西方辺境で行われる可能性を考慮し、道案内役を兼ねて軍議に呼ばれていた。
キャラハン伯爵領内で戦闘になることは承知済みであったが、当のマックスは自家が前の時のように見殺しにされるのではないかと、気が気ではなかった。
どうやらそれはないようだが、勝機の薄さに絶望していた。
帝国が負ければ、ルーアルト国王ラーハルト二世は自分を裏切ったキャラハン家を、生かしてはおかないだろう。
では、今から寝返るか? 自分はここで殺されるだろうがキャラハン家は生き残れるか? 恐らく無理だろう。
戦力が拮抗しているなら未だしも、今回は敵が数の上で圧倒的に有利、今更寝返ったところで許されるはずもない。
マックスの内心をよそにシンは周辺地理の詳しい情報を聞き出す。
木はどれくらい生えているか、地面の固さはどうかなどと一見すると戦と関係ないように思える情報まで根掘り葉掘り聞いた。
マックスは素直に知っている限りの情報を教えはしたが、この剣術指南兼相談役が何を考えているのか皆目見当が付かない。
これは皇帝以下、諸将も同じで苛立ちを隠せぬ者が声を上げてやっとシンが説明をし出す。
「たしか敵軍の内容はルーアルト王国軍が一万から二万、後は全部ハーベイ連合の送り込んだ傭兵でしたよね? それならどうにかなるかもしれません」
「なに? どういうことか?」
皇帝は席を立ち、宰相や諸将も思わず腰を浮かしかける。
胡散臭げな視線と興味や好奇心の合い混じった視線が、シンに集中する。
「まず、敵の渡河は妨害せずに、すんなりと成功させてあげましょう」
「馬鹿な! 折角の好機を逃すと言うのか、数で劣っているのだぞ、敵の渡河中に攻撃を仕掛けて少しでも数を減らさずしてどうするのか!」
諸将の内の一人が机を両手で叩きながら声を荒げて立ち上がる。
シンは真っ直ぐに目を合わせた後で、指揮棒で地図の一点を円を描くようになぞりながら説明を続けた。
「敵も渡河中に攻撃を仕掛けてくると思っているでしょう。その対応策も考えているはずです。ですから攻撃を仕掛けても大した戦果は期待できないと思われます。そこで、渡河を妨害せずにすんなりと成功させることで肩すかしと油断を誘います。ここで敵がこちらに何か策があると警戒されないように、もっともらしい理由を作ります。それがここ、スードニアの丘……ここに陣を張れば地形を利用して迎撃するために、渡河中の攻撃を諦めたと思わせることが出来ると思います。」
未だ諸将の顔には疑念という靄が掛かっており、懐疑的な視線をシンに向けている。
「スードニアの丘に堅陣を敷き、敵を食い止めている間に事前に戦場を迂回した一部隊が敵本陣を強襲し、敵国王の首を獲る。これが私の考えている作戦の概要です。後は少しでも勝率を上げるために色々と小細工を施します。」
そんなに上手く行くものかと言いたげな諸将の顔を見回すと、次にこの作戦の補足を話し始める。
「敵の本体は一万から二万、これが今回の勝利への鍵となります。この本体の側面なり後背なりから奇襲を掛け突破さえ出来れば良いのです。敵国王の性格からして、前線に出てくることは無く恐らく最後方から督戦すると思われます。国王を打ち倒すなり国王の旌旗を打ち倒すなりすればこの作戦は成功です。敵の大部分は傭兵、金で雇われています。功績を認めてくれる者が戦場から居なくなれば彼らは戦う意義を失います。命を懸けてタダ働きなどはしないでしょう、後は逃げる敵を川に追い落とせば良いだけです」
幾人かがゴクリと生唾を飲んだ。
皇帝もそれは同じ、その後でシンに聞く。
「別働隊が敵を打ち破るまで敵の攻撃を耐え凌がねばならんな、それに別働隊を誰が指揮するかだが……」
シンは指揮棒を宰相に返すと、皇帝の目を見つめ答える。
「耐え凌ぐために幾つか小細工をします。それと別働隊はお許し頂けるなら、自分が指揮致します。死を恐れぬ決死隊、全員騎兵で三千人ほど頂きとうございます」
これには諸将も目を見開かざるを得ない。
偉そうに講釈を垂れている者が自ら一番危険な役に志願するとは思いもよらなかったのだ。
「おい、シン!」
皇帝が言葉を続けようとするのを視線で制し、この作戦の肝を伝える。
「私は以前傭兵をしておりました。多少は傭兵の流儀に通じております、それと別働隊ですがこれにも幾つか細工を施さねばなりません。別働隊は敵の傭兵に偽装してもし途中で敵に発見されても、増援の味方だと誤認させ少しでも作戦の成功率を上げたいと思っております。これは貴族の方々には不向きな仕事、故に自分が志願したのです」
こう言われてしまっては皇帝もぐうの音も出ない、目を瞑りわかった、許可すると言葉短く了承した。
更にシンは小細工について説明し出す。
「まず、決死隊は全員騎馬で、装備は統一せずバラバラで汚れや傷を付けて傭兵らしくして頂きたい。あと髪を切ったり髭を剃るのも禁止、頭はボサボサで無精髭を生やして顔も汚してそれらしく振る舞って頂きたい。香油を塗るのも禁止です。いい匂いのする傭兵なんて居ないですからね。それと総指揮は自分が執りますが、中級指揮官を幾人か用意して頂きたい。それとパスポート……じゃなかった、ハーベイ連合の書いたと思わせられるような親書のような物も用意して頂きたい。別働隊はこんなものかな……後は陣地の方か」
数的に劣勢でありながら敵の大将の首を挙げて勝った例は幾つもある。
織田信長の桶狭間の戦い、光武帝の昆陽の戦いなどが特に有名である。
敵に偽装して裏に回るのも幾つも例があるが、シンは第二次世界大戦時のドイツの特殊部隊ブランデンブルクを参考にすることにした。
ブランデンブルグは敵国語を覚え、敵の鹵獲装備を使い偽装し、偽のパスポートまで用意するという用意周到振りで敵中に潜り込み破壊工作などを行った特殊部隊である。
シンはルーアルト王国で使われている大陸公用語も過不足なく話せる。
さらに傭兵に偽装するのも問題無いだろう。
パスポートはこの世界には無いが、これはハーベイ連合が書いた親書なりなんなりを偽造して信憑性を高める小道具にしようと考えていた。
シンは自分で考えだすことが出来ないなら地球の偉大な先達に学ぼうと思い、必死に今回の状況に応用できる事例を思い出していた。
シンが話す内容、その用意周到振りにそこまでするのかと誰もが目を見開き絶句する。
「陣地の方ですが野戦陣地を構築するのに用意してもらいたい物が沢山あります。まずは小麦などを入れるのに使っている麻の袋を大量に、それと土を掘り起こす鍬、木を切り倒す斧、柵や逆茂木を作るのに必要な縄、それらを運搬するための馬車、時間の許す限りで構いませんので大量に用意して頂きたい。まず鍬で土を掘り空堀を作ります。その時に出た土を麻の袋に詰めて土嚢を作りそれで壁を作ります。行軍途中で目に付いた木を片っ端から切り倒し、それを運搬し現地で柵と逆茂木を作る。これは時間との勝負になります、そのためにも敵軍が通過する地域の領主や地主には、敵を歓待してもらって少しでも時間を稼いで頂きたいのです」
「全てが理に適っておる。皆もどうか? 他にこれ以上の策はあるか?」
皇帝は再び立ち上がり宰相、大臣、諸将を見回す。
「はっ、確かに理にかなっております。懸念する点は幾つかありますが、特に必要な物資を短い期間でどれだけ集められるかは不明であります。ですが私が思うにこれ以上の策は無いかと思われます、いささか博打性が高うございますが、この状況を打開するには仕方のないことかと……お許し頂ければすぐさま準備に取り掛かりとう御座います」
宰相エドアルドが皆を代表するかのように立ち上がり皇帝に決断を促す。
「よし、余も覚悟を決めた! エドアルド、大臣たちと共に直ちに準備にかかれ、ルーアルトの豚とハーベイの野良犬どもを必ずや打ち破り帝国を守り抜くぞ!」