神託を携えて
伯爵は創造神ハルの姿を見た者、声を聴いた者に厳重な緘口令を敷いた。
翌々日には帝都に向かう準備を完全に整え、シンたち碧き焔を伴い出発する事となった。
碧き焔は表向きは伯爵の護衛として雇われた形で帝都に向かうこととなる。
急な出立に慌てふためきながらも、戻ってくるかもわからないため世話になった人達に別れを告げる。
黄金の楓亭の主人と女将、鍛冶屋アイアンフィスト、古道具屋の真実の目、ギルド職員のレムさん、そして大恩人であり先輩冒険者の暁の先駆者、皆シン達との別れを惜しんでくれた。
「よーし、そういうことなら今夜は派手に騒ごうぜ! 冒険者に湿っぽいのは似合わないからな」
そう言って料理と酒を注文しまくっているのは、暁の先駆者のハーベイである。
「シン、最後にもう一度四層以降の話を聞かせてくれないか?」
真面目な顔で頼み込んで来るのは、リーダーのハンク。
「出会いも別れも、冒険者にとって必然的なもの。今この時、一瞬一瞬を楽しむのが冒険者さ」
そう言ってグラントは静かに杯を掲げる。
友情とは付き合いの長さや、年齢などではないとシンはしみじみと思う。
文字通り生死を賭けた戦いを共にした暁の先駆者とは友情を越えた絆を感じていた。
この出会いに感謝を、別れに幾ばくかの寂寥感を伴いつつ夜更けまで馬鹿騒ぎに興じるのであった。
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斯くして、伯爵と護衛の騎士二十人と碧き焔ははカールスハウゼンを後にし、一路帝都を目指す。
シンはサクラに跨り、クロちゃんの手綱を引いていた。
クロちゃんことシュヴァルツシャッテンの主であるレオナは、カイル達の乗る馬車の中で三人に勉強を教えていた。
帝国は地球で言うドイツ語が母国語ではあるが、大陸公用語の英語も使用されている。
帝国に生まれた人間は誰もが、二か国語を話せるように教育を受けるそうだ。
もっとも話せるだけで読み書きは不自由なことが多いのだが、帝国ではどちらか片方しか話せない人間は、阿保扱いされ満足な職に就けないなど厳しい現実が待ち受けているので、どんなに貧しくても言葉だけはきちんと話せるように教わるとのことである。
クラウスは帝国の田舎にある貧農の子だが、話すだけなら二か国語を話せた。
読み書きは当然のように出来なかったが、話せるということだけでもシンを驚嘆させるに十分であった。
一方、カイルとエリーはルーアルト王国の辺境出身である。
ルーアルト王国は大陸公用語の英語のみしか使用しておらず、カイルとエリーはレオナの手解きを受けて帝国語を猛勉強中であった。
シンはその姿を見て心の中で頭を下げる。
シンは大陸で使われている言語と日本語を不自由なく話し、読み書き出来る。
だがこれは日本語以外は全て、情報転写によって得た能力であり、言うならばズルをしているに等しい。
その事を思うと、目の前で必死に努力している三人に申し訳がなく、せめてもの罪滅ぼしにと自力で得た知識である算術を教えることにしていた。
碧き焔の実質的副リーダーであるレオナは、実に多才であった。
言語だけでも帝国語と大陸公用語、さらにエルフ語を操り、算術も四則演算に不自由は無い。
剣術の腕も確かで精霊魔法の使い手、容姿も淡麗と全く隙が無い。
惜しむべくは表情が凛としていて、容易に近づきがたい雰囲気を纏っており特に男性は声を掛けるのを躊躇ってしまう。
深く付き合ってみると、そんなことは無く割と御茶目であり、年相応の女の子なのだがそれを知るのは碧き焔の面々だけであった。
「だーっ! 本当に騎士になるのに算術なんか必要なのかよ、もう頭が破裂しそうだよ師匠」
弱音を吐くのはクラウス。
カイルは実直な性格で黙々と課題をこなす。
意外にもエリーが一番学習意欲が高い。
何故かと聞いたら、言葉が自由に使え、計算が出来れば買い物で有利になるからだと言う。
実に女の子らしい発想であるが、どんな理由にせよやる気があるのは歓迎すべきことである。
「クラウス、敵の軍勢が一万人。味方の軍勢は三千人、敵味方の兵力の差は幾つでしょうか?」
クラウスは必死に指を使いブツブツと独り言を言いながら計算する。
このように休憩時間も使って学力を高めて行った。
シンは考えていた、冒険者は年を取ったり、大怪我をしたりして出来なくなる可能性がある。
出来なくなった後、読み書きや計算が出来ればデスクワークのような職に就けるかもしれない。
いざという時の選択肢は一つでも多くあったほうが良い、その為の勉強だと皆に話すとクラウスは文句を言いながらもサボる事は無く、真面目に取り組みだした。
特にカイルもクラウスも職に在りつけず辛酸を舐めた経験があるので、そう言われると必死に取り組まざるを得ない。
その姿を遠目で見ていた伯爵は改めてシンを只者ではないと確信する。
先を考える能力といい、一介の冒険者風情にはあり得ないだろうと……一体奴は何者なのか? 竜を倒し、神託を託されるほどの男……まるでお伽話の英雄のようではないか。
いや、今は深く考えるのは止そう。
神託を無事帝都に届け、陛下の判断を仰ぐ。
それだけでいい、むしろその事に集中せねばならない。
伯爵は頭を振って雑念を払い、再び馬車に乗り込むと領地と迷宮の今後について、眉間に皺を寄せながら考えるのだった。
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伯爵の一向に先立って、一頭の早馬が帝都シャルロッテン・ヴァルデンベルクの門を潜った。
シュトルベルム伯爵からの手紙を携えた使者は、宮殿の門を潜り間を置かずして応接室にて皇帝皇帝ヴィルヘルム7世と会見する。
シンが無事生還したとわかった皇帝の口元には自然と笑みがこぼれだす。
「この手紙に書いてある神託とは一体なんだ?」
「はっ、某にもわかりかねます。竜殺しのシンが神に神託を授かったと言う事ですが、領内では緘口令が敷かれておりまして……」
「遠路遥々、ご苦労であった。まずはゆっくりと体を休められよ」
そう言って使者を部屋から追い出すと、宰相にも手紙を見せそのまま二人で協議に入る。
「この手紙だけではなんとも……しかし伯爵自身が急に来ると言うのは余程の事ではないでしょうか?」
「うむ、またシンが何かしでかしたのであろうか? それにしても神託とはなんだ? シンは宗教に傾倒はしていなかったはずだが……」
「何にせよ数日後には明らかになるのです。今は待つ以外にはございませぬ」
「そうだな……そういえばシンはどう反応するかな? 騎士学校が開校すると知ったら」
皇帝は上機嫌で笑いながら執務室を出る。
その姿を後ろから見つめる宰相の目には優しさと厳しさが同時にあるのだった。
陛下は未だにシンを家臣とすることに未練があるのだろうか? だが、シンを家臣とすることだけは絶対に反対である。
あれは無位無官であればこそ、皇帝の友でありえるのだ。
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帝都への旅路は順調であった。
元々賊が少ない上に、屈強な騎士団を襲う馬鹿な賊はいない。
街道沿いは魔物も定期的に間引かれているため、何の障害もなく進むことが出来た。
今サクラの手綱を握っているのはクラウスである。
本来龍馬は主人以外を背には乗せないのだが、シンがサクラに命令してクラウスを特別に乗せているのだった。
サクラは不満の鳴き声を上げていたが、シンが無理やり口の中に干し肉を突っ込んで黙らせると、渋々ながら命令に従った。
クラウスは初めて乗る龍馬に興奮を隠せない。
クラウスは目を輝かせながらサクラの速さを褒めちぎる。
褒められたサクラも満更でもなく、調子に乗って速度をどんどん上げていく。
最初は声を上げて喜んでいたクラウスも、段々と顔が青ざめ、悲鳴を上げへっぴり腰でサクラにしがみ付く。
しがみ付かれたサクラは走りにくくなって自然と速度が落ちるが、遅くなってもクラウスはしがみ付いたままであった。
その姿をシンは指差して大笑いしながらも、龍馬の乗り方を教える。
クラウスは腰砕けになりながらも、龍馬の魅力にどっぷりと嵌ってしまい何時か自分の龍馬を手に入れようと心に誓った。
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