決別
夜が明けて点呼を取ると、夜の怪鳥の攻撃で奥平、水野、菅沼の三人が怪鳥に襲われ亡くなっていた。
またクラスで男子に人気の女子、南 光 が行方不明になっていることがわかった。
恐怖に駆られて逃げ出したのか、怪鳥につまみ出されたのかはわからないが、あの状況を考えると生存の望みは殆ど無いだろう。
恐る恐るバスの外を見回したが、あの恐ろしい黒く大きな怪鳥の姿は一羽たりとも見えなかった。
夜行性だったのだろうか? それとも何か別の理由があるのか? 真一は怪鳥が走り去って行った赤茶けた岩山にしばらく視線を向け続け考えるが、答えは出ない。
皆が担任の石田の様子がおかしいのに気が付いたのは、完全に日が昇ってからだった。
石田は三十代半ばのはずなのにどう見ても倍の六十代にしか見えない程老け込み、黒々としていた頭髪はまばらに白髪が混じり、さらには幾つかの小さなハゲが出来ていた。
眼は窪んで焦点が合っておらず、口の端からは泡交じりの涎が垂れていた。
その容貌に皆息を飲み、声を掛けることが出来ない。
真一はハッとして自分の頭を一通り撫でると、ハゲが出来てないことに小さく安堵の溜息を吐く。
リーダーシップを取るべき人間が廃人になってしまい、自動的に級長の酒井が引き継ぐことになったが
酒井は無理だとごねる。
真一も酒井の気持ちは痛いほどわかってしまう。
誰もこんな絶望的な状況でリーダーになりたいとは思わないだろう。
見かねた友人の井伊が、自分も手伝うからと言うと酒井は不承不承引き受けることになった。
真一は彼らのやり取りを聴きながら考える。
一つはここは何処か? そしてあの怪鳥はなんなのか?
ここに留まるべきか、動くべきか……
前の二つは後回しにするとして移動するか留まるか……早急に決めなくてはならない問題がある……水が無いのである。
人間はおよそ体重の十パーセントの水分を失うと死亡する可能性が飛躍的に高まってくる。
これは一滴も水分を取らないと想定すると気候等にもよるが、だいたい三日から四日位である。
今日は事故から二日目、あまり時間的余裕があるとは言えない。
ただでさえ異常な事態に晒されて汗をはじめ体の水分の消耗が激しく、長くはもたないであろうことは誰が見てもわかる。
半時ほど考え、真一は自分の取るべき道を決めた。
「水を探しに行こう」
そう言って真一が級長の酒井に話しかけると、酒井は真一の顔を見て言葉の意味はわかるがその行動は理解出来ないといった顔をする。
話しかけた酒井は沈黙を保ち、代わりに井伊がぶっきらぼうに答える。
「救助を待つべきだ、勝手に動くのは危険だ」
真一は水分の大切さや死亡のリスクをとくとくと説明するが、二人とも自分達に従わない真一を面白くなさそうに見る。
真一は心の中で激しい葛藤に見舞われる。
――――どうしてわかってくれないのか、まだここが日本だと思っているのか?……参加者を募ってみるか……ついて来れば良し、来なければ単独で自由に動こう。
「誰か、俺と一緒に水を探しに行く人はいないか?」
クラスメートそれぞれの顔を順番に見るが、あるものは顔を顰め、またあるものは視線を合わさないように俯く。
だが、誰も着いて行くと声は上げた者は居なかった。
真一は遂に覚悟を決める。
負傷者を置いて行くことは心苦しいが、今まで散々自分を無視してきた人間たちと自分の命とどちら選ぶか? 答えは意外と簡単に出てしまう。
――――よし、仕方がない単独で動こう。俺は座して死を待つより足掻いて死のう。
そうと決まれば早速行動を開始するのみである。
真一はクラスメート達を振り返ることもなくバスを降りた。
自分の荷物が怪鳥に荒らされてないことを祈りながら再びトランクルームに向かうと、昨日見つけた状態のままのバックパックを見てホッと胸をなで下ろす。
バックパックを背負い、迷うことなく三百メートル程先に見える鬱蒼と茂る密林に向けてゆっくり歩んでいく。
元々行く方向に選択肢は無い、赤茶けた岩山方向は怪鳥が去った方向である。
したがってあちらに向かうは単なる自殺行為である。
密林以外の草原は何処まで広がっているか見当もつかず、夜になっても隠れる所が無ければやはり怪鳥の餌食となる可能性が高い。
ここは素直に密林に行くほかないと覚悟を決めると、未練を振り払うかのように一歩一歩力強く歩き出した。
密林にあと少しで入ろうという所で突然頭上から、ゴウッという音と巨大な影が真一に迫ってきた。
嫌な予感がして全速力で密林に駆け込み空を見上げると、巨大な翼竜が上空を旋回していた。
――――大きい。五、六メートルはあるかも知れない……どう見ても肉食だろうな……ん? 待てよ怪鳥が朝になる直前に逃げ出したのはひょっとしてこの翼竜が活動を始めるからなのか? もしそうだとすると色々合点が行くな。あの翼竜は変温動物だとすると日が昇って体が温まらないと飛べないとか……あの大きさだと怪鳥も餌となるのではないか?
取り敢えず密林に入れば鬱蒼と生える木々が邪魔で攻撃は出来なそうだなどと考えながら、頭上に注意しつつ奥へ奥へと分け入り先に進む。
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「くそーっ! マチェットや鉈があればなぁ……」
密林に入ること数時間、真一は独り言をいいながら木の根だか蔓だかわからない物をかき分け進んでいた。
木々は上に青々とした葉をこれでもかとばかりに茂らせているため、地面近くは暗くジメジメしている。
おかげで草の類はまばらにしか生えておらず移動が楽かと思えば、意外とぬかるんだ地面に足を取られるうえ、根なのか蔓なのかわからないものが木の枝から垂れ下がっており、かき分けながら進むのに時間と体力を削られていく。
元々暗い森が一層暗くなって来る頃、真一は多少登りにくいが枝がしっかりしており上で休めそうな木を見つけ野宿の準備に入る。
準備と言っても木の幹や枝に移動を散々妨害した蔓のようなものと幹に、自分の体を結び付けて落ちないようにしただけである。
熟睡は出来ないだろうが、取り敢えずは現状出来る限りのことはしたつもりであるし、怪鳥の鳴き声やクラスメートの悲鳴や呻き声が聞こえないだけでも精神的に楽だった。
また食事もお土産のお菓子の類とはいえ人目を憚らずに自由に食べれるのは何とも言えない幸福感をもたらした。
――――こんなに美味い菓子は初めてだ……もっと買っておけば良かった。名物に美味いものは無しってよく言われるから最低限のお土産しか買わなかったんだよなぁ……よし、節約して食べれば三日は持ちそうだ。だが水がなぁ……
お土産を買うのを渋ったことを後悔しながら一口ずつゆっくり味わって食べる。
五百ミリのペットボトルの中身のお茶は、もう三分の一も残ってはいない。
残りの量を考えると明日中には水源を見つけないと、本格的に拙いことになるだろう。
頭を数度振ってから不安を打ち消すように瞼を閉じると、体力の消耗の激しさからか、ものの数秒も経たずに眠りに着いたのだった。