強い雄
街道沿いの陣地を片付けた使節団と護衛部隊は、貢物を満載した馬車を守りながら、ゆるゆると街道を西へと進んでいた。
激しい戦闘で多数の戦死者を出した使節団の兵たちも、多数の護衛に守られて心の平静を取り戻したのか、休憩中には僅かだが、笑い声も聞こえるようになっていた。
死者はアンデッドとして蘇ることはあっても、決して生き返ることは無い。
与えられた任務を果たさずに、いつまでも悲しみに暮れていたのでは、戦死した仲間たちがその不甲斐なさに怒り、亡者として蘇るかもしれないと、兵たちは半ば本気で思っていたのだった。
ならば、志半ばで散った仲間の供養のためにも、この任務を完遂せねばなるまいと、踏み出す足に力が入る。
鉄を満載した馬車の歩みは遅く、馬を潰さないようにと休憩の回数も増えてしまう。
たまにはこんなのんびりした旅もいいものだと、シンたちは思っていたが、副使たちや兵たちは若干焦れはじめていた。
帝国中央に近い、良く整備されている表街道でこの速度ならば、道の荒い僻地に行った時には、帝国に生息する高さ二メートル、大きさ四メートルを超える魔獣のギガントトータスよりも鈍いのではないかと、副使と兵たちは溜息をつく。
シンもまさかここまで遅いとは思っていなかったため、対策を講じる必要性を感じ始めていた。
「替え馬を増やすしかないか……」
「ですが、飼葉や水などを運ぶ馬車を増やすとなると、今以上に隊列が伸びてしまいますぞ……」
シンとラングカイトは、既に伸びきっている隊列を見て二人同時に大きな溜息をついた。
「どうでしょう? 貢物を二回に分けて運ぶというのは?」
ヴァイツゼッカーの提案に、シンは首を振った。
「何度も互いにやり取りをして、気心知れた相手なら未だしも、今回は初めての相手だ。やはり最初は度肝を抜いておいた方が後々、卿もやり易かろう?」
「た、確かに……では、隊列が伸びる事には目を瞑って替え馬と荷馬車を増やすほかありませんな……」
自身の提案を一蹴されたにも関わらず、ヴァイツゼッカーの声音は明るい。
最初の交渉の後は、副使であるヴァイツゼッカー子爵がゴブリン国との交渉窓口になる予定であり、シンが後々の自分の事まで考えていてくれたことに、素直に感謝していた。
「クニスペル殿を始め、街道沿いの貴族家に協力を仰ぐしかないか……」
元々鈍い馬足が、更に鈍くなったのを見たシンは、やむを得ず全軍に休憩を命じた。
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「老公、シン殿とは一体何者なのでしょうな? 老公は冒険者として共に旅をした間柄、何か心当たりがおありなのでは?」
全軍に休憩の命が下され、周辺索敵の騎兵を送り出したクニスペル子爵は、街道脇の切り株に腰を掛けて、パイプをふかしているゾルターンに近寄ると、シンの正体に探りを入れ始めた。
「さて……儂にも正直なところはわからん。シンの祖国である日本とか申す国も、まるで耳にしたこともないでの。ただわかっているのは、あの者はこの儂も及ばぬほどの、高度な知識を持っておるということだけじゃ」
帝国一の賢者と言われているゾルターンの口から、まさかその様な言葉が出てくるとは思いもよらなかったクニスペルは、ゾルターンの瞳を覗き込んでそれが本当であると知ると、狼狽えて声を失った。
「ご、御冗談を……老公もお人が悪い。そのような戯言、誰が信じましょうぞ……」
ぷはーっと、空に煙で雲を描くと、青い顔をして滲み出る汗をハンカチで拭うクニスペルに笑いかけた。
「冗談なものかい……あ奴の魔法理論は、この帝国の……いやこの大陸の遥か先を行っておるわ。なぜ火が燃えるか知っておるか? なぜ水は氷るのか、なぜ雨が降るのか、雷がなぜ落ちるのか、地震がなぜ起きるのか……あ奴はそれを全て知っており、おそらくその全てを魔法にすることが出来るじゃろう……」
最早クニスペルは呻き声すら出せずにいた。神や精霊、悪魔などが引き起こしていると思われている現象の数々を、理論的に証明することが出来るなど俄かには信じられぬ事ではあるが、目の前に居る賢者が嘘をついているとはとても思えない。
「もうちっとばかし、若いころに会いたかったのぅ……さすれば、今よりももっと……いやいや……これも運命というものじゃろうて、老後の楽しみが出来ただけでも神に感謝せねばなるまい。一つだけ、卿に……いや卿らに忠告しておくぞい。あ奴の敵にはなるな……なれば身の破滅と思え……神の寵児に敵対するのは、神に逆らうに等しい……そうは思わんか?」
それっきりゾルターンは口を噤み、パイプをふかして一人物思いに耽るのだった。
神の寵児、神への反逆……クニスペルは遠くで休憩しているシンを見て、その身をぶるりと震わせる。
戦いに於いては比類なき武功をあげ、今まで全戦全勝。噂では迷宮の深部で神に出会い、神より使命を授かったとも聞いていた。
さらには賢者をも凌ぐ知恵といい、確かに敵にまわせばこれ以上に無い強敵となるだろうと、クニスペルも納得せざるを得なかった。
一体彼は何者なのか? 目の前に居る賢者に答えられぬとすれば、この問いに答えられる者など何処を探しても居るまいと、クニスペルは頭を振ってその場を立ち去った。
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「ちょっとレオナ、真面目にやりなさいよ!」
休憩の時間の合間に、訓練をしているエリーの口からレオナへの叱咤が飛ぶ。
先日よりレオナは浮かれており、訓練に身が入っておらず、暇さえあればシンより与えられた魔法の槍、黒雷を見てはだらしない笑みを浮かべている。
エリーの声にもレオナは生返事で返して、くねくねと身を捩らせるばかりである。その様子を見ていたシンはレオナに近付くと何事か耳元で囁いた。
すると何かに弾かれたかのように、空いているスペースに飛び込むと、先程とは打って変わって一心不乱に槍の稽古を始め出した。
「ねぇ、レオナに何を言ったの?」
先程までとはまるで別人のように変わったレオナを見て、ニヤリと口許を綻ばしているシンにエリーが問い掛ける。
「なぁに、その槍使いこなせないなら、やっぱり俺が使おうかなぁと言っただけさ」
「意地が悪いわねぇ……ま、でもその位で丁度いいかも」
そう言ってエリーもクスリと笑った。
その一部始終を、少し離れていたところから見ていたマーヤは、自然と胸元に吊るされた銀製の笛に手を伸ばす。
ここ数日、マーヤはレオナにシンパシーを感じていた。
自分もこの笛をシンから渡された時は、嬉しくて一日中笛を眺めていたのを思い出す。
であるからにして、今のレオナの気持ちがマーヤには痛い程わかるのであった。
男が女に送るには、一般的に槍も笛もあまり似つかわしくはない物なのだろうが、それでも好きな人から渡された物ならば、それは唯一無二の宝物となる。
しかもこの笛は、かつてシンが自国で使っていた物を、再現したものであると聞いている。
確か……ほいっする? とか言う聞いた事の無い名前で、息を吹きかけるだけで高く澄んだ音が辺り一帯に鳴り響く。
その音も気に入っているのだが、何よりも年頃の女性が身に着けるとの事で、シンが腕の良い細工師に頼み込んで美麗な細工を施して貰い、その心遣いが何よりも嬉しかった。
結婚についてだが、マーヤはレオナがシンの正室になることは、別に構わないと考えている。
亜人の獣人族であるマーヤにとって、強い雄は多くの雌を付き従えることは普通であり、自分がその雌の群れの中に入れさえすればそれ以外の事などは、はっきり言ってどうでも良いのだった。
先ずは正室から、そうすれば次は自分の番であると考えたマーヤは、以前のようにシンに纏わりつくのを少しだけ控え、二人がさっさと番になるのを後押ししようと考えていた。
勿論、その手の事に疎いシンは、そんなマーヤの考えには気付いておらず、ホイッスルも単に便利な道具として与えたに過ぎなかったのだが……
ブックマークありがとうございます!
未だ喘息の発作が治まらず、暫くの間は投稿間隔が定まらないと思われますが、ご容赦くださいまし




