ギギ、皇帝と交渉す
晩夏の嵐の日から数日が経った。大雨によりぬかるんでいた大地もすっかりと乾き、激しい嵐がまるで嘘のように燦々と陽光が降り注ぐ。
シンはギギを伴い、再び宮殿へと来ていた。
ギギは華美華麗な宮殿に目を白黒させ、目につく物のほぼ全てに対し、あれは何だ? あれにはどういう意味があるのかと、シンに質問をしていた。
シンはそれに自分が知りうる限り応え、自分もわからぬ物には案内役の侍従に聞いて見たりもした。
シンがいつも通されるのは、皇帝のプライベートに近い第二応接室だが、今日はゴブリン族の使者、アガデス族の戦士ギギと交渉をするために、貴賓や使者をもてなすための第一応接室へと案内された。
細部にまで細かい装飾が施されている重厚な扉がギィと軋んだ音を立てて開け放たれる。
この軋んだ音は、蝶番の整備不良などではなく、人の入退出がはっきりとわかるようにワザと音が出るように作られている。それに加え演出という意味合いもあるが、宮殿に通い慣れたシンでさえ、この音を聞いてから一歩を踏み出すと、まるで新しい世界へと足を踏み入れたかのような錯覚を覚えるのだった。
部屋の中には、皇帝が立ち上がり諸手を上げて歓迎の意を示していた。
その後ろに控えるのは近衛の騎士が二名と、シンとも馴染みの深い侍従武官長のウルリヒ、また左隣りには宰相エドアルド、侍従長ヘンドルフ、そのさらに後ろには宮廷侍女が数名お茶の用意のために控えている。
「ようこそ、我がガラント帝国へ。アガデス族の戦士ギギ殿、本日はギギ殿をゴブリン族の使者としてお迎え致す。出来る事ならば、ギギ殿とは個人的友誼はもとより、帝国とゴブリン族との友誼と国交を結び、両国共に繁栄の道を共に歩きたいと思っておる。ささ、ギギ殿、どうぞこちらに……」
ギギは厚く遇する皇帝に感謝の意を述べ、戦士として名乗りを上げると、促されるままにギギは席に着き、シンは一同に目礼してからその隣に腰掛ける。
同じ普人種の権力者であっても、こうも違うものかとギギは驚き、その対応に苦慮していた。
侍女たちによってテキパキとお茶が配られる。まず毒見として侍従長が口を付け、その後に皇帝が飲み、それに続くようにシンがためらいも無く手を伸ばし、それを見てギギもお茶に口を付けた。
「美味イ」
「ああ、家で出すお茶の何倍もの値が張る高級茶だからな。俺もここへ来るとついついお代わりをして飲み過ぎて、腹がちゃぷちゃぷになっちまうんだ」
二入は笑顔で飲み干すと、すぐさまにお代わりを所望する。
片や異国の亜人、もう片方は数年前まで流離いの異人、その二人に帝国の礼儀作法を求めるのは阿呆の所業である。
シンが場を和まそうとして飛ばす諧謔の類によって、部屋の空気は軽くなり皆の口元にも微笑が浮かぶ。
「良い飲みっぷりだギギ殿。ギギ殿の国にも茶はあるのか?」
皇帝の素朴な質問に、ギギはあると短く応える。
「イェルバ茶ト言ウ。ゴブリン族、疲レタトキニ茶ヲ飲ム。疲レ取レル。ダガ、イェルバ茶強イ効果アル。子ヲ孕ンデイルトキハ駄目」
「ほぅ、嗜好品というよりは薬品に近い物なのだな。そのイェルバ茶というのは……何にせよ一度は口にしてみたいものであるな」
この短いやり取りで皇帝は確信した。シンが言うようにゴブリン族は薬学に優れているのだと。
帝国ではお茶はあくまでも嗜好品の枠を出ない。一応、お茶を飲むと身体に良いという漠然とした言い伝えによって嗜まれてはいるのだが、確たる薬効については誰も知らない。
それもこのゴブリン族によって解明されるのではないか、お茶に限らずその他の薬や食べ物などが齎す薬効も明るみに出るのではないかと皇帝は考え、その期待感に胸をときめかす。
その後もゴブリン、普人種の文化の差や考えの違いなどを互いに認識を深めるために、しばし談笑をする。
「さて、そろそろ本題に入るといたそう。我が帝国は、ギギ殿の国と正式に国交を結びたいと思っている。互いに文化や経済を通じて交流し、両国の一層の発展と繁栄を望みたいと思っているのだが……」
ギギはあくまで両国を対等とする皇帝の配慮に嬉しく思うが、自身は戦士……帝国で言うのならば武官であり外交的な決定権を有していない。そのために、この場での即答は避けた。
「申シ出ニハ大変感謝スルガ、ギギハ戦士デアリ政ニ口ヲ挟ムコトハデキナイ」
落胆するであろうなと思ってギギが皇帝を見ると、皇帝はさもありなんと頷いている。
「ギギ殿が戦士……この帝国で言うところの武官であることは、そこにいるシンより聞いておる。ならば、改めて申させてもらうが、ギギ殿の国に我が帝国から、使節を送ることを許していただきたい。そしてギギ殿には是非に取次ぎをお願いしたく存ずるが如何に?」
要するに帝国からギギの国へ使者を送るから、その取次ぎをお願いしたいと皇帝は言う。
ギギもそれならばお役にたてるだろうと、相好を崩した。
「ギギが各氏族から選ばれた戦士たちを率いて旅をしていたのには理由があってな、ゴブリン族は十年に一度、国外からまだ彼らが有していない物や技術などを探して持ち帰るという使命を帯びて送り出されるんだそうだ。であるからには、ギギが帰国するにはそれ相応のものが必要になるのだが……」
シンがここで交渉が円滑に進むようにと口を挟む。
皇帝は大きく頷くと、ギギに対して提案をする。
「なるほどなるほど、それは大義であるな。これもシンより聞いた事だが、ギギ殿の国では銅は多量に産出しても鉄があまり取れないと聞いている。これに対し、帝国では鉄は豊富に取れるのだが、どうであろうか? この鉄とその製法などをギギ殿に進呈、いやギギ殿の国に贈りたいのだが……」
鉄と聞いてギギの目が光る。ギギの国は中央大陸の辺境のさらに辺境、はっきり言えば秘境に近い。
そこでは数々の魔物が跳梁跋扈し、それらから国を守るために日夜戦いが繰り広げられている。
そんなお国柄であるから、より強い金属でより強い武器を欲するのも当然であった。
ギギは黙って深く頭を下げ感謝の意を示した。
敵対するかもしれない国に対して、武器の原料を送るわけがない。帝国は、本当に自国と共存の道を歩みたいと思っているのだと感じたギギは、その申し出を喜んで受けることにした。
その後は、食堂に場所を移して会食を楽しみ、ギギもシンも普段食べられぬような豪華な食事に舌鼓を打った。
ギギにこのまま賓客として宮殿に逗留する事を提案するが、ギギはシンの元の方が良いとして頑として受け付けなかった。
賓客に対し護衛の一つでも付けなければ、国の威信にも関わるのでシンの邸宅に護衛の兵を配する事とした。
使節団の編成や音物の用意に掛かる時間を考えると、出発は秋になるだろう。
「シンよ、ギギ殿を引き合わせてくれて感謝する。この功をもってして、越権行為の罪を贖いとするのはどうであろうか? もう一度、余に仕える気は無いか?」
まったくを持ってしらじらしい台詞であり、それを聞いたシンは吹き出しそうになるのを拳を強く握りしめて堪える。
「はっ、不肖ながらこのシン、今一度帝国に仕え帝国のために働きたく思います」
「左様か、ならば侍中の役を与える。侍中、それに前の通り相談役の二役を兼任せよ」
椅子から降り床に跪いたシンは、ははーっと畏まりながら侍中と相談役の二役を拝命した。
侍中は皇帝の側近であり相談役でもある。相談役と何が違うのかと言えば、相談役はあくまでも皇帝の茶飲み友達であり、それに対し侍中は公式な側近兼相談役である。
正式な叙任は後日として、その日はギギと共にシンは宮殿を後にした。
ブックマークありがとうございます!
中世ヨーロッパをモチーフにすると一番苦しむのが役職……中世ヨーロッパ、日本や中国のような明確な官位役職の類ってあんまり無いんですよね……中国みたいにまだ完全に中央集権化してませんし各貴族が好き勝手やってるだけだし……と、いう訳で役職は和洋折衷織り交ぜたものにしようかと思います。




