生きたい!
真一が見つけた物、それは遺跡だった。
いや遺跡と決めつけるにはまだ早い、現在も人が居るのかもしれないのだから。
幅六メートル程の道の左右に人型の石像が、等間隔で配置されている。
石像の大きさは二メートルから三メートル位であろうか? 両手には何も持たず、全体的にがっしりしているが、装飾などは施されておらずのっぺりとした印象を受ける。
道は石畳のような作りで中央にそびえるピラミッド型の神殿らしき建造物へと続いていた。
真一は取り敢えず神殿らしき物へと行ってみることにした。
誰かに見られているようなそんな感覚を感じながら歩いて行くと、通り過ぎた石像の裏から大きな影が飛び出てきた。
大きな影が真一の右斜め後ろから肉薄して前足を横薙ぎに払う。
鋭い風を切る音が聞こえたかと思うと真一の体は突然左側へと吹き飛ばされた。
バックパックの中身がぶち撒かれた光景を石畳の地面を転がりながら見る。
「ゴホッ、な、ゴハッ……」
咳き込みながら跳ね起きると真後ろを向いた4つ足の大きな動物がバックパックからばら撒かれた荷物の臭いを嗅いでいた。その姿を見て真一は絶句する。
その後ろ姿はどう見ても熊である。
遺跡を見つけ喜びのあまり注意力が散漫になり、索敵を疎かにした自分を呪った。
逃げるか? それとも戦うか? 腰に差している唯一の武器である牙の短刀に目を向けるが、どう見ても勝ち目があるとは思えず逃走することに決める。
だが、今度は何処へ逃げればいいのか迷ってしまう。
慌ててキョロキョロと見回した後、中央にそびえる神殿を目指して逃げる事にした。
後ろを向いている熊の大きさは推定三メートル以上あるであろう巨熊だった。
真一の足はガクガク震えているが動けないわけではない、笑う膝に力を込めて無理やり震えを止めようと試みるが中々上手く行かない。
石畳を転がったときに切ったのであろうか? こめかみから血が吹き出し頬を伝う。
この微かな血の臭いに反応したのか、熊は真一の想像を超える速さで百八十度向きを変えた。
その行動よりも熊の姿を正面から見て、真一は驚きのあまり腰が抜けそうになる。
異常な姿だった。体は間違いなく誰が見ても熊である。
だが頭部が違う、熊の頭があるべき場所には熊の頭ではなくハゲワシの頭が付いていたのだ。
真一の頭の中が真っ白になる。
視界の中に映るこの生物を、現実として捉えることを脳が拒否しているかのようだ。
哺乳類の体に鳥類の頭、ありえない組み合わせに思考だけでなく体の動きも止まってしまう。
目の前のハゲワシ熊が鼓膜が破れるかと思う程甲高い大きな雄叫びをあげる。
雄叫びを受けて一気に現実に引き戻されると、そこに待ち受けているのは紛れもない死の恐怖であった。
ハゲワシの頭部に付いている爛々と輝く赤い目と、視線を合わせると無意識のうちに涙がこぼれ出す。
真一は瞬間的にバスの中で視線を合わせた怪鳥、ディアトリマを思い出す。
――――あの時もそうだった……身体に力が入らない……
視界がぐにゃりと歪み、全身に細かい震えが起こりそれは段々と大きくなっていく。
呑まれる、場に呑まれる、雰囲気に呑まれる、相手に呑まれる……真一は剣道で幾つか賞状を貰うほど好成績は上げていた。
試合では緊張はするが、場や相手に呑まれるという事は無かった。
だがここでは違う、相手に呑まれっぱなしだった。
理由は簡単である……何故なら、今までは命が懸っていなかったから。
これは真一のせいではない、平和に慣れた日本の高校生で命懸けの経験をする者がどれ程いるだろうか? 初めての己の命のやり取り、僅かなミスで命を失う環境や状況。
平和に過ごしてきた日本人が即座に対応出来るはずもないのだ。
「嫌だ……嫌だ……死にたくない、死にたくない、俺はぁ、俺は生きたいんだぁあ!」
真一は涙を流しながら吠えるように叫ぶ! だが体は意志に反して微塵も動かない……ハゲワシ熊が真一の叫びに反応して一気に距離を詰める。
ハゲワシ熊は目の前で立ち上がった。
巨体の影が真一を覆い隠す……全ての終わりの時が近づいてきた。
振りかぶった右前脚が打ち下ろされ、その光景を両の目はまるでスローモーションのように捉え、何処か他人事みたいな感覚で眺める。
先程の心の底から叫びに体が答えてくれたのか、左腕が頭を庇うように上にあがった。
だが無情にもハゲワシ熊の爪は上がった左腕を何の抵抗も感じないかの如く切り飛ばすと、真一の左頭部にそのまま爪を刺し手前に抉った。
真一は切り飛ばされた左腕を右目で捉えながら後ろに尻もちをつく様に倒れこみ、そのまま起き上がることも出来ずに背中を石畳に預ける。
倒れた際に後頭部を強く打つが、衝撃に視界がブレただけで然したる痛みは感じない。
真一の右目は無表情に空を見上げる。その感情を失った瞳に映るのは、薄っすらと小さな雲がかかった透き通るような青い空。
次の瞬間、右胸の辺りに強い力が加えられた。ハゲワシ熊が前足で真一の上半身に圧し掛かったのだ。
ボキボキと骨の折れる音を全身で感じるが、もう痛みを感じることは無かった。
「ゴヴァッ、ゴフッ、ゴハァ、ヒュー……ッヒュー」
泡の混じった大量の血を、荒い呼吸と共に口から吐きだす。
吐き出した血は右目にも入り視界が真っ赤に染まる。
全ての音が遠ざかって行く中で、ピピピと電子音を聞いたように思えたが、そこで真一の意識は徐々に暗闇に飲み込まれていった。
---
場に似つかわしくない電子音が音高く鳴り響く。
「スキャン完了……対応手術未処理の地球人と判明。緊急保護プログラムを発動します」
左右にそびえ立つ石像が唸りを上げて、突如動き出した。
ハゲワシ熊はビクリと体を大きく震わせると、石像の方に振り返る。
動き出した石像は一体だけではなかった……ガラガラと大きな音を立てながら、ハゲワシ熊を取り囲むように石像が集まり出す。
ハゲワシ熊は本能的な危険を感じたのだろうか? 真一の体から離れ切り飛ばされた左腕を口に咥えると森の方へ一目散に駆け逃げだして行った。