憧れから情熱へ
その後の使節団は、ゆっくりとではあるが何事も無く順調に進んで行く。
街道脇に目を向ければ、たわわに実った麦の刈り入れに、農民たちが汗を流している姿が見える。
その様子を、ハンクとハーベイはある種の感慨を持って見つめていた。
ハンクは農家の小倅、ハーベイは行商だった両親を失ってからは、村長の家で農奴同然の扱いで畑仕事をやらされていた。
鎌を振るい麦を刈り、束ねて干してから脱穀する。子供にとっては途轍もない重労働であったが、その作業に幼いころから毎年こき使われていた二人は、自然と足腰が強くなり、冒険者としての下地が出来ていたことにだけは感謝していた。
だがその感謝よりも、待遇の差や差別などを受け続けて来た二人は、村を捨てる事に迷いは無かった。
あのまま農民として村に留まっていたらと考えると、二人の背筋に震えが奔る。
種火のように細々と燻ぶり続ける人生を送るくらいならば、一瞬足りとはいえ激しくも煌びやかな火花となって散った方がいい。
そのためには無垢であった両手を、真っ赤な血で染め上げる事も辞さぬ覚悟。
そして未知への挑戦と冒険に賭ける燃え盛る情熱……それらの強い思いと覚悟が彼らの今を作り上げて来た。
二人はヘンリエッテを見て思う……あの少女には自分たちのような強い思いはあるのだろうか? ただの憧れだけでは冒険者となるには足りないのだ……
ヘンリエッテは、戦いがもたらした恐怖を未だ克服することが出来ていない。
気持ちや思いというものは周囲へと感染する。彼女と共に行動している侍女たちも、同じように苦しんでいた。
シンはエリーとカイル、クラウスの三人に、ヘンリエッテに特に目を掛けてやるようお願いをした。
なるべく年齢の近い者たちの方が、ヘンリエッテも変に気兼をねせずに、本音で接する事が出来るのではないかとシンは考えたのだ。
自分は彼女の師であり、言葉を掛けてもそれは教えと受け取られてしまう。
こういう時は、対等な関係である者たちの言葉の方が、より心に染み入るのではないだろうか?
尤も、皇族のであるヘンリエッテに、真の意味で対等な者などはここには居ないのだが……
シンにそう頼まれたエリーは、同性でもあり元々面倒見が良い性質なので、さっそくあれこれとヘンリエッテや侍女たちの世話を焼き始めた。
「どうして、エリーさんは冒険者になったのですか?」
ある日、ヘンリエッテがポツリとエリーに尋ねた。
「ん~私の場合は、最初は他に選択肢が無かったから……娼館に売られてそのまま娼婦として生きていれば、まぁ少なくとも命の心配は無かっただろうけど……それって何だか、ただ生かされている気がしていたのよね。そんな時にカイルとみんなに出会って、最初会った時は、みんななんて鋭い目つきなんだろうって思ったけど、直ぐにその意味がわかったの。ああ、彼らは誰かに生かされているいるのではなくて、自分で生きているんだって。厳しい人生に真っ直ぐ向き合っているからこそ、厳しい表情つきなんだってわかったら、もう私は差し伸べられた手を掴んでいたわ」
ヘンリエッテも侍女もエリーの話を聞いて、口を開けて驚いていた。
彼女たちの頭の中では、エリーはその普段の振る舞いから生まれながらにして冒険者であり、まさかその前身が娼婦であったなどとは思いもよらなかったのだ。
失礼と思ったが、ヘンリエッテはエリーの冒険者となる前の話を聞いて見た。
聞き終わる頃には、ヘンリエッテと侍女たちはしゃくりあげ、ハンカチを涙で重く濡らしていた。
「まさかそのような御事情があるなんて知らず、わたくしの失礼をお許しくださいまし……もう一つ、もう一つだけお聞きしてよろしいでしょうか?」
別に今の自分を不幸だとは思っていないエリーは、ヘンリエッテたちとは対照的に実にあっけらかんとして、何? と聞き返した。
「エリーさんは、その……怖いと……戦いを怖いと思った事はないのですか?」
「そりゃ怖いわよ。それと、さん付けはやめてエリーでいいわ。怖いから訓練して力と自信をつけるの。知ってる? シンさんも、いつも戦う前は緊張するし、怖くて震えるって言っているわ。おかしいでしょう? あの人、あんなに強いのにね……だから訓練を欠かさないんだって……身体に染みつけてしまえば、怯えていようが震えていようが、無意識にも身体が動いてくれるからってね。私もそう、だから訓練を重ねるの……それでも毎回怖いけど、大切なものを守るためにだったら戦えるの」
「エリーさ……エリーの大切なものって?」
「家族……かな……あ、本当の家族はもう居ないけど、そう私たちのパーティ……それが今の私の家族……もう二度と失うもんかって思えば、私は戦えるわ」
「……強いのですね……」
「強くはないわよ、大切なものなんて誰にでもあるわ。ヘンリにだってあるでしょう? 私の場合は自分の命、家族の命……人によって大切なものは様々だけど、それは思いや情熱だったり、友達や恋人、貴族だったら家柄や門地とか、財宝が一番大切なんて人もいるでしょうね。大切なものなんて人それぞれだけど、それを守るためならば、怖いなんて言っていられないんじゃないかしら?」
「……それが、それが、たとえ相手の命を奪うとしてもですか……」
ヘンリエッテの手が震えた。未だ肉を断つ感触が、ありありと思い起こされ、白い絹のような手が真っ赤な血で染まっている錯覚を覚える。
「ええ。むしろ、私の本当に大切なものを奪おうとする輩には、一切の慈悲は無いわ。もしそこで躊躇ったりすれば、その大切なものを永遠に失ってしまうのだから……」
先程までのにこやかなエリーの顔が、急激に冒険者としての険しい顔つきに変わるのを見たヘンリエッテは、その時初めてエリーの言っていた意味を知った。
あの時自分が剣を突きださなければ、自分の命と後ろに控える侍女たちの命は無かったかもしれない。
自分にとって大切なもの、それは……冒険者への憧れ……そして、そんな自分の我儘に付き合ってくれた侍女たち。
ヘンリエッテは震える手に力を込めて握りしめた。ヘンリエッテは、ここにきてようやく自らの大切なものを見つけたのだ。
大切なものを守るという強い意志、そしてその冒険者として踏み出した背中を、憧れから情熱へと変わった風が後押ししてくれる。
ヘンリエッテは立ち上がると、剣を片手に持ちその場から少し離れた。
そして剣を抜くと、一心不乱に素振りを始めたのであった。
侍女たちもその姿を見て、互いの顔を見合わせ頷くと、剣を取って敬愛する主に続いて一心不乱に剣を振り始めるのであった。
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その様子を遠くから見ていたシンは、ヘンリエッテたちが纏っている空気が、今までとは変わったように見えた。
「どうやらエリーが上手くやってくれたようだな……それに対してお前たちは糞の役にも立たなかったな……」
同じようにそれをシンの横で見ていたカイルとクラウスは、視線を逸らして頬を掻いて誤魔化している。
シンはクラウスには、この手の事はあまり期待してはいなかった。大体が、クラウスは幼少の頃から姉たちに虐めを受けていて、そのせいもあるのか、女を女とも思っていないふしがある。
虐めと言っても食い物を盗られたとかではあるが、食い物だけにその恨みは深いのかもしれない。
「いや、だって師匠……何話していいかわからねぇし、それにカイルは綺麗な人たちだから緊張するって……」
余計な事を言うなと、カイルは慌ててクラウスの口を手でふさぐが、もう遅い。
「ほぅ……カイルは浮気の気がありか……これはエリーに報告せにゃならんなぁ」
そう言ってにやけるシンを見て、カイルはさっと血の気が引いた。
「師匠、師匠! 全然そんな疾しいことは思ってません! 本当に、本当にですよ!」
エリーにチクられた堪らないと、カイルは必死になって否定する。
これが帝都であれば、デートに誘うなり贈り物をするなりして機嫌を取ればいいのだが、今は拙い。
機嫌を損ねれば、執り成す術がない。
そんな必死なカイルを、シンとクラウスは二人して笑い飛ばす。
「さてと……では、お前たちには役立たずではない事の証明をしてもらおうか。お前たちの妹弟子に、戦い方を教えてやれ。今までのような基礎だけでは無く、より実戦的な戦い方をな」
またしても無理難題を押し付けられた二人は、顔を見合わせ溜息をつくと、師の言い付けを実行するために、剣を振るヘンリたちの方へと、とぼとぼと肩を落としながら歩いて行くのであった。




