伯爵の憂鬱
暖かな日差しを堪能しながらレオナと並んで黄金の楓亭へとゆっくりと歩く。
「そういや他の三人はどうした?」
「武器の手入れが終わったので引き取りに行っているはずです」
そう答えるレオナの目は大泣きのせいで充血し瞼も腫れぼったく、その姿を見せたくないのかシンと目線を合わせることなく俯きながら返事をする。
普段の凛とした姿勢と違う年頃の少女らしさを伴う仕草に、思わず引き込まれそうになりながらシンは会話を続けた。
「そうか、そういや何でクロちゃんをポーターにしようとしていたんだ? あれは時間が掛かるぞ、サクラも大変だったんだぜ」
人の心配と苦労も知らずに能天気に話すシンに、苛立ちを覚えたレオナは脛に鋭い蹴りを入れた。
避ける間もない不意打ちに悶絶するシンを横目に、多少は鬱憤が晴れたレオナは戻ってからの事を話す。
「……そうだったのか、すまん。三人にも謝らないとな」
やがて黄金の楓亭につくとレオナは少し残念そうな表情を浮かべていたが、宿の中が騒がしい事に気が付き腰を少しだけ落として身構えた。
シンも同じように不測の事態に即応出来るように身構えた。
宿の中に警戒しながら入ると、そこには宿の主人と女将、そして伯爵家の家令のデムバッハがシンの帰還について話し合っていた。
そこにタイミング良く本人が現れたため宿の中はすぐさま驚きと叫喚に包まれることになる。
無事の帰還を祝う皆に謝辞を述べ、荷物を部屋に置いて戻ってくるとデムバッハが直ぐに伯爵様に会って欲しいと言って来た。
「お誘い頂きありがたいのですが、明日にでもこちらから伺いますので今日一日は申し訳ないが休ませて頂きたい」
「ああ、これは失礼しました。迷宮の疲れも癒えていないのにお誘いした某の浅慮、お許し頂きたく存じます。では、明日の朝にお迎えの馬車をご用意致しますのでよしなに」
デムバッハは竜殺しのシンを他の者のように欽仰してはいなかったが、迷宮深部から無事の帰還という現実を見せられてしまっては流石に興奮と動揺を隠すことは出来なかった。
なんとか平静を取り繕い、礼を失さぬよう努めながら翌日に伯爵家に招く約束を結ぶと、優雅さを失わないよう余裕を持って身を翻し、足早に宿を去って行った。
デムバッハと入れ違いに鍛冶屋アイアンフィストから帰って来た三人が、宿に入ってくると再び驚愕と叫喚の二重奏が宿に響き渡った。
三人は言葉よりも先に涙を流し、口々にシンの無事と生還を喜んだ。
シンが感謝と謝罪を述べると三人にはやっと普段らしさが戻り始め、碧き焔の迷宮攻略と全員の無事帰還を祝って、宿に併設されている酒場を貸し切ってお祭り騒ぎが始まった。
シンの帰還を聞きつけた暁の先駆者や知り合い達がやって来て喧騒に更なる拍車が掛かる。
やがてその喧騒は宿を飛び出し、街全体にまで広がって行き翌日までまるで祭りのように皆がはしゃぎ騒いだ。
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伯爵は迷宮に送り込む捜索隊の編成に関する書類に目を通すと、大きなため息を吐いた。
竜殺しのシン、この者は我が家の福の神だと思っていたが、実は違っていたのではないかと。
シンの活躍により冒険者は増えモンスターの素材の流通量も増えて商業も盛んになった。
それに伴う莫大な税収に笑いが止まらない程であった。
だが、金回りが良い所には賊が忍び寄ってくる。
カールスハウゼン近郊に国内から賊が押し寄せ、それの対応で騎士団はてんてこ舞いになってしまい、騎士団の増強に莫大な金額が消えて行った。
増えた税収で補い何とかなったのが救いではあったが……また、迷宮内にも賊が蔓延るようになったが、これはシンが大掃除をしてくれたおかげで、事なきを得てはいた。
ここまでは良い……最後の件のシン自身の行方不明……これがいけない。皇帝陛下に睨まれてしまうのは是が非でも避けねばならなかった。
後悔は字の如く後からやってくるものである。
もっとこうしておけば良かったと誰もが考えたことがあるだろう。
伯爵もシンに護衛を付けておけば、いやいやもう迷宮に潜らせる必要は無かったなどと後悔の日々を過ごしていた。
憂鬱な溜息を吐いていると、黄金の楓亭に様子を見に行かせたデムバッハが、珍しく慌て息を切らせながらやってくる。
何事か? また大規模な賊でも襲来したのかと身構えていると、その口から驚愕の事実が語られた。
「なに! シンが生きて戻って来たと申したか?」
「はい、しかとこの目で確認を致しました、間違い御座いません。伯爵様のお許しを待たずに明日、当家に招きましたが……」
「んあ、何故直ぐに連れてこなかった?」
伯爵は動揺を隠せず、思わず変な声が漏れたがデムバッハは何事も無かったように会話を続ける。
「本人に疲れているので今日は許してほしいと言われてしまっては、とても……申し訳ございません」
「いや、いや、すまん。動揺してしまったようじゃ、明日来るならそれで良い。明日の予定の調整を頼むぞ、それと料理などの手配もな」
デムバッハが執務室を出て行くと、伯爵はソファに倒れ込むようにして座り、安堵の溜息を数度吐いた。
どうやらまだ儂は運に見放されてはいないらしい、これで当家は取り敢えずは安泰だ。
だが、シンが再び迷宮に潜るのだけは阻止せねばならん。
契約の一年には満たないが、カールスハウゼンに縛るのを辞めるか……シンが我が領地で死ぬのだけは避けねばならん、だがシンがいるからこそ今のカールスハウゼンが盛況しているのだ。どうしたものか……
伯爵が物憂げに思考の海を彷徨っていると、何やら外が騒がしくなってきた。
執務室を出て、使用人を捕まえ何事が起きたのか問うと、竜殺しのシンの生還を祝って街中がお祭り騒ぎになっているのだと言う。
王侯貴族でもない一平民でこれ程の人気を集める者は他にいるのだろうか? 伯爵は街の喧騒をよそに、シンの今後についてまた思考の海へと漕ぎ出して行った。
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翌日の朝、シンは二日酔いの頭を押さえ、迎えの馬車に揺られながら伯爵の居城へと向かった。
城に着くと最初の出会いと同じように、玄関まで伯爵自身が迎えに出て来てシンの無事を祝った。
「シン、卿が無事で良かった! 疲れているだろうに呼び出してすまんな」
「いえ、こちらこそご心配をお掛けして申し訳ない。捜索隊まで出そうとしてくれるとは感謝の念に堪えません」
「なんの、なんの、シンには色々と世話になっているからな気にしなくてよい。ところで儂に用があるとのことだが……まぁ、先ずは食事をしよう。料理が冷めてしまうでな、話は後でゆっくり聞こう」
朝からまるでディナーのフルコースの様な食事に二日酔いのシンは辟易しながらも、残すのは失礼という日本人らしい感覚で無理矢理全部胃に押し込める。
その様子を伯爵と料理人は満足気に眺めていた。
伯爵はシンの使っている箸を自分でも作らせ、適当に物を摘まんで見せる。
まだ、豆は摘まめんがなと笑う伯爵に好意を感じながらも、これは絶対に商売に絡める気だと内心身構えていると案の定、箸を作って売っても良いかと聞いて来る。
シンは別に商人になる気はなかったので、ご自由にと返すと伯爵の方が意外そうな顔をし、取り分などの取決めを始めようとしてきたので、取り分は要らないし伯爵の好きにして良いと言うと、伯爵は信じられないような物を見るような目でシンの顔をまじまじと見出した。
「シン……冒険者と言うのは一攫千金を求める者だと聞いていたが、お前は富貴を求めないと言うのか?」
「いや、金は欲しいですが衣食住に不自由ない分だけあればいいですよ。冒険者になったのも半分は武者修行といったとこですし」
「相変わらずお主には驚かされるな、お主の欲のありかが儂には何処にあるのか見当もつかぬわ」
食事が終わり、デザートも平らげるとシンは今日来た本題の創造神ハルに授けられたメッセージ、すなわち神託について語り出す。
話を聞いた伯爵は半信半疑、胡散臭い物を見る目でシンを見出すが、ハルに渡された物体、トランスホログラフィーと言っていた装置を取出し起動させるとその表情は一変する。
トランスホログラフィーの内容はシンの説明と殆ど変らないが、この装置を起動すると半径五十メートルほどの人間はトランス状態へと強制的に誘われ、創造神らしい恰好をしたハルの姿空中に映し出し、発した言葉を強烈に脳裏に焼き付けるという物である。
シンは健康被害は無いのかと聞いたが、特に問題は無いと言われたので信じて躊躇わずに伯爵に使った。
シンには効かないように調整してあり、シンは神託を恐れ畏まって聞く伯爵の姿を素面で眺めることとなる。
やがてハルの長い神託が終わると、伯爵は顔面を蒼白にして汗をびっしょりと掻きながら、ワナワナと小刻みに震え祈りの言葉を紡ぎだす。
その姿を見たシンは健康被害があるのではないかと疑念を抱くが、やがて伯爵が神に会えた歓喜の涙を流し始めるのをみると心理状態の著しい変化によるものだとわかりほっと胸を撫で下ろした。
「シン、シン、これは儂の手には余る問題じゃ! すぐさま帝都に行くぞ、無論お主も一緒にじゃ、良いな!」
有無を言わさぬ強い口調で伯爵は帝都に行くことを決めると、傍に控えていたために神託に巻き込まれ放心しているデムバッハをゆすって正気に戻し、急いで支度をするように指示を出した。




