カイル
カイルのうなされる声でシンは目を覚ました。
額に手を当てると僅かだが発熱している。
井戸から水を汲み濡れタオルで額を冷やすと険しい顔つきでうなされていたカイルの表情がだんだんと和らいでいく、どのような地獄を見て来たのだろうか? この世界に来て日本の恵まれた環境に気づき感謝した。
カイルは悪夢の中を彷徨っていた。
それは数か月前の出来事……ルーアルト王国北方辺境西端の開拓村、カイルの故郷ウォルズ村は北方動乱によって大発生した賊に襲われた。
「カイル、コルトと一緒に今日取って来た薬草を干しておいてくれ」
「わかったよ、父さんまかせといて!」
父ヘニングに言われ弟コルトと薬草を干すべく薬草を持った籠を両手に持ってゆっくりと家に向かう。
母親は弟のコルトを産んだ時に産後の肥立ちが悪く亡くなっている。
ヘニングは線は細いが腕の良い猟師で、カイルは男手ひとつで兄弟二人を育ててくれた父ヘニングを尊敬し何れは自分も後を継いで猟師になるのだと日々、腕を磨くべく鍛錬し知識を蓄えていた。
開拓村の穏やかな午後の平穏は突然に破られた。
四方から突如湧いて出たかのように賊が現れ、村を蹂躙していく。
異変を察知したヘニングは腰に佩びた長剣を抜き、振り向きざまにカイルに叫ぶ。
いつも冷静な父の顔に見た事も無い焦燥感が現れ、見るからに冷たい汗が額から滲み出ていた。
「カイル、コルトを連れて逃げろ!」
「父さんは?」
「俺も後から行く、グズグズするな急げ!」
父の身の安全に不安はあったが、まだ八歳の弟を放っておくわけにはいかない。
兄弟仲は良く、カイルはコルトを父が時々呆れるほどに可愛がっていた。
息を切らしながら全力で家に向かい走る。
その背後から馬蹄の轟が徐々に迫ってくるのが恐ろしく、恐怖で竦む足を叱咤しながら勇気を振り絞りひたすらに走る。
だが必死の逃走も虚しく追いつかれ、背後からの斬撃がカイルを襲った。
瞬間的に身を捻ったのが幸いしてかそれとも馬上の賊の技量不足によるものか、身体を切り裂くはずの斬撃は逸れカイルの左腕を斬り飛ばすにとどまる。
焼けるような痛みと急速に力が抜けるような脱力感、カイルは自分の身に何が起こったのか把握出来ないまま転がり込むように家に入ると、そのまま地に伏せってしまう。
体を起こそうとしても力が入らず急激に押し寄せて来る寒気と眠気に堪えながら掠れた声でコルトを呼ぶ。
「コルト…………コルト……逃げろ、逃げるんだ……」
奥から出て来たコルトは血まみれの兄の姿を見て泣き出し、一度奥に戻るとシーツを持ってきて兄の傷口に当てるが、見る見るうちに真っ赤に染まって行く。
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
顔をクシャクシャにし涙と鼻水に覆われた顔で懸命に止血しようと傷口を抑える。
「お、おれに、構うな……逃げろ……今すぐにげるんだ…………」
「やだ、兄ちゃん、兄ちゃんも一緒じゃなきゃやだよ!」
「馬鹿……は……やく……にげろ…………」
薄れゆく意識を必死に押しとどめ絞り出すようにコルトに逃走を促すが、兄を助けようと頑なに拒み懸命に止血し続ける。
最後に気力を振り絞り逃げるように諭すと重くなった瞼を開ける事が出来ず、意識は深い暗闇へと飲み込まれていった……
どれ程の時間が経っただろうか、開け放たれた入口から差し込む朝日の眩しさにカイルは目を細める。
倦怠感と脱力感に包まれている体を何とか起こし、自分の身体を見ると左腕が無く傷口に赤く染まったシーツがきつく何重にも巻かれていた。
ハッとして弟のコルトの姿を探すとすぐ傍にうつ伏せに倒れているのが見えた。
「コルト、コルト!おい、返事をしろ!」
その背は真っ赤に染まり、乾き始めた血だまり中コルトは倒れ呼びかけに応じるどころかピクリとも動きはしない。
その手には薬草が握りしめられ、足元には水差しが転がっていた。
最後まで逃げず懸命に自分を救おうとした弟の冷たくなった体を抱きしめて、声を上げて泣いた。
なぜ、なぜこんなことになった! 何で幼い子供まで殺したのか! コルトの瞼を閉じさせ、よろよろと力なく立ち上がると父の安否を確かめるために分かれた場所、村の中央に向かう。
村は死体の肉を漁るおびただしいカラスをはじめとする動物たちが、我が物顔でうろつきまわっていた。
父はすぐに見つかった。
その周りには数人の賊の死体があり父ヘニングの奮戦ぶりがうかがえる。
その死体の中央にズタズタに切り裂かれた父の遺体を見つける。
死肉をついばむカラスを追い散らすと、刃こぼれ甚だしい父の長剣を手に取り声も上げずにただただ涙を流す。
しばらく放心するように父の傍に佇んだ後、生き残りがいないか探すが誰も見つけることは出来なかった。
村の大人たちは勇敢にも立ち向かったのであろう、賊の死体もかなりの数が転がっている。
村長の家に行き、そこで幼馴染で初恋の相手のネリーの遺体を見つけるとカイルは膝から崩れ落ちる。
遺体には激しい凌辱の痕があり、悲しみと怒りで目の前が真っ白になる。
その時、身体の奥底から制御しがたいねっとりとした力が湧き上がってくる。体の中をゆっくりと這いずるように動き回ると、失った左腕の傷口の所にそれらは集まり次第に熱を帯びて行った。
よろよろと立ちあがると発熱し意識が朦朧とする体を懸命に動かし、右手に持つ形見の長剣を引き摺るようにしながら村の出口に向かう。
皆を埋葬してやれないことが心残りではあったが、おそらく恨みの募った皆の遺体はアンデット化するであろう。
まだ、死ぬわけにはいかない。皆の仇を討つまで、父と弟が救ってくれたこの命を無駄にするわけにはいかない!
それからも苦難の連続だった。
不思議と傷は血が止まり膿んだり腐ったりすることはなかったが、カイルの身体を途轍もない空腹が襲うようになった。
痛みを伴うかのような耐え難い空腹に、猟師になるべく蓄えた知識を必死に総動員し食べられる野草を片っ端から食い漁って行く。
だが、足りない……圧倒的に足りない。
木の皮、果てには土を喰らい飢えを凌ぎつつ当てのない旅を続けた。
何処だかわからない街に辿り着くも、よそ者で片腕、しかも乞食よりも酷い恰好をした自分に仕事などあるはずもなく、不気味に思う住民たちに追い立てられるかのように街を離れた。
ルーアルト王国北方辺境からガラント帝国に知らずの内に越境していたが、これは幸運だった。
ガラント帝国はまだ北方動乱の煽りをそれ程受けておらず、賊は少なく山野には食料が僅かだがあった。
途中幾つかの街に寄るも先の街と同じように仕事はなく、街を出て食べ物を求め山野を彷徨うこととなる。
年の割に引き締まっていた身体は痩せ衰え、目は窪み頬はこけていたが生きるという強い意志がカイルの身体を支え生へと突き動かしていた。
長い苦難に満ちた流浪の末、迷宮都市カールスハウゼンに辿り着く。
ギルドに行くが当然の如く仕事が無い。
迷宮の話を聞き潜ろうとするも門番に止められ、万策尽きて力尽き黄金の楓亭という宿屋の前で倒れてしまう。
壁に背をあずけうつろな目で空を見上げ、心の中で皆に詫びる。
ごめん、みんなもうダメみたいだ……ごめん父さん、ごめんコルト…………不意に大きな影に覆われ、大きな手が付き出された。
その手には水筒らしき物が自分に向けられており、死ぬ間際の幻覚だろうかと何度か瞬きをする。
「水だ、ゆっくり飲め」
腹の底まで響くような声とともに突き出された水筒をひったくるようにして受け取ると、乾ききった喉に勢いよく流し込んだ。
激しく咽ながら水筒が空になるまで飲む。
息を整え感謝を述べると僅かに活力が戻り再び生きるべくよろよろと立ち上がった。
食べ物を得るために街の外へ向かおうとするその背に男が声を掛けて来た。
「腕を失い、満足に歩くことも出来ない程やせ細って、それでもまだ生きたいか?」
その言葉を聞いた瞬間、怒りが沸々と心の奥底から湧き上がってくる。
何だと! 当たり前じゃないか、僕は生きる! 皆の分まで生きる、生きて生きて生き抜いてやる!
悔しさで目にうっすらと涙が浮かぶ。
「当たり前だ…………僕は死んでいった家族や村のみんなの分まで生きなければならない」
心の奥底から絞り出すようにして問いかけに答えると、男は満足そうな表情を浮かべ着いて来いと手招きをする。
それから先の事はあまり覚えておらず、気が付くとベッドの上で身を横たえていた。
カイルは目を覚ますと辺りを見回した。
体が動かず目玉だけをぎょろぎょろと動かす。
身体には新しい服が着せられ、額には濡らした手ぬぐいが添えられている。
そうだ……僕は男の人に助けられたんだ……緊張が少しだけ緩んだその隙を睡魔は見逃がさなかった。
再び瞼を閉じると今度は夢を見ずに深い眠りに落ちて行った。
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PVも一万越えていてびっくりしました。ありがとうございます。