黒雷
「有刺鉄線は欠片も残さず全て回収せよ!」
有刺鉄線の存在を、まだこの世に広く知らしめるわけにはいかない。
シンは自ら撤去作業を監督した。
「しかしこいつは便利だな、ら……ら……何だっけ?」
今日初めて使うにも拘らず、ラジオペンチを器用に使いこなしているのはハーベイであった。
ハーベイも好奇心の強い男である。シンが兵たちと一緒になって有刺鉄線の撤去作業をしていると、ハーベイは面白がって自分にもやらせろと言って来たのだ。
遊びでは無いぞと、一応の釘は刺しておいたがこの程度の事など、ハーベイにとっては遊びも同じである。
手先が元々器用で迷宮で使った煙玉などの小道具も、自分で作れば材料費だけで済むからと、全てハーベイが自分で作っていたらしい。
「ラジオペンチだ」
「そうそうそれ、らじおぺんち! こいつも秘密兵器なのか? それにしても何時ぞやの板樏だの軍手だの、そして今回のこの有刺鉄線だっけか? お前の故郷は便利な物が溢れていたんだな」
故郷、故郷か……確かに言われてみればそうだな。数々の便利な道具の恩恵を、当時は当たり前のように受けて来たが、全てを失ってみて初めてそのありがたみがわかった。
電化製品やコンピューター、通信機器、車や飛行機などの移動手段……その殆ど全ての物は、まだこの世界では再現不可能だろう。再現しようにも、いち高校生であった自分には、先ずその細かい構造どころか、原理すらわからない。
だが軍手やこのラジオペンチなど、簡単な構造の物ならばこの世界でも作ることが出来る。
聖戦が終わってお役御免となった暁には、地球にあった構造が簡単だが便利な物を作り、世に広めていくのもいいかも知れないとシンは思った。
「ああ、そうだなぁ……俺も当たり前のようにそれらの恩恵を受けてきたが、失って見てから初めてその恩恵の大きさに気付かされたよ……」
しみじみと呟くシン。普通ならば、失った故郷の事を思い出させてしまったかと詫びるところだが、ハーベイはそうではなかった。
「ならよ、その恩恵の数々をシンが再現すりゃいいじゃねぇか。全部は無理でも、幾らかは覚えている物もあるんだろう?」
この世界の人間は強いとシンは改めて思い知らされる。この世界は、日本に比べれば治安は悪く物騒で、人の命は木の葉よりも軽く、不便極まりない地獄のような世界である。だがこの世界の人間たちは、そんな地獄のような世界でも、のびのびと前を向いて生きている。
これは地球の、多くの日本人からは失われてしまった明日へと進む力、生への活力と見るべきか。
どこまでも前向きなハーベイの言葉に、シンは頷きつつ笑い声を上げた。
「そうだな、まだ幾つか覚えている物があるし、生活が落ち着いたらそれらを作ってみるのもいいかも知れないな」
――――精一杯生きた証というのは、何も武勲や武功を上げる事だけではないはずだ。ハーベイの言うような生き方も、立派に生きた証しと言えるだろう。さてさて、未来への想像の翼を羽ばたかせるのはそこまでとし、先ずは目前の仕事を片付けるとするか……
器用に手を動かすハーベイに比べると、兵たちの手つきはぎこちなさが目立っている。
先日の敵の有刺鉄線による無残な死に方を目撃している兵たちは、もがき苦しむ敵兵の身体に巻き付く有刺鉄線が、まるで意志を持っているように思い、敵の二の舞いになるのは御免とばかりに震え、皆腰が引けている。
科学が進んでいないこの世界では、自然現象や病気なども神や悪魔の仕業であり、多くの人々は迷信深い。
つまり自分に理解出来ない物の全てが、神や悪魔による超常現象だと捉えていると言っても良い。
有刺鉄線は、単なる針のある細い針金。それが、眼前であのような絶大なる効果を示したとあっては最早、兵たちの理解の範疇を越えてしまっていた。
仕方が無いなとシンは、自らラジオペンチを使って次々に有刺鉄線を片付けていく。
シンが自らその手で触れ作業を進めることによってやっと、兵たちも有刺鉄線が意志を持つ魔物でも悪魔でもないとわかり、シンに倣い撤去作業を進めていった。
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有刺鉄線の撤去が終わると、シンたちは遅れを少しでも取り戻すべく、隊列を組みなおして街道を西へと進みだす。
多数の兵による護衛に守られ、シンたちは索敵なども援軍たちに任せて平穏な旅路を楽しみ、戦いでささくれ立った精神に安息を与えることにした。
鉄を満載している馬車の歩みは亀の如く鈍い。なるべく馬を疲れさせないようにと、気を使えば使うほどその行軍速度はゆっくりとなってしまう。
だが重いからといって積荷の鉄を捨てる訳にはいかない。シンは何としても此度の外交は成功させたいと思っていた。
ギギの国が持つ、帝国に無い技術や知識、それらも喉から手が出るほどに欲しいが、それとは別に政治的な思惑もあったのだ。
それは皇女ヘンリエッテに箔を付けるという目的であった。
ヘンリエッテは、この旅が終われば隣国エックハルト王国へと嫁いでいくことになる。
皇族として産れた以上、この事にヘンリエッテは何の不満も抱いてはいない。
だが、これが帝国内の貴族に降嫁するというのであるならば、何の心配も問題も無いのだが、嫁ぎ先は他国でありエックハルト王国は、その価値観が帝国とは大きく異なる。
エックハルト王国は周辺諸国より歴史が浅く、それだけに実力主義の傾向が強く、また武を尊ぶ気風があると言われている。
いくらヘンリエッテがお転婆皇女と言われていても、そんなものはたかが知れており、それは何の泊付にもならないであろう。
では、どうすればヘンリエッテに箔を付けることが出来るのだろうか?
ヘンリエッテが冒険をしたいと我儘を皇帝に言った時に、ある閃きが生じた。
ヘンリエッテの欲求を満たしながら、彼女に箔を付ける方法……それは、この使節団に同行させて、まだ誰も赴いたことの無いゴブリンたちの国に使者として赴き、交渉を成立させる。
これを成し遂げれば、ヘンリエッテの名は永遠に帝国史に刻まれるであろうし、このような大冒険を成し遂げたとあっては、どのような者も一目置くであろうと考えたのであった。
たとえ隣接していなくとも、他国の情報はエックハルト王国も欲するはずである。
さらに自分の弟子としてしまう事で、無碍な扱いは出来なくなるだろうと考えてもいた。
もしヘンリエッテを軽く扱いでもしたならば、婚姻の引き出物として贈る魔法剣の技術を手に入れる事が出来なくなるため、少なくとも魔法剣を誰かが体得するまでは大事にされるに違いないだろう。
そこから先は、ヘンリエッテの才に賭ける他ない。シンの見た所では兄に劣らず聡明であり、その点はあまり心配してはいなかった。
「まっ、跡継ぎこさえちまえば、地位も盤石になるだろう……」
馬上で腕を組んみながらぶつくさと呟き、思案に暮れるシンの横を同じように龍馬の背に揺られていたレオナは、シンの口から出た跡継ぎという言葉に反応し、一人頬を染めている。
そのレオナの手には、先日までラウレンツの愛槍であった黒雷と呼ばれる魔法武器が握られている。
ラウレンツを一騎打ちで倒したシンには、ラウレンツの持ち物などの一切が当然の権利として与えられる。
シンは黒雷を持つとその軽さに驚き、早速ゾルターンを呼んで鑑定して貰った。
案の定、真っ黒な柄をした槍である黒雷は魔法武器であり、値打ちのある一品であることがわかった。
シンは早速その槍を使ってみるが、軽すぎるその感触に馴染めず、丁度槍を失っていたレオナにあげることにしたのであった。
普通の女性ならば槍など送られても困惑するのだろうが、レオナは武人である。
しかもシンからの贈り物ともなれば、それは天にも舞い上がるような喜びようであった。
金額の多寡など、シンもレオナも気にするような者ではないが、黒雷は金貨に換算すれば一千枚をくだらぬ一品であると知れ渡ると、それを簡単に手放すシンの物に対する執着心の無さに、周囲の者たちは一様に驚いたのであった。
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