歴史の大河
川の水面を一枚の木の葉が流れていく。
激流に揉まれ水中に没したかと思われたそれは、やがて大河に出て悠々と流れ行く。
惑星パライソ中央大陸は動乱の時代を迎える。
中央大陸では暦は各国共通の大陸歴を使用していた。
これは各国の祖が同一民族であったからではないかと言うのが学者たちの定説である。
真実を知る人間はこの惑星ではおそらくシン一人であろう。
中央大陸の各国家を巻き込む動乱の切っ掛けは、大陸歴781年のソシエテ王国の飢饉が始まりだった。
最初の飢饉は大被害を受けながらも何とか堪える事が出来た。
だが翌年782年の飢饉は、嘗て北国の雄と謳われたソシエテ王国でさえ耐える力は残されていなかった。
ソシエテ王国の国王と重臣は苦渋の決断をする。
国民の選別……国が亡ぶよりは、同胞の血を流すという
暴挙にも似た政策で国難を乗り切ろうとした。
ソシエテ王国は南にルーアルト王国、南東にエックハルト王国と二つの国と境を接している。
この二国に近い土地に住む国民を、軍隊を動員し二国に追い立てたのだ。
大陸歴782年のことであった。
大多数は広く国境を接しているルーアルト王国に逃げ込んだ。
僅かに山を越えてエックハルト王国に逃げ込んだ者たちもいたが本格的な賊と化する前に迅速に動いたエックハルト王国軍によって追い返された。
ルーアルト王国北方辺境領に逃げ込んだ難民は膨大な数に上った。
辺境伯軍だけではどうにもならず中央に救援を乞うが中央の国王と貴族はたかが難民の流入ごときと甘く考え重い腰を上げなかった。
このままでは北方辺境領は賊と化した難民に飲み込まれ滅んでしまう、辺境伯は生き残りの道を探した。
北西に国境を接するガラント帝国に臣従し援軍を派遣してもらう、何時まで経っても援軍を寄越さぬルーアルト王国に見切りをつけたのだ。
ガラント帝国は二つ返事で承諾した。
北方辺境領に援軍を派遣する一方で、西方辺境領国境付近に軍勢を集め翻意を促す。
西方辺境伯は北方辺境領に対する中央の動きの遅さを目の当たりにしていたため、ガラント帝国に攻め込まれても援軍は望めないと判断し、一戦も交えることなく帝国に寝返った。
北方辺境伯も西方辺境伯も身分はそのまま、領地もそのままにガラント帝国に取り込まれる。
こうして北と西を手に入れたガラント帝国は勢力を伸ばすが、北方辺境領の再建には時間と莫大な資金がかかるため、これ以上の勢力拡大は控えるという手堅い政略を見せる。
次に動いたのは東方辺境領と国境を接するエックハルト王国であった。ガラント帝国に比べ初動が遅れたのはソシエテ王国からの難民の対処に時間が掛かったせいであった。
難民を追い返し、余裕が出来たエックハルト王国は大陸歴783年、東方辺境領へと軍を進めた。
ルーアルト王国は北と西をガラント帝国抑えられ軍を迂闊に送ることが出来ない。
東方辺境伯は自軍で切羽詰まった状況を打開しようとするがあっさりと主力軍を打ち破られる。
敗戦の理由の一つに常日頃の辺境伯の狭量さに見切りをつけて主家を退転した数多くの騎士たちの存在がある。
見切りをつけた騎士たちは実戦経験豊富な者が多く、目端の利く者はこうなる事がわかっていたのだろう。
東方辺境伯はエックハルト王国に降伏するが領地は没収、伯爵は強制的に世代交代させられた上に男爵に格を落とされる。
残った南方辺境伯は、ルーアルト王国の動きの悪さにさっさと見切りをつけていたが南方商業都市国家群のハーベイ連合に裏で通じていた。
だが今はまだ表向きはルーアルト王国に属していた。
こうして表面上は北、西、東の辺境領、国土の凡そ5分の2を失ったルーアルト王国は急速に衰退していく。
国王であるラーハルト二世はルーアルト王国建国以来の暗君として佞臣共々史書にその名を記される。
この一連の動乱を後世においてソシエテ大飢饉、あるいは北方動乱と呼ぶ。
---
大陸歴781年 ソシエテ王国で未曾有の大飢饉が起こる。
大陸歴782年春 シン、惑星パライゾの大地に立つ。
同年 秋 ソシエテ王国、2年続けての大飢饉に国王と重臣が国民の選別を始める。
ソシエテ王国から賊と化した難民が北方辺境領に押し寄せる。
北方動乱の始まり。
同年晩秋 北方動乱が東部辺境領にまでおよび、討伐軍が派兵される。
同年初冬 討伐軍と黒蛇騎士団が交戦、黒蛇騎士団団長ザギル・ゴジンをシンが討ち取る。
同年 冬 シン、古都アンティルに於いて騎士と諍いを起こし、アンティルを出奔。
東方辺境伯はシン捕縛の追っ手を出す。
大陸歴783年新春 北方辺境伯がガラント帝国に臣従する。
シン、チュール村に立ち寄る。
北方辺境伯に続いて西方辺境伯もガラント帝国に臣従する。
同年初夏 東方辺境領にエックハルト王国が攻め入る。
東方辺境伯は自軍を率いて決戦するが、敗れエックハルト王国に降伏する。
---
小雨が降り頻る中、あちこちで剣戟の音が響き渡る。
春の小雨は気温を急激に下げ、吐く息は白く流れ出る血からは湯気が立つ。
梯子を登りきり城壁に手を掛けた敵の頭に大剣を叩きこむ。
悲鳴と共に落下した敵の生死を確認する間も無く、次の敵が城壁よじ登ってくる。
大陸歴783年春、ガラント帝国城塞都市カーンの城壁の上で、シンは賊軍と死闘を繰り広げていた。
チューク村を出て一路西へ旅立ったシンは、ルーアルト王国北方辺境領とガラント帝国東端との間にある緩衝地帯を越え、ガラント帝国城塞都市カーンに立ち寄り長旅の疲れを癒していた。
ここ城塞都市カーンはガラント帝国最東端にある対ルーアルト王国の要衝で、常時二千の兵が常駐している最前線であった。
現在はルーアルト王国北方辺境領が帝国の版図に加わったため、北方領治安回復の為の二万の遠征軍に対する補給基地としての役目を与えられていた。
治安回復軍が来る前に方々から補給物資が集められ、それを守る守備隊は以前と同じく二千の兵を以て充てられていた。
補給物資が集積されていることを知った武装難民(以降賊軍とす)は、城塞都市カーンを急襲。
幾つもの集団が合流した賊軍はその数四万余りに膨れ上がり、数の利を活かした我攻めでカーンを陥とそうとする。
シンは旅装を解いて久しぶりにのんびりとしていたところをこの戦いに巻き込まれたのであった。
傭兵として参加したシンは、東門の城壁の上で魔剣、死の旋風を振るい賊軍の死体を量産していく。
賊の中には女子供も紛れていたが、武器を持って襲い来る敵に容赦はしない。
城壁に乗り込んで来た敵を片っ端から切り捨て、梯子を蹴飛ばし、死体を上から投げ捨てる。
降り頻る小雨が火照る体に心地良い、吐く息は白く返り血は流れ落ち水たまりは朱く染まっている。
「ほぅ、あれは何処の手の者か? ずいぶんと活きのいいのがおるな」
楼閣の上から城壁で荒れ狂うシンを見て城塞都市カーン城主のヴァルター・フォン・ハーゼ子爵は後ろに控える中年の騎士に問い掛ける。
「ハッ、あの場所に配されているのは緊急徴募の傭兵であります。何処の家の者でもありませぬ」
城主のヴァルターは皺を寄せて破顔一笑する。
とても七十過ぎの老人とは思えぬ良く通る声が楼閣に響いた。
「逃げ損ねたマヌケか、それとも勝ち戦と見て残った目端の利く者か、はてさてどちらかのぅ?」
楼閣内のあちこちで笑い声がこだまする。
実際はどちらでもなく、疲れた体を休めていたらいつの間にか巻き込まれただけであった。
「あと十日、あと十日踏ん張れば援軍が来るぞ! 補給基地ゆえ飯も矢もある、惜しまず使え」
良く通る大声が楼閣から城壁まで響くと呼応するように声が上がる。
まだ士気は十分、だが雨でどれ位遅れが出るか……まぁ二週間はもたせて見せるが、それ以上はとてもとても……
歴戦の老将の予想は当たり、治安回復軍と称する二万の遠征軍は雨でぬかるんだ街道に足を取られ予定より大幅に遅れていた。
敵の攻勢止むと、すぐに火を焚かせ体を温めさせるとともに食事を急いで取らせる。
城主のヴァルターは士気を維持するために、前線を見廻り騎士だけでなく兵にも気さくに声を掛けた。
状況は悪い。
兵の練度は自軍の方が遥かに高いが、敵は死兵となって襲ってくる。
数の差も如何ともし難い、敵は疲弊すれば交代出来るがこちらはそうも行かない。
二週間、二週間じゃな……それ以上はどう足掻こうとも無理じゃ、その時は城を枕に討死しかあるまいて。
顔は余裕の笑顔を湛えながら、腹の中では厳しい戦の予感に気が滅入る。
顔に表さぬよう努めながら、ふとあの城壁で暴れていた若造のことが気になり東門の城壁へと歩き出す。
城壁の陰でパンをスープに漬けて貪るように食べるシンを見つけ、老将は顔を綻ばせばがら近づいて行った。
大陸歴783年の中央大陸、帝国と周辺諸国の地図
地図補足