森の中の湖
日が昇り始めるのほぼ同時に、真一は目が覚める。
寝ている途中で、何回かバランスを崩して落ちそうになり熟睡は出来なかったが、短時間でも眠れたのは疲れ切った体にとって何よりのご褒美だった。
欠伸をしつつこれからの行動を考える。
やはり先ず何を置いても水の確保である。
その時、真一の顔に僅かではあるが小さな水滴が数滴落ちてきた。
突然の事に驚きバランスを崩しそうになるが、上を見上げ真一は口を開けて笑う。
雨でも降ってきたのかと思ったが、正体は朝露であった。
もう少し上まで登れば葉に手が届き喉を潤すことが出来るかもしれない。
そう考えると喉が渇ききっている真一は危険を考慮する余裕もなく、朝露を得るために素早く行動に移る。
睡眠中に木から落ちることが無いようにと、腰に巻いていた蔓を解くと足を滑らせないように慎重に登り始めた。
そして僅かだが葉に付いている朝露を舐めとった瞬間、たかが1滴の水滴の美味さに驚き思わず涙ぐむ。
――――これで泣いたら朝露を啜った意味が無くなる。しかし僅かな水滴がこんなにも体に沁みわたっていくとは……
手に届く範囲の葉に付いてる朝露を無我夢中で啜り終えると、真一の顔はまた曇った。
これでは当然足りない。
身体は正直で、喉も腹も満足できずにさらに水分を求めて来る。
高所に登り辺りを見回して水源を探すことを思いつき、慎重に木を登り続け生い茂った葉の間から顔を出して見回す。
しばらく目を凝らして四方を見回していると地面がキラキラと光っている場所を見つけた。
――――あれは、もしかすると……
逸る心を鎮めながら慎重に木を降り始めた。
途中何度か足を踏み外しそうになるも、怪我もせずに地面に降りる事が出来てホッと胸を撫で下ろすと、目的の方向を向いて手を二度程叩いてから両手を合わせ、目を瞑り願を掛けた。
真一は大多数の日本人にありがちな宗教観があやふやな人間である。
神様なんぞ普段は信じていない癖にこういう行動を取るのは日本人だけであろうか? ともあれバックパックを背負い直し、目的の方向へ力強く歩き出すのであった。
願掛けが叶ったのか……いや、願を掛けなくても湖はそこにあっただろうからやはり関係ないであろう。
「ああ、ああ、水…………」
極度の興奮でるで酔っ払いの千鳥足のように足取りが覚束ない。
地に足が付いていないとはこういうことを指すのだろうか。
真一は滑り込むように水辺に近づくと、まるで動物の様に四つん這いで顔を水の中に突っ込み水を思いっきり喉に流し込み、激しく咳き込みながらも強引に飲み込もうとする。
「ゲハッ、ゴフッ、ゴフッ……ぷはーーーーーーーうめぇえええええええ!」
今度は頭まで突っ込み顔と頭を洗い出した。
「ブハー、きもちいいいいいいいぃぃぃ! おっと、忘れないうちにペットボトルに汲んでおこう……
ん? 目の前にこんな岩あったか?」
波の立ち方がおかしいのに気が付いた瞬間、反射的に後ろに体を捻りながら飛び退った。
頭上スレスレを黒い何かが物凄い速さで通り過ぎるのが目に映る。
後ろも見ずに不恰好にも必死に赤子のように這いつくばりながら、湖から少しでも離れようとする。
体を泥まみれにしながら湖面から距離を稼ぎ振り返ると、巨大な亀が水中から上陸しようとしていたのが見えた。
――――大きい! 四メートル、いや五メートルか? 俺の頭上を掠めたのは亀の頭か? あの姿は……首長亀、そう首長亀だ! あの体の大きさだと首のリーチも長いはず、早く距離を取らないと拙い……
アルファベットのSの字に首を畳んでいるのを見て、昔に図書館で見た爬虫類図鑑に載っていた首長亀を思い出す。
慌てる真一を尻目に首長亀は気が変わったのか、ゆっくりと後ずさりをし湖に体を再び沈めて行った。
心臓は破裂せんばかりに脈打っていて、しばらく喘ぐような声しか出ず亀が消えて行った湖面から目を離すことが出来ない。
少し時間が経ち、落ち着きを取り戻すと深呼吸を数回行い、脈を整える。
ふと右手に視線を移すとペットボトルが割れ、汲んだ中の水も殆ど零れ落ちてしまっている。
あまりの無情な出来事に、目の前が真っ白になり思わず蹲ってしまう。
「畜生! 何で……」
涙腺がふと緩んだ瞬間、滂沱の如く両目から涙が溢れだす……
しばらく涙が落ちるがままに任せた後、泣いたことで気分が落ち着いたのか思考を整理し始めた。
――――湖があるということはそこに注ぎ込む川、若しくは流れだす川が必ずあるはずだ。
川に沿って下流方向に歩けば文明があるなら必ず人に会えるはず……
割れて使い物にならなくなったペットボトルを投げ捨て、用心の為に湖岸から距離を置きつつ、川を探すため湖の外周を回るべく歩き出す。
程なくして流れ出す川を見つけるが、先程の事もあり距離をあけて辺りを丁寧に観察しだすと、大型の四足の生き物が水面から上半身を出し岩にもたれかかっていた。
時間を掛けてさらに注意深く観察する。
大きさは二メートルくらい山椒魚に良く似た身体つきをしているが特徴的で大きな頭の形をしていた。
この謎の生物の容姿も図書館で見たことがあった。
イクチオステガ……デボン期の両生類であるに近似しているその生物はおそらく肉食であろう。
訳がわからない……暫しの間一切の動きが止まるほどに真一は混乱した。
怪鳥も恐らくは恐鳥類のデイアトリマではないかと当たりをつけていた。
デイアトリマは始新世の比較的新しい時代の生物だ、次に見た巨大な翼竜は図鑑などで見たことの無い生物だった……しいて言うなら空想小説などに出てくるワイバーンが容姿的にも当てはまる。
そして次に会った命綱の一つのペットボトルを割った、憎き首長亀は現代にも生息している。
ただしサイズは数十分の一であんなに大きい個体は見たことも聞いたことも無い。
それぞれの生物の生息してる時代がバラバラなだけでなく、あのワイバーンのような翼竜は何のかすらわからない。
一体どうなってるのか? 過去にタイムスリップしたのかと思っていたが違うようであり、真一の頭は益々混乱し始める。
――――デイアトリマの始新世の頃なら人類の文明は望んでも無駄だが、首長亀は現在でも生息してる……でもイクチオステガはデイアトリマよりもっと古い。それに翼竜……図書館の図鑑でも見たことが無い形をしていた。未発見の新種だろうか? 果たして人類は生息してるのであろうか? 居たとして、文明の発達具合はどれ程の物なのか?
やっとのことで川を見つけたというのに、危険な生き物が潜んでいることがわかって、容易に水源として使えないことがわかると真一の心は重く沈んだ。
取り敢えず先に進むことにし、川から一定の距離をとりつつ下流方向に向かって真一は足を進めることにした。