好餌に喰いつくか?
翌日呼び出されたヘンリエッテは、自分の希望が叶うと聞かされて文字通り飛び上がって喜んだ。
その後の細々とした話には、一応返事や相槌を打つものの、胸の内はすでにめくるめく冒険へと旅立っているのだろう。
その日よりシンがヘンリエッテを弟子とすることが公表され、近衛騎士養成学校において、これまで通りに指導を続けることが決定した。
一人喜ぶヘンリエッテだが、今まで以上に厳しい修行に付き合わされる侍女たちは、がっくりと肩を落とした。
だが、侍女を辞めると言う者は一人も居ない。ヘンリエッテは仕えやすい主である。
些細な失敗に目くじらを立てて怒ることもなければ、逆にそれらの失敗を許し、フォローする事が多く、エマを始めとしていま現在仕えている者たちは、ヘンリエッテに多大な恩を感じているのであった。
その発表から一月が経った。シンは碧き焔のメンバーに、次の仕事はギギの国に赴く使節団の護衛だと告げ、各自訓練と調整に入るように命じた。
シンが帝都に戻った事で、講義を受けられると期待に胸を膨らませていた学校の生徒は多かったが、ヘンリエッテをとりあえず半人前でもいいから冒険者として育てねばならないシンにその余裕は無く、その詫びと設備の揃っている学校の校庭などの使用許可を貰う代わりに、ハンクとハーベイに冒険者として魔物の知識や、傭兵や冒険者の泥臭い戦い方などの講義をさせた。
ハンクとハーベイは、最初は自分たちが講師など畏れ多いと辞退しようとしたが、講師として給金も出るし何より騎士位の授与が確定している身であり、国に対しての義理が生じる身分であることから、二人は渋々ながらもその役を引き受けたのであった。
人当たりが良く、生徒たちと歳も近いハンクとハーベイたちの講義は好評で、模擬戦に於いても二人の実力は、学校の講師に勝るとも劣らぬ実力者であることがわかると、生徒たちはより熱心に二人の講義を聴くようになった。
また、ギギとロラも弓術の臨時講師として生徒たちの指導を受け持った。
二人とも亜人であり、差別などが危惧されたが、二人は皇帝より国賓であると告げられるとプライドの高い貴族出身の生徒もその指導に素直に従わざるを得ない。
ギギは短弓、これは狩猟民族であり草深い所や、森林の中でも取り回しのし易さを追求した結果であり、射程、威力共に長弓には劣るものの、速射には向いている、
威力の低さは手数と、ゴブリン族は鏃に毒などを塗ることで補っていた。
普通の者が一矢放つ間に、ギギは二矢、三矢放ち、その速さと正確さに周囲は驚嘆の声に包まれた。
ロラはというと、こちらは長弓であり速射には不向きではあるが、射程距離と威力に優れている。
ロラは幼少の頃より、精霊魔法と弓だけは両親からしっかりと学んでおり、特に弓に関しては天才的なセンスを有していた。
女性であるので、射程と威力こそは男性には及ばないものの、その矢の正確さはギギを遥かにしのぎ、ギギもロラの腕前に賛辞を惜しまない。
エルフ族ではあるが、美人のロラの講義はあっという間に人数が埋まり、あぶれる生徒から抗議の声が上がって、ロラの講義は抽選方式で生徒が選ばれることとなった。
カイル、そしてレオナとエリーも校庭で訓練をするようになり、生徒たちと共に走り、模擬戦をしたりと忙しい日々を過ごしていた。
特にエリーは、得意の治癒魔法で生徒たちの怪我の面倒を見ていたのだが、エリーの類稀なる美貌に懸想する生徒たちは、ワザと怪我をして治して貰おうと、治療待ちの長い列が出来るのをシンは横目で見て、どこの世界でもこの年頃の男がする行動というのは一緒なのだなと、妙な安心感を感じていた。
一方のカイルは、悪い虫が付くのではないかと気が気では無かったのだが……
ゾルターンはというと、シンが発案した新兵器の開発に引っ張られていた。
魔法という便利なものにより、地球の中世よりも科学の発展に若干の遅れが生じているこの世界では、シンより旅の間に科学を学んだゾルターンこそが、この世界で最も優秀な科学者なのかもしれない。
そのためにゾルターンは、巧妙にカモフラージュされた秘密工房にて缶詰状態で、その新兵器とやらの開発に勤しんでいた。
本人も、その新兵器の構造や運用などに強い興味を示し、いつの間にか夢中になってしまっていたのだった。
そんな中、皇帝が送り出した使者が、エックハルト王国の門を叩いた。
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「なんですと! 帝国が、皇女をパットル様に嫁がせたいと申したのですか? これはこれは……」
会議室に集められた重臣たちが一斉にどよめき、それは何時まで経っても収まる気配を見せない。
エックハルト王国の現国王ホダイン三世は数度、鎮まるようにと声を出してやっと重臣たちは口を噤み、襟を正した。
「王よ、まさかこの申し出をお受けするつもりではございませぬな?」
重臣たちの鋭い視線が、ホダイン三世をまるで射抜くように集まる。
それに対しホダイン三世は表面上は動じずも、内心で重臣たちの反発の強さに驚いてはいた。
だがそれも無理もない事だと王もわかってはいたのだった。王太子であるパットル王子の嫁を誰にするのか、これはある意味で頭痛の種でもあったのだ。
重臣たちの誰もが、自分の娘を……年頃の娘が居ない者は、一族の娘を自分の養女にしてまで、次期王妃にせんとしていたのだ。
それを他国の姫に奪われるとなるとすれば、重臣たちの目の色が変わるのも無理はない。
「正直に言おう。迷っておる」
この言葉に、重臣たちの顔に見る見る赤みが差し、怒気が生じた。
「王は何をお迷いか! 帝国と婚姻など結ばずとも、我が国は立派に立ちゆき申す!」
「然り! 意図のわからぬ婚姻など不要、お断り申されるがよろしい」
自分の娘や養女を、あわよくば次期王妃にせんと企む重臣たちの一部が、怒気を生じさせながら吼える。
それに対し、そのような欲を持たぬ宰相が冷静に利害を述べる。
「もし仮にだが、帝国と今まで以上に強い誼を結んだとするならば、帝国の新北東領からルーアルト、ソシエテの両国に対し圧力が掛けられ、今のような両国の蠢動をそれとなく抑えることが出来よう」
「なんの、今の国力の衰えたるルーアルト、ソシエテの両国など恐るるに足らぬわ!」
「だが、両国共に攻め滅ぼすには決め手に欠けるのも事実。そして、ソシエテの混乱により生じた棄民と、先年奪ったルーアルトの領土の開発に手間取っている今では、大規模な戦は正直きつかろうて……」
痛い現実を突きつけられてしまうと、盛んに吠えていた者たちも一応に黙る他無い。
ここで王は自身も驚かされた、皇女が我が国に嫁ぐ際に帝国が寄越す引き出物について口を開く。
「帝国は、もし皇女がパットルに嫁ぐのならば、現在各国の注目の的である、あの竜殺しのシンが使う魔法剣を教えると言うのだ」
これを聞いた重臣たちは、先程までとは比べものにならぬほどの衝撃を受けた。最早どよめきなどという優しい表現ではない。
重臣たちが、我を取り戻して落ち着くまでに掛かった時間は長く、その間にホダイン三世はテーブルに置かれたカップを二度空にするほどであった。
「あれほど厳重に秘して来た技を教えるとは、一体何の企みあっての事か」
シンに近付こうとする者や魔法剣の技を盗もうとする者、また近衛騎士養成学校などを探ろうとした間諜たちは、影によって尽く妨害され続けて来た。
「帝国にとって、そこまでして婚姻同盟を結ぶ利点は何なのだ?」
重臣たちは帝国の考えをはかりかね、思いついた事を口々に呟くも、誰一人として納得のいく言を述べることが出来ずにいた。
そこで更に王の口から、止めと言わんばかりの衝撃の言葉が放たれることになる。
「もし婚姻を結んだとすれば、その魔法剣の技を、編み出した竜殺し本人が教えに来ると言うのだ」
自分の娘を王太子に嫁がせようと企んでいた重臣たちは、選択に迫られる。
もしここで強硬に突っぱねれば、国の利益より己の野心を先立たせる者として、王に睨まれかねない。
己の野心を優先し、結果として王の怒りや猜疑を招いてしまっては意味が無い。
餌とわかっていても釣られるしかないのではないかと、その場にいた全員が思っていた。
それほどまでに、魔法剣という未知の技術は魅力的であったのである。
更新遅れて申し訳ない。
引っ越しの手伝いをしたら、全身筋肉痛になってしまいました。まいった、本当に
 




