ハンクの受難
ハンク率いる暁の先駆者の面々は軽いパニック状態に陥っていた……少し時は遡る。
ハンクが帝都を満喫し宿に戻ると、一台の高級馬車が止まっている。
周りには遠巻きに野次馬が集まり騒然としている。
人ごみをかき分けて宿に入ると、先に戻っていたメンバーがテーブルの隅で縮こまっている。
戻って来たハンクを見るなり、震える子犬のような目で救いを求めて来る。
身形の良い中年の貴族が近付いて来る。
「暁の先駆者のリーダーであるハンク様とお見受けします。陛下が地竜に遭遇した時の事を是非会ってお聞きしたいとのことですが、いかがでしょうか?ご予定などおありでしたら、こちらが日程や時間の調整を致しますのでどうか陛下の御希望を叶えては頂けないでしょうか?申し遅れました、わたくし侍従武官長のウルリヒと申します。」
頭がついて行かない。
陛下? 直接会う? 無理! 無理! 助けを求めようと思い仲間を見るが、皆視線を逸らしてハンクを見ない。
あいつら! しかもハーベイが皆で押しかけても悪いだろう、代表でリーダーのハンクが行けばよいのでは? などとのたまうが、ウルリヒが是非皆様をご招待せよとの陛下の仰せで御座いますと言われ二の句も言えずに顔を青くしている。
ざまーみろ! などと低レベルなパーティメンバー間の駆け引きも虚しく、結局は全員で今すぐに皇帝の居る宮殿へと馬車に揺られ向かう事となった。
馬車の中はまるでお通夜状態、誰も言葉を発せず忙しなく貧乏ゆすりをする者や、自分の信じる神にであろうか? 祈りを捧げ出す者、全身が小刻みに震えている者など誰一人として落ち着き余裕のある者はいなかった。
ウルリヒが何とか緊張を解そうと話を振って見たりするが、皆の緊張は高まるばかり。
別に取って喰われるわけではないのだがと思うが、市井の一般人が突然皇帝陛下に呼び出されればこうもなるかと半ば諦めていた。
何故ハンクたちが皇帝に呼ばれたのか? これは単に皇帝側の面子の問題である。
懐妊祝いに地竜の角という珍品を持ってきた者たちに対して何も礼をしないのはあらゆる意味で拙いのだ。
途中からハーゼ伯爵に丸投げしたとはいえ、迷宮都市カールスハウゼンから運んできたハンクたちに対して礼をしなければ器量を問われかねない。
相手は平民で、先述の通り途中で伯爵に託したため公式の場では無く非公式の会見という形を取った。
裏庭で昼食を共にする栄誉を賜ったハンクたちはぎこちない足取りで先導するウルリヒの後を追う。
すでに裏庭には皇帝が到着しており、ハンクたちは跪き招かれた事に対する礼をたどたどしい口調で述べる。
皇帝は返礼すると直ぐにハンクたちを立たせ席を勧め、傍に控える侍従に昼食の用意をさせた。
ぎこちないながらも幾つかの会話が交わされ、特にシンの話になると身を乗り出さんばかりに喰いついて来るのにハンクたちは驚く。
テーブルマナーなど知らないハンクたちは料理が出てきても中々手を付けようとしない。
皇帝は笑いながら作法など気にしなくてよいと言い、自分もワザと音を立てて飲み食いする。
その姿を見たハンクたちは感動し、皇帝の好意を無下にしないために料理に手を付けた。
流石は帝国の誇る皇帝専属の宮廷料理長が作るだけのことはあって味は最高、いつの間にかハンクたちは会話もせずにひたすらに飲み食いをし二度と味わう事の出来ない料理に舌鼓を打った。
その後もぎこちないながらも何とか会食を終える事の出来たハンクたちは、お土産に持たされた超高級ワインの樽と共に宿まで送られて行った。
お土産のワインを宿の居る者や知人に盛大に振る舞うが、後でその値段が金貨数十枚相当だと知って後悔することになる。
ハンクたちが皇帝の気さくさを吹聴して回ったために、庶民の間での皇帝の人気が上がる。
後世においてヴィルヘルム七世はガラント帝国中興の祖として名高いが、歴代の皇帝と比べると民衆の人気も非常に高い。
それは皇帝の飾らない気さくさと、細やかな気配りによるものかもしれない。
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ハンクたちは皇帝より迷宮都市に帰るときに、ついでに一人同行させて欲しいと頼まれていた。
帝都南門でその同行者と落ち合う。
その同行者とは勅命を受けたレオナであり、一頭の龍馬と冒険者然とした出で立ちでハンクたちと合流し迷宮都市を目指す。
本来なら若い女性の動向に色めき立つはずだが、レオナの何者をも寄せ付けないような凛とした雰囲気に飲まれてしまっていた。
それでも何とかぎこちないながらも意思疎通を図るべく会話をしようとハンクたちが頭を悩ませていると、意外にもレオナの方がハンクたちを質問責めにした。
「あなた方は地竜の素材を売って大金を得たのにまだ迷宮に潜るのですか?」
レオナの質問はごもっとも、危険な迷宮に潜るのは大金を得るためである。
その目的を果たしたならば、普通はもう迷宮に潜ることを辞めると考えるだろう。
パーティメンバーの一人のハーベイが鼻の頭を掻き照れくさそうに言う。
「実は金を全部使っちまってな……おっと! 無駄遣いしたわけじゃないぜ、武具を新調したり装備を整えたりするのに使っちまったのさ。」
「そうそう、俺たちは馬鹿だからな。あの恐ろしい迷宮が何だかんだ言っても好きなんだわ……よく言われる迷宮の魔力に囚われるってやつさ。」
同じくメンバーのヨーヘンが笑いながら言うとグラントが腕組をして頷く。
「そうか、お前たちもようやく迷宮の素晴らしさを理解したか! 迷宮はいいぞ、そこには夢とロマンに満ち溢れてるからな!」
「現実には黴臭さと醜悪な魔物が満ち溢れてるけどな!」
そう言って笑う暁の先駆者たちは皆が新調した装備を迷宮で試したくてうずうずしていたのだ。
彼らにとって迷宮は青春であり、人生そのものなのだ。
この感覚は、迷宮に潜り続けた者にしかわからないであろうことだけはレオナにも理解できるのであった。
旅は順調に続く……帝国の法では賊はその場で死刑、例外は無い。
その厳しい刑罰のおかげもあって国内に賊の数は少なく、街道沿いは各貴族の有する騎士団の見回りの甲斐もあり魔物の姿も見えなかった。
街道に接する貴族たちは人と物がよどみなく流れることによる経済効果をわかっているため、積極的に所有する騎士団を派遣し街道付近の治安の維持に努めていたのである。
街道は流れこそスムーズではあるが、混雑していてその原因は迷宮都市カールスハウゼンにあることは一目瞭然であった。
乗合馬車には冒険者の恰好をした者、あるいは冒険者を目指すものが溢れんばかりに乗っているし、商人の馬車には食料の他、武具や雑貨が載っている。
嗜好品や高級品の類を運んでいる馬車は少なく、それらを運んでいる馬車は途中の分かれ道で別の方向へと向かって行った。
ハンクはそれらを眺めて嫌な予感を覚えずにはいられない。
残っているシンは今どうしているだろうか? 厄介ごとに巻き込まれてなければいいが……
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迷宮都市カールスハウゼンは始まって以来の喧騒に包まれていた。
日に日に増え続ける冒険者や商人に街の宿は嬉しい悲鳴を上げる。
来て早々にベテラン気取りで迷宮に入ったきり戻って来ない者も多いが、それを凌ぐほどの人数の冒険者が毎日のように訪れるのである。
ギルドも大忙しであり、迷宮関連の掲示板のボードは最初の二つから今では五つになっており当然の如く処理が追いつかずにてんてこ舞いの日々であった。
シンはと言うと、街を歩けば竜殺しと指を差され、腕試しと称して喧嘩を吹っかけられる毎日にうんざりしていた。
最近は郊外の牧場で一日を過ごすことが多く、そこで剣と魔法の訓練をし、サクラと散歩をして荒んでいく心を癒す毎日であった。
ここ、カールスハウゼンでは刃傷沙汰は基本ご法度であるが、正当防衛は認められている。
シンが一人宿で夕食を楽しんでいると、突然頭からエールを掛けられる。
それでも無視して食事を続けていると今度は料理を床にぶちまけられた。
シンは聖人ではない、むしろキレやすい人間である。
ここまで我慢した自分を称賛しながら、無礼を働く男を睨み付ける。
「竜殺しさんよ、一丁俺と手合せしてくれねぇかな?お前みたいなガキが地竜を倒したなんて誰も信じちゃいねぇ、俺のがお前より遥かに強いってことを証明して竜殺し殺しを名乗ってやるよ!」
頭の悪そうな男にうんざりしながらも、普段五歳は上に見られる年齢が今日は年相応に見られたことに少しだけ嬉しく思ってしまう。
だが、料理を台無しにされた事はどうしても許せない。
「…………表へ出ろ…………」
男はしてやったりと言った顔をして外に出て行く。
シンは女将が持ってきてくれたタオルで頭と顔を拭き、申し訳ないと謝りながらも食事の追加を注文した。
何時までも外に出てこないシンに苛ついた男は中に戻って来て剣を抜き胸倉を掴みながら凄んだ。
「てめぇ、なめて」
胸倉を掴んだ手首を握り潰すと骨の砕ける音と男の悲鳴が宿の中に響き渡る。
そのまま男を外に力いっぱい放り投げると、地面にキスをした男は首があらぬ方向に折れ動かなくなった。
何事も無かったように席に座り直し女将の持ってきた新しい食事に手を付けると、辺りから拍手喝采がおこる。
これが最近のシンの日常で、いい加減面倒くさくなり始めていたシンはどうしたものかと思案するが解決方法は思い浮かばなかった。