望み
侍従武官長のウルリヒは早速皇帝ヴィルヘルム七世にシンの要望を伝える。
皇帝はヴァルターを急ぎ呼び出し、どう対応すべきか協議するがこれといった妙案は出ない。
もういっその事シンを呼んで本人が何を望んでいるのか素直に聞いて見る事となった。
二日後、皇帝は政務の合間にシンとヴァルターと三人で歓談という形で時間を作った。
皇帝はシンの心底が見えない……恐る恐る要望を聞くことにした。
「シンよ、卿の要望だが近衛の訓練に参加したいとの事だが……」
「はい、乗馬の技術や帝国の武術を学びたいのです」
皇帝はシンがこのまま帝国に仕えてくれるのだと勘違いした。
「そうか、卿に近々男爵位を授けようと思っている。土地はどこがいいか……ヴァルターはどう思うか?」
ヴァルターはいきなり無位無官だった男を貴族にするのは正直反対であったが、シンの武勲が巨大すぎた。
何年か帝国騎士として仕えさせてからの叙爵が望ましいと思っていたのだ。
「そうですな、まずは帝国の貴族としての教育が済んでからお決めになられた方がよろしいかと……」
話がどんどん自分の思っていた方向からズレはじめ、シンは慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってほしい、俺は貴族にはなる気はない」
この発言に皇帝もヴァルターも口を空けて一瞬呆ける。
当然である。
今まで爵位を授けると言われて断ったものなど殆どいない。
断る場合も高齢だとか、何かしら理由があった。
しばしの沈黙が応接室を支配する……沈黙を破ったのは皇帝だった。
「シン、一体卿は何が望みなのだ? お主の功にどう報いればよい? 帝国臣民が納得のいく褒美を卿に与えねば鼎の軽重を問われるわ」
シンは自分のことをわかってもらわねばならないと感じ、日本の事を多少ぼやかしながら話すことにした。
「俺の住んでいた国、日本は象徴としての皇族はいても実権を持った皇族はいなかった。貴族も居らず、議会制政治で国を治めていたんだ。だから貴族というものがどうも今一つわからない、なりたいとも思えないんだ。それと俺が今回手伝ったのは路銀が欲しいからで、帝国を憂いてとか出世したいとかでは無いんだ。俺はこの世界を旅して色々な物が見たい、そしてもっと強くなりたい……それが俺の望みなんだ」
皇帝は沈黙しヴァルターは低く唸る。
「陛下、シンの故国は南方の商業都市国家連合のような政治体系なのでしょう。それならばシンが爵位を重視しない件につきましては納得出来ます」
皇帝は眉間に皺を寄せながらどうすればシンを帝国に取り込めるかを考える。
取り敢えず許可できる所は許可してしまい時間を稼ぐことにした。
「シンよ、近衛の訓練の件は許可しよう。爵位と褒美については時間を貰いたい、与える所過大であれば反感を招くし過小であれば余の器量が問われてしまうのだ……今は足元を固めたい、済まぬ。しばらくは今まで通り客分として宮殿に住んでいて欲しい。必要な物があればこちらで用意しよう」
「わかりました。訓練の許可が頂けただけでもありがたいです、その上住むところまで世話して頂けて本当にありがとうございます」
シンが退出した後、ヴァルターと今回の話について協議する。
「ふぅ、どう思うヴァルター……シンは帝国に仕えてくれぬのか?」
「そうですなぁ……財宝や地位よりも戦いに重きを置く人物かも知れません。見た所、戦闘狂とまでは行かないでしょうが戦いに身を置くことで何かしらの満足感を得るのかも知れませんな。これは厄介ですぞ、この手の人間は束縛を好まないことが多いのです」
「つまり位攻めにして押さえつけても無駄というわけか……何か手はないか?」
「ううむ、あるとすれば……いや、かえって拙いか……」
ヴァルターに策があるかと言われればある。
だがこれは、あまり褒められたやり方ではないどころか逆に怒りを買う可能性もあった。
「何だ?言うだけ言ってみよ……気になるではないか」
「…………シンは独身であります…………」
「ああ、なるほどな……懸念する事もわかった。強引にではなくそれと無く聞いて見るか……」
明敏な皇帝で良かったとヴァルターは思う。
暗愚ならば行き成り何処かの令嬢と無理やり婚約させかねない。
だが、ヴァルターの読みはある意味で当たり、ある意味で外れ後で頭を抱える事となる。
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シンは夜明けと共に毎朝剣と魔法の訓練をする。
これは中央管理施設を出てから時間の許す限り毎日続けて来たことである。
今日から近衛の訓練に参加出来る。
娯楽に乏しいこの世界で、シンにとっては訓練や技術の習得が娯楽と言ってもよい。
知らないことを知り、技を覚え、体を鍛え上げる、この身体はシンの要望に良く答えてくれる。
上半身裸で刀を振り、大剣を振る。
体から汗が吹き出し、寒気によって湯気が立ち上る。
ふと視線を感じ後ろを見ると、二階の窓が開いておりブロンドの少女がこちらを見ていた。
目が合うと少女は慌てて窓を閉めカーテンを引き隠れてしまった。
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空気を切り裂くような音が規則的に鳴っている。
まだ夜が明けて間もない、まだもう一眠り出来るのに……
「ああもう、何の音ですの! 五月蠅くて眠れませんわ!」
暖かい寝床から起き上がると、冷たい室温が肌に刺さる。
ガウンを羽織り欠伸をしながら窓に近づくと音がよりはっきりと聞こえて来る。
寝ぼけ眼を擦りながらカーテンを引き、窓を開けると朝の爽やかさを伴った冷たい風がブロンドの髪をそっと撫でるように吹きこんで来た。
裏庭を見ると一人の大男が上半身裸で剣を振っていた。
体からは湯気が上がり剣は朝日を反射させある種の美しさがそこにあった。
しばらく見惚れていると急に大男が振り返り目と目が合う。
一瞬の硬直の後、慌てて窓を閉めカーテンを引く……覗き見など淑女のすることではないと思いながら、振り返った大男の顔を思い出すと何故か心臓の鼓動が早くなる。
決して美男子などではない、どちらかと言えば厳つい顔つきである。
ガウンを脱ぎ棄て、もう一度ベッドに入り二度寝しようとするが、剣の素振りの音と大男の厳つい顔が忘れられず二度寝に失敗する。
剣の素振りの音がさらに五月蠅くなると気になってカーテンをそっと持ち上げ覗いてしまう。
今度は空気を叩き斬るかのような音がやはり規則的に流れて来る。
素振りしている剣は大剣に変わっていた。
「あーもう! 何なんですの! 何故、私の部屋の前で剣を振っているんですの? なんで裸なんですの? 何者なんですの? まったく、安眠妨害ですわ!」
少女はさっきの胸の高鳴りは朝の微睡の時間を妨害された怒りから来たものだと決めつけ、兄に頼んで人の部屋の前で半裸で素振りする大男をとっちめて貰おうと決意したのであった。
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「ではシン殿、まずは乗馬から始めよう。まずは馬の世話の仕方などからだな」
朝食を取り終えた後、一人の年輩の騎士がシンの元にやって来て乗馬を教えると言ってきた。
騎士の名はローベルトと言った。
男爵家の二男で近衛騎士を三十年勤めあげているベテランである。
ローベルトに連れられて厩舎に行くと厩務員が二人、入口で待っていた。
「ここからはこの二人が教えてくれる。最初は何でも基本からさ、まずは馬がどういうものか知らねば乗りこなすことなど出来んからな。では、私は仕事にもどるよ」
シンが厩務員に挨拶をして頭を下げると、厩務員が困惑する。
「シン様は騎士なのですから平民の儂らに頭を下げてはいけません。誰かに見られたら儂らが罰を受けてしまいますので……」
「すまない、異国から来たからどうも勝手がわからなくて……以後気を付けます」
それから厩舎に入り馬糞の掻き出しから藁運び、馬の手入れの仕方、色々な事を教わる。
不用心にも馬に手を出して噛みつかれたりもしたが、鬣を梳いて機嫌を取ると最後には馬もシンに馴れて多少気を許すようになった。
馬もいいなぁ、でもやっぱり龍馬のがいいかなぁなどと考えていると突然頭を齧られる。
「ハハッ、馬は心が読めるのですよ、何か別の事を考えていませんでしたか?馬は結構やきもち焼きなんで気を付けた方がいいですよ」
厩務員たちも最初はぎこちなかったが、シンが真面目に取り組んでるのを見て緊張を解いていた。
「明日は体の洗い方、拭き方それから馬具の着け方や手入れの仕方を教えますんで……」
「ありがとうございました、また明日もよろしくお願いします」
今度は頭は下げずに礼を言う。
慣れないことをして体はクタクタだったが、充実した一日に満足しながら寝床に着いたのだった。