微かな光
朝日が昇る直前に肌寒さを感じて目を覚ます。
木の上では熟睡は出来ない、短時間の浅い眠りを繰り返すが不思議と夢は見なかった。
樹上で落ちないように注意しながら大きく伸びをすると、体のあちこちが痛み、肺も何かが底に溜まっているような息苦しさを感じる。
火をおこせない以上、地上での野営は危険極まりない。
たとえ火をおこしても昨日見たアンドリューサルクスは火を恐れるかわからない。
長時間体を動かすことが出来ずに固まって体を痛めるが、やはり樹上で夜を明かすのが現状ではベストだろう。
水の問題だけではなく、ついに食料も乏しくなってきた。
獣の類をもし倒し肉を手に入れても火が熾せなければ食べるのは危険だ。
野生動物の生肉は寄生虫の宝庫なのだ……これは川魚も同じである。
となれば植物やキノコといった物が考えられるが、キノコは素人が手を出すのは危険である。
植物もクルミやドングリなどのわかりやすい物ならともかく、どれが食べられる葉かと言われればわかるはずもなく食べれば体調を損ねる恐れがある以上迂闊に口にすることは出来ない。
真一は教育ママである母親に厳しい制限を受けていた。
家に居るときの方が自由が無いくらいに、息苦しい生活を強いられていた。
そんな中で塾と剣道の道場の行き返りの時間と、週末の図書館で過ごす時間だけが彼の自由に出来る僅かな時間だった。
特に図書館はありがたかった。
ここで初めて映画や漫画を観賞することが出来た。
時代の最先端の物ではなくても真一にとっては今まで望んでも得られなかった貴重な経験である。
すっかりはまってしまい週末はほぼ毎週、図書館で一日中過ごしていた。
そのおかげで雑学の知識も同年代の人間よりかは多く得ていたのだが、ここに来て知識だけではどうにもならない厳しい現実に打ちのめされていた。
「兎に角、行けるとこまで行くしかない。死ぬにしても全力で生きる努力をしてからだ」
真一は一人で行動するようになってから、時々わざと考えなどを声に出していた。
これは恐怖や寂しさからの事もあったが、言葉を声に出さないとスッと言葉が出てこなくなるのを知っていたからだ。
クラスで浮いていた彼に話しかける者はほぼ皆無で、誰とも殆ど会話をしていなかったらとっさに言葉が出なくなったことがあり、この経験から誰も居ない所では独り言を呟くようにしていた。
呟く言葉は前向きでも、真一の表情は暗く険しい。
もし人間に会えても言葉が通じなかったら? 首狩り族のような食人の風習があったり、好戦的だったら? 考えれば考えるほどネガティブになっていく……首を振って不安を打ち払い、考えるのを止める。
日の出とともに用心深く辺りを見渡してから木から降り、ラジオ体操をして体をほぐす。
本来ならばストレッチ体操なども入念にやりたいのだが、時間が惜しいので諦めた。
川岸を注意深く観察し、辺りを調べて敵がいないことを確かめてから慎重に水を手ですくい飲む。
ペットボトルに替わる水筒として、着替えた下着を入れていたビニール袋に水を入れた。
泥にまみれた制服の上下をパジャマ代わりに持ってきたスウェットの上下に着替え、今日も川の流れに沿って歩く。
真一は歩いた。
黙々と歩いた。
ただ周りに注意しながら足場の悪い森を歩くのは、体力とそれ以上に精神力を削られた。
青々と茂る木々の葉の僅かな隙間から太陽の光が降り注ぐ。
外敵に注意を払いつつ食べれそうな物も探しながら歩いていると、前方の木にとんでもない物を見つけてしまう。
木の幹に不自然に傷付けられた、鋭い爪で引っ掻いたような痕を複数見つけてしまった。
全身に鳥肌が立ち、背筋に戦慄がはしる。
熊かどうかはわからない、だがどう見てもマーキングの痕があるということはテリトリーに入ってしまったという事だ。
もし熊だとすると木登りが出来る熊が居る所では、今まで安全だと思われていた樹上野営も危険である。
状況は益々悪くなるばかりだが、意を決して進むことにする。熊除けに大きな音をたてたり、大声で歌いながら進もうか考えたが結局止めた。
熊かどうかわからないし、大声で歌い続けながら歩き続ける体力があると思えなかったからだ。
しばらく歩き続けていると地面に今まで無かった小石が混じりはじめた。
歩きながらテニスボール位の大きさの石を探す。
形は今一つだが三個ほど丁度いい大きさの石を拾う。
早速バックパックからタオルを取出しスリングを作ってみる。
何度か投げて見るがかなり難しい、ちょっと練習した位では狙った所に当てるのは無理そうだ。
前に飛ばせて威嚇出来れば良しと割り切って練習を切り上げ、先に進むことにした。
石はそのまま投げても良いのだしそれよりも別のことが気になっていた。
石の形についてである。
川からそれ程離れていないのに石に丸みは無く、砕いたような鋭さをもっているのである。
形状は採石場などの砂利に近く幾つか拾った石をよく見れば石質も同じのようである。
もしかしたら人に会えるかも、会えなくても文明の痕跡があるかも知れない。
どんな小さなことでも希望が欲しかった。
前に進む理由が欲しかった。
同年代の少年少女たちより、多少肉体的、精神的にタフネスであっても所詮は十六歳の少年である。
三日間の異常なサバイバル生活で精神は限界に近かったのだ。
そしてさらに一時間ほど歩き続けると段々と木々が疎らになってきた。
さらに歩き続けると開けた土地に出る。
そこで真一が待望する物を発見することができた。
感極まるとこういう事だろうか? 声も出ずに無意識のうちに涙がこぼれ出す。
顔は笑顔なのか泣き顔なのか判別が付かない、袖で涙をぬぐいながら真一は、脚に力を込めて一歩一歩踏み出していった。