街道の戦い 其の八
冥界の門をくぐったサブリーナの体から力が失われ、ずるりとその場に崩れ去る。
背まで突き抜けていた剣は抜け、それを持つヘンリエッタの手は小刻みに震えていた。
肉を裂き骨を断ち、命そのものを奪った感触が未だ体中を駆け巡っている。震えは一向に収まらず、髪は逆立ち鳥肌が立ちっぱなし……目からは涙が止めどもなく溢れてくる。
自分が冒険がしたいなどと駄々をこねなければ、このような凄惨な戦いも起きなかったと、激しい後悔の念がヘンリエッタを襲った。
サブリーナの一閃によって吹き飛ばされた侍女のエマが、よろめきながらも立ち上がると、嗚咽を抑えきれない主の前へ出ると、震える足を叱咤しつつ剣を構えた。
「ヘンリ、まだです。まだ戦いは終わってません。気をしっかりと持ちなさい!」
半ば自分に言い聞かせるように、エマが泣いて立ち尽くすヘンリエッテに声を掛ける。
戦闘は終結しつつあるが、剣戟の音がまばらにではあるが、まだ耳に聞こえて来る。
他の侍女たちも、筆頭侍女のエマ同様に、立ち上がるとヘンリエッテを囲むようにして守りを固め、再び剣を構える。
そんな彼女たちの姿を見てヘンリエッテは剣を振り血を払うと、流れる涙はそのままに再び剣を構えたのであった。
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この戦いで一番苦労したのは騎兵隊の指揮を任されたレオナであったかもしれない。
シンから指揮権を託されたレオナは、シンの言う通り敵の騎兵を追い、その後ろに喰らい付いた。
だが敵は賊などの類ではなく、高度な訓練を受けたことのある生粋の騎兵たちであり、喰らい付かれると反転せずにそのまま部隊を二手に分けた。
左右に別れた敵のどちらを追うか? レオナは迷うが、結局は陣地に近い右の部隊にそのまま喰らいついて行く。
すると右手に別れた敵は、反転し今度はレオナたちの後ろに喰らいついてくる。
しまったと思ったときにはもう遅い。元々、敵の方が数が多いのだ。このままでは、前方の敵を屠るより前に自分たちが後ろから喰われてしまう。
レオナは前方の敵を追うのを断念し、左に進路を変えると一気に陣地から遠ざかった。
後方に喰らい付いた敵は、レオナたちを追わずに前方の集団と再び合流を果たす。
今の戦いでこちらは十二騎倒され、敵を十八騎ほど倒した。とすると、レオナたちは十六騎、敵は四、五十騎はまだ残っているだろう。
はっきり言って、全く勝負にならない。地形を利用しようにも街道沿いの開けた土地であるがため、騎兵同士ならば単純に数がものをいう。
「もう一度攻撃を仕掛けます。今度は敵の真正面から……こちらの挑発に乗ってくれば良いのですが……」
付き従う騎兵たちは死を覚悟した。数で圧倒的に劣勢、であるのに正面からの突撃では万に一つの勝ち目も無い。
だがレオナは勿論死ぬつもりは無い。
「精霊魔法で強風を起こして敵の先頭を転ばせます。その転んだ騎兵たちに後続が巻き込まれ、混乱したならばそのまま突撃、もし敵が冷静に対処してきたならば、再び右手に逸れて退却します」
レオナは早速精霊魔法を唱え、その身に風を纏う。疾走する馬をも薙ぎ倒す強風を起こすには、残っているマナの殆ど全てを使わなくてはならないだろう。
チャンスは一度ではあるが、レオナはその一度のチャンスに全てを賭けた。
レオナたちは、敵の騎兵に接近と退却を繰り返す。陣地に攻撃を仕掛けようとすると、邪魔をしてくるレオナたちに、敵は焦れて遂にレオナたちを先に排除すべく動き出す。
敵はレオナたちが接近して来るのを待ち構え、接近してきたと同時に一斉に馬首を翻す。
先頭を行くレオナは臆することなく、そのまま馬を走らせながら魔法を唱え、風の精霊の助力を乞うた。
不意に眼前に現れた大きなつむじ風を見て、慌てて馬脚を緩めるが馬はそう簡単に止まることは出来ない。
先頭の数騎が、そのつむじ風に巻かれて転倒し、騎手も投げ出される。後続の騎兵がその倒れた馬や、騎手を踏んで転び、更にそれを後続がと被害が拡大して行くのを見て、レオナは叫んだ。
「突撃!」
喚声を上げて突撃を開始するレオナたち。だが、その先頭を行くレオナの顔色は真っ青である。
やはりこの魔法、規模を大きくすればするほどにマナの消費が激しい。もう一度撃てば、確実に命を落としてしまう。
ふらつく身体に、キッと力を込めて落馬を防ぐ。手に持つ槍を振るおうにも、手に力が入らない。
仕方がないので攻撃は味方にすべて任せ、レオナは振るうことの出来ない槍を手放して身を軽くし、落馬しないように努めた。
レオナの咄嗟に思いついた作戦は成功を収め、敵の戦力は半減した。それでもまだこちらよりは数が多い。
レオナはもう無理はせず、敵との距離を一定に保ち牽制するにとどめることにした。
敵も先程のつむじ風が魔法によるものであると気が付き、レオナたちを必要以上に警戒し始めている。
距離を保ちながらの睨み合いが続く。レオナたちにすれば、敵を自分たちに釘付けとして時間を稼げればいいので、この状況は歓迎すべきことであった。
この睨み合いは、シンが巨大な炎弾を放ち、後方に控えていた部隊が壊滅するまで続いた。
敵の騎兵たちは、それで自分たちの敗北を悟ったのだろう。
数騎がそのまま手近な陣へと攻め入るが、有刺鉄線と弓、そして槍によって敢え無い最後を遂げると、他の者たちは思い思いの方向へとばらばらになって退散した。
レオナは追撃の命を下さず、陣から逃げ出してくる敵の掃討に移った。
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総指揮官であるユストゥス、そして騎兵隊の指揮官であるラウレンツ、荒くれ者どもの頭領であるバーリンゲンと、指揮官を全て失った敵の多くは攻撃を断念して逃走した。
一部の死に場所を求めていた者たちだけが尚も戦い続けたが、数によって囲まれ、一人、また一人と討ち取られていった。
戦いは終わり敵は去った。後に残されたのは有刺鉄線に絡め取られた人馬の死体と、壮絶な戦いに果てた双方の戦士の骸だけ。
シンはレオナと合流して、防御陣地に戻ると疲れた体を休める事無く次の命令を下した。
「疲れているのはわかるが、先ずは戦場掃除だ。死体が動き出して襲われる前に片付けるぞ。敵が再び襲って来る可能性もあるので見張りを立てろ。陣の綻びも早急に直さねばならない。やることは山積みだ」
シンの発した命令により、疲れ果て座りこんでいた兵たちが再び立ち上がる。
この世界では、死体は早く片付けないとアンデッド化して襲い掛かって来る可能性があるのだ。
シンは馬車から首刎ね用の手斧を取り出すと、率先して汚れ仕事である死体の首刎ねを始める。
総指揮官自ら汚れ仕事をする様に兵たちは驚き、その姿を見た兵たちは同じように手斧を持つと、敵味方分け隔てなく首を刎ねゾンビ化を防いだ。
味方の兵の遺体から髪の毛を一房切り取り、遺品と共に革袋に収めると一人一人深く掘った穴に丁重に葬られた。
一方、敵の兵は首を切り落とされると、大穴にぼんぼんと首と身体を投げ込まれ上から無造作に土を掛けられる。
戦死者の数は、味方が三十四名。敵が遺棄して行った死体の数は百八十余名。
三カ所の内で、もっとも被害が大きかったのはヴァイツゼッカー子爵の所で、子爵自身も浅傷ではあるが数か所の怪我を負っていた。
午前中に始まった戦いは昼過ぎには決着が着いたが、戦場掃除に手間取り陣地の修復には至っていない。
日も暮れてしまい、これ以上の作業は無理と見たシンは、死臭漂う中での夕食を取ると無事な者を選び、敵だけでなくアンデッドに注意するよう言い付け、交代で見張りにつかせた。
それらを済ませてやっと、夕食も食べずに侍女たちと蹲るヘンリエッテの元に赴いたのであった。
ブックマークありがとうございます!
二日前に体調管理に気を付けようと言ったばかりなのに、喘息の発作が……
季節の移り変わり、急激な気候の変化に身体が付いて行けませんでした。




