不可解な行動
離宮へと向かった囮が襲われていたその頃、シンたち使節団はシュライッヒャー準男爵領にて、熱烈な歓待を受けていた。
「いやぁ、当世の英雄たるシン殿を我が領内にお迎えできるとは、望外の喜び。我がシュライッヒャー家始まって以来の名誉に存じます。どうか、我が領内で旅の疲れを存分に癒してくだされ。お望みの物なども出来うる限りご用意致しますので……」
「かたじけない。これ程までの歓待、まことにありがたく将兵に代わりまして厚く御礼申し上げます」
あまりの熱烈な歓迎ぶりにシンは戸惑ったが、副使のヴァイツゼッカー子爵は当代きっての英雄であるシンを迎え、歓待することによってシュライッヒャー家に箔を付けるのが目的ではないかとの見解を示した。
当代きっての英雄などと称されたシン本人は、自分が偶像視され始めているのに、多少の嫌悪感すら感じ始めていた。
兎も角、長旅により皆が疲れているのは事実。その疲れを癒す為に、シュライッヒャー準男爵の御言葉に甘え、素直に歓待を受け入れることにした。
料理や酒が振る舞われ、久しぶりに大半がわら葺とはいえ、ベッドと屋根の下で眠れることに随伴の将兵は大いに喜んだ。
翌日、シンたちが出発しようとすると、シュライッヒャー準男爵がそれほど急がずともと、様々な理由を付けてシンたちを引きとめようとしてきた。
「先日、使節団が我が領内を御通りになるとの先触れを受けまして直ぐに、使節団に何かあってはと、麾下の騎士団を街道の掃除に向かわせておりますれば、騎士団の掃除が終わってから悠々と行かれるがよろしいかと……」
「お気遣いは大変に感謝致しますが、それ程悠長に構えているわけにはまいりません。冬になるまえに使節としての御役目を果たし、帝都へと戻らねばなりませぬゆえ……」
「では、では、せめて、今より騎士団へ早馬を出し、事の進捗具合を確認致しますので、それを聞いてからの出発となされては如何でしょうか?」
このように、かなりしつこく食い下がって来るのを見て、流石にシンもシュライッヒャー準男爵に疑念を抱き始める。
「わかりました。出発は明日と言う事に致しましょう。もう一日だけ、御厄介になりますがどうぞよしなに……」
シンが一日出発を延期すると、シュライッヒャー準男爵は、まるでその場で踊り出すのではないかと思うほどの喜びを示した。
その浮かれようを見たシンは、ますます怪しいと疑念を濃くした。
シンは出発の延期を伝えると言って席を辞すと、副使二人と影の頭領であるアンスガーを与えれれている部屋へと呼び出した。
念のために、扉の外にカイルとマーヤを配し、内側にはハンクとハーベイを配した。
「シュライッヒャー準男爵だが、どうも匂う。かなりしつこく引き止めて来るんだが、どう思うか?」
若く人の好い、御坊ちゃん育ちがまだ抜けきらない副使のヴァイツゼッカー子爵は、気にし過ぎではと一笑に付したが、叩き上げの苦労人であるラングカイト準男爵は、シンと同じく何処か引っ掛かりを感じていた。
「普通は、使節を天候などの悪化などの理由も無しに、長々引き止めるような真似は致しませぬ。増して我々はまだ往路であり、大任を果たしている最中で御座います。復路なら未だしも、シュライッヒャーめの言動と行動には、何か裏があるのではないかと感じてしまうのも、やむを得ない仕儀かと思われます」
シンはラングカイトの言に頷くと、アンスガーの報告を聞き、それを聞くと直ちに行動に移った。
「シン様、行商に扮して先行し、情報を集めていたわが手の者によりますと、ここ二十日程の間ではありますが、この地の騎士団が動いたという話は掴んでおりません。使節団が来ることを知らせるために発した先触れは、十日ほど前でありますれば、シュライッヒャー準男爵様のお話には偽りの色が濃いかと……」
「何が目的かはわからぬが、用心に越したことはない。直ちに、そして密かに出発の準備を整え、一刻も早くこの地を去ることにする」
シンが決断を下すと、三人は弾かれたように席を立ち、出発の準備を整えるべく部屋を飛び出す。
流石にアンスガーの話を聞いた後では、御人好しのヴァイツゼッカーもシュライッヒャーを信じることが出来ず、シンの決定に素直に従った。
「シン、揉め事か?」
用心の為に部屋の中で待機していたハンクとハーベイは、既に何時でも行動できる臨戦態勢へと移行していた。
「ああ……ハンク、パーティの皆に、竜が哭いたと伝えてくれ」
竜が哭く……碧き焔の中で予め決めていた暗号で、竜が敵と遭遇すると大抵の場合、咆哮を上げる事に因んで、即応体制を取れとの意味があった。
「わかった。ハーベイ、聞いた通りだ。シンを頼むぞ」
「任された。今回は楽な仕事だと思ったんだがなぁ……上手く行かねぇもんだぜ」
「まったくだ」
そう言ってシンは不敵な笑みを浮かべる。それを見た二人も同じように、口元を歪ませた。
二人がこの危急の際に、全く動じていないのを見てシンは頼もしく思う。おそらく、他のメンバーも同じように大胆不敵な笑みを浮かべながら、即座に行動を開始するに違いない。
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「なに! 使節団がこの街を発っただと? それは真か?」
「はっ、門番どもが確かに見送っておりますれば……如何致しますか?」
部下より報告を受けたシュライッヒャー準男爵は、シンの無礼を口汚く罵った。
「あれほど歓待したというのに、儂に別れの挨拶もせずに発つとは……なんと無礼な!」
口とは裏腹に、シュライッヒャー準男爵はシンに感謝していた。彼は、ある者たちより使節団の足止めをするようにと言われており、その者たちによって、妻子を人質とされ脅されていたのだった。
このまま自領で使節団を足止めしつづければ、戦闘なり暗殺なり、何かしら厄介ごとに巻き込まれることは明白である。
だが、妻子を人質とされている以上、奴らの命令に従うほかは無い。今も、もしかすると何処かで自分を監視しているかもしれない以上、迂闊な事を口走るわけにはいかない。
「直ぐに使者を出して、真意をお聞きいたせ。そして、街道の掃除が終わるのをお待ちになるように申し上げろ」
そう言って部下を部屋から追い出すと、シュライッヒャー準男爵は大きな大きな、安堵の溜息を吐いたのであった。
シン殿は見かけによらず実に聡明な方だと聞いていたが、やはりわかって頂けたようだ。監視の目があるゆえ、直接伝える事は叶わんだが、儂の演技に何かしらを感じ取っては頂けたのだろう。
もしこのまま我が領内で変事が生じれば、我が家は取り潰し……いや、それだけでは済まなかったであろう。それにしても、シン殿には大きな借りが出来てしまった。何時かこの借りは必ずやお返しせねばなるまいて……
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シュライッヒャー準男爵を間近で監視していた者、それは半年前より館で働き始めた若い給仕の女性であった。彼女が、準男爵の妻子を館の外へと言葉巧みにおびき出して、誘拐の手引きをした者でもあったのだ。
彼女は直ちに街に潜伏している同志へ、使節団の動きを伝えた。そして拉致され、監禁されていた準男爵の妻子を解放するよう同志に要求する。
「我々の顔を知っているこいつらを解放するのは、危険ではないか? いっその事、ここで始末してしまった方が良いのでは?」
「馬鹿ね、そんな事をすればシュライッヒャーは怒り狂って、我々に牙を剥くでしょうよ。少なくとも彼は、十分とまでは言えないまでも役目を果たしたわけだし、ここで解放すればおそらく傍観を決め込むでしょう。今はこんなことを長々と話している時ではないわ、さっさと解放して後を追うわよ」
解放された妻子が無事保護され、その身に傷一つ付けられていない事を確認したシュライッヒャーは、女の言う通り、事の全てが終わるまでは傍観を決め込む事としたのであった。
 




