政略結婚
「なに! 政略結婚だと!」
皇帝は思わず素っ頓狂な声を上げてしまうが無理も無い。皇族や貴族にとってそれは当たり前の話ではあるが、シンの口からその言葉が出るとは思いもよらぬ事であった。
今まで自身の結婚に関して沈黙を保って来ただけに驚きを隠せない。
「宮殿に……いやこのまま国内に身を置いておくのが危ないのであれば、いっそのこと国外へ出てはどうかと思ってな」
他国へと嫁ぐとなると、まずこれから戦になる他の道は無いラ・ロシュエル王国では無いだろう。
では、ルーアルト王国か? いや、それはありえない。ラーハルト二世のような豚にも劣るような者に、可愛い妹をやるわけにはいかない。
ハーベイ連合もあり得ない。首長議会制を敷いているあの国は、権力者の入れ替わりが激しく安定しない。そのような所に嫁いだとしても、大した政治的利点を見出すことは出来ない。
となると、残りは一国。最近になって国境が隣接したエックハルト王国しかない。
「シン、それはおそらく無理であろう。確かにこちら側にはメリットがあるが、向こうには無い。無い所か、今現在のところでは我が帝国と誼を結ぶのは、国内の創生教徒を悪戯に刺激する可能性もある故に、害悪でしか無いだろう」
エックハルト王国は力信教徒が多いとは言っても、創生教の信仰も未だ根強く残っている。
ラ・ロシュエル王国の創生教総本山の意向を受けている創生教徒たちを、全て敵に回してでも帝国と結ぶとは到底思えなかった。
「だろうな……ちょっと言い方が悪いが先に謝っておくぞ。ヘンリエッテ皇女は、確かに器量良しではあるが魅力に欠ける。これは、本人のせいでは無くて時流のせいなのだが……ならば、その他国が欲しがる魅力を付けてやればいい」
皇帝は、自慢の妹が魅力に欠けると言われてむっとして眉を顰めるが、我慢して話の続きを聞くことにした。
皇帝が露わにした不快感を感じ取ったシンは、自分の言葉足らずを悔いた。
「魅力に欠けると言っても、女性としてのものでは無くて政治的なものだぞ。言葉足らずだったが、そう怒らんでくれ。で、だが……他国が、いやエックハルトが欲しがる物と言えば何だ?」
皇帝は顎に手を添えて考える。エックハルト王国が、今一番帝国に対して強い興味を示すもの……あっ! と声を上げた皇帝は、常日頃には考えられぬようなヒステリックな叫び声を上げた。
「まさかお主、人身御供になるつもりか! ならん、それは絶対にならんぞ!」
立ち上がり眉を逆立てる皇帝を、シンは落ち着けと宥め席に座らせる。
政略結婚や同盟締結などの際に、重臣が人質として送られるのは往々にしてあることである。
シンがそうした形でエックハルトに赴くのを、皇帝は何よりも恐れていた。
「そんなわけないだろ、落ち着けよ。俺は帝国から出ては行かねぇよ、少なくともお前が居る限りはな」
「まことか? その言葉、まことであろうな?」
その言葉を聞いた皇帝は、先程までの怒気はたちまちに消え失せ、シンを見るその目には喜色を浮かべながら念を押した。
「ああ、約束するぜ。と、話が逸れたな……エックハルト王国が現在強い興味を抱いている物の一つは、魔法剣さ。今でも、俺の家や学校などにエックハルトの密偵が張り付いているらしいぜ。それほどまでに欲している魔法剣を教えてやると言えば、喜んでこの話に乗って来る可能性大だ」
秘密というものはどれほど厳重に管理していても、いつか必ず何処かしらから漏れてしまうもの。ならば、漏れてその情報に価値がなくなる前に高値で売りつけてしまえば良いとシンは考えていた。
「いや、しかし魔法剣はお主の秘中の秘ではないか! 帝国としても、魔法剣の技術を軽々しく相手に渡すのは躊躇われるとこでもある……」
「魔法剣を使えるのは俺だけじゃない。レオナやカイル、それにザンドロックにハーゼ前伯爵もおそらく使えるだろう。その気になればゾルターンだって使えるはずだ。魔法剣の情報も技術も、何れは白日の下に晒される日が必ずや来る。そうなってしまう前に、価値を失ってしまう前に高く売りつけてしまうべきだと思うが……それに、魔法剣は並大抵の者には手に余る代物。やり方だけ教えるが、秘中の秘は教えはせんよ」
シンの言う秘中の秘とは、即ちマナの増量法。いま現在編み出されている魔法剣は、どれもこれもマナの消費量が激しく、マナの総量を鍛え増やしているシンたち以外が使えばたちまち体内のマナが枯渇し、下手をすれば命の危険性すらありえる代物である。
なのでやり方をいくら教えようとも、直ぐに満足に扱える者が居るとは思えないのだ。
「なるほど……今がその売り時という訳か……確かにエックハルトは魔法剣と学校、それにシンに対して強い興味を示してはいる。う~む……」
「ならいっそのこと、学校の事も教えちまえばいい」
「なに?」
「知られて困るような事はあまり無いし、こちらも何れは丸裸にされちまうのは間違いないだろうしな。それに学校やそれに関する制度などを知ったところで、エックハルトが直ぐに真似を出来るとは思えないんだがな」
何処の国であれ、貴族たちは平民に教育を施すのを嫌うだろう。当然である。貴族に取って平民は、搾取の対象でしかなく、言い方を悪くすれば家畜も同然なのだ。
学校を設立出来たのは、相次ぐ反乱により多くの貴族が粛清され、貴族の入れ替わりの過渡期に入っている帝国ならではの事であり、古い体制を維持し続けている他国が容易に真似をすることなど出来るはずも無いとシンは見ていた。
「これは今日、今ここで決めるには難しすぎる問題であるな。ヘンリの意志も確認したいし、それに余が何よりも恐れるのは、もしエックハルトがこの申し出を断ったならば、ヘンリは本当の意味で嫁の行きどころを失ってしまう」
詰まり要らぬと突っぱねられでもしたら、女としても政治的にも価値は無いと周囲から判断されてしまう可能性が出て来る。
そうなると皇族の血を頼りにするしかないのであるが、現在の皇后一派が幅を利かせている状況では、例え皇族の血を自家に取り込めるのだとしても、二の足を踏んでしまうことは疑い無い。
そうすると、自死するか出家するかしか無い。自死は無論、論外である。となると残るは出家のみとなるが、出家した皇族は籍を抜かれ平民となる。元皇族とはいえ、一平民に厳重な護衛を長期に渡って付けるのは難しい。
現在の状況では還俗するのを恐れる皇后一派が、その手薄になったところを襲い亡き者にしようとする可能性は高い。
「先ずは本人の意志の確認からだな。それと、明日から皇女殿下は俺の直弟子になって貰うことにする」
「は?」
「エックハルトは俺に興味津々なのだろう? だったら弟子にすることで、皇女殿下に更なる付加価値を与えることが出来るのではないか?」
確かにと皇帝は思ったが、それと同時に危惧も抱いた。
「シン、ヘンリは余にとって血を分けた兄妹。手心を加えてやって欲しい」
シンも無論、言うまでもなくその積りである。
「心配しなくていい。俺の弟子によると、皇女殿下は相当の珠らしいからな。やる気と根性を、弟子のクラウスも手放しで褒めているほどだぞ」
傷ついた筋組織などを強引に治癒魔法で治すという、荒療治的な訓練を重ねた結果、ヘンリエッテは短期間の内に見る見る実力を伸ばしていた。
現在では二十キロ程度の持久走では根を上げる事も無くこなせるようになり、免除されていた座学にも積極的に参加し、とりわけ戦術などに強い関心を示しているという。
兎にも角にも、今日一日で全てが決まるような話では無い。先ずは本人の確認からという事で話は終わり、シンはそのまま夕食をご馳走になって宮殿を後にした。
雨はすっかり止んでおり、空を見上げると雲一つない満点の星空であり、瞬く星々の光と蒼い月の光のもたらす清涼感を感じて、シンは大きくそれらを吸い込むように深呼吸をした。
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台風が過ぎた所は、異常な熱気に襲われるとの事。皆さま方も、熱中症などにご注意ください。




