待機
帝都より援軍を率いて来た将は、ヨハンであった。当然の如くその下には、フェリスとアロイスが付き従っている。
陣の外にもう一重の防衛陣を敷いたヨハンは兵の指揮をフェリスに預け、後続の輜重隊を率いているアロイスが来るまでそのまま待機を命じた。
「どうやら間に合わなかったようですな、申し訳ありません」
先に皇女ヘンリエッテと挨拶を済ましたヨハンは、陣地中央に張られた天幕へと兵に案内された。
シンは笑顔を浮かべて立ち上がると、入口までヨハンを出迎え自ら椅子を引いて着席を促す。
「いや、よく来てくれた。何とか紙一重で撃退はしたもの戦力が底を尽いてしまい、今敵の攻撃を受けたならばひとたまりも無いところだった。援軍、感謝する」
ヨハンは頭を下げてから椅子に座った。
天幕の中には、シンの他に副使のラングカイトとゾルターンが居るだけである。
「皇女殿下へご挨拶を致しましたが、どうも御様子が……何か御座いましたでしょうか?」
ヨハンは皇女とシンの間に、何事かトラブルが発生したのではないかとの心配する。
「ああ、あれはそうだなぁ……言うなれば武に携わる者の通過儀礼を果たしたというか……敵を一人討ち取って手柄を上げた」
ああ、とヨハンは納得して頷いた。自身にも身に覚えが……というよりもシンの言う通り武に携わる者ならば誰しもが通る可能性がある事である。
人の命を始めて自らの手で奪ってしまい、軽いショック症状を起こしているヘンリエッテの心情を慮ってか、ヨハンだけでなくラングカイトとゾルターンも目を閉じて深い溜息を吐いた。
シンは、一気に重苦しくなった空気を変えようと、珍しく冗談を飛ばす。
「俺の国では初めて人の命を奪う事を、隠語で童貞を切るって言ってな……」
不発かと思われたそれは以外にも三人に受け、三人はしかめっ面を崩して口から笑い声が漏れる。
「なるほど、面白いですな。そうすると、シン殿の国では男は二度も童貞を捨てねばならんのですな」
意外にも、この中で一番真面目そうなラングカイトの壺に入ったらしく、彼は腹を押さえてくっくと喉を鳴らしていた。
多少空気が軽くなったところで、シンは現状の把握とこれからの計画、そして今回の敵の分析を行う。
「先ずは現状だが、帝都よりの援軍の後続がまだ未到着。それとクニスペル子爵の元に伝令を二騎送ったが、無事に辿りつけたかどうかはわからない状況である。取り敢えずは、このままこの陣を守る形で帝都からの後続の部隊を待つことにしようと思うが、何か異存は?」
その判断は正しいと、三人は頷いて了承の意を示す。
次に敵の分析に入る。ここでゾルターンとヨハンに、シュライッヒャー準男爵が敵と通じていたことを打ち明けた。
その話を聞いた二人は驚き、よもや表街道を任されている程の者が、敵と通じるなどとは何事かと嘆き、憤慨した。
「陛下の御期待と御厚恩に背いた報いは、必ずや受けさせるべきでありましょう」
「うむ。しかし、家族を人質に取られてしまった故の背信行為……それも話を聞いた限りでは、積極的に敵に協力したとは思えぬ。さてはて、如何にすべきかな……」
厳罰を望むヨハンに対し、ゾルターンは背信行為は許せぬが、幾分かシュライッヒャーに同情的である。
「シュライッヒャー奴はどう致しますか? 使いを追い返しましたが、奴は自ら我々の元に来るでしょうか?」
ラングカイトの問いに、シンは力強く頷きながら来ると確信していた。
「奴は必ず来る。来なければ、それ相応の報いをくれてやるまでの事。奴が来たらその口から直接、敵の正体を問い質す。まぁ、敵の正体には俺にも多少の心当たりがあるのだが……」
「なんと! して、その正体とは一体……」
「俺が一騎打ちをして討ち取った敵の騎兵隊の指揮官は、元帝国軍近衛騎士副団長のラウレンツだった。俺も最初は思い出せなかったが名乗られて、ハッと思い出したよ。確かに奴と俺は以前に宮中で顔を合わせたことがあった」
「ラウレンツ卿! あの黒槍のラウレンツか!」
黒槍のラウレンツ……確かに奴の持っていた槍の柄は黒く、あの腕ならば二つ名を持っていてもおかしくは無いとシンは目を瞑って頷いた。
「ラウレンツ卿は鋭い突き技を得意としており、その強さは帝国屈指と聞き及んでおりますが……」
「確かにあの二段突きは厄介だったな。腕は達人級で、武芸百般のザンドロックに引けを取らないものだったが……些か型に嵌り過ぎていたような気がする」
今こうやって冷静に考えると、ラウレンツはブーストの魔法無しでは勝負にならない程の腕前を誇っていた。
だが戦ってみて、実戦から長く遠ざかっていたような、どうも技と勘など全てが鈍っているような、簡単に言いかえれば腕が錆びついていたような感じを受けた。
「あのラウレンツ卿を討ち取るとは……流石ですな。なるほど、どおりで……納得がいきました。おかしいとは思っていたのです。離宮へ向かった囮部隊が、いとも簡単に撃破されてしまった訳がわかりました。ラウレンツ卿ならば、近衛副団長であったため要人警護のやり方も熟知しているはず。当然、警備の穴や弱点も知っていたでしょう」
「こりゃ拙いな……旧来のやり方を続けては、敵に足元を掬われてしまうな。いや、現にもう掬われてしまったわけだが……大規模な軍制改革が必要か……ところでヨハン、陛下は此度の件……さぞお怒りであったろう。こりゃ、首を洗っておくのはシュライッヒャーじゃなくて、俺の方だな……」
「い、いえ、シン殿、早まった真似は御慎み下され! 陛下は御二人の身を案じておられましたが、お怒りでは御座いませなんだぞ! もう一度、もう一度申し上げます、どうかお早まり下さいますな」
ヨハンだけではなく、ラングカイトもシンを思いとどまらせようと慌てた。
今一人、ゾルターンはシンが仕事を途中で投げ出すような男ではないと知っていたので、特に止めもせず、その様子をニコニコと微笑を湛えて見守っている。
「わかった、わかったから落ち着け! 何にせよ、この仕事が終わってからだ……ヨハン、一つ頼まれてくれないか? 陛下に現状の報告と詫びの手紙を送りたいのだが」
「はっ、承知致しました。どちらにせよ、報告の伝令を走らせねばなりませぬので、そのついでと言っては何ですが手紙を託されるがよろしいでしょう」
「うん、頼む。もう書いてあるのだ」
そう言ってシンは懐から油紙に包まれた封書を取り出す。封の蜜蝋には三本足の鴉が描かれており、見る人が見れば、これはシンからのものであることが一目でわかるだろう。
「確かに……では、早速に」
手紙を受け取ったヨハンは、席を立つと足早に天幕を去って行き伝令の手配を始めた。
「話は戻りますが、ラウレンツ卿といえば元近衛騎士団長のマッケンゼンと同様、不正に私腹を肥やしていた罪で蟄居閉門のご沙汰が下り、それを不服として出奔したとの話を聞いておりましたが、よもや帝国の敵になり皇室に仇を成すとは……」
ラングカイトは堕ちた騎士の所業に、失望と憤慨の混じり合った溜息をついた。
ゾルターンは目を瞑り黙して語らず。だが、その閉じた瞼の裏には先帝に仕えていた在りし日の、頽廃に包まれた宮中の情景が思い起こされていた。
「その元近衛騎士団長のマッケンゼンは、ラ・ロシュエル王国に亡命したと聞く。これはいよいよ、急いで軍制改革を進めねばならない事態となってしまったな」
ラ・ロシュエルの南部侵攻を一時食い止め時間を稼いだとはいえ、どこまで時間が稼げるかはわからない。
創生教の総本山に送り込んだ間者のマックウェルは色々と策を弄して、こちらも時間を稼いではいてくれてはいるのだが……聖戦は必ず起きるだろう。
残された時間があまり多くない中で、軍制改革など出来るのだろうか?
これは身体一つじゃ、とてもじゃないが足りないなと、シンは手のひらを額に当てて天を仰いだ。
咳が止まらず、寝れないので投稿。
朝一で病院行ってきます。




