短い青春
二人の男の偉大なる作戦が決行された。
先に結果を言うと、皇后にバレた。
夜更けにこっそりと宮殿を抜け出した二人は、歓楽街へと足を急がせる。
シンがあの手この手で仕入れた情報から、自称歓楽街一番を名乗る淡き一夜の甘い夢と言う名前だけでナニをするか一発でわかる店を選ぶ。
この店は口が堅いことでも有名で、ここならば皇帝、(今はエルと名乗らせている)を連れて行っても大丈夫だろうと言う事で決めた。
「シン!店はまだか?まだ遠いのか?余はもう……辛抱堪らんぞ」
「陛下、いやぁ違ったエル、余では無く俺だぞ、一人称は俺! それじゃ変装の意味がないからな?」
「ああ、そうであった。気を付けよう、しかし楽しみだな! 店に行くことだけではないぞ……色々とだ」
皇帝はノリノリで鼻息も荒い。
だがそれはシンも大して変わらない。
「俺もそういう店に行くのは初めてだから、というかその……そういう行為も初めてで……」
それを聞いてエルは勝ち誇ったように胸を反らす。
「余……俺にもシンに勝る所があって安心したぞ! なぁに店に着くまでみっちりとやり方を教えてやる、安心せい!」
こんな皇帝でこの国大丈夫なのか? シンが怪訝な目つきで見ていても興奮した皇帝は気が付かずにベラベラと喋り続ける。
大半を聞き流し、所々肝に命じながら店に着くとボーイと女主人が出迎えてくれた。
もしかしてバレてるんじゃ? シンが緊張し僅かに不穏な気配を発すると女主人がニコリと笑う。
「お客様、当館での一夜は夢……朝になれば儚く消える夢に御座います。御安心して一夜限りの夢を堪能下さいませ」
ああ、これは俺たちの素性はバレてるな……だが、口は堅いと暗に言っているのだし、ここまで来てしまったらもうどうしようもない。
何より嬢に釘づけの皇帝が素直に帰るはずもない。
腹を括るとよろしく頼むと短く答え、店の奥へと招きに応じて足を踏み入れて行った。
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翌朝、昇りたての朝日を全身に浴びた男たちは満足気な顔をして城への道を急いでいた。
「シン、どうであった? 上手くできたか? マルガとの最初の時は痛がって出来なくてな……だがあの店ではそのようなことはあるまい?」
要らない情報をまた一つ得てしまう。
皇后陛下が聞いてたら殺されるぞと思いながらシンは昨夜のことを思い出しだらしなく口許を緩めた。
「その様子だと上手く行ったようだな、結構、結構、シン! 是非また来よう、次は何時にしようか……」
本当の意味での童貞を捨てたシンは、大人の階段を昇り一つ成長した気になっていた。
作戦は完璧だ、シンも皇帝も互いの顔を見て笑い合う。
だが、この時の見落としが後の悲劇を巻き起こすのであった。
城に入り変装を解き、お互いに身だしなみをチェックして素知らぬ顔でそれぞれの自室に戻る。
それから何事もなく一日が過ぎ、終わろうとしていたその時シンの部屋にノックの音が響き渡る。
「はーい、どなたでしょう?」
シンが扉を開けるとメイド姿の侍女が立っている。
名前は知らないが、皇后陛下の御付きの侍女であることは知っていた。
「シン様、御呼出しで御座います。今から皇帝陛下の御自室まで至急お向かいください」
嫌な予感がする、皇帝の呼び出しならば侍従の誰かが来るはずである。
それが、皇后の御付きの侍女が来ると言う事は……
「陛下の呼び出しかな?」
「いえ、皇后陛下の御呼出しで御座います。絶対に連れてくるようにと厳命されておりますれば、是非に……」
シンは事ここに及んで観念した。
心なしか侍女のシンを見る目が冷たいように感じる。
侍女に先導されて部屋に着くと、床に座らされている半裸の皇帝がいた。
皇后マルガレーテは無言で皇帝の横の床を指差す。
顔を青ざめさせながら大人しくシンは指示に従い、皇帝の横に座った。
「なんでバレた? 完ぺきだったはずだろ?」
シンが小声で呟くと、皇帝がシャツを少しはだける。
そこには言い逃れの出来ないキスマークが付いていた。
シンは目を手で覆い天井を見上げる。馬鹿野郎、そりゃバレるよ少しは頭使えよ! と小声で呟く。
皇后マルガレーテの咳払いが響く……
「シン殿にお聞きいたします、昨晩はどちらにおいででしたのかしら?」
嫌な汗が全身から吹き出す、今すぐ逃げ出したい。
横をチラリと見ると縋るような目で皇帝が見つめて来た。
「陛下の御命令で娼館に行く御伴をさせていただきました!」
シンは即座に皇帝を売った、まだ死にたくない。
皇帝が目を見開き無言の抗議をするが、白い指先が顎をなぞると恐る恐るマルガレーテの顔を見た。
シンは見た……顔は笑っているが目が笑ってない、般若の方が可愛く見えるほどに恐ろしい。
それから鉄拳制裁を伴う説教が始まる。
皇帝の顔に白く綺麗な拳が突き刺さるが、見なかったことにし唯ひたすらに反省している様子で返事を返す。
しばらくすると皇太后が姿を見せる。
皇太后の顔を見た皇后は堪えきれなくなった涙をはらはらと流し始める。
「お義母様、私、うっ、うっ……」
幼児のようにしゃくり上げる。
皇太后は優しく抱きしめそっと頭を撫でて落ち着かせる。
「陛下、御戯れが過ぎますね……皇族のあり方というものをきちんと教えて差し上げねばなりませんね」
この後朝まで説教された二人は解放されたときには半ば魂が抜けたような容貌になっていた。
これで終わりではない、これから宰相とハーゼ伯爵からの有り難い説教が待っていたのだ。
流石にほぼ丸一日説教され続けた二人は懲りて、二度と娼館に通うことはなかったがこの件は結構長く尾を引いた。
「最近、ヘンリエッテが口を聞いてくれない…………」
皇帝がこぼす。
「…………しばらくは諦めろ…………」
シンは的確なアドバイスを返した。
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光あれば影がある。
これはこのパライソでも地球でも同じこと。
眩しく輝く光を浴びれば浴びるほど、影も濃くなっていく。
近衛騎士の訓練に参加していたシンは馬と龍馬の訓練を終え、次は帝国式の剣術などの武術を学ぼうと意気込んでいた。
だが、そこに待っていたのはシンを失望させる現実があるのみであった。
最初は近衛の教練に参加したい異国の剣士を懲らしめてやろうと、若い近衛騎士が模擬戦などをしかけてきたが、普段碌に訓練をしていない騎士たちの技量は低く、シンに簡単にあしらわれると次に待っていたのは徹底的な無視であった。
異国人であるのが気に食わない、皇帝陛下と懇意なのが気に食わない、自分より若いのに武勲を上げたのが気に食わない、差別や嫉妬の入り混じった末にこうなったのであった。
またかよ…………地球と変わらないな、人はどこに行っても所詮人か……
近衛騎士の大半は帝国の貴族の二男や三男などの子弟たちであった。
大体が長男に何か起きたときのスペアとして育てられており、貴族であるから甘やかされて生きて来た。
近衛騎士に配属されても最低限の技術を学ぶと、あとはもう訓練すらしないで遊び呆ける。
当然技量は低く、下手をすれば辺境の農民の方が強くまるで使い物にならない。
戦争でも主力は貴族たちの子飼いの騎士が主力で、近衛騎士など帝都から出撃することはない。
戦場に行っても使い物にならないのは誰の目にも明白であった。
シンは訓練場に毎朝来ているが、管理人以外の人影を見た事はなかった。
もったいねぇな、こんなにいい訓練施設があるのに……
仕方がないので一人で訓練をするが、これならば別にここで訓練せずとも何処でやっても同じである。
シンは決断する。
ここを去る時が来たのだと。
強くなる、これがシンの目標の一つである。
ここにこのままいてもそれは叶わないだろう……ならば……
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宰相からシンの最近の様子を聞いた皇帝は近くにあった水差しを壁に投げつけた。
顔は怒りで赤黒く染まり、肩で大きく息をしている。
この様な姿を見るのは宰相どころかずっと御守りをしてきたヴァルターですら見た事はない。
「宰相、余の怒りは間違っておるか? 近衛はその血筋に安穏とし怠惰と堕落にどっぷりと肩まで浸かっておる。この前も近衛など役に立たないばかりか、余の敵になる者まで出る始末・・・宮廷人形と陰口を叩かれておるが人形よりたちが悪いわ!」
「お怒りは御尤もですが、今はまだ足元を固めるとき……近衛たちを処分すれば近衛の実家の貴族たちが反旗を翻しかねません。御自重下さいませ」
「…………余は本当にこの国の皇帝なのか? 配下の怠慢も罰せぬとはあまりにも情けないではないか!」
皇帝は役立たずの近衛騎士たちを憎んですらいた。
出来る事なら全員クビにしてやりたいが今は出来ない。
帝国の恥部をシンに知られてしまった悔しさと情けなさで、思わず我を忘れてしまうほどの激昂をしてしまったのだ。
「シンに詫びねばならぬ、すまんが呼んで来て欲しい」
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シンが部屋に入ると皇帝の他に宰相とヴァルターが既に着席していた。
「シン、この度は済まぬ。近衛騎士がここまで腐敗しておるとは思ってもおらず迷惑をかけた、許せ」
「いえ、馬と龍馬には乗れるようになりましたしその事だけでも感謝しております」
「シン……お前の故国の事を聞かせて欲しい。たしか象徴としての皇族がいると言っていたな……それを守るのは近衛であろう。だが、貴族はいないと言っていたがどうやって近衛を選ぶのだ? 我が帝国では貴族の子弟がその任に当たっている、シンよ話せるとこまででよいから教えてはくれまいか?」
天皇陛下を守っているのは確かSPとかだったかな? と地球時代の事を思い出す。
「確か……広く民間から人材を集めそれ専門の学校に入って卒業してなるのだったかな?」
正確には知らないが大筋は間違ってはいないだろうと思う。
「学校? 学校とは何だ? それに民から募集するだと……成程、貴族が居らねばそうするしかないか……」
「学校とは養成施設のことで……そこでえっと近衛? に必要な知識や技術を学ばせるのです。入るときと出るときに厳しい試験がありそれに合格して初めて任官出来る制度だったかと……」
皇帝、宰相ともに目を見開いた。
「陛下、これは……」
「うむ、試験か……ふふふ、これは良いことを聞いたぞ。感謝するぞシン! 学校か……ヴァルターはどう思う?」
「はっ、直ちにとは行かないでしょう。入念な下準備が必要です、広く人材を求めるというのも良いですな。越えねばならぬ高い山が幾つもありますが、このまま腐り果てるよりはいっそのこと荒療治も致し方ないかと……」
「よし、シン知恵を貸してくれ。具体的な運営方法などある程度煮詰めておきたい、余は決めたぞ! 近衛を養成する学校なる物を作る。これは貴族に縛られていたがために思いつかなかったやり方だ、当然反発も強いだろう、だが百年後の帝国を思えば絶対にやるべきだろうと思う。皆はどうか?」
「確かに困難が付きまとうでしょうが、成し遂げれば帝国はより強固になります。従わぬ貴族どもの反発をどう処理するかが肝かと思われますが……」
その後も夜更けまで協議に耽る。
学校を作ることは決定し、その教官をどうするのかなどの細かいところまで時間をかけて話し合う。
ヴァルターが初代校長になることが決定し、シンの推薦で教え方が上手かった騎士ローベルトも教官として採用が内々に決定した。
その後も時間の許す限り協議し、次の日から近衛養成学校の計画が始まった。
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後世においてヴィルヘルム七世は名君として記される。
学校を作り運用し帝国の腐敗した内情を一掃したヴィルヘルム七世は帝国の中興の祖として名高い。
特に評価されているのは、学校制度の基礎を作った事である。
後にこの制度によって帝国は近隣諸国よりもいち早く近代化し強国としてその地位を盤石のものとした。
帝都シャルロッテン・ヴァルデンベルクにある近衛騎士養成学校跡地の公園には、ヴィルヘルム七世と宰相エドアルト、ハーゼ伯爵、そしてシンの銅像が卓を囲むように建っている。
誰が始めたのか定かではないが、この四人の銅像に順番に触れれば学業が成就するとの迷信のおかげで公園には帝国中から学生達が訪れるのであった。




