戦勝式典
皇帝ヴィルヘルム七世との会談が終わり、ハーゼ邸に戻ったシンは対ゲルデルン公爵の訓練に余念がなかった。
愛刀の天国丸を皇帝に渡したため、実戦形式の訓練は出来ない。
いまさら別の剣を握って感覚を狂わせたくはなかったので、主に魔法の鍛錬に励む。
この世界の魔法使いは貴重で、魔法を使えるものは大体が国家に属するか、己の才のみを頼る冒険者や探究者になるか、魔法の才を恐れられて迫害されるかのどれかであった。
また大方の魔法使いは魔法の発動に長い詠唱を必要とした。
シンのようになぜ火が燃えるか、なぜ水が氷になるかなどという知識がない場合は決められた術式の詠唱で自然現象をマナを用いて作り出す必要がある。
この点、シンは現代日本の義務教育程度の科学知識があり知識として自然現象を理解している。
火はなぜ燃えるのか、仕組みはわかっているので頭の中ですぐに理屈とイメージが結びつきマナを使って短いワードを唱えるだけで魔法が使える。
長い詠唱を必要とする魔法使いは、個人戦においては全くの無力といってもよく戦場では詠唱の間、味方に守ってもらう必要がある。
果たしてゲルデルン公爵が使うという強化魔法、パワー・オブ・ストレングスはどれ程の詠唱が必要なのであろうか? そこに付け入る隙はあるだろうか? またどの位腕力が強化されるのだろうか? 情報はほとんどない、ならば自身の魔法をより一層磨きをかけるしかないとシンは黙々と鍛錬に励んだ。
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戦勝式典当日、参加する貴族は多くは無い。
今回の城塞都市カーン防衛戦とルーアルト王国の西方辺境領の臣従に関わった貴族とその縁者が主な参加者であった。
中でも皇帝から直接声を掛けられ褒美を与えられるのは、ゲルデルン公爵、ハーゼ子爵、シンの三名である。
シンとは一体何者なのか? 参加者は勿論のこと帝都にいる貴族の間で様々な噂が流れる。
遠国の貴族だなどという説や、前皇帝のご落胤説などの荒唐無稽な説まで様々な噂が短期間の内に流れた。
シンは宮殿に向かう馬車の中で、ヴァルターの名代として列席するウルリヒと式典の進行や計画の最終確認をする。
「もうここまで来たなら何も言う事はない。武運を祈っているぞ」
「全力を尽くします」
微かに手が震える。
恐れているのか? それとも武者震いなのか? 前者でもあり後者でもある。
ここに来て逃げ出したいと思う気持ちは不思議と湧いて来ずどこか落ち着いた不思議な感覚に陥っていた。
俺は何を成すのか? 手柄を立て富貴に満ちた暮らしをしたいのか? それともただ強敵と戦いたいのか? 自分の力がどれ程のものか試したいのか? 欲張りな自分はその全てを欲しているのか? ここに来て尚、己のあり方を模索していたのだった。
列席者が次々と参上し、戦勝式典が始まろうとしている。
帝国では皇族のみが式典で儀礼用の武器を携えて参加することが許されている。
今回参加する皇族は皇帝ヴィルヘルム七世とゲルデルン公爵の二名、つまりこの二名のみが武器を携えて式典に参加するのだ。
皇帝ヴィルヘルム七世は計画通りシンが天国丸を渡してから、肌身離さず持ち歩き事あるごとに周囲に自慢して歩いた。
その成果があり、玩具を見せびらかす子供のようだと陰で笑われるも今回の式典に帝国代々伝わる宝剣では無く天国丸を帯びて現れても誰も不自然に思わなかった。
ゲルデルン公爵でさえ、皇帝の一連の行動の幼稚さを陰で笑っており何故今回に限りいつもの宝剣ではないのかと疑念を抱くことは無かったのである。
戦勝式典が始まり、皇帝の儀礼的な挨拶などが終わり殊勲者が玉座の前の階段の下に横に間隔を空けて並び跪き首を垂れる。
ヴァルター・フォン・ハーゼ子爵が参列しておらず、息子のウルリヒが名代として参列しているのを見て、ゲルデルン公爵はヴァルターの病が篤いと見て一人ほくそ笑む。
政敵が減ってこれからさらに色々やり易くなるだろうと。
まず城塞都市カーン防衛戦に対する功績とそれを賞し、褒美の目録が報じられた。
その後で皇帝直々の御声が玉座から掛けられる。
「城塞都市カーン城主ハーゼ子爵、二千の兵を以って四万の敵を退けたるは見事、近年稀に見る快事である。この功に対しブレーメルシュタットの地を新たに与える。ハーゼ子爵名代ウルリヒ卿、異存はあるか?」
皇帝の示す褒美に式典会場にざわめきが起こる。
「ありがたき幸せ、当然のごとく異存は御座いません。陛下の御厚情に対しハーゼ子爵家はより一層の忠誠を誓いまする」
ウルリヒが顔を上げ返答するその横でゲルデルン公爵が驚愕していた。
それもそのはずである、ブレーメルシュタットの地はゲルデルン公爵の領地の一部である。
「陛下、お待ちくだされ! それは……」
「ゲルデルン公爵、無礼であるぞ! いかに皇族であらせられる公爵閣下でもこの場で許しも無しに発言することは無礼千万、控えられよ!」
戦勝式典の進行係りである宰相エドアルトの厳しい叱咤の声が飛ぶ。
ゲルデルン公爵は血走った殺意の籠る目で皇帝と宰相を睨む。
「次にシン、この者城塞都市カーン防衛戦に於いて比類なき働きをしたと認める。よって金貨一千枚を褒賞とし汝を騎士としツェールク村の統治権を与える。異存はあるか?」
これにまたしてもゲルデルン公爵は驚く。
何処の馬の骨ともわからぬ者を叙任する上に自分の統治する村を褒美として与えたのだ。
怒りと屈辱で顔に血がのぼり全身が震える。
「異存はございませぬ、ありがたき幸せ感謝に堪えませぬ。謹んでお受けいたします」
シンがしれっとした顔で返答すると、横のゲルデルン公爵はまるで視線で殺さんばかりに睨み付けてくる。
「よろしい、では次」
何がよろしいのか! 鼻息は荒く、口の端を泡立たせ目は血走り、充血して真っ赤になったゲルデルン公爵は皇帝ヴィルヘルム七世を睨み付ける。
「次、ゲルデルン公爵……汝は余に断りも無しにルーアルト王国西方辺境領付近に軍勢を集めた。
結果的に西方辺境伯が臣従したから良いものの一歩間違えば北方辺境領と西方辺境領の二ヶ所で同時に戦が起こる危険性があった。
本来ならば汝の非を問い罰を与えるべきであるが、ルーアルト王国西方辺境領を臣従させる助けの一役を買った功により今回は不問に致すばかりか立てた功に相応しい褒賞を与えよう。
汝、ゲルデルン公爵の領地を旧ルーアルト王国北方辺境領全域に鞍替えし汝の武勇を以って同地の治安を回復統治せよ」
ゲルデルン公爵は皇帝が何を言っているのかわからなかった。
しばし呆けた顔をしていると宰相エドアルトの声が聞こえ、やっと現実を認識する。
「領地は以前の倍以上、異存はあるまいな?」
宰相の声にゲルデルン公爵は怒気を上げる。
倍以上だと! 賊に荒らされた土地などいくら広かろうとなんの意味もないではないか! 殺す! 今すぐ殺す! 皇帝も宰相も我が領地を躊躇いもなく奪うハーゼも、シンという男も!
シンが皇帝に目配せする。
皇帝は慌てて腰に差した天国丸をシンに放りなげるのと同時にゲルデルン公爵が吠えた!
「この愚帝めが! この儂から領地を取り上げるだと? やれるものならやってみせよ、その前に貴様の命を奪ってくれるわ!」
近衛騎士が二人剣を抜き皇帝の前に立つが、その足は震えている。
公爵の強化魔法の強さを知っているのだ。
自身も震えながら皇帝は今回は近衛騎士達は役に立たないと知る。
シンが天国丸を受け取り抜刀すると、ゲルデルン公爵も儀礼用の長剣を鞘から抜く。
儀礼用の剣の刀身は刃が潰れておらず、予想通り実用剣であった。
宰相が公爵を非難し諌めようとするも聞く耳を持たない。
皇帝が叫ぶ。
「騎士シンよ、この狼藉ものを討ち取れ!」
「はっ!」
シンは皇帝の命を受け狼藉ものへと身体を向け八双の構えをとる。
この声を聴いたゲルデルン公爵はシンに向き直り、短い詠唱を唱えると剣を中段に構える。
素早く体中にマナを循環させブーストの魔法を唱えると向こうもパワー・オブ・ストレングスを唱え終わったのだろう、その口許には微かな笑みが浮かんでいた。
詠唱中に隙を突くことはこれで出来なくなった。
シンの額から汗が一筋流れこめかみを伝う。
お互いに防具は何も付けていない、故に一撃、たったの一撃で勝負が決まる。
騒然としていた会場に不意に沈黙が訪れる。
何もせずとも互いに呼吸は荒くなる。
お互いの瞬きにすら反応しあい牽制しあう。
俺の一番得意な技で決める……抜き胴だ。
胴を抜いてやる!
ゲルデルン公爵が吠えて踏み込み、大上段から長剣を振り下ろす。
それに対しシンは裂帛の気合いと共に抜き胴を仕掛けた。
速い! これがパワー・オブ・ストレングスの効果がが乗った斬撃か!
シンはスローモーションのように上段から振り下ろされた長剣が見えた。
それを見て体内で循環するマナの速度を一瞬だけ高める。
刹那のすれ違い、果たしてどちらが勝ったのか? 剣を振った後の会場に風が巻き起こる。
ゲルデルン公爵の腹部に赤い筋が浮き出たその直後、腹から血と内臓がこぼれ出す。
口から血を流し、剣を杖にして片膝を着く。
玉座の皇帝を見上げ、一睨みすると瞳から急激に力が失われていき、やがてうつ伏せに倒れると微かに痙攣した後息絶えた。