シュトルベルム伯
シュトルベルム家代十二代当主、ヴィッセル・フォン・シュトルベルム伯爵は四十七歳で、小柄ではあるが肉厚のがっしりとした身体つきをしており、髪はくすんだブロンドで瞳の色は茶色をしている良く言えば眼光の鋭い、悪く言えば目つきの悪い男だった。
本気で笑っていても目つきの悪さから、良く目が笑っていない、腹に一物を抱えているなどと揶揄されることが多く、本人も気にしていた。
そこに自分と同じように目つきの悪い男、もちろんこれはシンであるがそのような男が竜殺しの英雄だと知り妙な親近感を抱き是非居城に招きたいと思っていたのだ。
勿論、貴族の例に漏れず本人の好奇心だけではなく打算も当然あるのだが……貴族の世界は見栄とハッタリの世界でもある、自分の治める領地から出た希少な地竜の素材を全て商人に掻っ攫われたのならば夜会でのいい笑い話にされてしまうだろう。
痛い出費ではあるが、体面を保つためには何としても地竜の素材を買わなければならなかった。
さらには自分の領地で地竜を倒して竜殺しと呼ばれている若き英雄を、他の貴族が城に招く前に自分の居城に呼ばねばメンツが潰れてしまいかねない。
今日の招聘とて偶然では無く、シンの怪我の回復具合を手下にこっそり監視させ、治ったら直ぐに呼ぶ用意をしていたのだった。
存外このシュトルベルム伯爵は抜け目が無く、前回の帝都動乱でも皇帝派に息子を送り込んでおり、今回のシンの招聘も貴族の体面だけのものではない。
シンが馬車を降りて跪こうとすると、それを手で押しとどめ君臣の間柄ではないのだから無用であるとカラカラと笑う。
「さぁ、裏庭で昼食の用意をさせておる。シン殿、そこでゆっくりと話をしようではないか」
さぁさぁと高位貴族にあるまじく気さくな感じで裏庭へと導いていく。
シンは自分の考える貴族とのギャップについて行けずに困惑する。
裏庭に着き、一際豪華なテーブルに着席を促される。
席に着く前に地竜の素材の件と今回の招聘についての感謝の意を述べると、伯爵は照れくさそうに顔の前で手を振り、地竜の素材の事はただの貴族の見栄じゃよとまた大笑いをする。
席に着き食前酒が注がれ、乾杯をすると伯爵はシンに問いかけて来る。
「どうしてシン殿に来てもらったかわかるかね? ああ、安心したまえ儂は皇帝派じゃよ。あの聡明な陛下が特に目を掛けていたと息子から聞かされていてね。シン殿なら、どうして自分が居城に招かれたかわかるのではないかね? 言っておくが、招いた事は貴族の見栄だけではないぞ」
シンを試すように、いや実際に試しているのだ……目の前の男が有益かどうかを……シンは伯爵を見ながら考える。
いきなりとは随分と直接的だな、武断的な性質と見たのか? いや俺の性格を間者を使って調べさせたりしているかもしれないな、何にせよ一筋縄ではいかなそうだ。
先程までの雰囲気とは違い、和やかさは消飛び駆け引き特有の緊張感が場を支配する。
シンは内心焦ってはいたが、ここは見栄とハッタリの世界と割り切り食前酒を一口飲んでから問いに答える。
「一つは俺を厚遇することでの世間への心象の操作、二つ目は俺をこの地からしばらくは去らせないよう釘を刺したかった。何故ならこれからこの地は一攫千金を求める冒険者が国中から集まってくる。成功者の俺が居れば話の真実味が増し冒険者たちはさらに奮起するだろう。それらによる経済効果は計り知れず、地竜の素材を多少高値で買い取っても痛くも痒くもない。俺を街の名物にでもする気ですか?」
シンの目に危険な光が宿り始める。
自分を街に釘付けにするために非道な手段を取ると言うなら一戦も辞さぬ、言葉には出さないが伯爵は理解した。
「ふふふ、ふははははは、陛下が気に入るわけじゃな……その通り、せめてしばらくは我が領内、特にカールスハウゼンに滞在して欲しい。無論、無条件でとは言わぬ。今滞在している黄金の楓亭の宿泊費を我がシュトルベルム家が払おう、いつまででも居て良い。どうじゃ? そなたが居るだけで我がシュトルベルム家は繁栄する、この機を逃すほど愚かでは無い。他にも何か必要な物があれば出来る限り用意しようではないか」
中々良い条件提示である。
どのみち身体を鍛え上げ、冒険者として再び迷宮に挑もうと思っていたシンには最高の条件と言っても良かったが、即答は避ける。
「いい条件です、ですが私も何時までもここに居ようとは思ってません……伯爵様はどの位の期間私がカールスハウゼンに留まれば良いとお考えですか?」
伯爵は左の目尻を無意識の内にひくつかせる。
喰いついたなと確信めいた閃きを感じたが、焦らない。
出来る限りシンの滞在を引き延ばさねばならない。
それにしても面白い男だ、一介の元傭兵だと聞いていたが経済にも目端が利くとは……噂の一つであった遠国の貴族と言うのも強ち嘘ではないのかも知れない。
この者を臣下に加えるか? いや、駄目だそれは危険だ。
陛下にさえ靡かなかった男だ、それにもし臣下とすれば陛下との間に軋轢が産れるのは必定……この才幹は惜しいが諦めよう。
短い沈黙の後伯爵は素直に答える事に決めた。
「一年……一年間で良い。その間は先程の件は勿論のこと、何かあった場合には我がシュトルベルム家が後押しすることを約束しよう」
シンの待っていた一言が伯爵の口からついに出た。
滞在はしてもらうが、他の貴族がちょっかい掛けてきても知りませんでは話にならない。
だが今、伯爵は何かあった時に後ろ盾になると明言したのだ。
これならば、迷宮探索に変な横槍を入れられずに集中出来る。シンはこの条件ならと決断する。
「わかりました、最低でも一年はカールスハウゼンに留まることを誓います。今後ともよろしくお願いします」
シンが決断し頭を下げると、今までの緊張した雰囲気は一気に解け自然と場は和らいだ感じになる。
帝国に迷宮都市は他にもある、シンの手柄が広まりそれがもたらした経済効果が知れれば、他の領主がうちの迷宮に潜れと言ってくる可能性もあるのだ。
当然伯爵と揉め事になる可能性があるが、そのデメリットよりもシンがカールスハウゼン居るメリットを天秤に掛けて伯爵はシンを保護する方を選んだのだ。
随分と商人的な考えをする貴族だな、迷宮都市という変わった土地柄のせいだろうか? もろに武人と言った顔つきなのに交渉にも長けている感じがする。
よくわからないな……顔怖いし……
「おお、そうかそうか! こちらこそよろしく頼むぞ! わははは、さぁ食事にしよう」
伯爵は伯爵でシンを見て、どこをどう見たらこやつが十八歳だというのだ! 顔怖いし、妙な迫力があるしおかしいではないか! と思っていたのだが……
丁度良いタイミングで料理が運ばれてくる。
メインディッシュは魚の塩焼きだった、内陸部で魚と塩は貴重である。
シンのためにわざわざ魚も取り寄せたのだろう、その手間ともてなしに感謝しつつフォークとナイフでは無く、持参した木を削って自分で作った箸を使い魚を食べると向かいに座っていた伯爵はポカーンと口をあけてその様子を見つめていた。
「ああ、不作法で申し訳ない。これは箸というもので、故郷ではこれを使って料理を頂くのですが……フォークの代わりです」
伯爵は我に返り、いやいや構わんよと……しかし器用じゃなと感心している様子であった。
シンが豆料理の豆粒を箸で掴むのを見て、伯爵だけでなく給仕までもが目が飛び出んばかりに驚いていた。
その後は料理を食べながら地竜のこと、ゲルデルン公爵成敗のこと、カーン防衛戦のことからシンの故国である日本のことなどを話していると、伯爵はノリが良く聞き上手でついつい長話になってしまった。
特に箸に強く興味を示して、握り方や使い方などを根掘り葉掘り聞いてくるので次回までにもう一膳用意することを約束して、リヒトブルク城を後にする。
お土産にワインの小樽を持たされ、行きと同じく馬車で宿まで送ってもらうともうすっかり日は落ちていた。
早速翌日に、雑貨屋で箸用に丁度いい木を買って来て削り、箸を作る。一応、念のため何膳か作って置く。
サクラの様子を見に牧場に行くと、昨日顔を見せなかったので拗ねて機嫌が悪い。
仕方ないなといつもより長い距離を散歩をして、機嫌を直してもらう事にした。
帰るときには怒っていたことなど忘れてしまったかのように甘い鳴き声を上げていた……と言っても知らない人が聞けば唸り声で威嚇されてると勘違いしそうな鳴き声だが……ハンク達は今、どこら辺だろうか? などと考えながらゆっくりとした一日が終わって行った。




