レオナの去就
天候にも恵まれ、道中何事も無く帝都に着いた伯爵と碧き焔は、帝都にあるシュトルベルム伯邸に着くと早速、皇帝陛下に目通りの許可を得る使者を出す。
使者は宮殿に着くなり直ぐに伯爵とシンを連れてくるように言われ、ほぼとんぼ返りの様相でシュトルベルム伯邸に戻って来た。
使者の慌て様に驚きつつも急ぎ支度をし、伯爵とシンそしてレオナが宮殿へと向かった。
騎士の称号を持つとはいえ、無位無官に等しいシンとの会見は非公式に行われた。
応接室に通されたのは伯爵とシンの二人で、レオナは別室へと連れて行かれる。
広い部屋の中には、皇帝ヴィルヘルム七世、宰相エドアルド、侍従武官長ウルリヒ、侍従長ヘンドルフの四人が既に待機していた。
女中がお茶を配り終え退室すると、皇帝からの形式的な挨拶が始まる。
「シュトルベルム伯爵、久しいな。顔を合わせるのは余の戴冠式以来か? 卿は逆臣討伐の功臣なのだから遠慮せずに帝都を訪れるが良い。ささ、席に着かれよ」
「はっ、本日は御目通りが適いましたことを心から感謝致します。なにぶん田舎者ゆえ不作法の程はお許し願いたく……」
「かまわん、非公式なのだから肩の力を抜いて楽にするが良い。隣の男を見習ってな」
伯爵の隣に座っているのはシンである。
シンとて全く緊張していないわけでは無かったが、侍従長以外は面識があるのでいつも通り普通にしていたのだが……
「さて、伯よ。手紙は拝見したが、幾つか要領を得ない所があってな……今日はその事について聞かせて貰おうか」
「はっ、その事につきましては横におります竜殺しのシンの方が詳しい事情を説明出来るかと……」
皇帝は頷き、目線でシンに説明を促す、シンは一礼すると懐からトランスホログラフィー発生装置、神託の石を取出し試練の迷宮での出来事を語った。
その話を聞いた者達、宰相は最初から胡散臭そうな顔をし、シンと面識のあるウルリヒですら眉を顰めた。
侍従長ヘンドルフは表情が変わらないため何を考えているのかわからない。
皇帝だけが目を輝かせてシンの冒険譚を食い入る様にして聞いていた。
「その神託の石に神のメッセージが込められているのだな? 早速使ってみてくれ」
「陛下!」
「陛下、危のうございます! 御考え直しを」
宰相や侍従長が止めるも、伯爵も見ているがピンピンしておるではないかと言って取り合わない。
シンは健康被害は無いと言って、装置を起動させた。
シン以外の者、一度は見ている伯爵さえも再びトランス状態に陥り、創造神ハルの神託に耳を傾けている。
長い神託が終わると、皆が口々に祈りの言葉を呟き中には涙を浮かべている者さえいた。
皆が正気を取り戻すまでシンはのん気に茶を啜り、お茶請けの菓子を頬張っていた。
正気は取り戻しても興奮は覚める事が無く、皆の顔は上気し汗が流れ落ちている。
「シン、シン、これはとんでもないことだぞ!」
皇帝もまた額に汗を滲ませながら神に会えた興奮と、神から聞いた未来の危機に対しての動揺を隠せずにシンに詰め寄る。
「なんと、なんという……」
宰相は口をワナワナと震わせ、神託の石に向かって拝礼していた。
他の者も似たり寄ったりの有様で、種も仕掛けも知っているシンは少し罪悪感を感じずにはいられなかった。
普通の日本人として感覚を有しているシンは宗教や神に対しての信仰心など左程持ち合わせてはいない。
神や宗教が絶大なる影響力を与えるこの世界を少し冷めた目で見てしまうのは仕方のないことだろう。
長い時間の後、落ち着きを取り戻した皆は神託に対する協議を始めた。
「つまり迷宮は今現在は神の加護に守られているため、魔物が外に出てこないのだな。だが数百年の内には神の加護は解かれるため、非常の事態に備えよと」
「もう一度神の加護を授かることは出来ないのでしょうか? そうすれば全て丸く収まりますが……」
こういう話が出るだろうなとシンもハルも想定はしていた。
それに対し、シンとハルは協議し無理のない話を作り上げ誤魔化すことに決めていた。
「それは私もお願いしましたが、神は聞き入れてはくれませんでした。子がいずれ親から独り立ちするのと同じく、人もいずれは神から独り立ちせねばならないと。これは神の与えた試練だとおっしゃっていました」
皇帝がざわつく皆を手で制し、シンの持つ神託の石について質問をする。
「シン、その神託の石は何度でも今の神の御言葉を賜ることが出来るのか?」
「ええ、何度でも……確か百年程はもつと言っていたような……」
「さすがは神器であるな……宰相、これは創生教にも知らすべきではないか?」
宰相は、はっと顔を上げると激しく頷いた。
「確かに、付け加えますと創生教のみではなく各宗派の者達にも伝えた方が良いかと」
「そうだな、しかし帝国としてはどうするべきか? 直ぐに何事か起きる訳では無いが、神託を授かって放置することは出来ん」
「来るべき時に備えて富国強兵、これしかありますまい」
「うむ、現在の政策とも一致しておるな。ならば問題無い、神託という後押しを得たのだ後は進むのみよな。では後日改めて各宗派の司教を招いた後、再び協議しよう。今日この場で見聞きしたことは他言無用ぞ、要らぬ混乱を起こしたくはないのでな。それと伯よ、シンは今日からこちらで預かろう。良いな?」
「はっ、御随意に……シンよ、お主の持ち物は後で送り届けておく。それと他の者は儂が面倒を見るので安心せよ」
皇帝はシンに着いて来いと言って部屋を出る。
シンは伯爵に礼を言うと、慌てて皇帝の後を追った。
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応接室に比べると小さいが、それでも普通ではない広さの部屋に皇帝とシン、レオナは向かい合って席に座っていた。
三人の他に誰もいないことを確認したシンは、首をコキコキと鳴らし口を開く。
「で、何の用だ?」
これに対して皇帝は立ち上がり、こめかみに青筋を立て唾を飛ばしながらシンに食って掛かる。
「何の用だではないわ! 心配かけおってからに」
「すまん、すまん。でもそのおかげで神託を授かることが出来たんだし許してくれ」
うーむと唸り今一つ納得のいかない顔をしながら皇帝は席に着いた。
「で、本当に何の用なんだ?」
「うむ、それはだな……レオナの事なんだが、レオナは近衛騎士だったのは知っているな?」
少しだけバツの悪そうな顔をした皇帝はレオナをチラリと見て話す。
「ああ、お前が辞めさせたんだろうが」
シンは何言ってんだお前、と言うような遠慮のない顔をした。
「そうなのだが、まぁ理由は色々あってな……で、レオナには余が直接密命を与えたのだ。内容はシンの護衛、期間はシンが再び帝都を訪れるまで。達成の暁には中央からは遠ざけるが役職を与えると」
シンは黙ってレオナを見る。
レオナはいつも通りの澄ました凛とした姿勢を崩さず、真っ直ぐに皇帝に目線を向けている。
「その事につきまして、陛下にお願いが御座います」
レオナは床に跪き、澄んだ良く通る声を室内に響かせる。
「許す、申せ」
間髪入れずに皇帝の発した短い言葉は、まるでレオナの申し出を予期していたようであった。
「臣レオナ・フォン・ルードビッヒは勅命を授かるも己の不才によりその任を全うすることが出来ず、帝国騎士の誇りを著しく傷つけてしまいました。その責を取り帝国騎士を辞することをお許しください」
皇帝はレオナを見ると大きくため息を吐き、一言許すとだけ言った。
シンは目の前の展開について行けずに皇帝とレオナを交互に見た。
「して、レオナよ今後はどうする? ああ、実家に戻るのは得策ではないな。一室に閉じ込められ飼い殺しにされるのが目に見えておろうよ」
「はっ、実家には二度と戻りませぬ。今から貴族の身分を捨て、一平民のレオナとして生きて行こうと思っております。もし、シン様が御許し下さるのであれば、このまま冒険者として生きて行きたいと思っております」
皇帝はシンの顔に鋭い視線を投げかける。
お前、手を出したのかと……それに気付いたシンは慌てて首を振った。
「シン、どうするのだ? 責任はちゃんと取れよ」
「は? いや、そうじゃないだろ。レオナは貴族だろうが何だろうが関係なく碧き焔のメンバーだろ、もうレオナ無しじゃ考えられないしな」
「だ、そうだ。良かったではないか、近いうちに勘当されるだろうが余は知らぬ。好きに生きるが良い」
「はっ、お許し頂きありがたく……」
レオナの頬を一筋の涙が伝い、声が詰まる。
それを見て皇帝は思う。
どちらの許しを得て流した涙であろうか? 余か? それともシンか? ふん、罪作りな男め……さっさと妻帯して余と同じ苦しみを少しは味わうがよいわ。
こうしてレオナは表向きにはとっくに帝国近衛騎士から除名されていたが、正式に帝国騎士としても除名され騎士の位を失い平民となった。