ポンコツ皇女
「それっ、はっ! はっ!」
風を切る感覚がとても心地よく、夢中になって馬を走らせる。
一ヶ月ほど乗馬の訓練をすると、大体乗りこなせるようになった。
最初は股ズレや筋肉痛に悩まされたが、一度乗れるようになると楽しくて仕方がなく暇さえあれば馬に乗っていた。
騎士ローベルト達からも一応の合格点を貰い、いよいよお待ちかねの龍馬の訓練に入る。
龍馬の方は比較的すんなりと行った。
城塞都市カーンから帝都に帰還する際に実際乗って来たこともあって、障害物をジャンプしたり乗った状態で武器を自在に操る方法など、一歩進んだ訓練をする。
訓練をすればするだけ上達するのが自分でもわかるのは、とても楽しいことだった。
碌な娯楽など無いこの世界で自分が楽しめるものと言ったら、やはり武術と魔法しか無かったのだ。
そんな風に訓練に明け暮れてたある日のこと、皇帝ヴィルヘルム七世にお茶に誘われる。
最初は作法など知らぬからと固辞したが、構わないからと半ば強引にテラスのテーブル席に連れて来られた。
そこには既に三人の女性が席に着いていた。
一人は妙齢の女性でもう一人はシンと同じくらい、そしておそらく十代前半と思われる女の子が一人。
「シン、紹介しよう。母上と妻と妹だ」
すると一番若い少女がシンを指差し叫ぶ。
「あーーーっ! 裏庭の変態騎士! なんでここに居ますの!」
シンと皇帝が何か言う前に皇太后に左頬と抓られ、皇后に頭を叩かれていた。
「「なんてはしたない、反省しあやまりなさい」」
「いひゃい、ごめんなひゃい」
少女は叩かれた頭を撫で抓られて赤くなった頬をさする。
皇帝がその様を腹を抱えて笑っている。
皇后が咳払いをすると背筋を伸ばしその顔に緊張がはしった。
妙齢の女性が自己紹介をする。
「わたくしはルィゼ、陛下の実母です。この度は陛下を……エルを助けてくれてありがとうございました。それだけでなく、ハインリッヒの仇を討って下さって亡き前皇帝陛下に代わりお礼申し上げます。」
妙齢の女性が皇太后だと知ると慌てて跪こうとするが、公の場ではないからと止められる。
次に紹介されたのはマルガレーテ皇后陛下、シンは立て続けに自分とはまるで縁のないような高貴な身分の女性を前にどう対応したらわからず、額から嫌な汗が滲み出る。
「わたくしはマルガレーテと申します。夫である陛下をお守りくださいましてありがとうございました。
また、義弟のハインリッヒの仇を討って下さり本当にありがとうございました」
「えっ! この大男がハインリッヒ兄様の敵討ちをしたの! ウソでしょう?!」
今度は皇太后が頭を叩き(はたき)、皇后が右頬と抓る。
「いひゃ、母様、いひゃい、ねぇさま」
「自己紹介もせずになんですか! はしたないにも程があります! 明日から礼儀作法の練習時間を倍にします、いいですね?」
「ごめんなさい、お行儀よくしますからそれだけは許してください」
涙目になりながら少女が自己紹介をする。
「私はヘンリエッテよ、頭が高いわ! 跪きなさい!」
皇太后と皇后が左右から拳で挟みグリグリと圧迫する。
悲鳴を上げながら頭を抱え悶絶するヘンリエッテ、それを見て皇帝は腹を抱えて笑っている。
皇妃がまた咳払いをすると、皇帝は笑うのを止め真顔になってシンに耳打ちする。
「マルガレーテはな、怒ると誰よりも怖いのだ」
「聞こえていましてよ、陛下……後でお話しましょう」
「さぁ、二人とも席に着いて、お茶にしましょう」
皇太后に着席を勧められ、ぎこちない動作で着席する。
「シン、余の前ではそんなに緊張しないのに今日はどうしてそんなに緊張しておるのだ?マルガ、ヘンリ、シンの話は面白いぞ! 故国の話もだが、北方辺境領での敵の猛将との一騎打ちの話など手に汗握ったわ!」
「わたくしは戦の話はちょっと……異国のお話を聞きたいわ」
「私はその話聞きたいですわ、あとどうやってゲルデルンのクソ爺を倒したのかも……ぎゃーーー!」
今度は足を蹴られたのか踏まれたのか……テーブルによって見えないが目の前のヘンリエッテは悶絶している。
女が三人集まると姦しいと言うが全くその通りで、シンはその様子を目の当たりにし辟易していた。
皇帝は今まで男一人で肩身の狭い思いをしていたのか、シンが加わることによってバランスが保たれているのが嬉しいのか終始ご機嫌である。
わいのわいのと騒がしい歓談も皇帝が政務の時間が来て終わりを告げる。
シンの話が面白かったのか、三人にまた一緒にお茶を飲む約束をさせられてしまう。
「で、シンどうだった?」
「は? どうと言われても……皇太后様も皇后様もお美しかったですよ?」
「そう……か…………」
ヘンリは十四歳だがお転婆で礼儀知らず……シンも興味を示さぬか……いやこれは拙いぞ、これでは婚期を逃すかもしれん。後で母上に礼儀作法をしっかり教えていただくようお願いせねばなるまい。
帝は考え違えをしていたが、この世界では十四歳にもなれば結婚を考えだす年齢。
だが地球の、現代日本の常識では十四歳はまだ中学生であり、結婚など大半がまだまだ先の事だと考える。
シンもその例に漏れず、十四歳なんぞ子供だと思っているし自身の十八歳ですらガキだと思っていたのだ。
結婚に対する考え方が違いすぎるので、今一つ会話がかみ合わない。
「しかし陛下、ご結婚されてらしたんですね」
「なにを、当然ではないか。十六になれば皇太子は結婚するのが習わし、マルガは十四の時に嫁いできたのだ。秋には家族が一人増える、楽しみな事だ」
と言う事は陛下は今は二十歳、皇后陛下は十八歳なのか……この世界は結婚するのが早いな。
「あっ、ご懐妊なさってらしたのですか。おめでとうございます」
「ありがとう、シン……お前にはそういう女性はいないのか? 故国に残してきたりしていないのか?」
「あいにくとおりません」
「ならばどう処理しているのだ? 娼館にでも行くのか?」
シンはぽかんと口を空ける。
まさか皇帝が下ネタを振ってくるとは思わなかったのだ。
突然皇帝がシンの両手をガシッと強く掴む。
「シン! もし娼館に行くなら余も誘え、これは命令だぞ! 最近マルガが懐妊してからご無沙汰でな……」
知りたくもない情報を知ってしまった…………呆れたシンは突き放すように答える。
「……妾でも置けばいいのでは?」
「言っただろう! マルガは怒ると怖いのだ……母上も怖いが……だからシン、頼む! 妾を置いたらスグにバレてしまうが娼館ならバレないだろう? この通りだ、シン一緒に行こう!」
あーこれ絶対バレるパターンだわ……と思いながら皇帝の命令という絶対に断れない状況に頭を抱えたくなる。
だが、シンとて男……興味はある。
「わかりましたよ、そこまで言うならなんとかしましょう。いつがいいか決めておいてください、俺はどの店がいいか情報を集めて見ます」
「おお、心の友よ! 余はいつでもいいぞ! 身分がバレぬよう変装せねばならんな、よし早速準備に入ろう。シン、店選びはそなたに任せるぞ!」
皇帝ノリノリである。
そんなに溜まってるのかと思いつつ、考えれば政務漬けでストレスが溜まってるんだなと同情的になった。
かくして宮殿の奥の奥で馬鹿な男二人の秘密の計画がスタートしたのであった。
---
「ねぇ、エマ聞いてよ……私って魅力無いかなぁ?」
ヘンリエッテは侍女のエマに頬を膨らましながら問い掛ける。
「いきなりどうなされたのです?殿下は御綺麗であらせられますよ」
「それがさぁ……」
昼間のお茶会の事を話す。
その時に皇太后と皇后は容姿を褒められたのに自分は褒められなかったのだ。
あの朴念仁! 見た目通りの原始人! などと一通り悪態をついた後、急に不安になったのだ。
シンにとってはかわいい妹みたいな感覚で美辞麗句が思いつかなかっただけなのだが、ヘンリエッテはそうは取らなかった。
プライドをへし折られた気がしたのだ。
今まで夜会などに出れば、貴族の子弟達が蝶よ華よと褒めちぎってくれた。
だが、あの男はそれをしない。
今まで周りに全く居ないタイプの人間に戸惑いを隠せない。
シンの話は面白かった。
異国の話、特に戦の話は皇太后と皇妃は引いていたが無理やり聞き出し一人興奮した。
後で皇太后と皇后に酷くとっちめられたが…………
「お話を聞きますと異国の方なのでしょう?でしたら色々と帝国とは感性が違うのかもしれませんね。殿下は御綺麗ですよ、私が保証しますわ」
エマが当たり障りのない慰めを言うと、根は単純なヘンリエッテはすぐに立ち直った。
「そうよ、それだわ! 私があまりにも綺麗すぎて声が出なかっただけなのよ、きっと!」
この立ち直りの早さにエマも内心あきれつつ、ポンコツに見えるが本当は聡明で慈悲深い良い子なんです……と心の中で誰にでもなくいいわけしながら適当に相槌を打つ。
「ふん、あの大男を私の魅力で跪かせてやるんだから!」
ああ、殿下……このポンコツぶり、一体誰に似たのでしょう? 暴走を止める手立てを早急に用意しなくては……とげんなりしながら考えていた。