夜襲
夜襲の準備を整える。
全員、敵の死体から剥いだ粗末な衣服に身を包み、頭には敵味方識別用に白い頭巾を被った。
北の森で旗を立て狼煙を上げる部隊の指揮は騎士のカール・デルプが執る。
追撃部隊の指揮は城主のヴァルター自らが執る。
夜陰に紛れてシン率いる夜襲部隊とカール率いる別働隊が城壁から縄梯子を伝って城外に出る。
折しも月が雲に隠れて敵に見つかる事なく作戦は開始された。
シンは少し迂回しながら東門正面に展開している部隊の側面に回り込むと、松明に火をつけ一気に斬り込んで行った。
目標はまず破城鎚、これに油を掛け火をつけて燃やす。
裏切り者が出たと大声で騒ぎながら手当たり次第に敵を斬り、火をつけ混乱を誘った。
今まで城に籠ってばかりの敵、しかも自軍より少ない敵が城外に出てくるとは思えず、敵は裏切り者という嘘の存在を容易く信じてしまう。
シンは敵陣内を斬りまわりながら指揮官を探すが、どうにも見つからない。
頭を切り替え、敵陣内に混乱を撒く方に力を注いだ。
目につく敵を斬り捨てながら、シンは指示を飛ばし続ける。
「間違って味方を斬るなよ、深追いもするな。燃えるものがあれば片っ端から火を点けちまえ!」
敵が混乱して同士討ちを始めると部隊を少数にわけ、東門から他の門の敵の所へと行き
「東門の部隊が敵に通じて反乱を起こした、鎮圧するのに部隊を送ってくれ!」
と言ってさらに混乱に拍車を掛ける。
用意された破城鎚も殆どを燃やすことに成功し、頃合いを見て戦場を離脱し北の森の部隊と合流した。
「上手くいったようだな!こっちも準備は整っている、後は夜明けと共に仕上げをするだけだ」
別働隊指揮官のカール・デルプがシンの肩を叩きながら笑う。
シンの煤に汚れた顔を見ると白い歯を見せながらさらに笑った。
「狼煙と旗を見て敵が引いてくれればいいが……」
シンが未だ緊張を隠せぬ顔で呟くとカールが再び肩を叩きながら言う。
「心配ない、夜襲自体は成功している。破城鎚の破壊も出来たし、敵が引かなくても大損害を与えた事に変わりは無い。大丈夫さ!」
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その頃場内ではヴァルターが楼閣から混乱した敵陣の様子を見ていた。
「上手く行ったようじゃの、破城鎚もいくつか燃やせたか……これだけでも十分な戦果じゃな」
後ろを振り返り騎士に出撃の準備を指示する。
楼閣から場内を見るとドラゴンホース(龍馬ともいう)に跨った騎士たちが整列していた。
帝国では騎兵は普通の馬の他に、このドラゴンホースを馬の代わりに使う。
ドラゴンホースという名前だが、生物学上は哺乳類の馬とは何の関係も無い。
地球で一番近い生き物は、恐竜のラプトルであろうか? ラプトルをもっとがっしりとした体格にしたものがドラゴンホースである。
これの背に鞍を着け跨った騎兵を竜騎兵と呼んだ。
ヴァルターは楼閣から降り、兵が引いてきた一際大きい龍馬に乗るともうすぐにでも訪れる夜明けを待つ。
とても齢七十とは思えぬ龍さばきで東門前に並ぶ竜騎兵たちの先頭に立つと、よく通る声で発破をかけた。
「切り込み隊は上手くやってくれた、仕上げの竜騎兵が無様な様は見せられんぞ! だが、深追いは禁物。引き際を間違えるな、止まらずに常に動き続けて敵を掻き回せ、混乱を増大させ恐怖を植え付けるのが第一である。敵の首は無理して取らんでもよい。重ねて言うが、深追い禁止、引き際を見極めろ!…………狼煙が上がったぞ! よしこちらも狼煙を上げ突撃する!」
東門が開き、喚声と共に竜騎兵が突撃を開始する。
同士討ちは既に止んでいたが、味方同士戦った肉体的、精神的疲労感から竜騎兵に攻する者は無く、我先にと逃げ散って行く。
北の森からも狼煙は上がり続け、突撃のラッパと喚声が上がる。
竜騎兵の突撃に混乱する敵は北から上がる狼煙と喚声にもはや完全に心を折られてしまう。
部隊の統制もなく、てんでバラバラに逃げ散ると竜騎兵たちは追撃を止め、遺棄された無傷の破城鎚に念のために油を掛け燃やし、意気揚々と城内へ引き上げて行った。
別働隊も敵の退却に合わせ場内に引き上げる。
今回の夜襲で敵の損害は凡そ四千、破城鎚は東門に向けて配備されたものは全て燃やされた。
これまでの籠城戦でも五千人余り死者を出していた敵軍は併せて九千人の損失を出し、総数四万の内の約四分の一を失い事実上の敗退をした。
シンが報告に現れると、煤に汚れた顔を見てヴァルターも笑う。
「夜襲は成功しましたが、指揮官を取り逃がしました。申し訳ございません」
ヴァルターはまたしても並々とワインを注いだジョッキを、シンに渡しながら労をねぎらう。
「なんのなんの、十分な戦果じゃて。敵も恐らく戻っては来まい、シン大手柄じゃぞ! 今日はゆっくり休め、明日からは援軍が来るまでまた城の守りを固める。明日からはまたしっかり頼むぞ!」
敵が弱兵とはいえ、二十倍の敵を打ち破ったヴァルターは帝国史にその名を記すこととなる。
また、ヴァルターがシンの手柄を横取りせず、きちんと報告書や公文書にその功績を記したことで帝国史にシンの名が載る事となる。
後年の研究者たちがこの記載されたシンの名の真偽を大いに議論することになるが、最新の研究では真であるとの説が有力である。
ヴァルターの書いた手紙が見つかり、それにこと細かくシンのことが記してあることが決め手であった。
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それから敵は戻ってこなかったが、城兵は守りを固め援軍を待つ。
援軍がきたのはそれから二日後のことであった。
援軍の総数は二万、率いる将はエミーリエ・ブルング男爵、中年のがっしりとした体格の男で慎重な用兵をし部下の信頼も厚く、ヴァルターとも旧知の仲である。
現在帝国は皇帝ヴィルヘルム七世と、前皇帝の弟で現皇帝の叔父に当たるゲルデルン公爵との間に不穏な空気が流れていた。
皇帝ヴィルヘルム七世は御年二十歳の若者であり、英邁な君主として頭角を現し始めていた。
これを摂政として裏から操ろうと画策したゲルデルン公爵の目論見は前々宰相ツェレウスキーによって阻まれる。
権力欲に取り憑かれ、業を煮やしたゲルデルン公爵は密かに皇帝の排除を目論んでいた。
皇帝ヴィルヘルム七世も最初のうちは叔父のゲルデルン公爵の自重を促すだけに留めていたが、弟のハインリッヒが毒殺されると仲の良かった弟の死を悲しみ、かつ犯人のゲルデルン公爵を憎悪した。
証拠が無くゲルデルン公爵は罪に問われなかったが、国内の貴族の誰もが犯人はゲルデルン公爵だとわかっていた。
ヴァルターは皇帝ヴィルヘルム七世が皇太子時代の傅であり、当然皇帝派である。
この帝国領東端の辺境の城塞都市の守備に就かされたのは軍部に強い影響力をもつゲルデルン公爵の策謀によるもので、今回の賊軍の襲来もゲルデルン公爵が賊軍に食料が城塞都市カーンに集積されている情報を流したためであった。
皇帝の信頼厚いヴァルターを賊軍を使って排除する計画であり、今回援軍の到着が遅れたのもゲルデルン公爵が色々と難癖をつけ足止めしたからである。
援軍の将であるエミーリエ・ブルング男爵も皇帝派で、互いの無事を喜び合うと早速今後の協議に入る。
「流石はヴァルター殿、落城は絶対にないと思っておりましたがまさか敵軍を撃退なさるとは、お見事としか言いようがございませんな」
「いやいや、なんの、今回は賊軍が弱かっただけのこと。だがエミーリエ殿、賊軍は数だけは多いので気を付けられよ。恐らく儂は程なく帝都に召喚されるじゃろう……カーンをよろしくお頼み申しますぞ」
「お任せ下さい、このカーンを維持しつつ周辺を平らげて御覧に入れましょうぞ」
「うむうむ、して帝都の様子はどうであったか?陛下は息災であらせられるか?」
「陛下は無事、息災にあらせられます。ヴァルター殿のご子息と御孫殿が常に傍らに控え目を光らせておりますゆえ、ご心配はありますまい。帝都の民衆はこの度のルーアルト王国、北方辺境領及び西方辺境領の臣従に大いに沸き、陛下は建国以来の名君であると大騒ぎにございます」
「そうか、そうか、これで陛下に箔が付くのぅ」
今まで細く鋭い目つきが不意に和らぎ好々爺とも言うべき穏やかな笑みを浮かべる。
「ヴァルター殿、帝都帰還の際には十分に気を付けられますよう。彼奴は必ず仕掛けて来ますぞ!」
「ご忠告感謝致す、あの奸悪を帝国から取り除くまでは絶対に死ぬことは出来ん!帝都に着いてからの立ち回りに付いても卿と協議したい。長くなるじゃろうから、酒とツマミを用意させよう」
この日の夜更けまで二人は密室に籠り協議を続けた。
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その翌日、シンはヴァルターに呼び出される。
「シン、お主の功績に報い褒美を取らすがそれは帝都で行うことになる。儂と共に帝都へと向かうぞ。それとな……お主に是非引き受けてもらいたい仕事があるのじゃが…………」
帝都に向かうことには何も問題はない。
この際、帝都見物と洒落込んでもよいとさえ考えていた。
問題はその次の仕事の話、普段のヴァルターの快活さを見ているシンはこちらの様子を覗いながら仕事の内容を口篭もる様子に違和感を拭えない。
「帝都に行くことに関しては異存はありません、仕事の方は内容を聞かねばお答えしかねます」
ヴァルターの目がすぅっと細まる。
長く伸ばした白い顎鬚を左手で扱きながら低い声でシンに問いかける。
「この話を聞いたら後戻りは出来んぞ?だがそれなりの報酬は約束する、話を聞いた後で断ればお主には死んでもらわねばならぬやもしれん……どうする、シンよ」
シンの首筋が緊張でチリチリと軽く痺れる。
この爺さん一体俺に何をさせるつもりだ? 一介の傭兵にさせる仕事とはなんだ?……しばらくして覚悟を決める。
「聞かせてくれ、俺がやるべき仕事の内容とやらを……」
参考にしたいので評価、感想よろしくお願いします。